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11話ー戻ってきた日常

休暇の終わりの、仕事初めの朝。

ネロは少し早く屋敷を出て、礼拝堂へ立ち寄った。

ドーム状の建物の中、修道士が朝の祈りの聖典を読む声だけが響く。

手を組んで、目を閉じて。知り合いの顔を見ても挨拶はしない。この国の礼拝は沈黙が掟だ。


誰が来ているのかを詮索するのも無粋だが、案外騎士の姿が多いことは知ろうとせずとも分かってしまう。

彼らの仕事には殺生が付きまとう。だから敬虔な者は毎日ここへ通う。


ネロが今日ここへ来たのも同じ理由だ。

今回の遠征でたくさん殺したので。

あんな山奥で、本来彼らの縄張りであっていいはずの場所で。


魔物は人を殺す。

だから人も魔物を殺す。

遠征の準備をしていた間も、雪に阻まれて手をこまねいていた1ヶ月の間も、改造ワイバーンのせいで犠牲者が出た。


もっと早く魔導式が作れていたら。

雪を上手く攻略して、遠征を短縮できていたら。

でも別にワイバーンだって、改造されたかったわけでもないだろう。


手を抜いたところはない。

最善は尽くされたはずだ。

それでもどうしようもないことはある。

いくらでもある。


だから手を組んで目を閉じる。

お互い様の罪に誰もが手を汚して。

所詮気休めかもしれない。

その汚れを、あるべき罪を、悔いて。


ああ、今日も生きているなとふと思った。

聖典を読む声は途切れて、朝の祈りは終わる。


だからきっと、明日も生きていく。



―*―*―*―*―*―*―



「おはよう。」


「おはようございまーす。」


「っす。」


魔法士団の仕事部屋はもうすっかりいつも通りだ。遠征だなんだとバタバタしていた間にたまった通常業務が少し積まれているくらい。


それもチームのみんなが大半を片付けてくれているので、ネロの手が必要なものが本当に少し残っているだけだ。


ライオネル殿下の姿は当然のように無く、彼の使っていた机は誰かがそこにいたなんて幻だったとばかりに綺麗に片付いていた。

いつもの出向扱いに戻ったのだろう。これで本当に、何もかもいつも通りだ。


ところで。


ヴェスタ公爵は終身蟄居、もとい幽閉され、所領の大部分が没収された。没収された領土はひとまず王家が接収し、直轄領となる。

ハーミッド伯は処刑。血縁は貴族の位を剥奪されて野に下った。


こうして、改造ワイバーンの件はめでたしめでたしで片が付いたことになって、世間は3月の戴冠式に向けて浮き足立ってきた。

なんだかすっかりお祭りムードである。


ネロたちのチームの仕事もそれに関連したものが多い。

警備に使う魔法や、パフォーマンスの花火や噴水その他諸々。 

どれも戴冠式の開催が決まったときから作っているので、実際に魔導式を刻んだ魔法具の最終調整やリハーサルばかりが残っている。


戴冠式は5日間の盛大なお祭りになる。

1日目は諸外国からやってくる来賓のおもてなし。

2日目に正式な式典とパレードがあり、夜は祝賀の舞踏会。

3日目と4日目は外交のための日で、様々な会談が予定されている。この間も夜は毎晩夜会が開かれる。


と、ここまでの行事は、爵位を持っているご当主たちが直々に参加するものだ。子供世代であるネロたちには直接関係がなくて、むしろ催しものの管理と会場の警備で走り回ることになる。


ネロが参加者として招かれるのは、5日目。来客を見送ったあとの後夜祭だ。戴冠式の参列者があらかた帰ったところで、王都に残ったいつもの顔ぶれで宴会が行われる。


ウィーネとカーニスは3日目や4日目の夜会に参加すると言っていた。侯爵家の後継として顔を出して、国内外の縁のある家に、結婚の報告をするらしい。戴冠式のドレスというのも、この話だ。


