8話ーワイバーン討伐遠征
石造りの砦の小窓から見えるのは、もうもうと真っ白にけぶる空である。
晴れていれば、直ぐ側まで迫ったべネスティとの国境を隔てる山地が聳え立つはずだが、強い吹雪は何もかもを白くかき消している。
ワイバーン討伐の遠征部隊は、近年まれに見る大雪に、その仕事を阻まれてた。
確かにこの場所はソルセルリーの中ではかなり寒さの厳しい地域だが、ここまでの大雪は稀だ。運が悪かったという他にない。
国境沿いの3つの砦を拠点に、各所に野営地を設置。野営地で索敵魔法を展開し、ワイバーンを狩る手筈だ。この索敵魔法がネロたちのチームが大急ぎで作成していたあの魔法である。だが、この猛吹雪ではそもそもの野営地の設営が難関になってしまっていた。晴れ間のない分、寒さも厳しい。
今、ネロの目の前には通信用の魔法具がある。大きさは大きな机一つほど。これが親機で、子機からの音声がここへ届く。通信用の広くもない部屋に、ネロと、魔法士がもう一人、それから騎士隊の上官が3人も集って、この親機を囲んでいた。
吹雪はもう何日か続く予報で、あまり足止めを食らってもいられない遠征部隊は、吹雪の中野営予定地への移動を強行することにした。
とはいっても、大人数でこの吹雪の中へ特攻すれば、行方不明者を出さないほうが難しい。
先遣隊が5名選出された。
カーニスとノワールを含む、その5名が砦を発ってから、もうすぐ1時間になる。
目の前の通信用魔法具に描かれた魔導式が、パリッと稲妻に似た光を発した。
子機からの通信だ。
ネロは親機の魔導式に手を触れた。
魔力を流して魔法を起動する。
ザザッと、小さなノイズ。
『こちら先遣隊。定時連絡です。どうぞ。』
子機を持っている通信担当の騎士の声だ。
「定時連絡を受領する。進捗はどうだ?どうぞ。」
『現在位置を特定することができないため、方角のみを頼りに北東へ進んでいます。予定通り3時間の進んだところで帰還します。どうぞ。』
「了解。また1時間後に連絡せよ。どうぞ。」
『承知しました。』
ブツリ。ノイズと音声が途切れる。
通信を終えた騎士隊の少佐が息をついた。
あと2時間。遭難しなければ、彼らはその場にアンカーを置いて転移魔法で戻って来る。
アンカーは長距離で転移魔法を使う時の転移先の目印だ。もちろんこの砦にもアンカーがあって、先遣隊にはノワールがいるので、戻るだけは簡単に戻ってこられる。
無駄口を叩くものもなく、通信用の魔法具を前にした面々は静かに先遣隊からの連絡を待った。
ワイバーンなどの魔物の襲撃があり、増援を求められたら。
定時連絡が無かったら。
砦で待機している増援部隊が先遣隊の持つアンカーへ転移する。
増援部隊は10名。転移には魔法士3人以上での輪唱が必要な人数だ。ネロやノワールであれば単独で難なく行使できるが。
ここへ来る前、この遠征の辞令を受けた時のことを思い出す。
“君にも行ってほしいと思っているけれど、問題はどのくらいあるかな?”
ネロにそう問うたのはライオネル殿下だった。
無論、ネロに巣食う呪いを考慮しての問いかけだった。
“…天恵持ちとして十全な働きを、と仰るのであればご期待には添えませんが、1魔法士として参加せよと仰せられるのであれば、不足はないかと思います。”
呪封じの枷は、消して軽くはない。
実際、遠征が始まってみて、ネロはそのことを実感していた。
こういった遠征や戦闘では、ネロは事あるごとに強化魔法を使っている。
騎士や大貴族の子息のように、有事の際の戦闘訓練を日々積んでいるわけじゃない。仕事の担当部署も、魔法士団随一の書類仕事部隊だ。参加する訓練は最低限の基礎訓練だけ。その証拠にネロのチームはネロ以外誰もこの遠征に参加していない。
本来こういう行軍についていくには体力不足なのだ。
だが、ネロは天恵持ちなので、足りない分を全部魔法で補うことが出来る。筋力を上げて、体重を軽くして、体力の消費を抑える。今のように寒さが厳しければ、体の熱を逃さないように魔法を使う。細々とした小細工は欠かせない。
だが、強化魔法を使い続けるには、魔力の大半を呪い封じで消費してしまっている現状は、かなり不自由だ。
というか、強化魔法を使いながら、行軍についていくだけしか出来ない。天恵持ちならではの、大規模な魔法を行使する余力がない。
だから、天恵持ちとしてではなく、1魔法士として。魔力消費の大きい指令が出されないように調整されている。
でも、もしも何かあったら。
窓の外、ごうごうと暴れまわる雪。
あの中を歩いているだろう、先遣隊を思う。
好きな人の背中を、思う。
彼は強いから、きっと何事もなく帰ってくるけど。
出来るけどやらない、なんて。そんなこと。
外の風の音だけが、静かな砦に木霊している。
―*―*―*―*―*―*―
先遣隊は何事もなく帰還した。
先遣隊の移動は明日も続き、もう3時間北東へ進んだところにアンカーを運ぶ。
計算上、元々の野営予定地まで移動することになり、野営予定地への転移が可能になる。
そうしたら予定通りに天幕を張って、索敵の魔法を展開し、人の気配にワイバーンが寄ってくるのを待つだけだ。
まぁこの雪では簡単では無いだろうけれど。
野営予定地はもう一箇所あるので、先遣隊の仕事もまだまだ続く。
シフトを交代して仕事を引き継いで、ネロは戻ってきた先遣隊を探していた。
そろそろ、ノワールに会わなければ。
