その吐息は酒臭い
とあるところに吸血鬼がいた。
その男は強かった。曰く、城を一人で落城させた。
その男は足が早かった。曰く、万里を一昼夜で駆け抜けた。
その男は目と耳がよかった。曰く、数キロ先で落ちた針を目と耳で同時に確認した。
半ば伝説と化したその存在はとても困っていた。そう、腹が減ったのだ。吸血鬼とは主食が血なのではない。血しか摂取することが出来ない、血からしか栄養を摂取できないのだ。そして吸うことを怠るとどうなるのか。そんなに難しい話じゃない。化け物になるのだ。そして人間に狩られる、伝説に残るバンパイアハンターってのはそういうはぐれ野郎が狩られた話である。つまり、今まで狩られた吸血鬼ってのはどいつもこいつも碌に力も発揮せずに殺されているわけだ。武術の達人と前後不覚まで酔っぱらった一般人、どちらが弱いか。考えるまでもない。
なんて現実逃避じみた思考をしたところで腹が膨れるわけじゃない。そんなことは自分が一番よくわかっている。
「腹減った・・・」
正直血は好きじゃない。いったいなんだってみんながあれを好き好んで吸っているのか理解が及ばない。酒でも飲んでる方がよっぽどいい。なんたって酒を買っても足はつかない。別に血なんて吸わんでもうまいもんはあるだろう、なんてことをいうとガキっぽいなんて笑われるが味覚が少ない方が種族としてはどうなんだと思わざるを得ない。
「あ!またお酒飲んでる!」
「うわ。また来た」
「お酒飲むぐらいなら血を飲んでくださいって言ってるじゃないですか!」
「だ~か~ら、俺はもう血吸ってどんどん強くなる成長期終わったんだって!俺が何年生きてると思ってんだ」
「嘘だ!このまえ、不良にぼこぼこにされて半べそかいたあげく近くのホームレスにお酒恵んでもらってたじゃないですか!」
「そりゃあ、お前、あれだよ」
「言葉も出てこないぐらい酔っぱらってるんですか!今日のお酒はもう終わり!」
「おいおい、なにすんだよ」
「仕事です!まだ私あなたの力見せた貰ったことありませんよ!ぼこぼこに殴られたところしか見たことないです!」
「え~」
「ほら!」
「わかったわかった」
中心部から車を走らせて、二、三時間。もう人通りが少ないどころか誰もいない駅に辿り着く。規模の割に随分と人がいない、通り魔でも出ているのかもしれない。の割には随分獣臭いが。
「ほら、着きましたよ!」
「はいはい。どうせ、獣化寸前の吸血鬼がいるんだろ」
「分かってるなら早く行ってください!一応お仕事なんですよ!」
「分かったって。ちょっと待っててくれよ、危ないんだから」
「そういう訳にはいきませんよ。一応、私みたいな同行者がいるから吸血鬼が普通に生活することを許されているんですよ!」
「はいはい、ご親切にそりゃどうも」
「本当に分かってるんですか?」
後ろでぐちぐち言いながらついてくる同行者と人気のない街を歩く。同行者というのは要するに吸血鬼の首輪だ。なんでも特殊な訓練をつんだとかバンパイアハンターの末裔だとか聞いたことがあるが実態は知られていない組織だ。誰がどうやって同行者になり、どんな仕事をしているのかすら知られていない。俺には小うるさい小娘にしか見えないが、実は超強いのかもしれない。
「くせぇな」
「そうですか?」
「”人間”にはちょっと遠いかもしれないな」
「・・・はいはい。そんなに根に持たないでくださいよ」
「ふん」
「あ」
「どうかしたのか」
「確かににおいますね」
「だろ?武器構えとけよ」
「言われなくてもやってます」
「気ぃ抜くなって言ってんだ。俺からすれば大して強くもないが、お前らはそうもいかんだろうが」
「了解です」
どんどんと強くなる獣臭の中心に近づいていく。そこにいたのはやはり自我がほとんど崩壊した吸血鬼だ。もはや二足歩行すら危うくなったその知能だが、同族の匂いは判別できたらしい。
「うゥ、おマえ、キウケツきの、におイ、するナ。アと、は、ヒト」
「おう、お前意外と知能が残ってんじゃん。今からでも血を飲めば戻れるかもしれんぞ?」
「ウう、いや、ダ。チ、のみタくない」
「そんな姿になってまで?」
「い、ヤダ」
「そうかい、じゃあ殺すしかないな」
