5話ー②
「…いや、士長やっぱ…流石っすね。」
「そうでもないよ。」
それから2日後。魔導式の作成は思いのほか順調に進んでいた。確かに進捗は遅れ気味だったけれど、ここ2日で大分取り返せたのではないかと思う。正直この手の仕事はネロの得意分野だった。報告書よりよほど好きなタイプの業務と言える。
新しい魔法を作るにあたって読み込んだ資料からは色々な事が分かった。
まず、ネロにかけられた呪いは、元々奪った魔力を利用する目的で作られていたということ。これはライオネル殿下の予想通りだったわけだ。しかし術式はかなり中途半端で、奪った魔力の使用法は定まっておらず、奪う速度も即死級で適切とは言えず、とても実用に耐えるものではなかった。おかげで二次被害は免れた。
魔物が呪いを扱っている、というよりは、傷つけた者に呪いを付与するシステムが組み込まれている、というのが正しく、魔物の知能や背景の術者の有無は加味されない。魔力を奪うという呪いの性質を生かすために、魔力の多い人間を狙うように改造されていたのもわかった。
それから、資料の中には明らかに事故の起きた研究所から回収した物ではない報告書がいくつもあった。これはライオネル殿下の率いる諜報機関が作成したものだ。殿下がここで仕事をしている理由は間違いなくこれである。
元々研究所には密偵が入っていたということも、もちろん報告書そのものも、漏洩したら問題になる。
ネロが負傷してたった1ヶ月で逃げ出したワイバーンに対抗する魔法が組めるのは、この諜報部の報告書に依るところが大きい。
そういうわけで、ネロの手元ではさらさらと魔導式が描き上げられていくわけだが、その様子を見るチームメンバーは感心した面持ちだ。
「いやだって、絶対納期間に合わないと思ってましたもん。」
「ボクが居たってギリギリだろ。」
「いや、でも俺らがやるより絶対早いですって。」
「まぁ慣れてはいるけどね。みんなが考えてくれたのを繋げて書き出してるだけだし。」
「だけって……いやいやいや違うから。」
「違わないよ。」
感心される程のことじゃないとネロは思う。
単純に通ってきた教育課程が違うのだ。このくらい魔法を意のままに扱えないと、魔力の抑制に支障が出る。天恵持ちの受けるカリキュラムは強制的な英才教育といって良い。
と、そこで終業の鐘が鳴った。
まだ夕暮れというには早い、傾きかけの午後の日差しが窓から室内へ差し込んでいる。爵位持ちの貴族たちが多いから、魔法士団の定時の終業は早いのだ。国防を担う組織であるので、夜勤等のシフトもあるから完全に人がいなくなることはないが。
チームメンバーの視線が逸れるのを感じて、ネロは魔導式を描く用紙を押さえる左手を軽く握った。感じるのは軽い痺れ。それから、動かしていなくても昼過ぎから続く、左肩の鈍い痛み。
「ネロ士長、今日どのくらい残ります?」
「今日はすぐ帰るよ。」
「え、嘘でしょ。ユーナ!士長帰るって!」
「正気ですか!?終わんないですよ!?」
進捗が追いついてきているとはいっても、定時であっさり帰れるほどじゃない。夕暮れまで2、3時間の残業はそれほど珍しい事でもないし、ネロとしてももう少し仕事を進めておきたいのは山々だが、今日はそうはいかなかった。
洋墨を片付け始めれば、周りの目がさらに丸くなる。
「今日は予定があって。ごめんね。」
「珍しいねぇ。」
「ネロ士長帰るんじゃ、俺どうしようかなぁ。」
「もうちょっとだけ進めて、早めに帰る?」
チームメンバーのやりとりを聞きつつ、散らかった道具類を片付ける。描きかけの魔導式はまだ乾いてないから放置。使った下書きと資料はひとまとめにして机の端へ。
それから自分の荷物をまとめて、ネロはチームメンバーに手を振った。
「ごめん。じゃあ、お先に。」
「はーい。」
「お疲れ様でーす。」
各々仕事に戻り始めた彼らの生返事を聞いて、扉を開けて外へ出た。暖房の効いた室内とは違って、廊下は肌寒い。肩の傷跡がズキリと疼いて、着たばかりのコートの上から左腕を擦った。もう一度左手を握って開く。やっぱり痺れている。
通用口へは向かわず、建物の中を歩いて階段を登った。定時で仕事や訓練を終えて帰っていく魔法士たちとすれ違う。冬の低い日差しが窓から差し込んでいて眩しい。
ひとつの部屋の前で足を止めて、ネロはその扉を叩いた。中からくぐもった返事が聞こえて、程なくして扉が開く。
扉を開けてくれたのは、顔だけ見たことのある魔法士で、その人はネロを見てぎょっとしたように動きを止めた。
