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君は僕の、座敷童  作者: 歩芽川ゆい
10/13

10:檻の中

妖たちとの攻防が始まります。

 秀麿はふと目を覚ました。しまった! 寝てしまった! 文目は、文目は!?


 慌てて頭を上げれば、檻越しに自分と向かい合い、そうして呪文を唱える文目の姿が目に入った。良かった、無事だった……! 秀麿は大きくため息をついた。そんな秀麿に気が付いて、文目がかすかに笑顔を見せる。


「文目、ごめん、僕、寝ちゃってた……!」

「大丈夫。秀麿くんのお陰でぼくも寝たから。ねえ、お師匠様は?」

「……お師匠様でも、この中から文目を出せないんだって。でも、新しい呪文を教えてくれたよ」

「そうなの……」

「僕、どんどん術を教わってくる。大丈夫だよ、僕が文目を守るから! ね!」


 文目は弱々しいが、笑顔を見せてくれた。


「秀麿くん、ぼく、お腹空いたよ……」

「ああ、そうだね。食事、もらってくる! 離れても平気?」

「うん。でもすぐに戻ってきてね……」

「うん! 行ってくる!」


 秀麿はガバリと立ち上がって、すぐさま部屋を駆けだした。そして気が付いた。文目が今唱えていた呪文。あれは自分が昨日教わってきたものだったと。


 長い迷路を抜け、またもやいきなり台所に飛び出てきた秀麿に、使用人は腰を抜かさんばかりに驚いた。


「あれまあ! お坊ちゃま!? どこから出てきたんです!?」

「ご飯をお願いします! 僕と、文目の分! 急いでください!!」

「ああ、はい、今すぐに!」


 あわただしく握り飯を作り始めた使用人に、僕も手伝う、と秀麿は見様見真似で握り飯を握った。初めて握ったそれは不格好だし、ごはんがぽろぽろと崩れてきたけど、時間がない。走り回るから汁物はいらない、と漬物だけを添えてもらい、きれいな握り飯三つに、不格好な握り飯一つをもって、秀麿はまたすぐに部屋に戻った。


 部屋に戻ってみれば、檻に背中を押し付けて必死に呪文を唱える文目の前には、大きな妖怪が口を開けて文目を狙っていた。

 秀麿はお盆を落とすように置き、文目に駆け寄り後ろから抱きしめ、呪文を唱えた。二重の呪文のおかげで、すぐにその妖には文目の姿が見えなくなったようだ。しきりに周りの匂いを嗅いでいたが、やがてあきらめて去っていった。


 二人してほう、とため息をつく。すぐさま呪文を開始した文目に、秀麿は一度離れてお盆を取りにもどった。乱暴に置いたために握り飯の形が崩れていたが、それを持って、文目のもとに戻る。


 お盆は檻の中に入らなかったので、握り飯を一つ、柵の間から文目に渡して、食べるように促した。その間は秀麿が術を掛ける。

 文目はよほどお腹が空いていたようで、大きな握り飯にかぶり付き、一心不乱に食べた。そうして一個終わると、そっちの変な形のが欲しい、と言った。秀麿は奇麗な形の方がいいんじゃない? と言ったが、そっちがいいというので、自分の握った不格好な握り飯を渡した。

 文目はおいしい、とかぶりついていた。持ってきた漬物も、文目は半分だけもらって食べた。もっと食べる? と聞くと、お茶が飲みたい、と遠慮がちに答えたので、持ってくるね、と秀麿はまた部屋を出た。


 神出鬼没の秀麿にまた台所の使用人たちが腰を抜かしていると、そこに騒ぎを聞きつけて当主も現れた。秀麿は思わず当主を睨みつける。そんな秀麿に当主は苦笑いを浮かべながら「その様子だと、杜若のはまだ生きているのだな」と言った。


 秀麿は答えずに、もう一度睨んで、そのまま無視して、使用人にお茶と、何かオヤツが欲しい、と頼む。使用人は戸惑いながらも、当主が何も言わないので手早く両方を用意した。

