8話ー⑤
深夜の食堂。隣の休憩所の話し声が、壁越しに漏れ聞こえてくる。
“いやぁ、すごかったね。魔狼とワイバーンが一撃!恐ろしいよなぁ。”
野営地から戻った騎士たちが、休憩所で話し込んでいるらしい。
“すげぇよな。もう、あの人たちだけで良いんじゃね?みたいな。”
その話し声を聞くともなしに聞きながら、ネロは目の前でホットチョコレートがカップに入れられる様を眺めていた。作ってくれているのは手の空いている治癒術士の人で、遠征初期から提供されているチョコレートやワインは遠征部隊の良い息抜きになっている。
“ああいう人だけ集めてさ、こういう遠征もやってくれりゃいいんだよな。どうせ俺等が何やったって、あの人たちの魔力の足元にも及ばないんだから。”
“ばか、そういうこと言って訓練サボってるから強くなれないんだぞ。”
どっと笑い声。ノワールやカーニスの耳に入らなければいいなと思った。あいつら、こういう軽口にもちゃんと怒るから。
治癒術士の手元には、ホットワイン用のスパイスとドライフルーツがあった。
良いことを思いついて顔を上げると、目の前の治癒術士はやけに複雑な表情でネロを見ている。
そうか。
漏れ聞こえた会話は当然、目の前の彼にも聞こえている。
ネロがすぐ分かったように、彼らが天恵持ちの話をしているのは明らかだ。
ああいう軽口は、本人が居ないからこそ言えることだ。でもこの治癒術士の前で、当事者に近いネロが聞いてしまっている。
もちろん、心地良いものじゃ無いけど。
「気にしないで。慣れてるから。」
いつものように笑ってとりなして、でも心のなかで何かがポキリと折れた。
他人に気にして欲しくないのと、気にならないのは違うし、慣れてるのと平気なのも違う。
乱入者のせいで危ない目にあった戦闘から、丸一日が過ぎた。
負傷者を砦から治癒術士団へ送ったり、砦の牢屋に捕らえた乱入者を収容したり、細々と忙しかった後、通常シフトに戻った。
今回の怪我や長引く遠征による体調不良で、離脱者が出てきている分、人員に余裕がないのだ。シフト通りの細切れの休息を挟みつつ、今も野営地から戻ったばかり。
休めてないわけじゃないけど、疲れは抜けきらなくて、なんだかずっと寒いし、怠いし。
気まずそうな顔の治癒術士にネロは言う。
「ホットチョコレート、やっぱりもう一つお願いします。それから…」
疲れた。もう遠征とか止めて帰りたい。
でもそれは出来ないから。
ノワールに、会いに行こうと思った。
真夜中だけど、彼の班は救援要請待ちの出撃待機中だったから、起きているはず。
何処からも交戦連絡は入ってないから、きっとひとりでどこかにいる。
不機嫌そうに見られるノワールの側は、大体誰も居ない。だから、傷つけることも怖がられる事も、隔意に晒されることもない。
そういうところで、彼の側で、息抜きがしたかった。
―*―*―*―*―*―*―
砦の見張り台の端。
国同士の戦争のときは活躍するんだろうが、今は用もなく静かなその場所で、ノワールはぼんやり夜の森を見ていた。
有事でなくとも人の出入りがある砦は、いわば人間の縄張りだ。魔物は滅多に近寄らない。ましてこれだけ長期間、大人数が暮らせば尚更だ。
珍しく晴れていた。
冬の夜空は高く澄んで、そこを埋め尽くす星が降ってきそうだ。
人混みを避けてうろうろするうちに、こんなところへ着いたのだった。
天恵持ちで人混みが好きなやつは居ないだろうとノワールは思う。遠巻きにヒソヒソされたとか、うっかり怖がらせたとか、ろくでもない思い出がついて回るからだ。
ため息の煙が夜風に溶けて消えていく。
昨日の戦闘。
あの時の乱入者はとりあえず捕まえたが、調べれば調べるほどきな臭い。
彼らは野営地のアンカーへ直接転移してきて、そのままそのアンカーを破壊していた。それはつまり、野営地のアンカーを知っていたということだ。遠征部隊の中から漏れたか、どうにかして詠唱を盗み聞いたのか。
10人の乱入者のうち、3人は攻防の中で絶命していて、ひとりは隠し持った毒薬を飲んで死んだ。
服毒死した男は一番最初に魔法士を襲った者で、罪人用の魔力封じの手枷を3対持っていた。
何をしようとしていたかは謎だ。単純に魔法士の頭数を減らしたかったのか。だが、殺さずに捕らえる意図も読めない。
何よりあの場にはネロもいた。天恵持ちの魔力量はそんな汎用の手枷ではどうにもならないし、味方につけられた手枷も壊してしまえる。
人質でも取るつもりだったのか?
あんな魔物の居る戦場に乱入しておいて?