「忙しいところごめんね。ノワール魔法正いるかな?」
「は……はい!」
上ずった声。隠しきれていない動揺。ここはノワールの部隊の仕事場だ。上司の婚約の噂は彼に強烈なインパクトを与えているらしい。
彼はぎこちない動きのまま、開けっ放しの扉を押さえて中を振り返った。
「ノワール魔法正、あの…」
仕草につられて、ネロも部屋の中を覗く。奥の机で書類をさばいているノワールが顔を上げるのが見えた。目が合う。
「……そこで待ってろ。」
明らかに、ネロに直接言っている。
「はーい。」
扉を開けたまま所在なさげになっている魔法士にお礼を言えば、彼はそそくさと部屋の中へ引っ込んでいった。
閉じられた扉の向こうから、ざわざわと話す声がする。廊下を歩いていく人々が、ちらちらとネロに視線を向けてくる。
時の人に向く好奇の目。
ノワールの望薄な片思いは有名な話だったし、ネロも色恋沙汰の話題とはとんと縁遠かったから、注目の的になるのはある意味必然だ。
しばらくして出てきたノワールは眉間にしわを刻んでいた。扉越しに聞こえていた話し声が彼を問い詰めていたことを悟る。
「なんか、ごめんね?」
「ほんとにな。」
ため息をついたノワールを見て、ネロは胸の痛みを堪えつつ小さく笑った。自分のせいで迷惑をかけて申し訳ない。でも、このノワールを怖がらずに、問い詰めたりからかったりできる人物がこの部屋の中にいるのは嬉しいし、微笑ましいと思う。
ノワールは行き先も告げないままスタスタと廊下を歩きだした。振り向きもしないけれど、お互い用件は分かっているので、ネロは黙ってついていく。正直立ち話で十分かと思っていたのだが、周りの視線が鬱陶しいので諦めたのだろう。
ノワールが向かった先は魔法士団の建屋内にあるカフェテリアだった。ひと息ついている魔法士の姿がちらほらと見受けられる。手ぶらで席だけ使うのも悪いので、ネロは自由に飲める珈琲を2つのカップへ注いだ。痺れた左手でカップを持つのは諦めて、トレーに乗せて右手に持つ。
先に席に着いたノワールの方へ歩くと、ここでも多少視線は感じた。だが、カフェテリアが廊下より広い分、まるっと話を聞かれることは無いだろう。
「別に休憩に来たわけじゃない。」
ネロの手元の珈琲を見てノワールが言う。
「飲み物もなくここにいるほうが変だろ。」
「いいから手を出せ。」
珈琲カップを互いの前に1つずつ置いて、ネロは痺れた左手を机の上に置いた。ノワールの手が伸びてきて、腕輪に触れる。ぐいっと引き寄せられて、彼の指が魔石の上をなぞった。青みの強くなっていた魔石が、深く黒く色を濃くしていく。
「これ、いくらしたの?」
腕輪の話だ。高価なはずの魔石をこれだけ使って、複雑な魔導式を隅々まで掘り込んだ逸品は、物凄く値が張るはずなのだ。
ノワールの生家であるエスターニュ侯爵家の領地には魔石の鉱山がある。加工業も盛んだったはずなので、そういう伝手で作らせたに違いない。
「値段は決めてない。」
「請求してよ。ボクのだろ。」
まだ病室にいた頃、ノワールは治癒術士と一緒にこの腕輪を持ってきた。付けられて、効果を確認されてそれきりだ。絶対に高額なはずなのに、対価は支払っていない。
「……金額が決まったらな。」
戻ってきたのははっきりしない返事で、ネロは目を眇めた。どうしてか受け取る気がないように見える。
魔石の色が変わるにつれて、肩の痛みが治まって、痺れていた腕の感覚が戻って来る。この腕輪のおかげで、ノワールから魔力を補充してもらう頻度は毎日から3日に一度に減った。魔法の効力としては持続時間3倍の快挙だ。
この魔法具の代金だけでなく、治療に関する報酬もノワールは少額しか受け取らなかったらしい。一応、ネロの生家であるフリーセス伯爵家が支払ったとは聞いている。
ネロとしては借りばかり増えている気がして、落ち着かない。
腕輪の魔石に魔力を補充し終わったノワールは、そのままネロの左手を掴んだ。
「え。」
予想していなかった接触に、思わず声をが出る。
「なんだ。」
ノワールの眉間に皺が寄った。その顔を見て、ネロはやっと、彼が呪いを観察して魔法の効果を確かめようとしているのに気づいた。
「…確認はもういらないと思ってた。」
「ちゃんと行使されてるかくらい視るだろ。」
ノワールの目蓋が伏せられ、彼の魔力がネロの中に流れ込む。
カフェテリアで手を握りあって、まるで睦まじい恋人たちのようだ、なんて考えて、それを振り払う。
周りからも、そう見えているだろうか。それとも、ネロが意識してるから、そう思うだけか。