左肩に痛みが出たり、左手が痺れたりするのは、傷そのものが呪いの核になっているせいだ。少しずつ、ネロの生命力が呪いに奪われている証拠である。封じが弱まっていると、そういう症状が出る。
さて、ノワールは何処にいるだろう。
食堂で夕食をとっているか、それか済ませて休憩所にいるか、居室へ戻ったか。
疲れているところに魔力の補充を依頼するのは申し訳ないが、ネロが呪いの管理を誤って倒れるようなことになれば、申し訳ないでは済まない迷惑がかかる。
とりあえず、近場の休憩所を覗くと、案の定先遣隊の姿があった。それから夕食を早めに食べ終わった兵士が何人か。
でも、ノワールの姿はない。
「お、ネロだ。」
代わりにカーニスがネロを見つけた。
「フレア。お疲れ様。無事で何より。」
「おう。すげー雪だったよ。腰まであるようなとこもあったぜ。」
飲み物を片手に、カーニスは暖炉の前でカラカラと笑う。苦労話ではあるが、深刻な響きはない。
「通信聞いてたよ。さすがだった。」
「だろ?やっぱ足元が見えないのがやばいな。場所が合ってるかどうか、晴れてみないと分かんないし。」
「何飲んでるんだ?」
「ホットワイン。よーく煮たやつ。」
ネロの問いにカーニスは手にしたカップを掲げてみせる。アルコールの匂いは全然しなくて、ブドウとスパイスの香りがした。
「ホットチョコレートもあるんだっけ?」
「ああ、あっちで配ってるから欲しいなら取ってこいよ。」
「あー。後でね。」
それより先にノワールを探さなければ。
「先遣隊、明日はお前も出たりすんの?」
「いや。今回はボクは免除だろうな。」
先遣隊は結構キツイ仕事だ。騎士隊の人員は交代で出ると聞いている。だが、今回ネロが天恵持ちといして扱われない以上、ノワールの交代要員はいない。
「なんで。」
「一応、コレがあるから。」
左手の魔法具を示す。ネロは呪いのことを言ったつもりだったが、カーニスがぽかんとした顔になったので、苦笑して言い直した。
「呪われてるから、難しい仕事は免除。」
「え、どっか具合悪いのか?」
「そういうことじゃないけど、配慮された結果だよ。」
肩をすくめる。
と、ここで休憩所の扉が開いた。
何気なく目をやれば、扉を開けて入ってきたのはノワールだった。
あちらもカーニスとネロを見つけて、近づいてくる。
「ここにいたのか。…ネロお前食事は?」
「先に用事を済まそうと思って、君を探しに来たんだ。」
「行き違ったな。」
まさかノワールの方もネロを探していたとは。
申し訳ないような、少し嬉しいような。
黙ったままノワールを見つめるネロに、彼は眉を寄せる。
「なんだ?」
「いや、君に探されるのは珍しいなと思って。」
ノワールの眉間に浅くしわが寄る。
「いいから手を出せ。」
請われるままに左手を差し出さすと、一連の流れをみていたカーニスが、腕輪の意匠に目を止めた。
「うっわ、細か…。すげぇな、ナニコレ。」
「あー…これはちょっと難しいね。」
この腕輪の魔導式はかなり複雑だ。魔法科卒とはいえ、現役の魔法士でないカーニスでは、読み解くのは難しい。
苦笑するネロと共に、ノワールも小さく笑った。
「お前じゃ行使するのも無理だな。」
「なんだと?」
「属性も合わなきゃ魔力も足りないぞ。」
「それは…どうしようもないな…」
諦めたカーニスが憮然とした顔をする。
そもそもこの魔導式は、天恵持ちであるノワールが自分で行使することを前提に作ったものだ。
ネロはカーニスの負けず嫌いにちょっと呆れた。
「ここで張り合っても仕方ないだろ、フレア。」
瞬く間にすべての魔石が黒く染まる。
痛みとともに寒さも少し和らいだ気がして、ネロは気づかれないように、ほっと息をついた。
呪いのせいで寒気がするというのは、結構まずい。
ノワールの手は腕輪からネロの左手へ移って、少し迷うような素振りのあとで離れていった。
至近距離でカーニスが見ているので、効果の確認は省略するらしい。
「あ、そうだ。」
急になにか思い出したらしいカーニスが声を上げた。
「ネロ、ウィーネが会いたいって言ってた。」
「え?」
「手紙は出すけど、遠征の出立までには着かないかもしれないから、ゆっくり話そうって伝えてって。」
「へぇ…なんだろう?」
手紙を見た記憶はないから、ウィーネの予想通り行き違ったのだろう。
改めて会いたいと言われる理由は思いつかず、首を傾げるネロに、カーニスは苦笑する。
「久々に遊びたいだけじゃないか?怪我のことも心配してたからな。」
「ああ、そっか。ウィンディはその場にも居たんだったね。」
夜会でも心配したと言っていた。
そういえば、“ネロはそれでいいの”とも聞かれた。心配されているのは、そちらかもしれない。
全く平気だと言ったら、多分嘘になる。
ありもしない希望をちらつかす、たちの悪い夢を見ているようだと、思うこともある。
それでも、ネロは“平気だ”と嘯くほかにないけれど。
ふと見れば、ノワールが一緒に呼ばれた理由を考えるような難しい顔をしていた。
「ボクだけウィンディに呼ばれて妬いた?」
「抜かせ。」
からかわれたノワールが顔をしかめる。
反応が早いあたり、案外図星だったりするんじゃないか?
「…早く行かないと夕食を食いっぱぐれるぞ。」
機嫌を損ねたらしいノワールがそう言うので、素直に追い払われることにして、ネロはひらひらと手を振った。
「じゃあね、ふたりとも。また。」
「おう。」




