12話ー②
さて。
ドレスの採寸が行われた次の日も、フリーセス邸には服飾デザイナーのマダムが呼ばれていた。今日はセミオーダーのデイドレスやワンピースのカタログが広げられている。
エイシア曰く、お作法の練習には必要でしょう?と。
ネロの持っている普段着は装飾の少ないローブか、完全な男物ではないものの、男性の平服に近い形のものかのどちらかである。
それでドレスのお作法というのは、確かに変な話だ。
急な出費ではあるが、仮にも伯爵家、どうということはない。この家に住んでいるネロと兄2人は全員官職についているので、正直お金には困っていない。このくらいのドレスの代金なら、ネロ自身の給金だけでも十分支払える。
カタログの前では当人をそっちのけにして、職人と侍女たちが大盛り上がりだった。
ネロ様にはこれが似合う、いいやこっちだ、となんだかとても楽しそうだ。
普段ネロの身の回りの世話をしてくれるのはエイシアとフィリアの2人だが、今日は下の兄上付きの者も皆集まっていて、別館担当は勢揃いに近い。
「そうでしょう?ネロ様。」
「…え?」
勢いに押されてすっかり聞き流していた議論がまとまったのかまとまらないのか。
同意を求めてくるフィリアの目は、表情が乏しいながら大分熱が入っている。
「ネロ様はどんなデザインがお好きですか?」
若い侍女たちから一歩引いていたエイシアが、半笑いでネロに聞いた。どことなくからかわれている雰囲気があるのは気に入らないが、ネロは渋々カタログに目を通す。
「うーん…デザインだけで言うなら、こういうのとか、こっちのヒラヒラしたのも可愛いと思うよ。それこそ、フィリアとかに着せるなら、これとか。流行りに乗るなら、このあたりのデザインになるかな。」
適当に指さしてみせると、侍女たちがざわついた。
「え、じゃあどれが欲しいんですか!」
「ボクが着てどれが似合うかなんて知らないよ。こういうのはあんまり着ないからね。」
社交の場では、流行り廃りだのセンスの良し悪しだのは結構重視される。ネロが示して見せたのはただのそういう教養だ。
「そんなの、好きなデザインで選べばいいんですよ!マダムが似合うように直してくださいますもの。」
楽しそうな侍女たちを見つつ、マダムは持ってきたトランクを漁りだす。
「今お選びになった中なら、今日いくつかお持ちしていますよ。是非お試しになってくださいな。」
そつのない対応に、ネロは苦笑した。
「商売上手だな。でも、今のはそんなつもりじゃ…」
その声を遮るように、背後から呆れた声が割って入る。
「なにをコソコソしているのかと思ったら。」
いつの間にか、広間の扉が開いていた。
立っていたのはネロと同じ淡い金色の髪の男性だった。ネロよりいくらか年嵩で、でも面差しはどことなくネロと似ている。
アイスブルーの目が瞬きをした。
この人は、ネロの兄のラファルである。
ネロが上の兄上と呼ぶ人で、この王都のフリーセス館を取り仕切る、次期フリーセス伯爵だ。
普段なら別館には用がない人だが、2日連続で来客の気配のある別館を覗きに来たらしかった。
「ラファル兄上。」
「戴冠式に向けてローブでも買うの?」
「いや…」
ネロは少し躊躇って、でも正直に話すことにした。こういうのは先に延ばすと良いことがない。
「ノワールが、ボクのドレスのサイズを聞いたらしくて。」
ラファルのアイスブルーの瞳が丸くなる。
「夜会に誘われたのか?」
「面と向かって言われたわけじゃないのでなんとも。でも、お作法の復習には必要でしょうって並べられてる。」
側へ寄ってきたラファルがネロの肩越しにカタログを覗いた。
賑やかだった侍女たちは、水を打ったように静かになっている。様子をうかがう様は、いたずらがバレた子どもたちのようだ。
「誘われたら、行くの?」
ラファルが言う。ネロは言葉に詰まった。
行きたい。そう思ってはいるけれど…
「女の子として夜会に行く意味は、当然わかっているよな?」
ラファルの声が低くなった。
もちろんわかっている。
ラファルが、なにを心配しているのか。
ネロが、その結果何が起きてもいいと思ったとしても、ラファルは、そう思わないだろうことも。
「反対なさるおつもりですか。」
声を上げたのはエイシアだった。
ラファルをしのぐ、圧のある声だった。
「あなたたちはそうやって、まだこの方を縛り付けるのですか。」
エイシアが怒ってる。
ネロは慌てた。
「エイシア!やめなよ。」
エイシアはネロ付きの侍女だけれど、フリーセス館の使用人である以上、雇用主はラファルになる。明らかに戦うべき相手ではない。
しかし、エイシアは退かなかった。
「いいえ。言わせていただきます。あなたは…」
「よしてくれ、わかってるよ。」
エイシアの威勢を当のラファルが遮った。
「俺だってもう学園へ上がったばかりの子供じゃないんだ。妹をお嫁にやるのが嫌だ、なんて泣いたりはしないさ。ただ、聞きたいのはお前が行きたいと思うかだよ。ネリィ。」
視線を向けられて、ネロは驚いて黙った。てっきり反対されると思っていたし、その質問は完全に予想外だ。
返事をしないネロにラファルは続ける。
「行きたいなら止めないよ。でもお前が行きたくないというなら、相手が侯爵家だろうと知ったことか。断りなさいと言うし、ネリィは渡さない。」
ラファルが向けてくる目は真剣だ。
侯爵家と伯爵家では、数が全然違う。階級が1つ違うだけだとは、まるで言えない格の違いがあるのに。
ネリィ、と、幼い頃から愛称呼びを決して変えない兄2人が割とシスコン気味に自分を愛してくれているのをネロは知っている。
彼らがネロをネリィと呼ぶのは、ネロの本当の名前を彼らが知っているからだ。暗示で忘れることをしていないから。
“お前が行きたいと思うか”
それはつまり、ネロ自身がノワールのことを好いているのかという問いに他ならない。
目が泳いでいるのが自分で分かった。
兄の顔を見ていられずに、ネロは俯く。
「もし、その、誘ってもらえるなら…行きたいと思っています。」
兄の手がネロの頭にポンと乗った。
「ダンスの練習は相手をしてあげよう。」
「義姉上に怒られますよ。」
「相手がネリィなら怒らないさ。」
それから、とラファルは侍女たちを見渡した。
「ジーヴルにも教えてやりなさい。仲間はずれにされたと知ったら拗ねるぞ。」
2人目の兄の名前を出されて、エイシアが苦笑して頷いた。
「そうですね。仰せのとおりに致します。」
「邪魔をしたね。」
ネロの頭から手を離し、ラファルが踵を返す。
許してもらえて良かったような、皆に知られて恥ずかしいような。ネロが苦い顔をしていたら、こちらをじっと見つめてくるフィリアと目が合った。
「……なんだよ。」
気まずいまま尋ねる。
「ネロ様…好きな人とか居たんですね。」
「やめてよ。」
追い打ちをかけないでほしい。
「ご試着、なさいますよね?」
服飾デザイナーのマダムがにっこり笑っている。
断る理由も無くなって、ネロは恥ずかしさをこらえて頷いた。




