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Fairy Code

作者: 古河 聖

 妖精という種族の存在が世界で正式に認められたのは、今から約5年前の話だ。それまでは全人類の1%未満と言われるごく一部の「見える人間」だけがその存在を認識していたが、赤外線技術等の向上によりその存在が科学的に証明されたのである。とはいっても、依然として多くの人間にとっては「目に見えないもの」である事実は変わっておらず、存在が証明されたからと言って人々の生活が劇的に変わるということはなかった。変わったことといえば、「見える人間」側を取り巻く状況だろう。妖精の存在が明るみに出てから人々が最も懸念したのは悪事や犯罪等への妖精の悪用だ。ほとんどの人には見えないのをいい事に窃盗や盗撮などに使われるんじゃないかと危惧する人は多く、政府や警察もその対応を迫られた。彼らは赤外線センサーの増設や「見える人間」を雇うことによって対策を取ったが、それが「見える人間」の立場を少し悪くした。曰く「妖精を使った犯罪を犯すなら「見える人間」なのにそいつらを雇うのか」だの、「先天的な能力を持った人間しか就けない職があるのは不公平だ」だの。自分達には見えない妖精という存在が見えるということへの潜在的な不満も重なったのだろう、妖精が「見える」というのは差別や攻撃対象となるケースが徐々に増え始めた。まだ社会的問題になるほど酷くはなっていないが、それも時間の問題ではないかと考えられている。

 そしてもう1つの変化として、妖精に関して書き加えられた法がある。『人間と妖精間における恋愛及び婚姻を禁ずる』というものだ。理由は単純で、生産性がないからだ。別に医学的に証明されたわけではないが、世界的に実例も存在せず、体長が最大でも50センチほどだったり羽根が生えていたりと身体的特徴からして大きく異なる妖精と人間との間で子供が作れるわけがないというのが大半の学者の見解である。とはいえ恋愛や結婚については個々人の自由であるべきであり、絶対に子供ができないという根拠もない状態でそれを理由に法まで整備する必要があるのかは疑問の余地が残るところで、事実これを法律としては定めていない国も多数存在はする。しかし既に人口減少の始まっている日本においては、少しでも人口減少の可能性を抑えるべく、妖精の存在証明から間もない頃に法律として制定されている。

 これは、そんな日本で暮らすとある人間の少年と妖精の少女の物語。



「ちょっとレータ! いい加減起きなさいよ!」

「ううん……あと8時間……」

「どんだけ寝るのよ! 1日の3分の2も寝るんじゃないわよ! コアラか!」

「……コアラは1日20~22時間くらい寝るから、3分の2じゃなくて8分の7くらいだよ」

「細かいわね! というかそれが言い返せるなら起きてるでしょ! 起きなさいよこら!」

 妖精の少女、リルが鈴嶺玲太の眠る布団の上で何度も飛び跳ねる。体重が軽いので別に痛くはないが、気にはなるので玲太は仕方なく身体を起こす。

「ふわぁ……おはよう、リル」

「おはよう、じゃないわよ。さっさとアタシの朝食を準備しなさいよ」

「起こされたのはそれが理由か……」

 現在高校2年生の玲太は、地元を少し離れて1人暮らしをしている。いや、実際にはリルが住み着いているので1人と1匹暮らしではあるが、要するに食事は自分たちで用意しないといけないわけである。しかし体長30センチほどであるリルに人間用の調理器具や食材を扱うことは難しいため、リルの分も含めて食事を用意するのは玲太の仕事なのだ。

「別にそうじゃなくても起きなきゃいけない時間でしょうが。遅刻するわよ」

「む、もう7時半か」

 スマホで時間を確認した玲太は、思ったよりも時間に余裕がなかったので眠い身体に鞭を打って動き出す。手早く制服に着替えてキッチンへ向かい、自分とリルの分の朝食を用意してリビングに戻ってくる。それをリルはリビングのテーブルの上で「はやく飯をよこせ」という表情を浮かべながら正座待機していた。よほど腹が減っているらしい。