 お茶は文目用に竹筒に二つ入れてもらい、自分に出された湯飲みのお茶をその場でがぶ飲みした。そうしてオヤツにと、庭でとれた野イチゴは小さな麻袋に入れてもらい、秀麿はそれを持ち、当主に頭だけ下げて、すぐにその場を走り去った。


 あんな奴の顔なんて見たくない。文目をあんなところに閉じ込めたヤツの顔なんて! 秀麿は必死に走って文目のもとに戻った。


 部屋の襖を勢いよく開ければ、またもや文目が必死に呪文を唱えている所だった。文目の周りでは大小の妖たちが争いを始めていたのだ。秀麿は文目のもとに駆け戻り、一緒に呪文を唱える。すぐさま術が強化され、文目にポコポコとぶつかっていた、食い荒らされた妖のかけらが、ぶつかる前に術で跳ね返っていく。それでも妖の血で、文目はべっとりと濡れていた。

 二人は周りの光景を見ないように固く目を瞑って、秀麿はその足を文目に絡ませ、手では印を結び、呪文を唱える。妖たちの咆哮と悲鳴、咀嚼音が響く中、二人の静かな声が流れていた。


 しばらくすると、また周りが静かになった。二人は目を開く。大きな妖たちの食事時間が終わったようだ。秀麿はそっと足を戻し、持ってきていた竹筒を文目に差し出す。


 文目はそれをむさぼるように飲んだ。考えてみれば、文目にはこの部屋に入ってから初めての飲み物なのだ。一つを一気に飲み干してようやく一息つく。次に麻袋を差し入れてやれば、文目は中の野イチゴに顔を綻ばせ、一つずつ、食べ始めた。

 秀麿は食べ損ねていたおにぎりを口に押し込みながら、周りの様子を伺い、時折呪文を唱える。怪我だらけの妖もいる。それらが文目を見つけないよう、術をかけていた。


 文目が二つ目の竹筒も飲み干す。少しだけ顔色もよくなったようだ。二人ともお腹も落ち着いて、一息ついて、小声で話し始めた。


「ねえ文目、さっき唱えてたのって、新しい呪文だよね。なんで知っているの?」

「君が昨日唱えているのを聞いて覚えたの。夜、一回目が覚めたら君が一生懸命唱えて、印も何度か結んでいるのを見えたから」

「それで、覚えたの?」

「うん。秀麿くんが寝ている間に来た妖が、前の術じゃ効き目がなくて、新しいのを使ってみたら使えたの」

「そうだったんだ! すごいね、文目!」

「秀麿くんが覚えてきてくれた、おかげだよ」


 そしてもう一度印をちゃんと教えて、という文目に秀麿は手ほどきをした。

 元々術の習得の早い二人だった。少しだけ違っていた指の使い方を直してやれば、もう文目の術は完璧だった。多少の動作の違いなら、術は発動する。ただしその威力が落ちるのだ。直した今なら二人の術は完璧に発動する。それでもまだ初級の術は、二人の体を見え辛くするだけのものだった。万一強い妖に見つかり襲われたら、防ぎようはない。


 今、部屋の奥には、大きな大きな妖が何体もいる。それらは奥にいすぎて影しか見えないが、それでも大きく、とても強い妖気を発していた。その手前にはそれよりは小さめの、しかし十分に大きい者たちが、そうしてだんだん外側に来るにしたがって小さく弱いものが集まっている。

 一番外側にいる文目の所には、逃げてきた弱いものを追ってきたモノだけがかすめてくるので、今はこの術で防げているが、中にいるモノたちが出てきたら、どうなるかわからない。

