9月28日①
出発の準備を済ませた私は、洗面台に立って長い時間、鏡を覗き込んでいた。反射した私が、口を固く結んでこちらを真っすぐ見つめ返してくる。時折、何か言いたそうな様子で、うつむきがちになったり、消極的な双眸を微妙に動かして、何かの合図でも送っているような仕草を見せた。
こうやって“彼女”の仕草をひとつひとつじっくり観察していると、どこか奇妙な気分にさせられる。私は、それを上手く言葉で言い表してみようとする。最初に思い当たった単語は『罪悪感』だった。それから『雁字搦め』、『滑稽』――およそ月並みな言葉がいくつか胸中にやってきては、そのまま通り過ぎていく。それと同時に強い不快感が沸き起こり、うんざりした私は、鏡の前から足早に立ち去った。
私は白のアディダスのスニーカーを履き、振り返って「行ってきます」を告げた。お母さんがリビングから顔を覗かせて、いってらっしゃいと返した。どこか浮かない顔をしている。その表情は、鏡の中の自分を連想させた。居心地が悪くなった私は、そそくさと玄関扉を開けた。
宜しい。分かった。
私は観念して、今まであえて断片的にしか思い出さなかった記憶を、頭の中で言葉にしてみる事にした。
街頭インタビューを受ける“彼女”、それからラジオネーム“だしぬけファンショー”。どちらも私はその実態を良く知っていた。
“彼女”の名前はナナミという。誕生日は9月29日――私の誕生日の6日後。
父親は歯科医で、近所のどの歯医者より腕が良いと評判だった。私の両親も何度かお世話になっている。彼は誰よりも用心深くそして正確に虫歯を抜き、同時に、誰よりも的確に、患者の痛みを最小限に抑える手だてを熟知していた。一度受診したら最後、もう彼以外の誰にも歯を抜かれたくないと思うほど、その技術は洗練されていた。
ナナミはそんな愛すべき町医者の一人娘だった。母親は彼女が生まれてすぐに、ナナミ曰く“込み入った病気”で既に亡くなっていて、親子二人で一軒家を借りて住んでいた。家があった場所は、私の家とほど近く、徒歩5分圏内の一画にあった。
そんな訳で私たちは、幼稚園から一緒だった。もっと言うと幼稚園の3年間、小学校の6年間、中学校の3年間――合わせて約12年間、ナナミと私はほとんど常に行動を共にしていた。
物心ついた頃にはもうそれが当たり前の光景だったので、どうやって仲良くなったのかは覚えていない。ただ、遠足や修学旅行、家族ぐるみの旅行に運動会、当時流行していた映画の鑑賞や好きなゲームの発売日など、およそ私が思い出せる限りの思い出の中に、ほとんど常に彼女の姿がある。
何なら、お互いの乳歯が抜けた順番と場所まで覚えている。最初が右の前歯で、次がたしか右の奥歯から2つ隣――これは彼女が当時9歳だった頃、男の子の一人の挑発に乗って(あるいは調子に乗って)、学校の一番高い木に登った際、そこから落下した衝撃で抜けたもの。ちなみに自分の順番はこれっぽちも覚えていない。
ナナミが死んだのは去年の10月の事だった。
彼女はある日、彼女の父親と共に、地元の劇場に演劇鑑賞をしに出かけた。その帰り道、夕食の為に立ち寄ったレストランで火災が起こり、そのまま彼女は帰らぬ人となった。
放火だった。出火と、それに伴って運悪く生じたガス爆発による延焼――長い時間をかけ、ようやく全ての消火活動が終わると、ビルの内装はどの階もほとんど跡形もなく焼き尽くされていた。
ナナミたちがいたレストランは4階建てのビルの3階に位置しており、避難に遅れた彼女達は多くの犠牲者同様、黒煙の魔の手にかかり、父親は意識不明の状態で病院に搬送された。11時間後に父親が意識を取り戻すと、既にナナミは事切れていた。一酸化炭素中毒と酸欠による窒息死だった。幸いな事に火の手からは逃れられたようで、遺体はほとんど損傷していなかったらしい。
結局彼女を含めビル内にいた6人が死亡し、27人が重軽傷を負った。今でも犯人は見つかっていない。
驚くべき回復力を見せた父親は、意識が戻ったその日の内に、自らの手でナナミの葬儀を手配した。そして私が知る限り、”彼女”を見送るその最後の瞬間まで、何一つ言葉を発しなかった。そんなだから、当日の喪主らしい働きは、ほとんど彼の弟が一人で執り行った。
お通夜、葬儀、告別式――その全てに参列した私は、あらゆる事が一瞬のうちに、ほとんど同時に生じたかのように思われた。黒い服と黒いネクタイがいくつもやってきて、同じようなことをナナミの父親に告げ、終わり際には同じような表情でぽつぽつと帰っていく様子が、今でも鮮明に思い起こされる。
それから、ナナミの友達や同級生も同じような調子で参列し、やはり同じように去っていった――当時ナナミと同じクラスだったケイも参列していた。私はその時、彼女たちとクラスが違った。多分、彼女を知ったのはこの時だったと思う。周囲と比べて一回り小柄なその喪服を見て、私はナナミの親戚の子供か何かと勘違いした事を覚えている――それからナナミに与えられた、彼女のペンネームより長い戒名を聞いて、まるで遠い異国からやってきた武器商人の名前のようだと思ったことも、はっきり覚えている。
それから3ヶ月程して、父親はこの地を去った。今、彼がどこで何をしているか私は知らない。噂では東北にある実家の方で、ここにいた時と同じような建屋で開院して、ここにいた時と同じような様子で過ごしているらしい。
――同じような服装の人たち、同じような生活。
――繰り返し、繰り返し。