「やっとできたわね。ご飯くらい40秒で作りなさいよ」

「そんな短時間でできるわけないでしょ……。ほら、卵とトマトの炒め物」

「わーい、たっまご~!」

 小皿に盛り付けられた朝食に、リルがアイス用のスプーン片手に小躍りしながらかぶりつく。まるで別人のような変わりっぷりからもわかるように、リルの好物は卵である。玲太と出会うまでは殻が割れないため食べたことがなかったが、玲太と過ごすようになって初めて食べて以来すっかりハマっている。

「ん~、やっぱり人間の料理は美味しいわね。なんで今まで食べてこなかったのかしら」

 妖精の主食は個体の生活圏や好み、生き方により様々だが、リルの場合は畑の作物などをこっそりつまみ食いしながら生きてきたため、玲太と出会うまで生野菜や果物しか食べたことがなかった。玲太に分けてもらった料理の美味しさに感動し、以来人間と同じ料理を好んで食べるようになったのである。

「畑の農作物とかはこっそり食べてたのに、人の料理は食べたりしなかったんだね」

「人の迷惑になるようなことはしないのよ、妖精は。こっそり食べるのだって売り物にならない規格外の作物とかだけよ」

「なのに僕のことは叩き起こすんだね」

「レータはいいのよ、レータは」

「ひどい」

 言い合いながらも、2人は着々と朝食を片付けていく。なんだかんだで10年くらいの付き合いである2人なので、この程度のじゃれ合いは日常茶飯事である。

「ふぅ、ごちそうさま。それじゃあ学校に行くわよレータ!」

「なんかもう当然のように付いてくるよね、リル」

「しょうがないじゃない、レータがいないと暇なのよ。この辺アタシ以外の妖精もいないし、レータみたいに妖精が見える人もいないんだもの」

 言いながら、リルは定位置である玲太の右肩に腰掛ける。リルが言ったように、現在玲太の暮らしている地域周辺では妖精の数自体がそもそも少なく、「見える人間」もほぼいない。日本にいる妖精の総数は約1万、「見える人間」は日本人口の約0.3%と言われているが、当然地域により多少の偏りもあるためこういう場所も出てくる。そのため、遊ぶにしろ話すにしろリルの相手ができるのはほぼ玲太だけであり、リルが玲太に常について回るのは割と当然の帰結である。妖精と言うとイタズラ好きのイメージがあり、見えないのをいい事に人にちょっかいを出すイメージがあるかもしれないが、リルはそういうことは一切しない。玲太以外には。

「……リル、なんで羽根があるのに毎回僕の肩に乗るの?」

「楽チンだから」

「なんの捻りもない怠惰な回答……」

 苦笑いを浮かべつつ、支度を済ませた玲太は家を出て通学路を歩き始める。時間的にはまあまあギリギリなため、周りには玲太のように通学中の生徒の姿は少ない。そのため玲太たちもあまり周囲の目を気にせず会話をすることができる。

「ねえレータ、今日の夕飯はすき焼きがいいと思うの」

「さっき朝飯食べたばかりなのになんでもう夕飯の話ししてるの」

「そのくらいしか楽しみがないからよ」

「淋しい人生だなぁ」

「人生じゃなくて妖生よ」

「……その表現合ってるの?」

 精の字が消えたことによって妖怪感が強くなっている気がする。

「いいじゃない細かいことは。それよりすき焼きよすき焼き」

「1人暮らしの男子高校生にそんなものを食べる余裕はありません」

「別にいいお肉じゃなくていいのよ。溶き卵さえあれば」

「目的そっち!?」

 リルの卵への執着は時々おかしい。

 そんな話をしている間にあっという間に徒歩5分の道を歩き終えて学校に到着する。この辺まで来ると他の生徒の姿もちらほらと見え始めたので、玲太もリルとの会話を控えめにする。この様子からもわかるように、玲太は自分が「見える人間」であることを公言してはいない。「見える人間」に対する世間の目は悪感情の方が優勢で、公言するメリットも無いので当然の選択だ。玲太が「見える人間」だと知っているのは両親くらいのものだろう。