 それらを考えて秀麿は決心した。今のうち。妖たちが大人しくなっている、今のうちに。


「文目、僕、また師匠の所へ行ってくる」

「ええっ!?」

「もっと強い術を教わってくる。今ならアイツらも大人しいから。だから今のうちに行ってくる」

「……秀麿くん」

「なあに?」

「ぼく、一人は、怖いよぅ……」


 文目は檻にしがみついて、ポロポロと泣き始めた。その涙に、浴びた妖の血が混じり、頬を流れる。秀麿は手を伸ばしてその涙と汚れを拭いた。


「分かるよ、わかるけど、強い奴らがこっちに来たら、今の術じゃ全然たりない。もっと強いのを習ってこなくちゃ」

「怖いよう、ここから出たいよう……!」

「お師匠様でも、ひと月経たないと、どうしようもないんだって」

「ぼく、何か悪いことしたのかなあ、こんなところに入れられるような、悪いことしたのかなあ……!」

「してないよ! 文目は何もしてない! 当主さまがいけないんだ。全部アイツのせいだ!  でも、これを無理やり開いたら、街のみんなも殺されちゃうんだって……」

「……うええん……」

「大丈夫、僕が守るから! でも今の術じゃ無理だから、今のうちに教わってくる!」

「秀麿くん……。うええん……」

「すぐに戻るから。新しい術教わったら、すぐに戻るから。文目を守るから! だから、少しだけ我慢して!」

「……うん」


 泣きながらも文目は頷いた。師匠でもここから出して貰えないなら。怖くても、自分で自分の身を守り続けるしかないという事が、幼心にも理解できた。その為には秀麿がここを離れなくてはいけないという事も。


 両手で檻をつかんで、ボロボロ泣きながらも、文目は秀麿に、行ってらっしゃい、と伝えた。秀麿は力強く頷くと、食べ終わった食器や竹筒を持って立ち上がり、部屋を駆けだしていった。


 文目は檻の間からそれを見ていた。光の中に戻っていくその姿を。そして、襖が閉まり、部屋に外の光は入らなくなる。檻の外のちいさな明かりで、この部屋は全体的にうすぼんやりとは明るかったが、あの光の中に出ていく秀麿が、眩しかった。


 秀麿が修行や食事を取りに行っている間、文目の目の前で起きていた出来事は、言葉にできないような凄惨なものだった。


 小さな妖が文目に助けを求めるように逃げてきているのに、文目には何もできない。目の前で大きな妖に捕まり、バリバリと喰われる。

 それを見ないように固く目を瞑っても、その音が聞こえてくる。ビシャリと血がかかる。

 静かになった、と開けた目の前で、別の妖怪が真っ二つに引き裂かれるところで、その絶望の目と合ってしまい、文目の心は壊れる寸前だった。


 秀麿が戻ってくる、その約束だけが、文目の支えだった。


 二人でいれば、文目は中に背を向けていられる。二人で術をかけていれば、目の前での惨劇を見ないで済む。秀麿の手が、文目を守ってくれるその安心感で、恐怖が薄れる。


 でも一人では。


 文目は怖くて怖くて、背中を檻に押し付けて手足を丸めてできるだけ小さくなった。そうして、覚えたての術を唱える。怖さのあまり目を閉じることが出来ない。

 知らないうちに捕まったら。逃げることも出来ずに食べられるのは嫌だ。

 初級の術とは言え、掛けてさえいれば相手からは見えにくいらしく、じっとしてさえいれば他の妖に目標を移してくれる。でも少しでも相手から見えたら終わりだ。文目は必死に術をかけ続けた。


 秀麿はまた迷路を駆け抜けた。どういう仕組みなのか、自分が行きたいと思った場所に出られるようだ。今回は師匠の家に行きたいと思っていたからか、また庭に飛び出た。

 庭師たちが驚いて大きな声を上げる。お盆などの荷物をその場に残して、近くにあった草履を履いて、秀麿は家を飛び出した。


 飛び出して、慌てて止まった。目の前に師匠がいたのだ。


「お師匠様!?」

「秀麿! 無事だったか! 文目は!」

「大丈夫です、でもすごく怖がっています!」

「そうだろうな、ものすごい妖気がここまで漂っている。全く当主はなんという事をしてくれたのだ!」


 師匠が歯噛みをしながら唸る。控えている式神たちも、険しい顔だ。昨日の秀麿の話を聞いて、何とかならないかとここまで来てくれたようだが、やはりどうしようもない、と暗い顔で頭を振った。


