表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

すみれ食堂

作者: 阿久根想一


          1


 私鉄に東西に分けられた、関東近郊ののどかな町。その片隅にすみれ食堂はある。

 カウンターと椅子とテーブルが数組あるだけの店内は、パステルカラーで統一され、テーブル上には何故か大きなテディベアのぬいぐるみが置いてあり店内を見渡しているが、何故そこにこんな物があるのか、はっきりしたことは誰も知らない。広くない店内には、うどんカレー、トースト類、パスタなどのメニューが貼られている。いわば、立ち食い蕎麦と喫茶店を足して二で割ったような店なのだが、味も値段も良心的なことと、近くに工場と住宅街があることで、昼時はそこそこ繁盛しているようだ。

 スタッフは、オネエみたいな兄貴と言われているマスターのすみれさんと、ノッポのナス子さんとちっちゃなカブ子さんの三人である。なんだかんだお喋りしながらも、楽しくやっているようだ。


          2


 ある日、最後の客が出て行ってガランとした店内で、ナス子さんとカブ子さんが、洗い物をしながらお喋りをしていた。

「ああ、何かいい事ないかねえ」

「いい事って何さ?」

「だから宝くじが当たるとか」

「何夢みたいなこと言ってるのさ。そんなものがホイホイ当たるんだったら、誰も苦労しないよ」

「そりゃそうだ。苦労しないで楽が出来るんだったら、私もあなたも今頃ここには居ないさ」

「そりゃそうだ。しかしそろそろ時間じゃないのかい」

「そうだ。あの娘が来るのだとしたら、もうそろそろだよ」

 カブ子さんがそう話した時、ドアが開いて黒い髪を切り揃えた少女、アカネが店内に入って来た。


          3


 アカネとはどのような字を書くのであろうか。茜と書くのであろうか。スミレさんは何度か尋ねてみようと思ったことはあるが、結局一度も尋ねずにいた。ナス子さんは、かつてアカネの事を「どこにでもいるようで、それでいてどこにもいないような娘」と評し最初に彼女が店を訪れた時、夕暮れ時に店内に夕陽が射し込んでいたから、ナス子さんがそう名付けただけで、本当のところは三人とも知らないのであった。アカネのことはナス子さんとカブ子さんの間で何度も話題に上がったが、その度に「お客さんの詮索をするなんて失礼よ。およしなさい」とスミレさんに窘められて、話はそこで打ち切りになるのであった。

 アカネがスミレさんの特製パスタを食べ終え、いつものようにペコリと頭を下げて出て行って暫くしてから、もう一度ドアが開き、ドアに取り付けられたカウベルが音を立てた。入って来たのは、茶色のセーターとスカート姿の娘だった。

「あら、こんにちは。すずちゃん」

と、ナス子さんが声を掛けると、少女はカウンター席に腰掛けた。

「すずちゃん、何にするの?」

というカブ子さんの問い掛けに、

「おにぎりセット」

と、元気良く応えた。やがて出されたおにぎりセットを、元気良く食べる少女の姿を見て、スミレさんは何だか稲穂に群がるスズメのようだなと思ったが、そんなことは口に出さずに黙っていた。どこからか店内に入って来た隙間風に、ドアのカウベルがもう一つ〝カラン〟と鳴った。


          4


 ナス子さんは、洗い物をしながらテーブルの上のテディベアのぬいぐるみを見ていた。どう見ても、この店には不釣り合いな大きさだ。それに、さっきからテディベアが自分の事を眼で追っているような気がしてならないのだ。

 相手はぬいぐるみ。そんなはずはないと頭では分かっていても、ついつい自分の事を見つめているような気がしてしまうのだ。そもそもこのぬいぐるみがいつ店に来たのか、ナス子さんは知らない。カブ子さんや、スミレさんに訊いても知らないと言う。現在ではスミレ食堂のマスコット的存在のテディベアだが、それだけに何だか気味が悪く、ナス子さんはなるべくテディベアと眼を合わさないように、洗い物を続けた。


          5


 カブ子さんはカブ子さんで、また別の事を考えていた。

 アカネが食べたパスタの皿と、すずの食べたおにぎりセットのさらだが、どちらにもブロッコリーとタコさんの形のウインナーが乗っている。

(あれ? うちのパスタとおにぎりに、あんなものが付いていたかしら)

アカネとすずには、スミレさんは心なしかサービスが良いようだが。そこまで考えて、カブ子さんは首を振った。いけない、お客さんの詮索をしたら、またスミレさんに叱られる。そう考えて、カブ子さんも洗い物を続けた。


          6


 すみれ食堂の二階の寝室で、スミレさんは目を覚ました。何か物音、それも自動車のエンジンの音のようだ。

(こんな時間になにかしら)

 そう思いながら、スミレさんは懐中電灯片手に階下へ降りて行った。

 すみれ食堂のドアは、頑丈な一枚板である。本当はピンクや紫のイルミネーションで飾り立てたかったのだが、予算不足で諦めたのだ。

 ドアを開けたスミレさんの眼に、一台の車がやって来るのが見えた。もう一度見てみると、その車は側にたこ焼きと描かれたパネルを取り付けている。

(ラッキー! グッドタイミング)

 たこ焼きはスミレさんの大好物で、近々すみれ食堂のメニューを変えようと思っていたところだから、スミレさんは手を伸ばして呼び止めた。

(夜食に丁度いいわ。うちに人気メニューが増えるチャンスよ)

が、車から降りてきた人影を見てスミレさんは腰を抜かしそうになった。その人影は、大きなテディベアの着ぐるみを着ていたのである。


          7


「はふっ、はふっ」

 目を白黒させてたこ焼きを頬張るすずを、スミレさんは満足気に見つめていた。

 あの夜の、車から降りて来たテディベアの着ぐるみ男のことは、ナス子さんにもカブ子さんにも信じてもらえなかったが、おかげで新しく始めたたこ焼きの人気は上々なのだ。スミレさんには怪我の功名といえた。