「く、クルナぁアァァァあああぁ」
「来るなってかお前が来てるんだけどな」
乾いた音が辻に響く。同行者が我慢できずに撃ったらしい。どれだけ訓練していようとも新兵は新兵ということだ。正直、あのレベルだと足手まといなのだが。
「お前さぁ」
ハァハァと荒い吐息を整えるだけでやっとの彼女には悪態をつく余裕もないらしい。いつもあれだけ言いたい放題の割には随分立派な姿だ。挙句の果てには仕留め損なうとは。
「ほんとに同行者か?お前」
「・・・」
「まぁいいや」
まだ動こうとする吸血鬼だった彼は苦しそうに呻いている。昔は怖かった、いつの間にか憐れみを感じるようになり、今はもう何も感じなくなった。たとえ吸血鬼であっても寄る年波には勝てない。
頭蓋を完全に砕き、脳も砕き、そのまま全身を丁寧にひき肉にする。いかな不死の王とて再生も治癒にも限界はある。後はこいつを溶鉱炉に落とせば仕事は完遂である。
いやに静かだと思ったら、今度は後ろで吐いて疲れてへたり込んでいた。
こんなんで首輪とやらが機能するのかよ・・・。
久々の仕事から、数日経っていた。あの小うるさいのもあの日のことを思い出すのかあまり寄り付かない。そのうち慣れてひょっこり顔を出すか、また別の新人が来るか。1:9かと思っていたが大穴というのは期待していないときにこそ起きる。
「お久しぶりです」
「おう。逃げたかと思っていたんだが」
「だってここで逃げたら私のこと笑うんでしょう!」
「そんなことはないけど。割とあるし」
「え、そうなんですか?」
「知らなかったのか?お前の前の同行者も初日でいなくなったぞ」
「あなたの代わりに勇敢に戦って亡くなったって聞いたんですけど」
「まさか、お前と同じ。我慢できずに殺して、顔見せなくなって、お前が来た」
「そうなんですか」
あの日のことを思い出したのか少し顔色が悪くなる。思ったより気丈だ。いつぞやの奴はここで吐いて逃げた。
「またお酒飲んでるし」
「昨日は働いたからな」
「まあ、それは、そうかも、しれないですね」
「随分聞き分けがよくなったじゃあねぇか」
「な、う、うるさいです!」
「まぁその調子でおとなしくしててくれや」
「・・・性格悪いですね」
「知らなかったのか?」
黙りこくった彼女の顔色はまだ暗い。黙ると思い出すのだろう、あの夜のことを。眠るときに、入浴中に、食事中に、ふとした沈黙があの夜を映し出す。想像した化け物はありもしない戯言を紡ぎ、窪んだ眼窩に目を見る。手に取るようにわかる。誰もが通る道なのだから。
まだ彼女はしばらく顔を見せなくなった。死んだのか、逃げたのか。なんにせよその程度だったということだ。そんなことを考えていると電話がかかってくる。この番号は、あいつか。まだ生きていたようでなにより、年若いやつが死ぬのはさすがに忍びない。
「あの、急に、すいません」
「おう、久しぶりだな。ずいぶん息が荒いようだが」
「ちょっと、助けてほしくて、きゃっ」
「Bună ziua!Îți amintești de mine? Să nu-mi spui că ai uitat!」
「・・・」
「Ce nu-mi spui?」
「本当に不愉快な声だな、お前。腐った根性の匂いが電話越しでも匂ってくる」
「Îți pot mirosi gândirea naivă!」
「で、何の用だ。わざわざこんな手の込んだ真似して」
「Nu mă minți! Știi despre ce vorbesc! Vino la locul tău obișnuit!Nu-mi pasă ce se întâmplă cu ea!」
「ちっ」
言いたいだけ言って電話は切られた。しばらく顔見せなくなったと思ったら、今度は捕まったようだ。しかも、とびっきりタチの悪いやつに。故郷に置いてきた、いや、捨ててきたはずの縁がまた俺の邪魔をする。塩でも蒔いておくべきだった。しかし、ちゃんと仕留めたはずの奴がここにきてなぜ出てくる。400年も前に高炉に落したはずなんだが。まあ、考えても仕方がない。永く生きていれば不可思議なことの百や二百は遭遇する。