「相変わらずギリギリ登校で羨ましいなあ、鈴嶺は」

「……なら宗谷も近くに住めばいいだろ」

 玲太が教室に入って席に着くなり話しかけてきたのは、玲太の友人の宗谷。お世辞にも友人が多いとは言えない玲太の貴重な友人の1人である。

「チャリで30分走れば学校なのに、うちのかーちゃんが1人暮らしなんて認めてくれるわけないだろ」

「知らないわよそんなの。かーちゃんくらい気合でねじ伏せなさいよ」

 妖精が見えない人間にはどういう原理か声も届かないため、リルは割と好き勝手言っている。その度に玲太はうっかり反応してしまわないよう気を付けなければいけないので大変だ。当然玲太は何度も注意しているが、そんなのが効くリルではない。

「土下座でもしてみたらどうだ?」

「そんなことしても頭を踏み抜かれて終わりだよ」

「アンタのかーちゃんどうなってるのよ」

 全く同じことを玲太も思ったが、リルに先に言われたので苦笑いで押し通すことにした。


 授業中、話せないのが分かっているので玲太の髪を弄って遊んだりしていたリルの悪戯にどうにか耐え切り、玲太は無事に昼食の時間を迎える。朝の様子を見て分かるように弁当など用意しているわけもないので、購買まで買いに行くのが常だ。この学校では漫画でよく見る激しい競争や昼食の奪い合いが発生したりすることも無いので、玲太はリルを肩に乗せたままゆっくりと購買へ向かう。

「ねえレータ、今日はタマゴサンドにしましょ!」

「一昨日も昨日もそうだったでしょ。そんなに続いたら飽きるよ」

「アタシは全然飽きないわよ」

「僕が飽きるの!」

 周りに人影もほとんどないので、彼らもある程度普通に会話することができる。そういう意味でも、リルは昼食の時間が好きだった。

 なんとかしてタマゴサンドを買わせようとするリルをどうにかして抑え込み、焼きそばパンを手に入れた玲太は、校内でも人気のほとんどない裏庭の一角までやって来ると、そこに備え付けられたベンチに腰を下ろす。そこが玲太の昼休みの定位置だった。宗谷を始めとした友人たちと一緒に昼食を取ることは滅多になく、基本的には裏庭でリルと共に過ごしている。これはリルの存在や自分自身の秘密が周囲にバレないようにするための措置であると同時に、授業中会話ができずに退屈しているリルのストレス発散やご機嫌取りといった意味も含んでいる。単純に玲太がこの時間を楽しいと思っているのもあるが。

「まったく、なんでタマゴサンドは買ってくれないのよ」

「買ったところでリルだけじゃ食べ切れないでしょ」

「1週間くらいかければなんとかなるわよ」

「絶対悪くなるからやめて」

 サンドイッチの賞味期限はせいぜい1日程度なので、1週間も経てば余裕で腹を壊す代物になっているかもしれない。

「……まあ、卵は今朝も食べたからいいわ。レータだってたまには卵以外も食べたいでしょうし。でも焼きそばパンだけは許さないわ!」

「別にいいじゃん、焼きそばパンだって美味しいよ?」

「そういう問題じゃないのよ! 焼きそばは長くて食べづらいの! 人にとっては大した長さじゃなくても、妖精にとったら自分の身長並みに長いのよ!?」

「途中で噛み切ればいいでしょ」

「……!」

「……え、何その反応。まさか気付いてなかったの?」

「そ、そそそそんなことないし! めっちゃ気付いてたし!」

 リルはちょっとおつむが足りないところがある。

「まあ、そういうことにしておこうか。それよりほら、リルの分。早くしないと昼寝する前に昼休みが終わっちゃうから」

「なに当然のように昼寝をスケジュールに組み込んでるのよ。授業中も結構寝てたでしょ」

「!?」

「いや、なにマガジンマークみたいな顔してるのよ。ずっと近くにいるんだからわかるに決まってるでしょ」

「どんな顔だよそれは……。あと、マガジンマークなんて言葉いつ覚えたのさ」

「昔レータが言ってたんでしょ。あ、いただきまーす」

 律儀に挨拶をしてから、リルが貰った焼きそばパンにかぶりつく。焼きそばを噛み切ることを教えてもらったため、とても嬉しそうに食べている。そんな様子を微笑ましく眺めながら、玲太も焼きそばパンをかじる。なんとも平和な、いつも通りの昼休みだった。この時までは。

