幕間 姉妹――、キルケとメディア
――ウザいよお前――。
ワタシより上に居るつもりなんだろお前――?
誰が――、そんなことして欲しいって言ったよ――。
――なあ、メディアよぉ。
その日、長い天魔族の歴史の中で初めての事態が起こった。
一人の天魔族の母から生まれた双子が、その生まれた時にすでに【末梢神核】と【特異神核】に覚醒していたのである。
先の、ある幻魔竜王との戦いで命を落としていた【アスモダイオス姫族】の氏族長【ヘカテ】、その神核を継承したと思われる双子の姉【キルケ】。だが、しばらく成長した後に、周囲の者はおかしな事実を知ったのである。
彼女の【仮想魔源核】の結晶化までにかかる時間があまりに長すぎる。
本来、結晶化にかかる時間は長いものでも二十四時間前後である。それを、キルケの魔源核は三ヶ月もの時間をかけて結晶化していた。
さらに――、仮にそれを解放し【固有権能】を実行しようとしても――。
――全く何も起こらなかったのである。
幾度もの検査を経て――、ある日、他の天魔族たちは彼女の【固有権能】は、何かしらが理由で機能していない【空枠】であると結論づける。そして、一部の者はその原因が、【特異神核】に目覚めていた妹と一緒に生まれた事が原因であろうと考えたのである。
それでもアスモダイオス姫族の末梢神核継承者として、若くしてその氏族長となったキルケであったが、戦士としての才能も――、術師としての才能も――、双方並以下であり、その代わりのように妹であるメディアの術師としての才能は、全天魔族の中でも最上位に位置するほどであった。
そうなれば、――そう、当然のように彼女は思ったのだ……。
――思ってしまったのだ。
それは、誰もが思ってはいたが口には出さなかったこと。
ただ姓を継いだだけでなんの実力もない氏族長を、それでも敬おうとする姫族の者たちや、子供の頃から何かと自分にくっついて離れなかった妹――、メディア。
彼女らのその視線の全ては――、自分のことを哀れんでいる眼なのだろう……と。
後のキルケは、当時の自身の考えを――、あまりに未熟だった自分の心をこう述べている。
「ワタシは役に立ちたくて、それでも役に立てなくて――、自分が情けなくて、その苛立ちで大事な妹に――、メディアに癒やし切れない心の傷を与えてしまった……、ただの馬鹿野郎なんだよ」
――と。
メディアはいつも姉とともにあった。誰よりも姉が大好きだった。
――【固有権能】がどうとか分からないことを耳にするが、そんな事はどうでも良かった。
姉が何か困っているならば、誰よりも早く駆けつけて手助けをした。――それで、姉は喜んでくれると……、彼女は勝手に思っていた。
その行為が、姉に劣等感を与えるだけである事実を――、幼いメディアは知らなかった。
そして――。
「キルケ……姉さま……」
「いいかげんにしろよ……」
ある日、キルケの心は遂に爆発した。ささくれだった心のままに、妹に言ってはならない言葉を吐いた。
「――ウザいよお前――」
「ち、ちが……」
「ワタシの手助けして……、それで、ワタシより上に居るつもりなんだろお前――?」
「ね、え……さ……」
「誰が――、そんなことして欲しいって言ったよ――。あ?! おいメディアよぉ!!」
「ご、め……」
キルケは心の赴くまま、歪んだ心のまま、――ひたすらメディアを罵った。
ひたすら、ひたすら、ひたすら、ひたすら……。
――そして、それはメディアのその瞳が、死んだように何も映さなくなるまで続いた。
――そうして――、それから五十年に渡って二人は顔を会わせなくなった。メディアはアスモダイオス姫族に、――姉に近づくいことはなくなった。
その五十年の間のメディアが、どのように生きたのかは知らない。
【特異神核】の正しい使い方を学び、炎獄の魔女と二つ名を得る戦術術師へと成長したメディアは、魔王の指示のもとに結成された【天魔七姫将】に名を連ねていた。
キルケの方は――、あの日から戦士でもない、術師でもない、第三の道を進み始めていた。
彼女の思考は天魔族をも遥かに超えて、そしてその発想と構築される理論は、テラ・ラレース世界のすべての構造を表現してみせた。
それはもはや人智を超えた――、いや天魔族という神々をも越えた至高の頭脳であった。
そうしていつしか【世界を知るもの】という名で、アスモダイオス姫族の正しい長となっていた彼女は、魔王の目に止まってその技術顧問として立つことになった。
もはやかつての劣等感もなく、正しく誇りを持っていた彼女だが、ただ一つ――、妹と顔を合わせることは出来なかった。
――あの時の、映り込みのない硝子のようなメディアの瞳が忘れられなかった。
