【第一話】星海を抜けたらそこは
もし仮に今、地上の明かりに飽きた酔狂な者が上空を眺めたていたらそれを見掛ける事が出来たろう。
眩い地上の明かりにも負ける事のない一筋の光跡を。
空を自分だけの物のように独り占めして彼女は飛ぶ。
跳ねるように、弾むように加速を繰り返しながら目的地に向かって稲妻の軌跡を残しながら。
『一流の魔術師は飛ぶときに雲を残すのさ』と彼女の師匠は言っていた。
特別に力の強い飛行魔術を行使すると、マナによって高圧に圧縮と加熱がされた空気中の水分がマナの行使範囲から外れた瞬間に急激に冷やされ作りだすグラデーションだと知ったのは歳を経てからだった。
彼女は雲を作るのを楽しむように身体を前傾姿勢にすると一段と加速を強め夜空を駆けだす。
光と雲と星空のコントラスト、今だけは確実に言える。
それは彼女だけの所有物だと。
後ろをちらりと眺めるとポツリと一人ごちる。
「明日はあめかな?」
流石にこれはといった言葉は飲み込んだ。
しかし、雨模様も悪くない、濡れるのも汚れるのも生きている証さ。
ひとしきり自分だけの時間を楽しんだ彼女の前に目的地のあばら家が見えてきた。
そこが今回の配達先。トカゲ人の彼が彼女に託した荷物の受取人が住まう家屋である。
その佇まいに不釣り合いな豪奢な錠前付きの扉の前へと、誰に見せるわけでもないのに速度からは想像もつかないような優雅な降着を披露する。
と、降り立つと同時に躊躇することなく、懐から出した札を使用して錠前を解除するとするりと屋内に侵入した。
家人が不在である事を確認すると、許しを得てもいないというのにこれまた懐からランタンを取り出し居間の大机の上に置いてしまう。
その闖入者はというと大机の前に鎮座している揺り椅子に座って天上を眺めることにしたようだ。
ひとしきり揺られているのに楽しんでいる内に意識が深く落ちていく。
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「火を!大きな火を出したい」
『火か、火を起こすのに魔術はいらないさマッチ1本あれば良い』
「じゃあ水、水、水!たっくさんの水」
『水道もない田舎ならまだしも、ここは幸いにも都市だ。水が必要なら蛇口を捻ればいいさ』
「Γὖ ρ η ε ρ を…ロしたい、コロしたい」
『じゃあ銃を買うと良い。あれは実に便利な道具だ』
「魔術は何のためにあるの?」
『さぁ何のためにあるんだろうね。ただ一つ僕は魔術があるおかげで楽しいよ』
「わたしもたのしくなりたい」
『そうか、なら楽しくなろう。させてあげよう。今日から君は僕の弟子だ』
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あばら家の建付けの悪い扉を開くギィっという音と共にヤモリ種の老人が部屋に入ってきた。
老人は自分の家で寛ぐ猫人の少女を見やるがそんな事はどうでも良いかの様に、奥の台所へ向かう。
そのまま今しがた外で調達してきた生物から食物へと変化する途中の物の調理を始めた。
そんな意に介さない老人と彼女の不思議な時間が一通り過ぎた。
最初に口を開いたのは老人の方であった。
もごもごと注意して聞かないと何を言っているか判然としない言葉で一言二言。
暖炉の火をつけておいてくれ、奥にあるもう一脚を机の前に出してきてくれとだけ。
彼女は立ち上がると同時に火を付けると、奥にあった埃まみれの椅子の埃を手で払い丁寧に自分のかいなで机の前まで運んだ。
「魔術が使えるのか」
あらかた調理を終え食材をぶち込み終えた蓋付き鍋を手に老人が横にいた。
「火にかけておいてくれ、調味料を取ってくる」