そんな戴冠式の準備に勤しみつつ、戻ってきた日常の一日目は何事もなく過ぎていき、2日目の終業時刻過ぎ、ノワールがネロの仕事部屋を訪ねてきた。


「ネロ士長ー。」


入口の扉を開けたユーナがネロを呼んでいる。

扉の向こうにノワールの姿を見つけて、ネロは席から立ち上がった。

今日は腕輪の魔力の補充をお願いする日だ。

休みとの兼ね合いもあるので、補充の日は曜日で決めている。


ノワールがここまで来るのは珍しいが、無いことでもない。ネロが行った時間に手が空けられないほど忙しいときは、彼の方から訪ねてくる。


「このあと行こうかと思ってた。」


「だろうな。もう帰りか?」


「うん。」


「荷物持ってこいよ。俺も休憩にする。」 


思わぬ一言にネロは目を瞬かせた。


「忙しいんじゃないの?」


ここまで来たということはてっきり仕事が立て込んでいるのだと思ったのに。


「休憩する時間くらいある。」


「…そっか。」


魔力の補充だけなら、正直立ち話で用は足りる。ネロとノワールが立ち話をする姿に周囲が慣れてきてからは、それで済ますことも多くなっていたけれど、休憩ってことはお茶くらい飲むのだろう。


ノワールから誘われるのはかなり珍しい。彼の気が変わらないうちに、とネロは一度閉めた扉に手をかけた。


「じゃあ、ちょっと待ってて。」 


「ああ。」


仕事場に戻って荷物をまとめ始めると、チームのメンバーがちらりとネロを見た。


「話、終わりっすか?」


「いや、これから。今日はこのまま帰るね。お疲れ様。」


「っす。お疲れ様です。」


簡単に挨拶をして仕事部屋を出た。

荷物を持ってきたネロを一瞥してノワールが歩き出す。


「珍しいね。君が自分から休憩って言うなんて。」


追いかけて声を掛けると、ノワールは眉間に皺を刻んだ。


「仕事中毒みたいに言うなよ。」


「そうじゃないけど。」


ネロから訪ねた時に休憩しようよと誘ったって、滅多に乗ってこないくせに。

ノワールは仕事が好きというより真面目なだけだ。知ってるから、ネロもしつこく誘ったりはしない。


カフェテリアについて、コーヒーを貰って席を借りた。


「手、出せ。」


「はい。」


ノワールの手が腕割に触れて、魔力を注ぎ足していく。それからいつも通りに手も握られた。


ちょっと指が太くて皮の硬い、男の人の手。

いつものように様子を見られて、慣れない感覚をやり過ごす。


瞼を伏せた顔を覗き見た。この時のノワールは魔法の方に集中しているから、目は合わない。

ドキドキしてるのが顔に出てるかもしれないから、そのほうが良かった。


考えないように、意識しないように。

そうやって自分に言い聞かせていたのが遠征後のアレコレですっかり緩んでしまっていて、我ながらなんだかだだ漏れだ。


ノワールの手が離れていく。

名残惜しいのを誤魔化すように、平静を装って声をかけた。


「まだ仕事?」


「ああ。」


「戴冠式の警備関係だろ。」


「そうだな。」


人員の配備やらなにやら、今がちょうど繁忙期だろう。


「やっぱり忙しいんじゃないか。」


「まあな。」


「立ち話で良かったのに…」


「根を詰めなきゃならないようなスケジュールは組んでない。」


「それもそうか。君だもんね。」


魔力の多さを抜きにしても、そもそもノワールはかなり有能だ。


コーヒーを一口飲んで、彼は思い出したようにネロと目を合わせた。


「お前も入るのか?」


「何が?」


「警備。」


「ああ…」


ネロは現状を思い返しつつ、口元に手を当てる。


「まだ何も言われてないけど、可能性はあるね。」


チームとしてはパレードや見世物の魔法を一手に引き受けているので、警備に駆り出されることは無い。そんな余裕もないが、天恵持ちの武力を当てにされれば、ネロ個人には指令がくる可能性は十分にある。


「でも出し物も多いし、こっちも手が足りないくらいだからどうかな…。」


当日の人手が減るのはありがたくない。

考え込むネロに、ノワールがあきれ気味に言う。


「どちらにせよ、もう無茶はやるなよ。」


「…しないよ。下手に動くと足手まといになりかねないのがよく分かった。」


ウィーネにも言ったけれど、ちょっと反省したのだ。熱が出たのは王都へ戻ってからだったが、あれがもし遠征先だったらと思うとゾッとする。帰ってくるだけでも一苦労だっただろう。