「美味しいけど、これ。口の中を火傷しそう」

そう言ってすずは、レモンスカッシュをほとんど一気に飲み干してしまった。

「大丈夫よ。この人はなんだかんだ言われても、自分が作った物を美味しいと言ってもらえれば、それでご機嫌なんだから」

 カブ子さんとナス子さんがそう言って笑う。

「ああ、美味しかった。けど、熱かった」

そう言って歩いて行くすずの後姿を、三人は、店の前で見送っていた。


          8


「アカネちゃんはケチャップが好きなの?」

 ナポリタンのパスタを食べ終え、いつものようにペコリと頭を下げて出ていこうとするアカネに、ナス子さんは思い切って声を掛けてみた。

「えっ、何でそれを」

「だって、この前来た時はオムライスを注文したでしょ。あれにはチキンライスが入っているじゃない。そして今日はナポリタンでしょ。どちらにもケチャップが使われているから、もしかしたらケチャップが好きなのかなあって」

 あまり客の好みなどあれこれ尋ねると、またスミレさんに怒られるなと思いながら、ナス子さんはそれだけ尋ねてみた。

「ええ、小さい時から」

と、アカネは小さな声で応えた。パスタの皿の隅では、タコさんウインナーがこちらを見上げている。

 アカネが帰った後、キッチンから出てきたスミレさんが、店内を見るなり叫んだ。

「誰よ! こんなイタズラをした人!」

 見ると、いつ誰がしたものやら、テディベアの口元から胸にかけて、べったりと赤く汚れていた。

(あれはトマトケチャップの汚れだわ)

再びキッチンへ戻ったスミレさんの後姿を見ながら、ナス子さんはそう思った。

 すみれ食堂は小さな店だが、実に様々な人々が客として訪れる。

 その日、スミレ食堂に訪れたOLらしき二人連れは、頼んだ物こそ日替わり定食とありきたりだったが、ナス子さんがふと目をやると、上司らしい一人は、シューマイにタバスコを掛け始め、もう一人はガムシロップを掛けている。

(どちらもなかなか美人なのに何故。でも、お客さんのやることに、下手に口は出せないし)

そう思いながらナス子さんが見ていると、さすがに上司らしい方がたまりかねたように、

「椿、ちょっとあんた何やってるのよ! あんたダイエット中じゃなかったの」

 するともう一人が、

「私はリリーさんと違って、ダイエットで苦労なんかしていませんよ。リリーさんこそ、コーヒーはブラックの砂糖抜きなんて、何無駄なことをやっているんですか」

と、切り返した。

 言われた方は眉をピクっと動かしたものの、そのままおとなしく食事を終え、勘定を済ませ、いざ店を出ようとするときに、

「リリーさん。今年のハロウィンはどうやって過ごすつもりなんですか? どうせまた一人なんでしょ」

と、付け加えた。

「椿、いつも言ってるわよね。口は災いの元だって」

と言うなり、ピンヒールの踵で、もう一人の足を思い切り踏みつけた。

 足を引きずりながら帰る二人の後姿を見ながら、

(まあ世の中には色々な人がいるからね)

と心の中で呟いた。


          9


「トリックオアトリート!」

 掛け声とともにグラスがカチリと合わされ、シャンパンが抜かれクラッカーが鳴らされる。

 その日、閉店後のすみれ食堂で、ささやかなハロウィンを祝うパーティーが開かれていた。店内には紫やピンクのイルミネーションが輝き、テーブルにはすみれさん手作りのオードブルが並んでいる。

「みんなご苦労様。それでは今夜は楽しんでください」

 すみれさんの挨拶にみんなが笑顔になった。

シャンパンにみんなの顔がほんのりと赤くなった頃。

「ガラガラガラ」

 突然開けられたドアの音。

「パーティーの最中だっていうのに何かしら?」

と、そこに居た全員が振り返り、そして腰を抜かさんばかりに驚いた。

 ドアを開けて入ってきたのは、いつぞやの夜、すみれさんが店の外で出くわしたクマの着ぐるみだった。

「宅配便です」

 そう言ってクマが置いていった目鼻のついたカボチャを、三人は声も無く見つめていた。ナス子さんには、テディベアの前に置かれたカボチャがニヤリと笑ったように見えた。


          10


 店の外を郵便配達のバイクが走っていく。

 店の前を箒で掃きながら、ナス子さんは洗い場のカブ子さんに声を掛けた。

「アカネちゃんやすずちゃんは、店に来なくなっちゃったね」

 カブ子さんは、

「まだ若いからね」

とだけ答えて洗い物を続けた。

「そうよ。あの娘達の人生はこれから。これから恋の一つや二つもしようってお年頃じゃない。私達の役目はここまでよ。あぁ、私も新しい恋がしたいわぁ」

 そう言い残して、すみれさんは巨体を揺すってキッチンへ消えた。ナス子さんとカブ子さんは、肩をすくめてお互いに目配せすると、それぞれの仕事に戻った。

「あらっ」

と、カブ子さんが声を上げた方を見ると、一羽のスズメが路上に落ちたスナック菓子の欠片をついばんでいた。スズメは、一度飛び立ち、塀の上から二人を眺めていた後、再び何処へともなく飛び去った。店内に戻ると、いつ店内に入ってきたのか、一匹の赤トンボが、テディベアの額に止まっていた。

「もう秋ね」

と、すみれさんのしみじみとした口調に二人が頷いた時、

「こんにちはー」

と懐かしい声がすみれ食堂のドアを開けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