5.白狐のレン
夜闇を裂くように現れた白狐の面から、さっき話したレンの声が聞こえた。
「ツキ、ガキ相手にアコギな商売してんじゃねぇ」
「ヒッ!」
ビュッと風を切る音がしたかと思うと、ツキと呼ばれた女の人がのけぞり、兎面がパカッと割れてカツーン、カンカンカンと石畳を鳴らして転がった。
「きゃ……」
声だけ聞いた時は、もっと大人っぽい女性を想像していたのに。ツキの赤い目はパッチリとしていてまつ毛が長く、まだあどけない可愛らしい顔をしている。
そしてわたしがまばたきをする間に、ツキはぱふんと白いフワフワの雪みたいなウサギに変わった。
「……へんげ、してたの?」
さっきまであんなに怖かったのに、ウサギになったらちっとも怖くない。両手を伸ばしてツキを捕まえて抱きしめれば、ウサギはジタバタと暴れて、お尻についた丸い尻尾がチコチコと揺れる。
「ふふっ、可愛い」
けれどそのひと言は、白ウサギのツキには気にいらなかったらしい。
「ちょっと、気安く触らないでよ!あんたみたいなガキ、この場にふさわしくないんだから!」
「ツキはウサギになっても口が悪いんだね……」
毒づかれても何を言われても、ウサギは可愛い。私が抱っこしてフワフワの毛並みをなでると、ツキは耳をビンッと立て全身をブルブル震わせる。
「ナマイキ!ガキのくせにウカ様の髪飾りなんかつけて!」
ツキは鼻をヒクヒクさせて、ぶうぶう文句を言うけど、何を言われても可愛いから気にならない。私はツキの言葉に首をかしげた。
「ウカ様?」
「はん、ウカ様も知らないの?やっぱあんたはその髪飾りにはふさわしくな……」
「そこまでだ」
ヒュッと伸びてきた大きな手に、むんずと両耳をつかまれ、ウサギは赤い目を潤ませて絶叫した。
「イヤアァッ!レン、何すんのよぉ!」
「そうだよ、乱暴はやめなよ」
慌てて耳から手を外させて、ツキをかばうように抱きしめると、狐面の奥からあきれたような声がする。
「俺は性悪ウサギから、お前を助けてやったんだがな」
「えぇ?だってこの子可愛いよ」
そう言ってまたウサギをなでれば、ツキは身をよじって怒鳴った。
「ちょっと、誰が可愛いですって!」
「ツキかな」
「気安くあたしの名を呼ばないでくれる⁉」
「ふうん?」
長い耳をコチョコチョやると、ツキはビクーンと硬直してから思いっきり鳴いた。
「キュッキューッ」
興奮するとケモノの鳴き声になる。その声すらも可愛くてなでていると、レンが首をかしげて感心している。
「未亜、お前すごいな。一応そいつ、ツクヨミの眷属なんだが」
「それよりみんな消えちゃったの。シンとセツまで一緒に」
ツキをぎゅっと抱きしめたまま訴えれば、腕の中でツキがわめく。
「ちょっとあんた、ツクヨミ様の眷属って聞こえたでしょ!何さらっと聞き流してんのよ!」
「はいはい、その話はあとで聞くから」
「あああああとで⁉️あとでも何も、金輪際あんたとは関わらないわよっ」
腕の中で「放しなさいよぉ」と暴れ続けるウサギに向かい、レンがチッと舌打ちをした。
「くだらねぇことで霊力を使うからだ。チビどもじゃあるまいし、変化まで解けやがって」
「反省してるから。レン、助けてよぉ」
ぶわりと毛を逆立てて情けない声をだしたツキは、赤い瞳がうるうるとしている。けれどレンは冷たく言い放った。
「そのままペットみてぇに抱かれてろ」
「キュッキューッ」
ツキの抗議は無視してレンは私の手から、握りしめていた蝶の髪飾りを取りあげた。彼が持つとくすんで見えていた金属の枠が、艶やかな光沢を放ち、蝶の翅がキラキラと輝いた。
「ツキがお前をだまして取りあげようとしたウカの髪飾り……ほら、これのせいだ。神域の客人を示す証だからな、絶対に失くすな」
そう言ってレンの手で、私の髪に髪飾りがすっと差しこまれる。
「あ、ありがとう」
とたんに祭りのにぎやかな騒めきが戻ってきた。人ごみの中に白いフワフワした毛の塊を見つけ、私は叫んで走り寄る。
「シン!セツ!」
「未亜~!」
「未亜!」
もうパパとママじゃなくなって、駆け寄ってきた小さな子ぎつねたちが、ぽふんぽふんと私の両脚にぶつかる。
「よかった……俺ひとりの力じゃ、どうにもならなくてっ」
「大兄様呼んできたの!」
シンとセツは興奮したようすで、私のまわりをグルグルと走り回る。
「心配かけてごめんね」
私はツキをぽいっと放りだして、子ぎつねたちを抱きしめた。自由になった白ウサギは捨てゼリフを吐くと、お祭りの中に駆けこんでいった。
「覚えてなさいよっ!」
「……やれやれ」
ため息とともに声が降ってきて、レンはまたひょいっと私の体を抱えて左腕に座らせた。狐面がすぐそばにあって、私は思わず彼にたずねた。
「レンも……シンやセツみたいに狐なの?」
そして手を伸ばし、好奇心のままに白狐の面を外す。ぼふん、とレンも白い狐になるかと身構えたけれど、白銀の髪に金色の瞳をした、今まで見たこともないような綺麗な顔があらわれて、私は目を丸くした。
神々しいというのとも違うけど、滑らかな肌には透明感があり、長いまつ毛に覆われた金色の瞳は夜でも輝き、朱を差した目尻は少しだけ吊りあがっている。
私と目が合ったレンは一瞬、驚いたように目をみはり、それから薄い唇の端をクッと持ちあげた。
「俺の変化は、これぐらいじゃ解けねぇよ。お前、やっぱ面白いな」
「やっぱり狐なの?」
「俺たちは獣じゃねぇ。稲荷大明神ウカの眷属、神の遣いたる白狐だ」
「お稲荷様のとこにいる狐さんだ……じゃあこの神社に住んでいるの?」
「まぁな」
そのまま前を向いたレンの横顔に、私は急いで話しかけた。
「『レン』は何ていう字?」
「は?」
片眉をあげて聞き返したレンの代わりに、すかさずセツが教えてくれる。
「大兄様の字はねぇ、『こい』だよ」
「鯉?池で泳いでいる魚の?」
狐と鯉がつながらなくて頭をひねっていると、シンが得意そうに胸をそらしてしっぽをポフポフ振った。
「ちがうよ、『こいびと』の『こい』」
「あっ、お前ら」
あっさりシンにバラされて、レンは不機嫌そうに目をつりあげた。
「恋……」
「だっせぇから知られたくなかったのに……たく」
「べつにダサくないじゃん、カッコいいよ」
白狐の〝恋〟が金色の瞳で私を見た。
「ふうん……じゃ、いいものやる」
恋は自分の袂から取りだした赤い風車を、私に渡した。
「何これ」
「ガキはこういうの好きだろ」
からかうように言ってクッと笑う恋に、私はむきになって言い返した。
「ガキじゃない、未亜!」
「そうだったな、未亜。とっとけよ、キャラメルの礼だ」
金色をした光る目が、楽しそうにスッと細められた。
レンは〝恋〟です。
雪「大兄様ってガラにもなくロマンチックな名前だよね!」
深「お面外れても変化が解けないってズルい!」
恋「お前ら、ちったぁ黙ってろ」