「お師匠様! 次の術を教えてください! もっと強い術を!」

「しかし……」

「昨日教わった術は、文目も覚えました! もう使っています! でも、あれじゃもっと強い妖が寄ってきたら効かない!」

「……文目が覚えた?」

「僕の呪文を聞いて覚えて、印も見て覚えたそうです。ちょっと違うところだけ直しましたけど」

「何という事だ……。なんという才能だ……」

「お師匠様! 今は、奴らは静かにしています。でもまたすぐに暴れ始めます。お願いです、次の術を教えてください! 文目には僕が教えますから!」


 師匠は大きく息を吐いた。そうして式神に秀麿を抱きかかえるように指示をしてから、呪文を唱えると、次の瞬間には師匠の家の中だった。


「時間がもったいない。すぐに始める。いいな?」

「はい!!」


 秀麿が家を出たのはまだ昼間だった。しかし新しい術を覚え、式神に抱きかかえられ師匠の家から一瞬で焔乃山家に戻った時には、もう夜だった。それでもこんなに早く覚えた者はいない、と師匠が驚く速さだった。


 こんな時間になってしまったのは、修行の前にみそぎを行っているからだ。身も心も清めてからではないと、術は教えられない。師匠はそう言って、秀麿をざっとだが洗わせ、食事も取らせてから術を教えた。その時間が入っているので、実際に教わっている時間は、もっと短かった。秀麿はそれより早く教えてほしいと何度も頼んだが、師匠は譲らなかった。泣く泣く指示通りにして、師匠に教えてもらった。


 そうして秀麿は式神から解放されると、一目散に文目の元へ走った。その手に師匠が式神に作らせた握り飯と、干し肉の弁当、そして薬草などの入った薬箱、薬草茶の入った竹筒を持って。


 師が時間を使ってでもみそぎをさせているのは、秀麿も妖の血を被っているからだ。妖気を帯びていては、人の使う術が発動しにくい。特に初めて習う術など発動しなくなってしまう。腹が減っていては力が入らない。集中力も途切れる。

 身支度を済ませ、腹も膨れていれば、あとは時間に追われれば、集中力は飛躍的にあがる。多少遠回りに思えても、これが一番早く術を取得できる方法なのだ。



 秀麿が庭から廊下に上がると同時にひたすら走り回れば、ポン、と文目の居る部屋に出る。そうして乱暴に襖を開けて、文目の元に駆け寄る。



 文目は檻に背中を付けて俯いていた。術は発動しているようだが、微動だにしない。秀麿は動かない文目に死んでしまったのか、と戦慄した。だが恐る恐る体に触れれば、文目は顔を上げて秀麿を見て、そしてそのまま、気絶した。


 秀麿は慌ててその体を抱き留める。檻から離れてしまったら術がかけられない。自分たちの術では、まだ触れていないと守れないのだ。

 何とかその体を檻に引き寄せ、檻に沿って横たえさせる。もたれかかるよりそのほうが寝やすいだろうと思ったのだ。


 文目の顔をこちらに向ければ、泣きながら眠っていた。顔も服も、妖の血まみれだ。そうだ、着替えももらってこなくては。水桶に手ぬぐいも。秀麿は覚えたての術を掛けながら、印を結ぶ合間に文目の顔をなでていた。



 四日目


 文目は小さく聞こえてくる声に、目を覚ました。目の前に柵があり、その向こうに秀麿の服が見える。ぼうっとした頭で目線を上げれば、腹部が見え、顔が見えた。

 文目が動いたのに気が付いた秀麿が、呪文を唱えながらにこりと笑いかける。


 良かった、帰ってきてくれた。文目は安堵のあまり、声を出さずに涙だけぽろぽろと流した。秀麿はそのまま正面を見て、印を結びながら呪文を続ける。文目の後ろからは阿鼻叫喚が聞こえてくる。また妖たちが暴れているのだ。文目がそれを見ないように、秀麿は檻の間にこじ入れた足でその体を固定する。文目は目の前の檻にしがみついた。