「あれ、鈴嶺じゃん。なんでこんなところに……って、焼きそばパンが浮いてる!?」

「そ、宗谷!? なんでこんなところに!?」

「腹が痛くなったんだけど教室の近くのトイレが全部埋まってて、わざわざ遠くまで来たんだが……いやそれよりも浮いた焼きそばだろ! どういう原理だ!?」

 目を丸くして驚く宗谷に、玲太はどう答えるべきか頭を必死に回転させる。素直にリルの話をするべきなのか、それともどうにかして誤魔化すのか。だが誤魔化すにしてもどう説明する。宙に浮いている焼きそばパンの欠片をバッチリ見られた状態からどう言い訳ができる。

「……なんだそれ? 僕には全然見えないけど」

 とりあえず惚けてみた。

「いやお前の右肩だよ右肩! なんでこんなところに……むに?」

「ちょっ、いきなり頭掴まないでよ!」

 宙に浮かぶ焼きそばパンを掴もうとした宗谷の手が、リルの頭を掴む。その瞬間、玲太は終わりを悟った。これはもうどうやっても誤魔化しきれないだろう。

「見えないけど何かいる……? あ、妖精か!?」

 姿は見えないし声も聞こえないが、触れることはできる。そんな妖精の特徴をきちんと覚えていた宗谷がすぐに正解に辿り着いたため、最後の希望も断たれた。これで完全に諦めがついた玲太は、大きく息を吐いてから意を決して口を開く。

「……そうだよ。浮いてる焼きそばパンの正体は妖精だ」

「ってことは、鈴嶺は」

「ああ、「見えてる」よ」

 玲太は家族以外に対して、初めてその事実をはっきりと告げた。

「マジかよ、スゲー! 初めて聞いたぞそんなの!」

「そりゃ、初めて言ったからな」

「なんで今まで言ってくれなかったんだよ! そうと知ってたら聞きたいこといっぱいあんのに!」

「言ったところでろくな目に遭わないのは目に見えてるからな。宗谷だってテレビとかネット見てればそのくらいわかるだろ?」

「確かに「見える人間」に対するいじめだの嫌がらせだのってニュースはよく見るが……お前、俺がそんなくだらない事すると思ってんのか?」

「宗谷はそんなことしないと思ってるよ。けど、周りの人間まで同じように思ってるとは限らない。どこで話を聞かれるかもわからないし、可能性を極力排除するには黙ってるしかなかったんだ」

 これは紛れもない事実である。玲太と宗谷は高校からの付き合いだが、宗谷がそういうことをするタイプの人間ではないのは十分わかっている。決して宗谷のことを信用していないわけではない。ただ、今の穏やかな生活を守るために不必要なリスクは冒したくはなかったのだ。その相手が誰であろうと一度話してしまえば、そこから情報が漏れる可能性は0ではなくなる。どれだけ口の堅い人間であっても、人間に絶対はない。だから玲太は、誰が相手でも妖精関連の話はしてこなかったのだ。このイレギュラーが起こるまでは。

「鈴嶺……お前、俺たちを舐め過ぎじゃないのか?」

「……宗谷?」

「お前が妖精見えるとか見えないとか、その程度で態度変える奴なんかお前のまわりにはいねえよ。仮にいたとしたら俺がぶん殴ってやる」

 そう言い切る宗谷の目は本気だった。多分本当にそういう奴がいたら本当に躊躇いなく鉄拳を下すのだろう。その本気はしっかり汲み取ったものの、やはり玲太はこう答えるしかなかった。

「……宗谷。気持ちは嬉しいけど、この件はお前の胸の中にしまっといてくれないか。僕は別に「見える人間」であることを周りに認めてほしいとか隠したくないとか思ってるわけじゃないんだ。ただ、これまでと同じようにコイツと……リルと、今まで通りの平穏な日々が過ごせればそれで充分なんだ。だから今日のことは、誰にも言わないでくれ。僕たちをこのままそっとしといてくれ」

 別に玲太は「見える人間」であることを隠す日々に不満やストレスがあるわけじゃない。現状で既に充分満足しているし、これ以上何かを望もうとも思っていない。今が守られるならそれでいい。だから玲太は、宗谷が自分を本気で思ってくれていると知りつつもこう言うのだ。