裏路地の奥にあるポツンとたった一つだけ建っている廃ビル。まだ俺が若くて、血まみれの希望を無邪気に信じていた時に住んでいた場所だ。多い時には百人近くが住んでいたが、もう誰もいない。ここを知っているのはもう俺と、死んだはずのあいつだけだ。視線を感じ、上を見るとやはりあいつがいた。上から下まで真っ赤なスーツとネクタイに黒いシャツ。確かにあいつだ、殺したはずの、友だった、あいつだ。
「久しぶりだな」
「Hei! N-am știut că vii!」
「昔馴染みに会いに来たのさ。もうあの子に用はないだろ。解放してやれ」
「Știam că ești drăguț」
「話をしに来たわけじゃないんだろ?お前と交わす言葉はもうないよ」
「Femeia aceea este în camera aceea. Dacă vrei să o vezi, va trebui să mă omori」
「そんだけわかりゃ十分だ。始めようか」
久しぶり戦う同族はやはり強い。なぜここにいるのか。どうやってあの中から出てきたのか。聞きたいことは山ほどあるが、こいつを殺せばすべて解決することでもある。もうその顔はかつての爽やかな面影はなく、まるで獣化寸前のようだ。
素早い動きに、跳躍。低く沈んだ姿勢からのバク転のような蹴り。コサックダンスを元にしたこの戦い方は確かにあいつだ。
「ということはっ!」
沈んだタイミングに合わせて軸足に蹴りを入れる。知っている相手の知っている動きなどカモでしかない。こいつの戦い方は存分に知っている。何度も手合わせをした。何度も隣で闘い、背中を預けた。だからこそ、これは誤算だった。
顔面に拳が飛んでくる。こちらが戦い方を知悉しているということはあいつも知っているということ。だが、これはなかなかに予想外だった。徹底して手での攻撃を行わなかったあいつがアッパーをしてくるとは。あいつがアッパーをしてくることもそうだが、俺をここまで吹っ飛ばせる奴がいたとは思わなかった。同行者に言ったもう成長しないという言葉は嘘ではない。力だけで言えば俺は比喩なく吸血鬼の頂点にいる。それをアッパーでここまで吹っ飛ばすとは。
「やっぱりお前、偽物か。随分と似てはいるが」
「Ce?」
「こっちのはなしだよ」
あいつは絵を描くのが好きだった。手で絵を描くのだから、戦いなんかで手を汚したくないし、怪我もしたくないと言っていた。いつか個展を開きたいと言っていた。だから吸血鬼というだけで同族以外とは碌に関わることが出来ない現状を憂えていた。
一度手を使ってから、吹っ切れたのか戦闘スタイルがボクシングのようなものに変わる。右、左、一瞬のタメのあとアッパー。
「不愉快だな」
たとえこいつが偽物でも、何かの拍子に生き返ったとしても、この姿が手で戦っているということが不愉快でしかない。それはあいつの夢を血で汚すことであり、あいつとの時間に泥を塗ることだ。
「もうその姿で戦うんじゃあねぇよ」
頭にハイキックを振り抜く。容易くその頭は飛んでいった。やはり身体が脆くなっている。強引に復活させたのだろう、張り子に負けるほどやわな鍛え方はしていない。頭が中心部だったのかそのまま崩れていく。塵は塵に、死は死に。
「もう帰ってくるなよ。そのうち俺も行くんだ。おとなしく向こうで待ってろ」
「あ、あの」
「おう、無事だったか」
「あ、はい」
「おう、じゃあとっとと帰るか。腹も減ったしな」
「あの!」
「なんだ」
「あ、ありがとうございます!助ける理由なんてないはずなのに」
「ま、知り合いに死なれると寝覚めが悪いしな」
「あと、その」
「まだなんかあるのか?」
「今までのこと、ごめんなさい。その、弱いとか。いろいろ、その」
「別に構わんよ。そういう風にふるまってるのは俺だしな」
「でも・・・」
「ほら、帰るぞ。腹が減った。悪いと思ってるならなんか奢れ」
「はい!」
久しぶりに誰かと食べる飯はうまかった。
「あ、そうだ」
「なんだよ」
「やっぱりいつもお酒臭いのはどうにかした方が良いと思います」
「うるせぇよ」
とは言ったものの自分で息を嗅ぐと、確かに酒臭い、ような気がする。
禁酒でもしてみようか