そう言うともう一度台所に戻ってしまった。
仕方がないので暖炉の調理台に置いてやるしかない。
「川魚だ。食えるか?」
戻ってきた老人が鍋蓋を開け調味料を加えながら投げかけてきた問いにたいして、ああでもいやでもない中途半端な言葉で応えてしまう。
そんな応えでも老人には満足したのだろう、うまいぞと言うと料理が出来上がるまで一緒に待つ腹づもりなのかもう一脚の椅子にどっしりと座り込んだ。
「何の用でここにきたのかね?」
そう言った老人に無言で小包を手渡す。
「そうか、配達士だったか。ありがとうよ」
包みを開くと小包の中に入っていたとは思えない大ぶりの荷物が現れる。
今までの穏やかな所作はどこへいってしまったのか、目を見開き、椅子から乱暴に立ち上がるとその荷物をむんずと開いて全容を確かめる。
小包の中身とは。
アルビノ種のヤモリ人、その全身の皮であった。
「これを!誰が?」
分からないと両手を空に上げるとそれについては納得したのか、納得すると一つ落ち着きを取り戻し椅子に座り直して荷物を抱えた。
「誰か分からんがありがとうよ、ありがとうよ。あんたにも感謝してもしきれない」
誰がどうしてと何度か口ずさむとその荷物を持って奥部屋に荷物を仕舞いに向かう。
目頭が赤くなっている老人が戻ってくるとポツリとポツリと語り出しだ。
「ワシが陶片による投票で放逐されてから三十数年か。そうなったというのも、あの皮の本来の持ち主の話をしよう」
老人は顔を歪ませながらそう言いながら、反対に澄ました顔の彼女へと。
「あの皮は孫の物なのだ。あの美しい生皮は孫の物なのだ。あの生皮を採取するために生きたまま剝がされた可愛い孫の物であった。生きたまま剥がされ無惨姿を晒し殺された孫の物であったのだよ」
唐突に饒舌になる老人を前に、彼女自体は表情を変えずに顔だけを老人に向けた。
「もう二度と返ってくることは無いと諦めていた。取り返すすべもなく老いぼれ死ぬだけだと。あんた、いやあなた様には感謝しても感謝しきれない」
あんたって呼んでくれていいと言うと、そのまま小包を渡した種族の風貌を伝えた。
「蜥蜴人さ。そこそこ大柄で尻尾の根元に焼印があった。その男の人が私に預けたのさ」
都市底で開いた猫撫で声とは似つかない野卑た声音と口調で老人に伝える。
「命からがらといった風体でした。どうにかしてこれをあなたに渡したい、言葉で聴いたわけではないですが、そう言っていました。」
猫撫で声に戻って老人に語りかける。
そうか、そうかと心当たりのある名前を口にするともう一度、蜥蜴人と彼女に感謝の言葉を述べた。
この感謝の気持ちをどうやって返せばよいのかと困惑している老人に。
「じゃあその川魚のお鍋でお礼を頂戴しましょう」
その深い夜更け時、ヤモリ人と猫人の奇妙な会食が催された。
彼女はひとしきり頂くと思い出したかの様に急に帰り支度を始める。
軽やかに老人に近付き一言セールストークを耳打ちすると己が解錠した扉から外に出でて自分の身長よりも大きい箒に跨った。
「もう一つだけ聞いてもよいかな?」
ええどうぞと返す。
「どうやってあの錠前を開けられたのかい?魔術障壁が内側に張り巡してある意匠が施された小人族が作り出した錠前なんだがね。一流の盗賊でも簡単には開けられないはずだが」
それに対して、彼女はふふっと微笑みながら。
「私解錠のスクロールを作るのも得意なんですよ」
納得したのか本人にも分からないが、そうかと片手を上げて老人は彼女の帰路を送り出した。
老人の手が降りるよりも速く彼女はまだ日が昇りきらない黎明の空を駆けだした。
こういった事があるからこの仕事はやめられないそんな事を想いながら、優しい顔を元きた路に振り向けながら。