2話ー③
一方、ネロに退却を指示したノワールは、傷だらけのワイバーンに向き直った。
ワイバーンは先の一撃で既に虫の息に近い。ちらりと後方へ視線をやれば、強い魔力に当てられて座り込んだ治癒術士たちが見えた。ウィーネの姿もある。
彼らに追い討ちをかけるわけにはいかない。天恵持ちの魔力の威圧を食らわせないよう、ノワールは自分とワイバーンを結界で囲う。
魔法の詠唱。
狙いを定めて腕を払う。放たれた闇魔法は薄く刃のように形を変えて、ワイバーンの首を落とした。相手が完全に沈黙し、動かなくなったのを確認して結界を解く。
ノワールはワイバーンの亡骸を苦い面持ちで見つめた。警報の魔法は未だ解除していない。綻びのあるような気配もない。それなのにこのワイバーンは警報の魔法をすり抜けた。
「ノワール」
後ろから聞こえた愛しい声に、ノワールは振り向いた。
「ウィーネ。…悪いな。怖い思いをさせた。」
近寄ってくるウィーネは、少し青い顔をしていた。ネロが解放してしまった魔力に当てられている。
「怪我は、ない?ネロは?ネロはどこに行ったの。手当てをしないと…」
慌てた様子の彼女を安心させるように、ノワールは軽く笑った。
「あいつなら心配いらないさ。後方へ退避させたから、ゆっくり迎えに行けばいい。」
返答はしっかりしていたし、転移の魔法も使えていた。ネロは治癒魔法については専門ではないが、多少心得があると聞いている。止血くらいは自分で出来ているだろう。
「噛まれてたよね。噛み傷は、あんまり深いと痕も残っちゃうから、早く…」
「ネロは気にしないだろ。大丈夫さ。」
それよりも優先すべきことがある、とノワールは周囲を見渡す。
警報をすり抜けた魔物がいる以上、天恵持ちの魔力でこの場が必要以上にパニックになることの方が危険だった。
幸い追撃の来る様子はないが、騎士隊や治癒術士たちが恐慌状態では周辺の警戒もままならない。
後ろにいる治癒術士たちは、隠しきれない畏怖をその顔に滲ませるばかりで、ノワールと倒されたワイバーンに近づこうとはしない。
騎士隊はドラゴンのそばだ。遠目で見てわかるほどの混乱は無さそうだが…
気がつけばウィーネが困ったような顔でノワールを見ていた。
威圧にあてられつつも負傷者の状態を気にし、治癒術士としての職務を全うしようとするウィーネは、さすがという他無かった。
「俺は、騎士隊に声をかけてくるから、ネロを探してやってくれるか。」
「…うん。」
頷いたウィーネを見て、あの頃から全然変わらないなと微笑した。
学生時代。魔力の抑制が下手で会う人会う人を威圧し、どうせ俺は怖がられるんだとすっかりやさぐれていたノワールに、ウィーネは言ったのだ。
『ノワールが怖がらせたいと思ってないなら、怖いけど…怖いけど、怖くないもん!』
忘れもしない。お互い意固地になっていて、叫ぶような声だった。
それがあったお陰で、人を傷つけないことを、諦めずにいられた。だからノワールは今、ちゃんと人の輪の中で生きていけている。
ウィーネが治癒術士たちの方へ戻っていくのを見送って、ノワールはドラゴンの近くにいる騎士隊に近づいた。
声が届く範囲まで近寄り、それ以上は距離を詰めない。天恵持ちへの恐怖心でパニックになっていれば、ノワールが下手にそばに寄るのは下策だ。
「襲撃か。」
「はい。警報をすり抜けた、特殊なワイバーンです。魔法士に負傷者が出ました。」
「状態は。」
「軽傷だと思われます。警戒を怠らず、早めに退却したほうがいいかと。」
「そうしよう。」
「私は負傷者の救護に。」
「承知した。」