 そういえば、頭の下の枕は何だろう、そう思って顔を動かせば、それは秀麿の足だった。膝枕ならぬ太ももを枕に貸してくれていたのだ。そんな無理やりな体制で、秀麿は術を使っていたのだ。また、文目の目から涙が流れる。きっと秀麿は自分より寝ていないだろう。なのに、自分を守ろうとしてくれている。


 文目は静かに泣きながら、その呪文に聞き入った。子供特有の高い声。でも秀麿の声は聴いていると安心する。涙でゆがむ視界で、その印を見ながら、文目はいつしかまた、眠りに落ちていた。

 次に文目が目覚めると、後ろは多少静かになっていた。秀麿の小さな声だけが、聞こえてくる。文目が体を起こすと、秀麿は呪文を止めた。効果は多少弱まるがしばらく続く。


「おはよう、文目。朝だよ」

「おはよう……。ずっと、守ってくれてたの?」

「うん。約束だろ? これ、お師匠様から。ごはんと干し肉だよ。竹筒には薬草茶が入っているから。食べて?」

「秀麿くんは? ご飯食べたの?」

「僕は師匠の家で食べてきたよ。大丈夫」

「うん。いただきます」


 文目は柵の間から渡された握り飯にかぶりつく。昨日も一回しかご飯を食べなかった。だがさすがに食欲がない。食欲はないが、食べなければ術が使えない。口に押し込むように握り飯を食べ、干し肉をかじる。苦い薬草茶も飲み干して一息つくと、文目は今度はモジモジし始めた。


「どうしたの、文目?」

「……おしっこ……」


 泣きそうな顔で言う文目。そういえばここには厠がない。もしあったとしても見える範囲にはない。探そうにも奥は危険すぎる。


「昨日まで、どこでしていたの?」

「あっちの方の壁で……。お部屋の中なのに、ごめん……」

「いいよ、気にしないで。こんなところに閉じ込めた当主さまが悪いんだから、しておいでよ。戻ってきたら、昨日教わった術を教えてあげるから」


 文目はその言葉に、わかった、と言って急いで離れて行った。よほど我慢していたらしい。

 この部屋は異様に広い。二人がいる中央部分から部屋の壁までも相当広い。こんなに広い部屋は、この屋敷のどこにもないし、ここの広さが異常であることは子供心にもわかる。その話を師匠にしたら、きっと空間がゆがめられているのだろうと言われた。幼い秀麿には意味がよくわからなかったけれど、その後で普通の部屋ではない、という事だよ、と教えてもらった。

 秀麿が残った干し肉をかじっていると、文目が呪文を唱えながら戻ってきた。その手に何か、丸いものを持っている。


「文目、それ、なあに?」

「あっちで拾ったの。怪我してる妖」

「そんなの、放したほうがいい!!」

「だってこのコ、怪我してる。放っておけないよ!」

「危ないかもしれないよ!」

「……大丈夫だよ」


 秀麿は、小さくても妖が文目のそばにいるのを嫌だと思ったが、文目はギュッと抱きしめて離さない。確かに両掌に乗る大きさの妖だ。そんなに危険ではないかもしれない。秀麿はわかったよと言って、戻ってきた文目にさっそく新しい術を教えた。


 文目はすでに呪文を覚えていた。印だけ3回結んで見せれば、文目はすぐに覚えた。二人で何度か印を結びあい、呪文を確認して、文目は新しい術を試した。一度目はうまく発動しなかったが、二回目で成功した。足元にいる妖にも影響はないようだ。

 今度の守護術は、少しだけ範囲が広がっていた。体から十センチ位の範囲は結界のようになって守られるらしい。今まで見えないようにするだけだったから、少しでも範囲が広がるのはありがたかった。文目の術が発動するのを確認して、秀麿は着替えを取ってくるから、とまた部屋を出て行った。

 文目は懐の妖を抱きしめるように、檻に背中を預け、新しい呪文を使った。


 今日も今日とて、朝の早い時間に台所にいきなり現れた当家の坊ちゃまに、使用人は腰を抜かしつつ、着替えと、桶にお湯と、手ぬぐいが欲しいという秀麿に、バタバタと用意をしてくれた。着替えは秀麿の物だったがそれでいいと受け取った。手ぬぐいも数本もらって、桶にたっぷりのお湯をこぼさないように気を付けながら、秀麿は戻っていった。使用人の目には、出てきた時と同じように、いきなり秀麿の姿が消えて見えるのだった。


