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4話ー婚約

磨かれた石の敷き詰められた廊下は、独特の薬臭い匂いがしている。ここ数日で通い慣れた廊下を辿って、ノワールはネロの病室へと向かっていた。昨夜の約束の通り、魔法士団の終業から少し経った時間だ。


昨夜のネロの朦朧とした様子を思い出し、ノワールは顔をしかめる。まともに目を覚ましたらすぐこれか。なんの話をするにしたって、もう少し回復してからにすれば良いものを。


とはいえ、このままでは当人の同意もそこそこに、婚約は本決まりになる。

双方家の当主は親の代で、特に反対はされていない。貴族同士の婚約なので、王家の口添えも含め、家同士で話がまとまってしまえば、それで話は終了だ。


もちろんノワールだって、思うところが無いわけではないが…


ため息をついて、ノワールはネロの病室の扉を叩いた。


「入るぞ。」


声をかければ中から、どうぞ、と返答があった。聞き慣れた穏やかな声を聴いて、少し安堵する。


扉を開けるとネロはベッドの上で身を起こしていた。銀に近い灰色の瞳が久々に焦点を合わせてノワールを見ている。いつもは下ろしっぱなしの長いクリーム色の髪が、緩くくくられているのが目新しかった。服も入院患者用の寝間着ではなく、シャツとカーディガンだ。


「今日はまともそうだな。」


思ったことをそのまま口に出すと、相手が苦く笑った。


「それは…、うん。そうだね。」


座ってよ、とネロは続けてベッドの側の椅子を示す。


「先に魔導式を見るから待て。」


示す手を断って、ノワールはベッドの下を覗いた。模様に指を這わせて消費された魔力を補充する。複雑な魔法を組んだのは確かだが、それにしたって消費が早い。魔導式は本来こんなに頻繁に魔力の補充を必要とするものではないのだ。それだけ呪いの威力が強い。


あれこれ描き直して燃費向上に努めてはみたものの、このあたりが頭打ちだ。あとはむしろ魔導式を描きつける材質を工夫したほうが早いか。ありあわせのシーツよりマシなもの。木材でも金属でも、ちゃんと選べば幾らでもある。だがまあ、安牌を取るなら魔石だ。値は張るが。


改良は諦めて、ネロが示した椅子へ腰を下ろす。するとネロはノワールに頭を下げてきた。


「ごめん。」


「なにが。」


「全部。毎日ここへ来て、命を救ってもらっていることも、婚約なんて面倒な話になったのも。」


一瞬言葉に詰まった。なんというか、謝られる、とは思っていなかった。


「…まぁどれも、仕方ない話だろ。」


ネロを死なせずに済むには、全てこうなるより他になかっただけだ。


「うん。……そうなんだけど、ごめん。」


俯いたネロのクリーム色の髪が一束、ほどけて肩へ落ちる。ネロは白い手をサイドテーブルへ伸ばして、置かれていた小包を取り上げ、ノワールへ差し出した。


「これ。迷惑かけるお詫びってわけじゃないけど、開けて。」


受け取った箱は軽い。菓子折りか?

2人の間に横たわる問題の重大さに比べるとなおさら軽さが際立つ。


包みの中には棒状の菓子が入っていた。 オレンジとチョコレートの匂い。

店名の書かれた銀色の紙に包まった、オレンジピール入りのショコラ。


学生時代によくネロから貰ったお菓子だ。

見覚えのあるそれに、ノワールの口元がほのかに緩んだ。


「お前これ…また懐かしいものを。」


「命の恩人へのお礼をこれで済まそうってわけじゃないけど、長い話になるだろうし、お茶請けにね。」


軽やかな話しぶりが場の緊張感を払拭する。いつも通りに戻った気がして、ノワールは知らぬうちに詰めていた息を吐いた。


「お前がよくくれたやつだろ。」


「結局食べてたし、好きなのかなと思って。」


理由も何もなく、食べれば?とか、軽い調子で渡されたショコラを齧った学生時代を思い出す。


これを貰うのはだいたい、落ち込んでいるようなときが多かった。

魔法の制御が全然うまくいかないとか、学友たちに怖がられたとか、遠巻きにされたとか、その挙げ句喧嘩になったとか、そんなとき。


箱の中からショコラをひとつ取り出してもて遊ぶ。


「お茶も淹れてもらってるから、飲んで。」


ネロの手がノワールの背後の机を差した。簡単なティーセットが置かれている。


「…ああ。」


ポットからカップへ紅茶を移して、ノワールは手の中のショコラ包みを開く。


これを食べながら、難しかった課題の話や季節や天気の話をした。落ち込んだ理由は話さなかった。そうやって、気を紛らわしていた。


「君がどこまで知ってるかわからないけど、」


ネロが口を開く。


「ボクにかけられた呪いはボクの生命力そのものを吸い取るらしい。前例もないもので、解呪法は不明。呪いがボクの封じで段々崩壊して消えるまでにかかる時間はだいたい3年。君の手助けなしに呪いを抑えきれるようになるのは2年後。解呪法の発明を充てにしないとして、ボクが君の協力を得られる立場……婚約者でいなければならないのは2年。」


