3話ー②
同日の午後三時、ネロは病室でライオネル殿下と対峙した。
「お邪魔するよ、ネロくん。」
焦げ茶のくせ毛に細められた緑の瞳。相手の身分を考えれば、礼服に着替えて応接室で対応したいところだったが、治癒術士たちが全く許さなかった。まぁそうだろう。体調が思わしくない自覚はさすがにネロにもある。
「ご足労いただいた上、お見苦しい格好で申し訳ありません、ライオネル殿下。…それとも、リオ司令、とお呼びしたほうが?」
「リオでいいよ。怪我はどうだい?」
「負傷自体は、大したものではありません。」
「そのようだね。」
ライオネル殿下の視線がネロに繋がれた医療用の魔法具に向けられる。それからベッドの下の魔導式へ移り、ネロの首元から覗く、肌へペイントされた魔導式で止まった。
ライオネル殿下は、リオ、の魔法名で魔法士団にも籍を持っている。もっとも、ほとんど出向で不在であるのは籍だけだが、組織図上はネロの上司にもなる。
魔法名を名乗ったのは、つまり魔法司令としての仕事でここへ来たということだ。
彼は様々な機関に所属している。魔法司令を名乗るのであれば、その他の機関では出向扱いになっているのだろう。
そんな複雑な身の置き方をするのは、殿下がこの国の諜報機関を束ねる立場にあるからだというのは、公然の秘密である。
ネロは久々に顔を合わせた上司の読めない表情を探った。
「その怪我のことで、君本人から話を聞きたいんだ。」
無言で頷く。負傷した当日から4日、報告書のひとつも出せていないのだから、当然だ。
「まず、敵ーワイバーン型の魔物の接近に気づいたのは君だけだったそうだね?」
「はい。ノワール魔法正の警報の魔法をすり抜けての襲撃でした。おそらく気づいたのは私だけだったと思います。」
「どうやって発見したのかな?」
「目視で。体色が暗かったので、夜空に紛れていました。距離や大きさは、ごく近くへ接近されるまで分かりませんでした。」
「敵は君たちの方へ真っ直ぐ向かってきたのかい?周りには騎士隊も治癒術士もいたのだろう?」
「ワイバーンの狙いは…」
ネロは当時の光景を思い出す。
「ノワール魔法正だったと思います。彼に向かって真っ直ぐ飛んできたように見えました。」
ワイバーンが獲物を見定めるような動きを見せていれば、拘束は間に合っていた。逆にノワールに狙いが定まっていたからこそ、ネロは彼を庇うことが出来たのだ。
「それで君は、ノワールくんを庇って負傷した。」
「拘束の魔法をかけようとしていました。詠唱していたので、口頭で警告することが出来ませんでした。」
「なるほど、それで?」
「ワイバーンの牙が肩に食い込んだところで、拘束が完成しました。それで咄嗟に、拘束の魔法ごと、敵を破壊しました。…周囲への配慮が足りなかったことについては、反省しています。」
「ふむ。まぁいいだろう。君の動揺は致し方ないと言える範疇だ。それから君はノワールくんの指示に従って後方へ下がった。転移魔法を使ったそうだね?」
「はい。」
「その時点では君の受け答えははっきりしていて、呪いの影響があったようには見えなかったと聞いている。異論は?」
「ありません。」
「では、何時呪いの存在に気づいた?」
「退却した後、傷の応急処置を試みた時です。魔力を抜き取られる感覚がありました。」
「どうしてそれを“呪い”だと?」
「…魔力を抜き取られる要因として、他に思い当たるものがありませんでした。」
「なるほど、咄嗟の当て推量が運良く当たっていたわけだ。」
「仰る通りです。」
ライオネル殿下の言いようは辛辣ではあったが、的を射ていた。ネロに仕掛けられたものが呪いではない何かであれば、打つ手は無かっただろう。
「では。」
ライオネル殿下の緑の目が鋭くなる。
「吸い取られた魔力の行方に、心当たりは?」
考えもしなかった問いかけに、ネロは息を呑んだ。
そうだ。抜き取られた魔力はどこへ行った?対象を殺すことが、呪いの目的ではないとしたら?