 そうして慎重に部屋に戻れば、まだ妖たちは静かだった。文目も様子を見て術を使っているようで、秀麿が戻ってきた時には呪文を唱えてはいなかった。襖が開いた音とそこから漏れる光に振り向いた文目が、とても安心したような笑顔を見せてくれたことが、秀麿は嬉しかった。


 桶は檻の中に入れられなかったので、秀麿が手ぬぐいを浸してゆるく絞って、文目に渡す。文目が自分で顔や手をそれで拭って秀麿に返せば、すぐに次の手ぬぐいを渡された。こびりついた妖の血はなかなか落ちなかったが、何度もそれを繰り返すうちにきれいになっていった。そうして着替えを渡して、血まみれの服を秀麿が受け取り、ようやく文目はきれいになった。

 文目が保護した小さくて丸い、まるで大きいウニのようなトゲトゲした茶色い妖怪は、文目の足元でピョンピョン跳ねていた。ソレも文目の懐で休めたことで、多少復活したようだった。この間、秀麿が術を使って文目を守っていた。


 着替え終わった文目は、ウニを抱きとめ、秀麿に言った。


「秀麿くん、全然寝てないでしょ? ぼく、頑張るから、秀麿くん寝てていいよ」

「でも……!」

「今度の術は今までのより強いから、きっと平気。でも危なくなったら呼ぶから起きてね? それまで、寝てていいよ」

「でも!」

「秀麿くんが起きたら、ぼく、また寝るから。ね、交代で寝ようよ」

「……わかった」


 実際のところ、秀麿ももう限界だった。食事だけは文目よりも取っていたけれど、昨日から寝ていないのだ。もう頭も朦朧としていた。そして秀麿は檻にもたれて座り込み、その瞬間に寝入ってしまった。文目はそれを見て、秀麿の前に背を向けて座り込み、部屋の奥を見つめた。


 大丈夫、秀麿くんがいてくれる。

 ぼくはまだまだ、頑張れる。お腹もたまったし、術も教えてもらった。大丈夫。

 そうして、文目はウニを抱きしめながら、術を使い始めた。


 秀麿の目が覚めると、近くから文目の呪文の声が聞こえていた。慌ててガバリと起き上がると、しかし檻の中はそこまでは荒れていなかった。秀麿の動いた気配に、文目が呪文を止める。


「文目、大丈夫?」

「うん、アイツら落ち着いていたけど、術の練習をしていたんだ。うるさかった?」

「ううん、目が覚めただけ」


 そうして、ぐうう、とお腹が鳴った。同時に文目の腹も鳴る。二人で顔を見合わせて、笑いあう。


「大丈夫なら、ごはん、もらってくるけど……」

「うん、食べたい」

「分かった、行ってくる。ほかに欲しいものある?」

「お漬け物が美味しかったから、もっと欲しい。あと、あの不格好なおにぎりも」

「え、でもあれ、僕が握ったんだよ?」

「そうなの? あれの方がおいしかったよ?」

「そう! じゃあまた握ってくる!」

「うん」


 秀麿は立ち上がって、汚れ物をもって、部屋を駆けだしていった。


 迷路を抜けてお勝手に飛び出て、驚いた。もう周りが薄暗くなっていたのだ! またもや突然現れた坊ちゃまに周りが慌てふためく中、自分はどれだけ寝てしまったのだろう、と秀麿は慌てた。

 使用人に汚れ物を渡して、ごはんをください、と使用人にお願いして、ギリギリ残っていた夕飯用のご飯を握ってもらい、自分も一緒に握った。坊ちゃまがそんなことをしなくてもと使用人は慌てたが、文目が、僕が握ったのを食べたいって言うんだ、と嬉しそうに言う秀麿に、使用人も黙って握らせた。

