2.オヤツはキャラメル
【新たな登場人物】
女の子 セツ(雪)
男の子 シン(深)
男に抱きあげられたおかげで、高くなった視界からは夜店が並ぶ境内がよく見えた。
私は今年参加しなかったけれど、夏休みには毎朝ラジオ体操だってやる、地元の小さなお稲荷さんのお祭り。
「え、どうして……」
男が足を進めるごとに、見慣れた神社の境内が色鮮やかに変わっていく。
黒ずんだ社は鮮やかな朱塗りの壁と柱に変わり、雨に打たれて苔むしていたはずの石灯籠は、たった今彫ったばかりみたいな龍が、くっきりと浮かびあがる。
青白くぼんやりと光る蛾が、すいと空を滑るように飛び、石灯籠に灯るロウソクの炎に集まっていく。
とっくの昔に枯れて落ち葉が積もっていた池には、澄んだ水がこんこんと湧き、石灯籠や夜店の明かりがいくつも映りこむ。
「きれい……」
浴衣を着て行き交う人々は皆お面をつけ、思い思いに楽しんでいるようだ。私を抱きあげる狐面の男は、歩きながら話した。
「そのうち声も聞こえるようになる。こうして俺に触れているからな。だが聞こえすぎもよくない。ここでは何も口にするな」
「食べたらダメってこと?」
「そうだ、飲んでもいけない」
「何も?」
どちらにしろ使えるお金がないことに気づき、ちょっと寂しくなる。そのとき私は巾着袋の中に、オヤツを入れてきたことを思いだした。
「あの……」
「何かほしい物があるのか?」
「自分で持ってきた物なら、食べられる?」
ぎゅっと握りしめていた赤い巾着袋を、持ちあげて見せると男は足を止めた。
「……甘い匂いがする」
「おばあちゃんとキャラメルを作ったの」
私は巾着のヒモを解き、中に手を突っこんで、紙に包んだキャラメルを取りだした。
やや子おばあちゃんと台所に立ち、フライパンに牛乳とバターと砂糖、それに蜂蜜を大さじ二杯入れ、火にかけてからずーっとかき回した。
すぐにバターが融けて見えなくなり、ザラッとしていた砂糖も溶けてしまう。やや子おばあちゃんはヘラで、鍋の牛乳を混ぜるんだと教えてくれた。
「ずーっと、ずーっと。鍋の底をなでるんだよ。ぷくぷくの泡がもったりするまで」
「ずーっと?」
沸騰した牛乳はシャワシャワとたくさんの細かい泡を噴いて、そのうちぷくぷくと大きな泡を作るようになる。私は鍋の底をヘラでなでつづけた。
最初に香ったのはミルクに混じったバターの香り、そしてかき回すうちに溶けた砂糖の甘い香りが漂ってくる。
「まだ?」
「まだまだ。ずーっとだよ」
「ずーっと……」
やがてもったりと重い泡がぷくっとできては、ぽわっと弾けるようになった。そこで火を止めて、てろてろとした液体をかき分けるようにヘラを滑らせれば、フライパンの底が見え、それからまたゆっくりとキャラメルの液に沈む。
「いいね。ほら、ヘラを滑らせると跡が残る。火にかけすぎると固くなるからね」
あとはバットに敷いたクッキングシートの上に、流しこんで冷ませばできあがり。固まったキャラメルの板を、包丁でサイの目に四角く切って紙で包んだ。
私は取りだしたキャラメルを、狐面の男に見せる。
「これなら食べてもいい?」
「ああ」
キャンディのようにひねった包み紙を、カサリと開いて茶色いキャラメルを取りだす。
「気持ちを落ちつけたい時は、甘いものを食べるといいんだって」
口に放りこめば、ミルクとバターと蜂蜜の甘い香りがする。かむと柔らかくて優しい甘さが口いっぱいに広がる。
「おばあちゃんが作り方を教えてくれたの。食べる?」
持ってきたキャラメルを何気なく差しだせば、狐面の男は意外そうな声をだした。
「俺に?」
「そう。あなたもまだ何も食べていないでしょ?」
「…………」
