12話ー戴冠式に向けて
ここ、大幅改稿しました。
さて、それから数日後、ネロは定時に仕事を終わりにして帰路についていた。出かける時に使用人たちに、今日は必ず早く帰ってきてくださいね、と念を押されたのだ。
全く何一つ心当たりはない。
でもみんな妙にいい笑顔だった。
彼等に仕事を言いつける筆頭は、フリーセス館の主人であるフリーセス次期伯爵、つまりネロの兄のラファルなので、彼がみんなに何かを言った可能性が高いのだけれど。
困惑しながら帰宅したネロを出迎えたのは、笑顔の使用人たちと、顔見知りの服飾デザイナーのマダムだった。
どこかへ行っているらしく、エイシアの姿はない。代わりに年若く、表情の乏しいひとりの侍女が進み出て、しれっとネロに頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ネロ様。」
彼女はフィリアという。
冷静沈着。表情筋は動かないタイプ。
エイシアと2人だけのネロ付きの侍女だ。
「ただいま…採寸するの?」
挨拶を返しつつ、マダムとその周辺に並べられた道具の数々にネロは首をひねった。
「はい。」
フィリアが頷く。
「…誰の?」
「もちろんネロ様のです。」
程なくエイシアがネロの着替えを持って入ってきた。逆に採寸用の道具の運搬を手伝っていた男性の使用人が退出していく。
もちろん、デザイナーのマダムを呼びつけたのはネロではない。衣装の新調を考えていた覚えもない。
さて、何の採寸だろうか?
戴冠式に向けて礼服のローブを新しく、なんて発想かないわけでもないが、戴冠式期間のほとんどはそれこそ今着ていた魔法士団の団服で過ごすはずだ。
これは魔法士団から支給される意匠の揃ったもので、貰った後で手直しをすることはあってもわざわざ採寸はしない。
仕事着を脱いで下着姿にされる。
「お測りしますわね。」
とマダムが言った。
体のあちこちにメジャーが当てられる。
測られるうちに、ネロは違和感を覚えた。
いつもの採寸と違う。どうやらこれはローブの採寸ではない。
まさか、これは…
「あの、さ。」
「どうかなさいましたか?」
ついに声を上げたネロに、メジャーの端を持って採寸を手伝っていたフィリアが淡々と応じた。
「これって、もしかして、ドレスの採寸?」
「そうですね。」
「…なんで?」
「その情報が欲しいと依頼があったからですね。」
「…欲しがったのは、兄上?」
「いいえ。」
じゃあ誰だろう。
誰かがネロが着るドレスを作ろうとしたということだ。
「父上とか、母上とか…」
あの忙しい人たちがわざわざ…?
「違いますよ。」
どうやら家族じゃないようだ。
家族じゃなくて、でも使用人たちが採寸データを渡してもいいと思った相手。
彼らが渡すのだから、赤の他人や悪意のある相手じゃない。一緒に暮らす仲間たちだ。そういう信頼はある。
家族以外で、ネロのことを女の子だと、ドレスを着る人間だと思っていて、しかもドレスをネロに送りつけられる相手。
「……まさか、ノワール?」
「はい、とは言ってはいけないことになっています。一応。」
「…ライオネル殿下じゃないだろう?」
「違いますね。」
“違います”は、さっきから全然言ってはいけないことになってない。もう確定である。
この採寸で作るドレスはなんだろう。
普段着?正装?いや、贈り物で普段着ってことはないだろう。
戴冠式に合わせた夜会が連なるこの時期に作るとなれば十中八九イブニングドレスだ。
…やはりこれは、後夜祭でエスコートするから、ドレスを着ろ、ってことだろうか…?
想定外のことで頭が真っ白になりつつあるネロにエイシアが言った。
「お作法の復習をしますから、明日からも早くお戻りくださいね、ネロ様。」
お作法の復習。
そりゃ、ドレスを着て夜会に行くなら必要だろう。パンツとスカートでは綺麗に見える所作が違う。女性として出席するなら求められるマナーも違う。ネロがドレスを着て夜会へ行ったのはデビュタントの一度きり、しかも領地の、身内ばかりの会だった。何年前になるだろう。今の自分の年と照らし合わせて途方に暮れた。ほぼ10年前だ。多分何も覚えていない。
というか、本当にそんなことになるんだろうか?別にノワールから直接誘われたわけでもないのに。
いや、しかしフルオーダーでドレスを作るなら、当たり前にひと月近くかかる。本人への打診は後になっても、とりあえず採寸のデータくらい手に入れておこうかというのはありそうな話だ。普通の貴族の女性ならイブニングドレス用の採寸データがない、なんてことはまずあり得ない。データを貰うだけなら大した手間じゃない。
まぁ、ネロの場合はドレスの採寸データなど無いので、こうして急に採寸に借り出されることになっているけれども。
ドレスを着て、夜会。
誘われたらどうしようか。
それは、女性として社交に出るということだ。
ネロは今まで、それを意図して避けてきた。
社交、こと婚姻関係については天恵持ちで女性というのは少々面倒だ。女は結婚して相手の家のものになる。嫁という名目の武力として手に入れることができてしまう。
万が一子供ができれば、自分の血筋に魔力の強い血を入れることにもなる。天恵持ちは子供が出来にくいとはいえ、天恵持ちの女性が出産した例は皆無ではない。一応、奇跡のような確率で事例はある。
「…兄上は、ラファル兄上は知ってるの?」
幸せな結婚なんて難しいだろう、と初めてそんな話をしだしたのは、まだ若い学生だった頃のラファルだったはずだ。
問われたフィリアは首を振る。
「いいえ。先様からは内密に教えてほしい、とのことでしたので。」
まだネロ自身が誘われていないのだ。さもありなん。
あちこちを測っていくマダムの手を見るともなしに目で追った。
両親も、ネロが女性として社交に出ないことには何も言わない。いざ、そういう意味で目をつけられてしまえば、伯爵家というそこまで高くもない身分では固辞するのは難しいから、兄たちの判断が支持されている。
女性として社交に出て、その後で婚約が解消されてパートナーが居なくなれば、ネロ自身の身が危うい。
誘うつもりなら、婚約で終わりにしないで、必ず結婚して。
そう迫ってしまえば、ノワールはうんと言うんじゃないかと思う。最近の彼の振る舞いはそう思えるものだ。彼は結局優しいし、義理堅いし。
でもそんなふうに押し付けるのは、まるでネロの本意ではない。そんな義理を果たすような承諾なんて聞きたくもない。
ノワールは、どうするつもりなのだろう。
“結婚、するの?ノワールと。”
ウィーネに聞かれた。
あのときネロは、わからない、と答えた。
それは今もそのまま。
「さぁ、もうよろしいですよ。」
マダムがメジャーを下ろした。
でも、だけど。
ドレスを着て、女の子として、好きな人にエスコートされて。
そんな夢みたいな事が起こるなら、その後になにがあったって、誘われたことを後悔なんてしない。
お作法の復習、頑張ろうかなと思った。魔法士の青年の真似事は、今じゃすっかり板についてしまって、女の子らしくとか柄でもないけれど。
でも、夢みたいに嬉しいから。
頑張ろうと思った。