 ほかの使用人が竹筒にお茶を入れ、秀麿には湯飲みに茶を入れて出した。それを三杯ほど飲み干している間に、夕飯の残りの芋の煮っころがしと、たくさんの漬物も器に入れてもらって、秀麿はお盆を持ち上げた。使用人に礼を言ってすぐさま駆けだしたと思うと、その姿が消える。使用人たちはあっけにとられながら、消えた場所を見つめていたのだった。


 秀麿が文目の所に戻ると、文目はにっこり笑ってこれこれ、と手を差し出した。その手には、茶色い鳥のような妖が二匹乗っていた。前に保護したウニのような妖は足元で跳ねている。


「どうしたのそれ」

「このコも、逃げてきたから懐に隠したの」

「……危なくないの?」

「大丈夫だよ!」


 ニッコリ笑う文目。秀麿は複雑だったが、文目がそう言うなら、とその妖に自分も挨拶をした。オドオドとしていた鳥二匹も、それで少し安心したようだった。


 そして持ってきた握り飯を文目に渡す。文目はしゃがみ込んでむさぼるように食べ始めた。それを見て秀麿も一緒に食べ始める。自分の握った握り飯は、しょっぱいところと味のないところがあったが、文目はそれが美味しいという。芋の煮っころがしは、秀麿がひとつずづ箸で文目に食べさせた。漬け物もおいしい美味しいと文目は喜んだ。

 余った煮っころがしと漬物を、鳥二匹とウニに分けてやった。三匹は首を(ウニには首がないが)傾げながらそれをつついたり転がしたりしていた。それを見て文目が楽しそうにほほ笑む。四日目にして、少しだけこの状況に慣れてきたのだろう。


 今日はもう遅い。さすがに師匠の家に行くのは失礼だろう。明日また新しい呪文を教わりに行こう。そう思いながら秀麿は、文目を見守った。この日なぜだか妖たちはおとなしく、二人は交代で休むことが出来た。


 五日目の朝、秀麿は朝食を文目に食べさせると、すぐに師匠の家に向かった。焔乃山の家の前にはすでに師匠の式神が待機していて、秀麿の姿を見るとすぐに師匠に連絡をして、次の瞬間には師匠の家に運ばれていた。


 秀麿が、昨日は妖たちがおとなしかったから、二人で交代で寝たこと、ちゃんと食事もしたこと、ただ自分が寝すぎて気が付いたら夕方だったから修行にこられなかったことを詫びると、気にするなと言ってくれた。そうして秀麿を風呂に入れると、すぐに次の呪文を教えてくれた。


 最後に遅い夕ご飯をごちそうになってから、文目の分のお弁当を貰って、すこしだけ休んだ。しばらくして師匠に起こされた秀麿はすぐに屋敷に戻った。すでに辺りは真っ暗で、薄暗い灯りに照らされた入り口で父親に会ったが、秀麿は睨みつけて脇をすり抜けた。迷路を抜けて部屋に戻れば、文目が静かに呪文を唱えていた。その周辺はべったりと血にまみれていたが、術のおかげで文目と三匹の妖はきれいなままだった。


 いつもならすぐ振り向くのに、まったくこちらを見ない文目に名前を呼んでみれば、くるりと無表情の文目が振り向いた。秀麿が一瞬その顔にぎょっとしていると、すぐに文目はにこりと笑った。

 だが何か怖いその笑顔に秀麿はおもわず固まったが、それでも師匠からの差し入れを渡せば、文目はありがとうと受け取りいつも通りの顔に戻った。

 ホッとした秀麿が文目の食事中に、習いたての術で文目と妖を守る。また少し範囲が広がった。今度の技は多少の攻撃も跳ね返せるらしい。


 文目の元にいる妖たちは、文目の食べているものを欲しがり、文目もまたそれを分けていた。食べ終わるとすぐに文目は新しい術を教えてほしいと言い、秀麿もすぐに教え、飲み込みの早い文目は新しい術もあっという間に覚えた。


 二人で術を使えば、術者を中心に三十センチほどの範囲なら守られる。足元で飛び跳ねるウニも、鳥二匹もそのまま呪文に守られているようだ。そうして秀麿が術を使っている少しの間、文目は寝た。