手を握りあったからって、何を今さら。
妙な期待をしたらいけない。分かっているのに。これ以上ノワールに、面倒だと思われたくないのに。
ノワールが伏せていた視線を上げる。濃藍の目がネロを見た。いたたまれなくて逸らしたくなるのを堪える。そんなことしたら不自然だ。
「よし。」
満足げな囁きとともに手が離れていく。ノワールはネロが運んできた珈琲を手に取った。
「まだ仕事か?」
「いや、今日は帰るよ。そっちは?」
「もう少し残る。」
「そっか。」
飲みかけのカップを手に、ノワールが立ち上がる。そのまま仕事場へ戻るらしい。
「じゃあな。」
「うん。…またよろしく。」
「ああ。」
去っていく背中を見送って、ネロは温くなった珈琲に口をつけた。
手の痺れも肩の痛みもなくなっていて、だからやりかけの魔導式の続きを描きに戻っても良かったけれど、今さら戻って理由を聞かれるのも面倒だった。手早く珈琲を飲み干して、席を立つ。
下手に体力を消耗して体調を崩せば、魔力量そのものが一時的に減る。平時なら大した問題ではないが、呪い封じの魔法をネロ自身の魔力で賄っていることを考えると、余裕を持って休息を取ったほうが良いのは事実だ。
日常生活に支障がないので失念しがちだが、呪い封じの魔法はネロの膨大な魔力のうちの実に4割を常時使用している。消費した魔力が回復する速度を鑑みると、“常時使用”が可能な魔力は全体の半分とされているため、“常時”という意味においては使用可能域の大半を占める状態だ。
今のところネロがこれを実感することはないが、今後この状態で戦闘でもすれば、明らかな不便を感じるかもしれない。
建物の外へ出ると、空が夕焼けに変わっていた。もうすぐ12月になる街の夕暮れは肌寒く、風が冷えて空が高い。
煉瓦の道の両脇で、魔法具の街灯がちらほらと灯り始めている。王都の街の賑わいはまだまだこれからだ。
歩きながら、ネロはノワールに触れられた左手を軽く握った。痛みも痺れもすっかり消えている。
触れ合った手の感触とか、意識しないようにしてたのにな、と思う。うまく心の底にしまって、考えないようにしていた。
婚約者だ、と周りから見られている。変わったのはたったそれだけなのに、今まで通りにうまく感情が片付けられない。
…いつから好きだったの、なんて、そんな答えに困る質問はしないでほしい。いつの間にか、なんてありきたりな事しか言えないから。
出会った最初は、不器用な奴だなと思っていた。天恵持ちが人と違うのは本当のことだ。化け物扱いも、ある意味当然だから、いちいち目くじらを立てることでもない。いちいち傷つく事でもない。
でもノワールはそれにちゃんと怒っていた。だから、不器用だなと思っていた。
そのくせ、ノワールは案外優しかった。
怯える顔を見て、黙って席を外すところとか。陰口が耳に入っても、睨みつけるだけで実力行使はしないところとか。
ノワールはいつだって真っすぐだった。化け物扱いにも正面から向き合って、自分を受け入れて貰うことを諦めなかった。
学友たちは取っつきやすいネロの方を、ノワールの窓口みたいに扱ったりしたけど、実は自分の方が余程冷たいってことを、ネロは良くわかっている。ただ、ノワールの魔力の苛烈さに隠れて誤魔化されていただけ。
ノワールの真っすぐは、ちゃんと伝わった。
ウィーネと、たぶんカーニスがそうだ。彼らがノワールを友人と、ライバルと呼ぶのは、彼らの世界でノワールがちゃんと同じ立場にいるからだ。
ああでも。
たぶん好きになったのはそのとき。
ノワールがウィーネに向けた愛情を見たとき。
案外、じゃなくて、本当に優しい人だと知ったとき。
その真っすぐさを不器用の一言で片付けていたことが恥ずかしくなった。
あの優しさが自分に向いたらって、片恋がさせるそんな愚かしい想像を何度追い払っただろう。
あれはネロのような、ひねくれた冷たい奴には決して向けられることのないものだ。
履き違えてはならない。期待してはならない。他人が何と言おうが、今更何が変わるわけじゃない。
ノワールには好きな人がいて、ネロはちょっとお節介な、ただの友人。
それだけで十分だった。
何気ない話をするのが許されていて、近寄ることが許されていて。
本当にそれだけで良かったのに。
間違っても、急に婚約者にされた意に添わない女になんて、なりたくなかったのに。
冷たい空気を吸い込む。
温もりが残っている気がする左手を軽く振って。
早く忘れよう。
そう思った。




