4.ウサギとキツネ
やや子おばあちゃんにつけてもらった時は、キラキラして見えた蝶の髪飾りは鏡に映ると、羽に使ってある金属が茶色く黒ずみ、鮮やかな花模様の髪飾りの隣だとくすんで見えた。
美しい椿の髪飾りに一瞬見とれて、これをやや子おばあちゃんに見せたら、どう思うだろうと考える。
「楽しかったよ」って話をして。
「こんなステキな髪飾りをもらったの」って見せたらびっくりするかも。
けれど私が想像したやや子おばあちゃんは悲しそうな顔をしていた。大切にしていた蝶の髪飾りはアゲハのような模様で、少し丸みがかかった形をしている。
この屋台に並ぶのはもっと華やかな色と模様で、同じようなのは置いていない。指で蝶の髪飾りにふれると、ツキという名の女性はスッとは私に左手を差しだした。
「いい子ね。さあ、その髪飾りを私にちょうだい」
「あの……大切にしてくれる?」
「その古い髪飾りを?」
意外だとでも言うように、伸ばした左手はそのままに、彼女は右手をお面越しに自分のほほに当て首を傾げた。
「これはおばあちゃんが大切にしている物なの」
「面白いことを言う子ねぇ、そんな古ぼけた髪飾りをつけているあなたが可哀想だから、こっちは大事な商売道具を譲ろうってのに。自慢の上物をさぁ」
「だけど……同じぐらい大切にしてくれる人じゃないと、おばあちゃんが悲しむと思う」
「イヤならいいのよ。だけど交換できるのは今夜だけ」
そう言って彼女は私の髪から椿の髪飾りを取りあげる。白い兎のお面は可愛いはずなのに、影ができると灰色に見える。目の縁や額に描かれた赤い筋だけが鮮やかで、血の色とおなじ赤い瞳が、夜店の灯りを受けてピカリと光った。
「おばあちゃんだって喜ぶと思うけど。だってしまいっぱなしで、結局使ってないんでしょう?」
「それは……でも、どうしてそれを知っているの?」
パリィ……ンとガラスが砕けるような鋭くて甲高い音がした。
「未亜!」
甲高い子どもの声が私の名前を呼んだ。振りかえればパパの姿をしたままで、シンが私の腕をつかんで必死にゆすっている。
「え……シン?」
「髪飾りを交換しちゃダメだよ!」
丸まって縮こまっていたシンの尻尾は、私の返事にようやくホッとしたようにだらりと垂れた。
「ダメだよ、だってそれは……」
チッと舌打ちが聞こえ、兎の面をつけた女の人は鋭く叫んだ。
「邪魔をするでないよ、子狐!」
「……ヒッ!」
「キャッ!」
ぼふん、と音がしてシンとセツは、真っ白な毛並みの子狐に戻った。シンは跳ねるように転がって、私の腰に勢いよく体当たりする。
「未亜、逃げろ!走って!」
シンが叫んで私は弾かれるように、鳥居へ向かって走りだした。
「逃がさないよ!」
そう言って兎面の女性は軽々と、境内を行き交う人の背丈より高く跳んだ。
地べたにコロコロと転がるシンに、同じく子狐に戻ったセツがタタッと走り寄る。
「シン!」
「セツ、大兄様を呼んできてくれ!」
「わかった!」
セツは駆けだそうとしてピタリと止まり、鼻先でシンのほっぺをツンとつつく。
「未亜を助けようとしたの、ほめてあげる」
それだけ言って白い姿は闇に消えた。
私は脚に絡みつく金魚の浴衣を蹴とばすようにして、必死に鳥居目指して走った。歩くときはカラコロと軽い音を立てていた下駄が、神社の石畳に勢いよく当たってガキガキと鳴る。
……ガッ!
慣れない下駄で石のでこぼこに引っかかって転び、蝶の髪飾りがとれて石に当たり、シャリーンと金属音が鳴った。必死に手を伸ばしてそれをつかむと、兎面の女性がトンと目の前に降りたつ。
「あたしから逃げられるとでも?」
ツキが伸ばす手を避けるようにして転がり、また立ちあがって必死に走る。石造りの鳥居までもう少し……苔の生えたデコボコした石段を駆けおりれば、やや子おばあちゃんが待つ家はすぐそこだ。
「ハアッ、ハッ!」
けれど必死に駆けて神社の鳥居まで来たところで、私は足がすくんで立ちどまった。
「うそ、どうしてそんな……」
鳥居の向こうには真っ黒な底の見えない崖になっていて、そこには何もなかった。
やや子おばあちゃんの家は、神社のふもとで茶店をやっているのに、その灯りすら見えない。すくんだ足元から、ごうと冷たい風が吹きあげてくる。
「どうやって帰ればいいの?」
「手間をかけさせるんじゃないよ」
いつのまにか私のすぐ後ろに、さっきの兎面の女性が立っていた。浴衣が着崩れてゼェゼェと息を切らし私とちがい、夜店にいたときと同じように息ひとつ乱さず、彼女は私に手を差しだした。
「髪飾りをあたしに渡せば、無事に家まで帰してあげる。どう?」
「これ、お姉さんがやったの?」
振りかえれば神社の境内にあれほどあった夜店はなくなって、お面をつけた人もみんな消えてしまった。誰もいなくなった真っ暗な闇に、夜空をバックに神社の社がぼんやりと見える。
私がシンやセツの白い姿を探していると、兎面の女性は首を横に振り、不機嫌そうな声をだした。
「あたしじゃない。助けてやろうってのに何だい、髪飾りひとつぐらいで。強情なガキだね、自分の物でもないくせに」
「お前の物でもないがな」
低い声がすぐそばで聞こえ、夜の闇に白くて赤い筋の入った狐面が、ぽっかりと浮かんだ。
ヒーロー登場……かも!