 小さな妖たちは、秀麿と一緒になって、文目を見守った。途中、阿鼻叫喚時間が襲ったが、文目と二人で術を使えば、その声も音も多少遮られたし、今までなら文目に絡んできただろう妖にも姿が見えていないらしい。それは二人にとっても少しだけ心が楽になるものだった。周りが静かになると、また交代で休んだ。


 朝になれば、秀麿が食事を運び、術を習いに出かけ、遅い夕食をもって戻ってくる。それが毎日続いた。おかげで二人の術レベルはほぼ毎日上がり、守護の術は中級程度まで進み、範囲一メートルまでなら守れるようになった。

 その頃には文目の元には、さらにフワフワな二匹を加えた、五匹の妖が従うようになっていた。


 師匠はそろそろ攻撃も覚えたほうがいい、と攻撃術も教え始めた。火、水、風を使った術をそれぞれ一つずつ教えてくれた。土もあるらしいが、部屋の中では使えないだろうと、それは後回しにした。それでも3種類を一回で教えるなど、普通はありえない事だった。なにせ時間がなかったのだ。


 半月が過ぎた頃、朝食と着替えを取りに来た秀麿を、当主が呼び止めた。強く睨む秀麿に少し驚いたようだが、杜若のはどうしている? という言葉に、元気です! と噛みつくように吐き捨て、当主に背を向けた。そうして毎日の事に慣れた使用人が、事前に用意してくれていたそれらを掴んで、部屋に戻る。あんな奴、顔も見たくない!


 二十日目には、文目の元には、3つのしっぽを持つ大きな白いキツネと、大きな鳥、大きなトラのような妖が仲間になっていた。もちろんウニも鳥もフワフワもいる。


 文目と秀麿は、片方が守護術を使い、片方が攻撃術を使って、敵意をもって近寄ってきた妖を倒し、傷つき助けを求めてきた妖を守護術で守っていた。もちろん中には助けを求めるふりをして文目を襲おうとした妖もいたが、それらは文目が助けてきた妖に撃退された。

 持ちつ持たれつ。文目と仲間の妖たちは、襲い来る妖から身を守り、仲間を守った。

 

 秀麿は毎日師匠の下で術を教わり、戻って文目に教えた。五歳の子にはありえない、上級レベルの術を、二人は習得し続けた。師匠は体への負担を考えたら本来は教えられないのだがと言いながらも、二人を生き延びさせるため術を授けた。


 二十一日目には、殆どの妖は淘汰され、強いモノだけが残っていた。例外は文目が守る小さな五匹だけだ。仲間となっている大きな三匹の上級妖は、文目という小さな存在に興味を惹かれ、必死に妖も守るその姿に、一緒に生き延びるためと仲間になってくれたのだ。文目は秀麿に頼んで彼らの分の握り飯も作ってもらい、みんなで分け合って食べた。この大きな三匹のおかげで、文目も秀麿も安心して休める時間が増えていた。


 攻撃の時も、二人の上級守護術で三メートルほどの結界で守られるようになり、その中で三匹が攻撃をし、五匹の小さな妖が文目のサポートをした。大きな妖が襲ってきても、そのチームワークで切り抜けたのだ。さすがに強い敵ばかりなので、倒すまでに時間はかかったが、それでも、一匹ずつ、倒していった。


 残りの強い妖に対抗するため、秀麿は朝から夜まで師匠の家で術を教わり、戻ってきて文目に教える。上級結界術をマスターし、上級攻撃術を使い始めた二人に、残っていた妖たちも手を組み攻撃を始めた。厄介だったが、文目とその仲間の妖を信じ、秀麿は毎日、師匠のもとに通った。


 二十七日目、すべての術を習得した秀麿と文目は、最後の一匹との戦いに挑んでいた。


お読みいただきありがとうございます。

術や時代背景は「ふいんき」で書いておりますが、あまりに違う部分がありましたらご連絡をお願いいたします。出来るだけ対応したいです。

まだ続きます。

面白かったらぽちっとお願いします。

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