考えがまとまらず、ノワールはもう一度ため息をつく。情報が足りない今、あれこれ推測しても分かることはない。
生き残った6人の乱入者は、騎士隊の専門部隊に引き渡した。後は彼らが調べるだろう。
ネロは、どうしているだろう。
あの戦闘の後、疲れた様子だった。
いざとなると、呪いの影響はつい失念してしまった。自分と同じように魔法が使えるものと思ってしまう。
まあでも、それは当然だ。
ネロはそもそもノワールと同じものなのだから。
多すぎる魔力のせいで、ともすれば化け物になる危うい生き物。魔法を制御するために王立学園に入るしか無くて、他人を害さないと証明するために魔法士になるより他になくて。
ネロはノワールより器用だし、ノワールはネロより魔力も地位も高いけれど、それでも、同じところに立っている。
抱く感想は違っても、同じ景色を見ている。
今だけでなくて、これからもずっとそうだ。
顔を合わせなくても、言葉をかわさなくても、そう遠くもない場所で、同じような失敗をして、同じようなところで傷ついて生きていく。
そう、当たり前のように信じている。
もし、それが無くなったら?
事実、失いかけた。
肩口を濡らした赤と、死人のような白い面差しが脳裏を過る。
もしネロが死んだら、この世界でひとりぼっちなる気がした。
天恵持ちは他にも何人も居て、でもそういう理屈とは全く違うところで、一人取り残されてしまうと思う。
「こんなとこに居た。」
急に声がした。
今まさに思い浮かべていた人の声だった。
「寒すぎるだろ、ここ。」
足音と声が近づいてくる。肩越しに振り返ると、ネロはノワールがそうするのを待っていたように、2つ持っていたマグカップのうちのひとつをノワールに差し出す。
「君の分。」
何しに来た、とか何の用だとか聞くタイミングをうっかり失って、ノワールは無言でカップを受け取った。
香るのはチョコレートと、それからほのかにオレンジの匂い。
ネロはノワールの横まで歩いてきて、今にも星が零れ落ちてきそうな夜空を見上げて、静かに目を見開いた。
銀というには透き通った、灰黒の瞳が星を映して光る。
それから寒そうに首をすくめて、詠唱とともに手をひと振りする。
穏やかに吹いていた風が止み、寒さが緩和された。風よけの魔法だ。
ノワールが肘をついている見張り台の欄干に背を預けて、ネロはホットチョコレートに口をつける。
どうやら用があって来たわけでもないらしい。
同じようにカップの中身をすすると、チョコレートの甘みと温もりが喉の奥へ落ちていって、オレンジの香りが鼻に抜ける。何かつぶつぶしたものが少しだけ入っていて、それはオレンジの砂糖漬けらしかった。
「ワイバーンて、あと何体。」
ネロが聞く。
「最後の1体が残ってる。」
「……そっか。」
ノワールは隣のネロをじっと見つめた。
夜闇に浮き上がるような白い横顔。
カップを包んだ両手の細い指と、左手首に嵌った太い銀の腕輪。
肩を濡らした赤はもう無い。
「?なに?」
ネロの瞳が一瞬、ノワールを見る。
「いや。」
否定して、視線を外した。
あの時、意識を失う寸前の表情を、今も覚えている。
ネロは、ノワールを見て笑ったのだ。
ほっとしたように。
なにかに満足したように。
お前、あの時の何考えてた?
疑問は声にならない。
今更聞くことではない。
第一ネロ自身朦朧としていたはずで、覚えているかも怪しい。
でも、それが最期だったかもしれなかった。
ノワールを庇って致命傷を負って、まるでノワールが生きていることに満足したみたいに笑って。
ノワールの無事とネロの命とを、あっさり引き換えてしまうかのように。
もう一度ネロに視線を向けて、ノワールはその左手を掴んだ。
「わっ、なにを…」
腕輪に魔力を注ぎ足す。
「?まだいいのに。」
知ってる。補充したのは昨日の朝だ。まだ半分くらい残っているはず。
「……いいだろ、別に。」
置いていくなと言いたかった。
俺をひとりにするんじゃないと言いたかった。
腕輪に触れる口実で掴んだ腕は夜風に晒されて冷たくて、でも触れるうちに少し温かくなった。
生きてる。
生きていて、よかった。
失わずに済んで、本当に。
「いいけど…。」
困惑した様子でネロは呟いて、呆れたように、諦めたように小さく笑う。
それにほっとして手を離した。
ネロは欄干を背に、膝を抱えるようにして座り込む。
あたたかいな、と思った。
ネロが使った風よけの魔法のせいか、持ってきたホットチョコレートのせいか、失わずに済んだ、優しい時間のせいか。
盗み見た横顔は夜のせいか、いやに白くて。
こんな寒いところに居るのは良くないんじゃないか。
でも、言わなかった。
もうすこし、このままで居たかった。
朝日の昇る頃、最後のワイバーンが他の砦で討伐されたと連絡が入って、1ヶ月以上に及んだ長期遠征は終わった。