そうしてしばらくすれ違っていた姉妹だが――、ある仕事で顔を合わせる事になった。
どうなるか? なにを言われるか? そう少し怖かったキルケだが――、再会はとてもあっさりしたものであった。
「ふふふ……、キルケお姉様――、お久しぶりです」
「……あ、ああ……そうだなメディア」
「どうしました? 一緒に魔王様にお仕えしているのに……、いつ会いに来てくださるのかと思っていましたのに」
その態度は親しい家族に対するものと変わらなかった。――自分の心配は杞憂だった。
そうキルケは考えて、それから再び姉妹の時間は動き始めた。
――そして、その時は来る。
今までただの【空枠】だと思っていた自身の【固有権能】のその正体にキルケはやっと到達した。
それは、あの【ヴァロナ・アマイモン】が、ある時命の危機に陥った際に初めて使用されて――、そのあまりに絶大すぎる力を知った。
そのあまりに強すぎる力は、そのまま【秘匿事項】かつ【緊急時以外封印指定】とされ、それを知るものは魔王本人と直接目撃したヴァロナだけとなった。
自分の【固有権能】の魔源核再結晶化が三ヶ月にもなる原因は、その力がもはや常識ハズレであったのが原因であり、幼い頃に使用できなかった理由は、彼女の知識や理論構成力が【固有権能使用可能になるほどに至っていなかった】事が原因だった。
――彼女の中に【固有権能】は正しく在ったのである。
「……」
でも――、だったらあの時、メディアを罵った自分はあまりに愚かすぎないのか? ――キルケはそう考えた。
【固有権能】の内容を話せなくても――、それでもその事実を話して謝るべきではないのか?
キルケは時間を作ってもらって、事実を話してメディアに謝ることにした。
そして、それは最近のメディアとの間柄を考えれば――、大丈夫だと考えていた。
――でも、それがあまりに甘い考えてあった事実を……、キルケは死ぬほどの心の痛みとともに理解する事になった。
「え? 【固有権能】を持っていた?」
メディアが言うその言葉に何か違和感を感じた。
「……お姉様? キルケお姉様がアスモダイオス姫族の氏族長であるならば、【固有権能】を持つのは当然ですわよね? まあ……、内容までは知っていませんが」
「……?」
メディアは、自分がかつて【固有権能】が【空枠】で在ったために苦しんでいた事実を知っているはずだ。
無論、――かつては知らなくとも、かつての事を今ならば正しく理解しているはずだ。
その言動を聞いて嫌なものを感じたキルケは、かつての事を口に出した。そして――、それがいけなかった。
「……ううううう!!」
「メディア?!」
「あああああ……、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……、わたしがおねちゃんの……、だいじなものを全部奪って……、ああああああああああああああああああああああああああああああああ……」
――それは発作のように始まった。そして、それが幼いメディアがしばらく患っていた精神疾患だと後で知った。
メディアは――、あの時キルケに罵られてから、その精神疾患を患っていた。
メディアがアスモダイオス姫族に近づかなかったのは、それを知っていた者に止められていたからであった。
自分が知らなかったのは、その事で氏族長が病まないようにと気遣った氏族の者が情報を止めていた事もあるが、自分はあの時罵った自分への後ろめたさから、メディアの事をなるべく見ないようにしていたからであった。
メディアはその疾患をなんとか乗り越えるために、かつての記憶を心を守るために心の深淵に封じていたのだ。だからこそ、再開した時普通に話すことが出来たのだ。
――キルケはその封印を誤ってこじ開けてしまった。
そして、キルケは自身がかつて犯した罪の大きさを知った。
メディアが何かと精神的に追い詰められやすく、何かと思い詰める性格になったのは、まさしく自分のせいだったのだ。
――それ以降、キルケはかつてを話さなくなった。そして自身の【固有権能】に関しても、メディアに対しては適当にウソをついた。
かつてをメディアが忘れていられるように……、メディアが自分の罪でもない事で苦しむことのないように。
――そうしてキルケは大嘘つきになった。
――そして誰よりもメディアを想う姉になった。
キルケ・アスモダイオスは、メディアに【姉妹として正しく愛してる】と言ってはいない。
おそらく心の底にある恐れへの防衛反応なのだろう――、メディアはキルケの言葉を本能的に拒絶する傾向があった。
その言葉をいつ彼女に正しく伝える事が出来るのか?
――それは【世界を知るもの】と呼ばれたキルケ・アスモダイオスですら見通すことは出来なかった。