「……そうかよ。鈴嶺がそう言うならそれでいいけど」

 あまり納得はいっていなさそうな表情だったが、当の本人がそう言うならと宗谷は納得した。

「けど、なんかあったらいつでも言えよ。俺はどうあっても鈴嶺の味方だから」

「……ありがとう、宗谷」

 それでも玲太を心配してそう言ってくれるくれる宗谷に、玲太は「いい友人に恵まれたな」としみじみ思った。

「じゃあ、俺は教室に戻ってるから。お前は寝過ごすなよ」

「……何故、僕が寝ようとしてるのがバレてるの?」

「お前、授業中も良く寝てるだろ」

「!?」

「いやそんなマガジンマークみたいな顔されても」

 玲太がよく寝るのは周知の事実のようだ。

「……これでよかったの、レータ?」

 宗谷が去っていったあと。ここまでずっと黙っていた……訂正、黙々と焼きそばパンを食べていたリルが、肩から玲太を見上げて尋ねる。空気を読まずに食事を続行していただけではなく、きちんと話も聞いていたらしい。

「これがベターだったと思うよ。宗谷はああ言ってくれたけど、世の中が全員あんなできた奴なわけがないし。今の平穏な日常を失うリスクを負ってまで公表するメリットも別にないでしょ」

「まあ、それはそうね。レータといつでも気兼ねなく話せるようになるならアタシにとっては万々歳だけど、それでレータがいじめられたりするのは嫌だし。……でも、そっか。アタシとの日常は失いたくないんだ?」

「……なに、そのにやけ顔」

「べぇつにぃ? でも、レータがそこまで「リルちゃん大好き♪」って言うならこれからも一緒にいてあげてもいいわよ?」

「……そういうことを言う妖精にはしばらく卵抜きかな」

「ちょっ、それを人質に取るのは卑怯よ!」

 好物を取り上げられそうになったリルがわーわーと文句を言いながら玲太の耳や髪を引っ張る。例によってそれは別に本気の言い争いなどではなく、むしろお互いに感じている恥ずかしさみたいなものを誤魔化すために敢えてじゃれ合っているようにも見えた。


 一波乱はあったが結果的にいつものように穏やかな昼休憩を過ごした玲太が午後の授業のために教室に戻ってくると、教室内は明らかに異様な空気に包まれていた。好奇の目が、蔑むような視線が、一斉に玲太を捉える。それだけで玲太は、なんとなく事情を察した。

(僕が妖精が見えることが、バレた……?)

 あらゆる視線に気づかない振りをして自分の席へ向かいつつ、玲太はこの状況の最大の心当たりへと視線を向ける。視線の先の宗谷は、悔しそうな表情で己の握り拳を睨んでいた。少なくともその表情は敢えて玲太の秘密をバラしたようなクソ野郎には見えない。

(……うっかり話に出したのか、あるいは宗谷以外にも裏庭の件を誰かに見られてたか)

「ち、ちょっとレータ、なにこれ……アタシ怖い」

 リルも普段とあまりに違い過ぎる教室の異様な光景に、小さく震えながら玲太の制服にしがみつく。それを肌で感じながら、玲太はこの先どうするべきなのかを考える。この状況では、流石に誤魔化すのは厳しいだろう。写真や音声が盗られている可能性も否定はできないし、そうだった場合下手に誤魔化そうとすると却って状況が悪化する。状況的に認めざるを得ない。じゃあ妖精が見える事実を認めた上で、その後はどうなるのか。宗谷が言っていたように、いじめにも嫌がらせにも発展することなく受け入れられるのか。それはあり得ない。だって現時点で既に蔑むような視線が飛んでいる。快く思っていない人も一定数いるのは確実だ。今までこの事実を黙っていたというのも、恐らくマイナス方向に働くだろう。明るい未来なんて、平穏無事な未来なんて想像が出来なかった。

