出会い
記念すべき初めての一人暮らし先はとんでもないボロアパートだった。
沈みかけた屋根、錆切って濃い茶色に染まった雨戸は築37年の歴史を感じさせる。
3月25日の夕方17時、俺は引越し先のアパートに到着した。家電は備え付けがあるらしく、机などは明日届くことになっているので、俺はとりあえず日用品などを詰めたトランクだけを持ってアパートへ向かっていた。
「コープエトセトラ」閑静な住宅街に立つこのアパートは、周囲の住宅が割と新しいのもあって古さが余計際立っている。
(40周年を迎えられたら奇跡だな。)
俺はアパートの車の出入り口から未舗装のでこぼこ道を通り、1階の外廊下の近くに置いてある1m程度高さの木製の台(台の上に置いてある木の板に絵が描かれており、チューリップの花びらの形をした顔が3つ並んでいずれもニコニコ笑っている)を横目に、1番奥の扉の前に辿り着き、鍵を開け、握り玉タイプの取手を回してドアを開けると……
「それでそのイケメンがさ!」
女の大声がして、俺は咄嗟にドアを閉めた。
(しまった!間違えたか?)
ドアの前で戸惑っていると、ドアが開き女が赤い顔をして立っている。
「お!もしかしてこの部屋に引っ越してくる人?」
「はい……そうですけどなんで僕の部屋に?」
「大家さんから話は聞いてるよ。君の歓迎会をするためにみんなで待ってたんだよ〜」
「歓迎会?みんな?」
この人が言っていることを脳が処理しきれず、俺がおうむ返ししかできずにいると、
「まあ入って入って」
手を取られまるで自分の部屋のように案内される。
リビングに入ると大学生くらいの男、40代くらいのおばちゃん、そして小学生低学年くらい男の子がビールやチューハイの缶を囲んで盛り上がっていた。
「やっと来たのかい!うちの隣に座っていいよ。」
(俺の部屋だっつうの!てか誰だよ!)
危うく心の声が出かかったが、見ず知らずの他人にいきなり突っ込む勇気はなく、
「すみません……ありがとうございます。」
むしろお礼を言ってしまった。
俺がおばちゃんと大学生の間に座ると飲み会メンバーの自己紹介が始まった。
「僕は大学4年の甲崎賢人です。105号室に住んでます。隣部屋ですね。よろしくお願いします。」
なんだ、アパートの住人だったのか。
大学生がしっかり挨拶をしてきたので少しびっくりした。この人はまともなのかもしれないな。
いや、惑わされるな、こいつは人の部屋で勝手に飲み会をしている輩だぞ!
「真面目そうな見た目に惑わされたらダメだよ〜
こいつ、遊びすぎて単位落として2留してるんだから。」
「え、そうなの?」
「まあ、パチンコに忙しくてちょっと人より遠回りしているだけです。」
2留はちょっとどころじゃない気がするが。少しでもまともと思ってしまった自分が恥ずかしい。
次におばちゃんの自己紹介。
「うちは丑三花苗だよ。201号室に住んでる。スーパーのバイトをしてる。ちなみにこいつの母親さ。」
「そうなんですか……ってそうえばなんで子供が飲み会にいるんですか!」
「そりゃ子供を一人にさせるわけにはいかないからじゃないか。あんた常識がないのかい?」
(あんたに言われたくねえ!)
