1話ー辞令
アンティークの木彫りの机に、書類が山と積まれている。洋墨の匂いが満ちた部屋。机の主であるくるくるの髪の無精髭を生やした壮年の男が、書類の山越しに対面している相手へ向けて口を開いた。
「あー。…では、異論はないということで、ノワール魔法正並びにネロ魔法士長に、明後日の討伐への参加を命じる。」
壮年の男ーマルス魔法司令の発した辞令に、二人の魔法士が揃って頭を垂れる。
「「謹んで拝命いたします。」」
片方は黒髪で背の高い、険しい顔をした青年だ。濃い藍色の目はつり目気味だが、表情が険しいだけで顔立ちはイケメンである。
もう片方は白に近いクリームの長い髪をしてる。やや華奢なスラリとした見た目で、どことなくミステリアスな雰囲気が漂う。
ここは宮廷魔法士団。王国に使える魔法使いたちの仕事場だ。
「おう。じゃあいったいった。」
かしこまった様子の二人と対照的に、マルス司令は気怠げな雰囲気でひらひらと手を振った。
司令という役職に相応しい威厳はあんまりない。
こぼれ出ている魔力もない。が、この部屋にいる三人は、天恵持ちと言われる特殊な人間だった。常人離れした桁違いの魔力を授かって生まれる、ごく少数の突然変異種だ。
振られた手に従って、司令の部屋を退出し、白っぽい長髪の魔法使いーネロは一緒に出てきたもうひとりへ声をかけた。
「よろしく、ノワール。一緒の任務は久しぶりだっけ?」
途端に、相手の眉間にシワが寄る。
険しい顔がいっそ険しくなって、初対面なら怯むような形相だったが、学生の頃から付き合いがあるネロは今更動じなかった。
それどころか変わらないなぁと笑う。
「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいのに。」
「面倒なやつと関わりが減って清々してたんだがな。」
「酷いなぁ。…相変わらずだね。」
ネロは、苦笑して肩をすくめた。
「お前も、相変わらずだな。」
ノワールの口調が少し和らぐ。前を向いたままなので、ネロから表情は見えないが、眉間のシワが薄くなったかもしれない。
「明後日、よろしく。」
ネロの言葉に、ノワールは足を止めないまま頷いた。
「剣が通らない相手か。」
「だからボクら2人なんだろう?」
ついさっき下命のあった、魔物討伐の話である。討伐対象は、ドラゴンだそうだ。中でも物理攻撃への耐性が高い大型のタイプで、飛行能力はないものの、通常の討伐隊の編成では騎士たちの手に余るだろうと予測されているらしい。
通常、討伐に派遣される魔法士は1チーム、つまり5人ほどで、騎士団のサポートが主な仕事だ。
しかし、今回は物理攻撃が通らなさそうなので、魔力の強い突然変異ー天恵持ちを贅沢にも2人も向かわせ、倒してしまいたいということらしい。
「気は抜くなよ。」
ノワールが言った。
「君こそね。」
ネロも同じように返す。
いつの間にか階段の前まで歩いてきていた。今回の討伐はイレギュラーで同行するが、二人の職場は別々だ。
さよならもまたねもなく、ノワールがまっすぐ歩き去っていくのを、ネロは階段の前に立ち止まって、数秒見送った。
視線をノワールの背中から引き剥がして、階段を降りる。
ノワールが無愛想なのは昔からだ。
天恵持ちのなかでも、魔力量には個人差があるけれど、ノワールは頭ひとつ抜けて魔力が多い。学生時代の彼は魔力制御が未熟で、抑制が間に合わない魔力がこぼれ出ていることが多かった。
これは普通の人からすれば威嚇や威圧にあたるから、ノワールの周りは彼を怖がる視線ばかりだった。
同じ天恵持ちだけど、魔力が少なくて、扱いも小器用なネロはノワールほどは怖がられなかった。
ノワールを怖がる生徒たちとの間に入って仲介をしたのも、懐かしい記憶だ。
階段を降りて、ネロは自分の職場のドアを開けた。
「あ、おかえりなさいネロ士長。」
同僚のひとり、ラズベリー色のツインテールの少女が、戻ったネロを見て声を掛けてくる。
「ただいま。」
ツインテールの少女に返事をすると、彼女は嬉しそうに笑った。
「今日もかっこいいですね!」
「はいはい。」
聞き慣れたお世辞は軽く笑って受け流す。
ツインテールの彼女はユーナと言って、ネロの容姿ー伸ばしっぱなしでまっすぐ、結うにも向かないクリーム色の髪が大層お気に入りだ。
「司令、なんの話だったんですか?」
首をかしげたユーナに続いて、同じ部屋の他の魔法士からも質問が飛んできた。
「ネロ士長、なんかやらかした?」
「直接呼び出しって珍しいですよね。テルメ魔法正すっ飛ばして辞令ですか?」
「いや。」
ネロは首を振る。
「今回はうちのチームじゃなくて、ボクだけに仕事。テルメ魔法正にも、話は通ってる。」
「一人で行くんすか!?」
「人使い粗くね?」
「違うよ。」
勝手に広がっていく話を、ネロは軽く手を挙げて制す。
「ノワール魔法正に同行。剣が通らない魔物らしくて、攻撃要員として駆り出されたんだ。」
「え、超豪華じゃないですか!ちょっと見てみたーい。」
「いやいや、天恵持ち2人駆り出されるとか、めっちゃ危ないってことじゃん!」
ざわつく室内に、ネロは肩を竦めた。
「明後日から2日、討伐で居なくなるけどよろしく。」
ざわめきが中断されて、あちこちから思い思いにはーいと返事がくる。
「気をつけるんだよ。」
今まで黙していたチームの一人が、静かに言った。
組織での役職は、ネロのほうが上だが、彼はネロより一回りも年上だ。
「みんなも言っていたけれど、君たち2人が派遣されるなら、それだけ危険な相手だ。」
真剣な瞳の奥に心配が見て取れる。
「ありがとうございます。心に留めておきます。」
魔法士団では天恵持ちに対する偏見は少ない。大人になった天恵持ちは魔力をちゃんと抑制できる。ほとんどが魔法士団に所属するから組織の中で珍しくもない。魔法が得意な者なら、天恵持ちがうっかりやらかす、ちょっとした威圧を防御することも出来る。