男が無言でキャラメルを受けとるのと同時に、狐面をつけた小さな男の子と女の子が、夜店の人ごみから抜けだすようにして走り寄ってきた。
「大兄様から綿飴みたいな、甘ぁい匂いがする」
紺地に朝顔の柄の浴衣を着た、おかっぱ頭の女の子が首をかしげて私たちを見あげると、水色の甚平を着た坊主頭の男の子が、腕組みをしてうなずいた。
「ホントだ。りんご飴よりもっと甘ぁい匂いがするね」
「これは俺のだ」
男のそっけない返事に、狐面の子たちは互いに顔を見合わせた。
「大兄様ずるい」
「大兄様ずるいね」
「現世の食いもんを、ほしがるんじゃねぇ」
「あの、ちゃんとみんなの分あるから。この子たちにもあげていい?」
私があわてて残りのキャラメルを、巾着袋から取りだせば、子どもたちは声を弾ませる。
「くれるの?」
「ほしい!」
私が狐面の男をちらりと見ると、彼はため息をついて私を地面に下ろし、子どもたちに言い聞かせた。
「食うからにはちゃんと仕事をしろよ」
「するもん!」
「俺だって!」
「私は未亜。あなたたちのお名前は?」
おかっぱの女の子が、ハキハキと答えた。
「あたしはセツ。『雪』って書いて『セツ』と読むの」
坊主頭の男の子が、自分の胸を指さして張りきった声をだす。
「俺はシン。『深い』の『シン』だ。で、大兄様はレンって言うんだ!」
「レン?」
レンと呼ばれた男は狐面をちょっとずらして、口に入れたキャラメルをモゴモゴと食べている。
「……うまいな」
「大兄様、もう食べてる!」
「ずるい!」
「ちゃんとふたりの分もあるよ。ほら、ひとつずつね」
小さな手にひとつずつキャラメルを載せると、セツとシンは嬉しそうに包み紙を解く。
「未亜、ありがとう!」
「未亜、ありがとな!」
(こんな小さな子たちも、ちゃんとお面を持っているんだ……)
私が見守っているとセツとシンは、レンと同じようにお面をちょっとだけずらして、キャラメルを口に放りこみ、モグモグとかんで歓声をあげた。
「おいしい!」
「あま……コン!」
目の前で一瞬にして真っ白な毛並みの子ぎつねに変わったふたりに、私は目を丸くした。
「言わんこっちゃない、あっさり変化が解けやがって」
「え……え?」
二匹の子ぎつねは私たちの足元を、ぐるぐる走り回りながらじゃれあって転がった。
「とけちゃった、へんげとけちゃった!」
「でも、おいしかった!キャラメル!甘ぁいの!」
「お前ら……食いもんはタダじゃねぇってことを忘れんな!」
レンの一喝に、子ぎつねたちはピタリと走り回るのをやめた。
「そうだった!」
「お願い、叶えるよ!」
真っ白な子ぎつねたちが、モフモフした体をすりつけてくる。それならと、私はさっき願えなかったことを口にした。
「パパとママに会いた……」
そのとたん生ぬるい風がごうと吹き、夜店ののぼりがバタバタとはためく。
店に並べられた商品が風に吹き飛ばされて転がり、お面をつけた人々が声にならない悲鳴をあげた。
素早く手を伸ばしたレンが、私の口を手でふさぐ。
「その願いはこいつらの手に負えない。別の願いにしろ」
「でも……ほかの願いなんて!」
レンの腕を振り払って私は叫んだ。他に願いたいことなんてない。パパとママをどうか戻してほしい。けれど白狐の面をつけた男は、淡々と聞いてきた。
「どうして会いたいんだ」
「どうしてって、だって……」
そんなの口にしちゃいけないって分かっている。だけど……!
「だって……今日は私の誕生日だったのよ。『誕生日おめでとう』って言ってほしかったの!」
子ぎつねたちが金色の瞳でそろって私を見上げた。
「それが未亜のお願い?」
子狐ちゃんたちの登場です。
【ボツになったやり取り】
「おじさん、子持ち?」
「おじさんじゃねぇし、俺の子でもねぇ!」
「おじさん、おじさん!」
「こもちー!」