危うく心の声が出かかったが、見ず知らずの他人に突っ込む勇気はなく、
「そうですよね、すみません。」
なぜか謝ってしまった。
「僕は丑三颯太、8歳、よろしくね〜」
「そうか、よろしくね。君はお酒飲んでないんだよね?」
「当たり前じゃん、子供は酒飲んじゃいけないんだぜ。常識ないな〜」
「そうだよね、ごめんね」
もう疲れた……
そして最後に俺を案内した女が自己紹介を始めた。
「私は虎外亜矢絵、看護師やってま〜す。部屋は102号室で〜す。彼氏は絶賛募集中で〜す。」
「なんだい、彼氏ならいるじゃないか。既婚者の彼氏がさ」
「ちょっとおばちゃん、いきなりカミングアウトしないでよ〜、新人君に軽蔑されちゃうじゃ〜ん。」
大丈夫、自己紹介の前から軽蔑している。
「じゃあ最後に新人君、自己紹介いってみよ〜」
こんな非常識な人たちに自己紹介などしたくないが、自己紹介をしてもらった以上返さなければなるまい。
「鳥居雄也です。25歳です。システムエンジニアやってます。よろしくお願いします。」
「エンジニアなんてかっこいいじゃ〜ん。プログラミングとかめっちゃやってる感じ?」
「まあぼちぼちですかね、sierなんでそんながっつりはやってないですよ。」
「ふーん、てかsierってなに?」
「sierっていうのはですね……」
何普通に会話してるんだ俺は!早くこの人たちに出ていってもらわなくては。
「ていうか皆さん僕の部屋で何やってるんですか!」
すると甲崎君が「それは鳥居さんの歓迎会をしてたんですよ、鳥居さん抜きで。」とありがたく教えてくれた。
「それはさっき聞きましたけど、おかしいでしょ!人の部屋に勝手に入って!」
すると丑三さんが「まあまあ、特別に前日入りしていいって大家さんに言われてるみたいだけど、賃貸契約上だと明日から部屋を借りることになってるんだろ?だったら今日は正式には鳥居君の部屋じゃないじゃないか。」とドヤ顔で正論を吐いてきた。
「……まあ確かに。」
契約日は月曜日で有給を取って新居に移動しようとしていたのだが、参画しているプロジェクトが炎上しており有給を取りにくかったので、前日入りできないかお願いをしていたのだ。
その事情をなぜこのおばちゃんが知っているのだろう……
「まあまあ、丑三さん、虐めなちゃダメだよ〜
私たちも悪いと言われれば悪いんだからさ。」
悪いよ!100%悪いよ!
ここで負けてはダメだ。何としても出ていってもらわねば。
「エンジニアということは大家さんと一緒じゃないですか。」
「確かに!これは運命の赤い糸かもね〜」
ほう、大家さんもエンジニアなのか、そして赤い糸ということは女性なのか?
さっきまでの意気込みはどこへやら、大家さんへと興味が移った俺は虎外さんへ聞いてみることにした。
「大家さんもエンジニアなんですか?」
「そうだよ〜PMやってるって言ってたかな。あれ?PMってなんだっけ?」
「プロジェクトマネージャーの略ですよ。ざっくり言えばチームリーダーってとこです。」
「そうだった!鳥居君詳しいね〜」
「そりゃそうですよ、同じIT企業なんですから。
で、大家さんは女性なんですか?」
「興味ある〜?隅に置けないな〜」
なんだか急に恥ずかしくなってきた。
「やっぱりいいです。」
「うそうそ!女性でしかもなかなかの美人だよ〜
年は確か28歳だったかな。これは私が言ったって言わないでね。」
美人のお姉さんか、なんだかワクワクしてきた。
「ねえ、話長いよ。とりあえず乾杯しようよ。」
颯太君に言われては仕方ない。とりあえず大家さんの話を聞いてから出ていってもらうことにしよう。乾杯の温度は颯太君がとってくれるようだ。母親と違って立派な子だ。
「兄ちゃんいらっしゃい!乾杯!」
『乾杯!』
ビールを飲もうとしたその時、部屋のチャイムが鳴った。
大家さんかもしれないと思い、ドキドキしてドアを開けるとそこにはスーツ姿の美人の女性が立っていた。
「はじめまして、コープエトセトラの大家の一ノ瀬奏です。鳥居さんですか?」
俺は返事ができなかった。
余りにも俺のタイプ過ぎたのだ。