多少の怯えは見られるものの、問題なく会話が成立したことにほっとする。
伝達も済んだので、ノワールもネロを捜索することにして、ネロが転移の魔法を発動した現場へ戻った。
目的地を表すアンカーが無いから、移動したのは近距離。
ドラゴンやワイバーンから離れて、野営地へ近づく方向となれば、行き先は限られる。治癒術士たちが見つける方が早いかもしれないとは思いつつ、転移魔法の痕跡を辿った。
案の定、ネロの転移先はそう遠くない。
しかし、注意して探っているのに、本人の気配が妙に希薄だ。
なんだか嫌な予感がする。
治癒術士たちはまだ到着していないらしい。
足早に転移先へ向かう。
見えてきたのは林の中、木に寄りかかるように踞った魔法士の制服。
「ネロ?」
声をかける。相手はぐったりと俯いたまま動かない。
まっすぐなクリーム色の髪が、血に染まってべったりと服に張り付いている。
手で触れられるほど近付いて初めて、ネロが顔を上げた。
死人のような真っ白な顔色。
焦点の合っていない目が、かろうじてノワールを認識して、
ほっとしたように笑った。
「の、わーる」
色を失った唇からこぼれた小さな囁きが、
どうしてか、ノワールの耳に、
別れの言葉のように響いた。
ぐらり。均衡を失った肢体が崩れ落ちる。
「ネロっ!?」
倒れるのを阻止するように手を取った。それとほぼ同時に、ネロの身体から禍々しく赤黒い魔力が滲み出る。
何が起きてる?
息が浅いし顔色も悪い。
纏わりつく魔力…
呪いか?
握った手元から魔力をこめた。魔力の強いノワールがそんなことをすれば、普通の人間は壊れてしまうけれど、ネロならその心配はない。赤黒い魔力の正体を探る。幸か不幸か、滲み出ているのはノワールが扱うのと同じ闇属性だ。干渉するのは容易い。
ネロの命を引き抜こうとする呪いを、無理やり干渉して抑え込む。呪いの力が抑えられて弱まるのに呼応するように、奪われていく魔力を引き戻す動きがあった。光の魔法。ネロ自身がこの呪いに抗おうとした証拠。
その時、後ろから声がした。
「ノ、ノワール…」
はっとして振り返る。
追いついてきたウィーネだ。
「近くに、い、行っても…?」
彼女の声が震えているのを聞いてやっと、ノワールは自分の魔力の抑制が不十分であることに気付いた。
それだけ動揺していたのだ。
「あ、ああ…。」
返答と同時に抑制をかけ直す。
ウィーネやその後ろの治癒術士たちがあからさまに肩の力を抜いたのがわかった。
「様子が、おかしいんだ。」
側へ寄ってきたウィーネに伝える。
「見せて。」
ネロの手だけ握ったまま、ノワールはウィーネに場所を譲った。掴んだ手を介して呪いを抑え込んでいるので、手は離せない。
「多分、呪いだ。今は俺が抑えているが、ネロの魔力や命を吸い取るような作用があった。」
ノワールの申告をもとに、ネロの治療は治癒術士たちの手に移っていく。ネロの体にはすぐさま、測定用の魔法具がいくつか取り付けられた。
「確かに、魔力の減り方がおかしいね…」
「傷はそれほど深くなさそうだが…失血が不味いな。」
「呪いなら、ちゃんと調べないと危ないですね。」
「良くないな。早いとこ本部へ搬送したほうがいい。」
「そうですね。野営地の転移魔法の魔導式まで…」
ここでノワールは治癒術士たちのやり取りに口を挟んだ。
「いや、王都の治癒術士団の本部まででいいなら、俺が直接転移できる。…この場に残って騎士隊に離脱を知らせる方と、一緒に王都へ戻る方と、分かれていただくことは出来ますか?」
提案された離れ業に、治癒術士たちは一瞬顔を見合わせて、それから頷いた。