「最短でならな。…完全に呪いが消滅するまで、立場は変えないほうが安全だろ。」


「……うん。」


会話が途切れる。手元のショコラを齧った。


今回の婚約の話は、確かに望んだものじゃない。でも、ネロの命がそれで助かるなら安いとも思う。


死体のような顔色で名前を呼ばれたあの一瞬が脳裏をよぎる。心臓を握りつぶされるような感覚はまだ鮮明だ。二度とあんな思いをしないために、婚約が必要だと言うなら仕方ない。


「ノワールは、さ。今後誰かと結婚するつもりとか、あったの。」


「いや…」


ノワールは侯爵家の長子だが、天恵持ちなので、跡継ぎが望めない。なにかあればノワールに変わって後を継ぐのは年の離れた弟と決まっていた。


結婚なんて、万が一ウィーネとカーニスが別れたときくらいしか考えてない。


「お前は?」


問い返すと、ネロは白けたように首を振る。


「全く。…あるように見える?」


「見えない。」


ノワールはネロがドレスを着たところを見たことがない。教室でも、夜会でも、職場でも、ネロはいつもローブ姿だ。ローブは魔法使いの正装として割と受けが良いが、男女で形に差がないので、結婚だなんだという縁組の話は出づらい。


包みの中からもう一つショコラをつまんで、ネロの手元の布団の上に放り出す。


「お前も食え。」


「君にあげたのに。」


「俺だけ食べるのも気詰まりだ。」


「…ありがとう。」


包みを拾った細い指を目で追って、気不味くなって視線をそらす。


無条件に怖がられたノワールほどではないが、ネロも学友たちから距離を取られる傾向はあった。そういう他人からの隔意に不機嫌になったり落ち込んだりしていたノワールと反対で、ネロはいつもただ静かに笑っているだけだった。


当時は最初から諦めているようにしか見えなくて気に入らなかったけど、今は少し、その寛大さを認めてもいる。


どんなに不機嫌でもわざわざノワールに構ってくるのも、面倒なやつだと思っていたけど、段々ネロなりの優しさなのだと知った。


ネロはいつも、いつの間にか隣にいてほけほけ笑っていて、なんだかんだ同じものを見て、あれこれ言い合って、自分と同じ生き物だと思っていた。


ノワールをワイバーンの前から引き離した手の力強さも、ノワールほどでは無いけど高い背丈も、厳しい実習訓練も涼しい顔でこなしてみせるのも、自分と同じだと。


でも。


ネロが倒れこんだとき、咄嗟に掴んだ腕は細かった。

身体は明らかに男と違う柔さがあって、血に塗れた肩の薄さも、血の気の戻った今も変わらない指先の白さも。


知らなかった。知ってしまった。

あまり、知りたくはなかった。

何かを、変えたくなかった。


キズモノになったから、肌を見られたから、女の子だから。世間一般の言うそれらを、ネロが気にする様子はない。

そうだろうな、と思う。それが、ノワールの知っているネロだ。


「本当に嫌なら断っていいよ。…少なくとも2年、ウィンディが泣かされても迎えに行けなくなる。」


ネロは一瞬だけノワールと視線を合わせて、小さく笑った。


冗談のつもりだろうか。


ネロが考えていることは、いつも良くわからない。表情の裏を読むのもだいぶ昔にあきらめた。


だから似たようなことを言い返す。


「お前はどうなんだ。3年経ったら26だろ。」


「え?」


女性は20代半ばを過ぎて未婚だと、いき遅れと囃される。後々結婚を考えるなら婚約期間3年は長い。


ノワールが黙っていると、ネロも気づいたように、あぁ、と苦笑した。


「何も言われないさ。このなりだから。」


そうだろうな、と思う。

その反面、“このなり”でも女なんだろ、とも思う。


シャツにカーディガンだけの軽装。晒された首筋にを這う魔導式のペイント。胸元へ落ちた長い髪。そういうところに目が行く自分に嫌気が差す。


相手はネロだ。

そういうんじゃない。

婚約というのも、らしくもない。

互いのデメリットを意味もなく並べ立てて。

でも仕方ないじゃないか。

ため息をつく。


「大きな問題がないなら、3年。俺とお前は婚約者同士だ。いいな?…お前の呪いを解くのにそれしかないなら仕方ないだろ。」


「…仕方ない、かなぁ?」


「断ったら、最悪お前死ぬだろ。」


「なんとかなるんじゃない?闇属性の魔法使いなら他にもいる。」


分かりやすい、しかもたちの悪い冗談にノワールは顔をしかめる。このベッドの下の魔導式がどれだけ莫大な魔力を消費しているか、ネロがわかっていないはずがない。


「俺の代わりがきくと?」


「思わない。ごめん。」


二呼吸分の沈黙の後、ネロは観念したといった様子で息をついた。


「わかった。3年間、よろしく。」


「ああ。」



…あー…結構変えてしまった。

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