「よぉ鈴嶺。お前、妖精が見えるんだって?」

 玲太が席に着いたタイミングで、クラスで最も素行の悪い3人組が近寄ってきた。玲太はその問いに、正直に答えるしかない。

「……そうだけど」

「なんで今まで黙ってたんだぁ?」

「こうやって注目されるのが好きじゃないからだよ。僕は平穏に暮らしたいんだ」

「そんな特殊能力貰っておいて、平穏に暮らしたいだぁ?」

「……悪いか?」

「悪いよ」

 底冷えするようなドスの効いた声だった。

「生まれ持って勝ち組を約束された奴が平穏に暮らしていいわけねぇだろ。俺たち平凡な人間はお前と違って散々苦労しながら生きてんだよ。だったらお前も俺と同じくらい苦しまなきゃフェアじゃねぇだろ」

 それは偏見と自己中心性に満ち溢れたクソみたいな暴論だった。それでも、クラスの何割かはまるで賛同するようにうなずいている。「見える人間」や妖精に対する偏った知識しかないが故に、知ろうともしない人があまりに多いが故に、世界各地でこのような状況が多数発生しているのだ。

「別に妖精が見えたって生きるのが楽にはならない」

「嘘つけ。俺たちに見えないのをいい事にカンニングだろうが窃盗だろうがやりたい放題だろうが」

「それは法律でも禁止されてるし、対策だって取られてる。それにそもそもそんなことしようとも思わない」

「対策したって結局見えねえんだから抜け道だらけだろうが。偽善者ぶるんじゃねえよ」

 玲太がいくら正しいことを言い返そうが、相手はまるで意見を変えない。自分こそが正義だと微塵も疑わない、典型的な自己中野郎だ。

「ここにいる妖精と今まで散々悪事を働いてきたんだろ? おらさっさと吐けよ!」

「ちょっ、イタ、やめなさいよ!」

 まっすぐ伸びてきた手が、見えていないはずのリルの身体を鷲掴みにする。リルが玲太制服にしがみ付いていた際にできた制服の皺を見て、本能的にそこになにかがいると感じとったらしい。

「リル!」

「うわっ、ホントにいたよ! これ思いっきり握ったら潰れちまうんじゃねえか!?」

「やめ、っっ、離してっ!」

「止めろ! 今すぐ離せ!」

「あ? なんだって?」

「いいからすぐにリルからその手を離せ!」

「カスのくせに調子に乗んじゃねぇぞオラ!」

 リルを握ったままの拳が玲太目掛けて繰り出される。リルの為にも耐えなければと歯を食いしばって衝撃に備えた玲太だったが、それはいつまで経ってもやってこなかった。恐る恐る目を開けると、そこには玲太を殴ろうとしていた奴を横から殴り飛ばす宗谷の姿があった。殴られた衝撃でリルを握っていた手の力も緩み、彼女も無事に脱出して再び玲太にしがみついてくる。

「宗谷……」

「てんめ、なにしやがる!」

「それはこっちのセリフだ! さっきから聞いてりゃなんだそのクソみてえな発言の数々! 何を根拠にそんな言いがかりをつける! 何をもって「見える人間」が全員悪だって決めつける! 鈴嶺のことも「見える人間」のこともろくに知らねえ馬鹿がふざけた発言をすんな! 俺の友人を傷つけんな!」

 宗谷の叫びに、ざわついていた教室中がシンと静まり返った。玲太に好奇の目を向けていた人も、蔑みの目を向けていた人も。宗谷の発言に、少なからず考えさせられるものがあったらしい。いかに自分が考えなしで、真偽の曖昧な情報や噂に踊らされていたのかを。いかに自分の目で物事を見ていなかったのかを。実は勢いだけで玲太に絡んできた3人組も、宗谷の気迫の前にすっかり意気消沈している。

「……宗谷」

 静寂の中、玲太が宗谷を呼ぶ。

「悪かったな、鈴嶺。俺が教室に戻った時にはもう……」

「そんなとこだと思ったよ。宗谷の口が軽くないのはよく知ってる」

「お前が戻ってくる前にどうにかできれば良かったんだがな」

「それはさすがに無謀だし申し訳ないよ。それに、結局こうして助けてくれたじゃないか。俺も、リルも」

「……まあ、ぶん殴るって約束だったしな」

 そう言って宗谷は笑った。このすぐ後にやってきた教師に経緯や状況を説明した後、暴力行為により停学処分を食らったが。

 だから玲太は、そっちに気を取られていて気付かなかった。自分にしがみついたままのリルが、どんな顔でそれを聞いていたのかを。


 その日の帰り道。周囲に人影が少なくなってきた辺りで玲太は口を開く。既に玲太が「見える人間」であることはある程度知れ渡ったのだが、それでも往来で独り言のように話す姿は不審でしかないので、この辺りの習慣はそう簡単に変わることはないだろう。