ここ最近、ノワールには助けてもらって、心配もしてもらってばかりだ。


彼はちょっと考えるような表情になって、それから小さくため息をついた。


「…まぁいい。なんかあったら言え。手は貸すから。」


「最近助けてもらってばかりだね。」


「いいだろ、別に。俺ならお前が暴走しても何とかできるし、肩書も丁度いい。」


「うん。…ああいや、そうならないように、気をつける。」


ノワールがいれば安心だな、と思ってから慌てて首を振った。

甘えてしまえる心地よさを知ってしまったせいで、ついうっかりしそうだ。


そんなネロの仕草がおかしかったのか、ノワールが小さく笑う。


「どうせ忙しいんだ。どこかで息抜きでも行くか。」


「息抜きって?」

 

「お祭り騒ぎで露店とか出るだろ。」


確かに王都は全体的にお祝いムードで、大通り毎にイベントをやったりしている。言われてみればせっかくのお祭りだ。働くばかりじゃなく、楽しまなきゃ損だろう。


でもまさかエスターニュ次期侯爵様が、庶民に混じってお祭り観光とはいくまい。

遠征先とかであれば、普通に市場を歩いて遊んだりするけれど、王都では顔が知れてるからちょっと難しい。


「お忍びで?」


「遠くまで行く余裕はないからそうなるな。」


仕事の合間に、こっそりお祭り観光。

賑やかで人が多いのはちょっと厄介かもしれないが、確かに楽しそうだ。


「誰か誘うの?」


何気なく問いかけるとノワールはネロを指さした。


「ボク?」


「人混み嫌いか?」


「…ノワールだって苦手だろ。」


「俺よりはお前のほうが平気かと思ってたぞ。」 


「あんまり変わらないよ、多分。」


「というか、今の話でなんで自分のことだと思わないんだ。」


「だって君のことだから、てっきり…」


ウィンディの名前でも出すかと思って、と続けようとして、途中で思いとどまる。


いけない。ついうっかり学生気分で話をしてしまった。大人になった今、そんな誘いをかけたら流石に物議を醸してしまう。ノワールだって分かっているはずだ。


「なんだ。」


「いや、なんでもない。」


お忍びで街へ繰り出す、というと、どうしても学生の時のことを思い出してしまっていけない。


カーニスなんかはそういうのが大好きで、ウィーネを誘うついでにノワールやネロも巻き込まれたことが何度かある。

そういうときはだいたい大人数だったから、今回もうっかりそんな気がしたのだ。


「…ボクとはいつでも会えるから、誰か誘って行くのかなと思っただけ。」


「仕事場で毎日会うのと、遊びに行くのは別だろう。」


「…まぁね。」


ノワールと一緒にお祭り。それはちょっと、いや、かなり嬉しい。


でも忙しい時期の合間のことだし、この場の軽口かもしれないから、あまり期待はしないでおこう。


「そろそろ戻らないといけないな。」


ノワールが時計を見てそう言った。コーヒーを飲み終わっていたので、ネロも立ち上がる。


「じゃあ残業頑張って。」


「ああ、またな。」


「うん。」




魔法士団を出てから、家までの帰り道。行き交う人々が白い息を吐いているのを見ながら、ネロは目を伏せた。


今日も、この間も、ノワールの方から、ネロに会いに来た。家へ来てもらったときも、風邪はもうすっかり治っていたのだし、今日だってノワールはネロが行った時間に手が空かないほど忙しかったわけじゃない。


いつもなら、ネロの方から会いに行っていた。

でも変わった。ノワールは多分、変えようとしている。


『からかってるなんて、そんなことないと思うよ。』

ウィーネが言っていたのを思い出す。

多分そのとおりだ。今日も別に茶化して面白がってる感じじゃなかった。


学生の頃、ウィーネとカーニスが2人で街へ遊びに行って、デートをした、なんて話、何度も聞いた。


一緒に居られるのは嬉しい。何気ない話ができるのも嬉しい。でも本当にいいのだろうか。優しくされるのも、心を向けられるのも嬉しいけれど、ネロはウィーネみたいな、ノワール好みの女の子じゃないのに。


そもそも女の子かどうか怪しいというか、ノワールにとってはただのお節介な友達のはず、というか。


誰が見てるわけじゃないのに、ドキドキして顔が赤くなって、悪いことしてるわけじゃないのに、そんな言い訳ばかり思い浮かんで。


赤くなった頰をマフラーで隠して、ネロは足を早めた。




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