天恵持ちの魔力は膨大だ。ネロから抜き取られた魔力をそっくりそのまま使ったとすれば、かなり大規模な魔法が行使できてしまう。
「申し訳ありません。今まで、思い至りもしませんでした。」
「ふむ。…ではそれについては一先ず置こう。もうひとつ。君以外がその呪いを受けたとして、生きていられると思うか?」
「…呪いを受けたのが天恵持ちであれば、あるいは。」
「それ以外の生存は不可能だと?」
「はい。」
「どうして。」
「魔力の抜き取られる早さは、とても早かった。私は魔力の多さのせいで対抗する時間がありました。対抗する術式をその場で組む知識もあった。それに…、ノワール魔法正の処置がなければ、私も生きてはいなかったでしょう。」
今更ながら背筋が寒くなる。今だって、身体に描かれたペイントと、ベッドの下の魔導式が無ければどうなるかわからない。
どちらの魔法も、かなり難しい、消費の大きいものだ。贅沢にも、天恵持ち2人分の魔法を潤沢に使って生き延びている。
「質問はここまでだ。」
ライオネル殿下がそう言った。瞳の鋭さがふっと掻き消える。
「最後に、君の魔力の行方だけれど、特段怪しい動きはないから安心していい。そもそも魔力を得たいなら、致死量を一気に引き抜くより、死なない程度に長期間、多人数から奪うほうが効率が良いからね。ただ、魔力を引く抜くというのは対象を殺害する方法としては回りくどい。疑わしいのは確かだ。」
「…はい。」
事情聴取の手が緩められたのを感じて、強張っていた肩の力が抜ける。そうすると一気に疲労感が押し寄せてきた。気圧されていたことを今更実感する。聡明さも感の良さも一流と知っているから、余計に緊張するのかもしれない。
雰囲気を変えたライオネル殿下が、今度はイタズラっぽく笑った。ろくでもない予感がしたが、顔に出すわけにもいかないので、曖昧に笑い返して誤魔化しておく。
「フリーセス伯爵令嬢。」
「………………はい?」
ネロが自分のことだと気づいて返答するまで、たっぷり3拍分間があった。ネロをその肩書で呼ぶ者は皆無なので許してほしい。実家が伯爵家なのは本当なので、言われてみれば確かに、伯爵令嬢だ。
「婚約おめでとう。」
さすがに隠し切ることもできず、ネロは苦い顔になった。
「まだ決まった話ではありませんよ。」
殿下がその話を出してくれたのは、ネロとノワールの社会的体面を守るためである。文句を言える筋合いはないとわかっているが、複雑な内心はおいそれとは片付かない。
「…その件についてはお口添えをいただいたようで、感謝しています。」
渋い顔で続けたネロに、殿下は目を細める。
「そうかい?それにしては浮かない顔だね。少なくとも君には喜んでもらえると思ったんだけど。」
ギクリとした。
まさか知られている?どうして?
動揺を悟られたくなくて、強張った顔に微笑を貼り付けて首を傾げた。
「なにか勘違いなされておいででは?謂れのない批評に晒されるのを免れましたから、もちろん感謝しております。」
「それほど難しい話ではないよ。」
ネロの返答を無視して、心の内を読むかのような追及の手は緩まない。
「君が普通の女の子だと知っていれば、ね。」
ライオネル殿下のいたずらっぽい、同意を求める笑顔。
普通の?恋する女の子だって?
とんだ見当違いだ。失礼とは分かりつつ、息だけで笑った。
「ボクみたいなものと一括りにされては、ご令嬢の皆様に失礼というものでしょう。」
「…それってノワールくんにも失礼にならないかい?」
「ええ。ですから、どうやって謝ったものかと腐心している最中です。」
ライオネル殿下はやれやれといった様子で息をつく。
「君のことだから察しているかもしれないが、この話はこちらとしても悪くないからね。」
貼り付けた笑みの下で、ネロはやはりな、と思った。
魔力の強さは遺伝する。天恵持ちが遺伝的に生まれたという報告はないが、ネロやノワールを独り身にしておくのは惜しいと国の上層部が考えるのも分からなくはない。
むしろ実験的な掛け合わせとして期待されていると言われても納得する。
ただ、天恵持ちはそもそも子が出来づらい。子宝を儲けた例は皆無ではないが、双方天恵持ちでは望み薄だ。
政治的に言えば、ネロの生家ーフリーセス伯爵家は親王家派、ノワールの生家ーエスターニュ侯爵家が中立派なので、反王家勢力に天恵持ちの武力を与えない価値はある。エスターニュを親王家と縁付ける意味もある。
今の今まで縁組の話もなく放って置かれたのは、単純に世の中が平和で派閥への固執が希薄だからだが、政治的な駆け引きは無くなりはしないものだ。機会があれば見逃されない。
国王陛下の引退を以って、もうすぐ即位される王太子殿下は35歳。その弟君で大して年の変わらないライオネル殿下が、茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。
しかも似合っているのがまたいけない。
「手始めに、来年3月の兄上の戴冠式で僕の招待客として並んで歩いてもらおうかな?」
「そ、れは…」
ウィンクの茶目っ気にも声音の軽さにもまるで似つかわしくない発言の内容は、ネロの予想の範囲を大きく超えていた。
新たな王を称える戴冠式。もちろん国内だけでなく国外からもたくさんの賓客が招かれる。その場で、その戴冠式を以って王弟となる人物が天恵持ちを従えるのは、
武力の誇示、だ。
何かに見せつけるということ。
それが必要な“敵”がその場に現れるということ。
もし、武力として扱われる日が来れば、天恵持ちはきっと人では無くなる。
それは兵器になる。
「顔色が悪いね。」
ライオネル殿下に声をかけられ、ネロははっとした。
「すみません、すこし、考えごとを…」
「もういいから休みなさい。」
遮った声から面白がる響きは消えていた。単純にネロのことを心配されているらしい。
「察しがいいのは良いことだが、負傷中の君にする話じゃなかったな。」
殿下は苦笑して目を細める。
「いいえ…。」
「君は僕のかわいい部下だ。悪いようにはしない。だから安心して休みなさい。」
「……はい。」
面会は、そうして終了した。