「まさか宗谷が停学になるとはなあ」

「…………」

 しかし、予想に反してリルからの返事はなかった。

「……リル?」

「……アタシの、せいよね」

「……なに言ってるの?」

「レータの友だちが停学になったの、アタシのせいよね」

「そんなわけないでしょ。悪かったのはどう考えたってあの3人で」

「アタシ、初めて知ったの。アタシたちの姿が見えるってわかっただけで……あんなに人って変わるのね。それまで楽しそうにしていた人たちが揃いも揃ってレータのことを怖い目で見つめて……中にはめちゃくちゃな言い分でレータを悪者にして、殴ろうとする人までいて……すごく、怖かった。でもそれ以上に……今後レータがずっとこんな目に遭い続けるのかと思ったら、もっと怖かった。嫌だった。アタシのせいでレータが傷つくのが嫌で嫌で仕方がなかった」

 何かをこらえているのか、リルの声は微かに震えていた。

「確かに、これから先色んな苦労はあるかもしれない。クラスの人たちとだって、宗谷がドカンと言ってくれたけどまだ和解できてるわけじゃないしね。でも、それはリルのせいじゃないよ。きっと「見える人間」がいつかは向き合わなくちゃいけない問題なんだ」

 その事実を生涯隠しきるか、世の中の状況がもっと良くなればその限りではないのだろうが、現状ではどちらも難しい。玲太の場合はそのタイミングがたまたま今来ただけなのだ。

「……でも、アタシと出会わなければレータは自分が「見える人間」だって気付かずに生きれたでしょ? そしたらレータがこんな目に遭う必要は」

「それだけは違う!」

 ここだけは絶対に否定しなければと、玲太は周りを気にせずに叫んだ。

「出会わなきゃよかったなんて、そんな悲しいこと言わないでくれよ! リルがいることがどれだけ僕の心の支えになったと思ってる! 両親が仕事ばかりで僕の相手なんかしてくれなかった幼少期に、リルがそばにいてくれたことでどれだけ救われたか! どれほどの寂しさや孤独が紛れたことか! どれだけ毎日が楽しくなったことか! リルがいてくれなかったら僕はもうとっくの昔に潰れてるんだよ! リルがいてくれたから、今の僕はこうしてここにいるんだよ! なのに出会わなきゃよかったなんて言わないでくれ!」

「レータ……でも、だって、だって……!」

「1人で勝手に責任背負いこもうとするなよ! これは僕とリルの2人の問題だろ! 2人で向き合って、2人で考えて、2人で答えを探せばいいだろ! 僕にも一緒に背負わせろ!」

「レータ……レータぁっ!」

 こらえていた涙を遂に溢れさせながら、リルは玲太の胸に飛び込む。その小さな体躯を、玲太は優しく抱き留めた。

「アタシだって、アタシだってレータとずっと一緒がいいよぉ! でもレータにはもうあんな目には遭ってほしくないよぉ!」

「それは僕だって同じだよ。リルがあんな目に遭うのはもう御免だ。だから……2人でどうするか考えよう。これからも一緒に生きていくために、この問題とどう向き合っていくのか」

「うん……うん……!」

 きっと簡単に答えの出せるものではないだろう。それができるなら今の「見える人間」を取り巻く境遇はこんなに酷くはなっていない。2人はこれから今まで誰も歩いたことの無い茨の道を手探りで進み、誰も辿り着いていない答えを探し求めるのだ。だが、きっと彼らなら大丈夫だろう。この先どんな困難が待っていようと、2人で共に生きていくという結論だけは絶対に揺るがないのだから。

「……レータ、好きよ」

「……僕もだよ、リル」

「ふふっ、これでカップル成立だけど、同時に犯罪者ね、アタシたち」

「僕らのことをよく知りもしない人たちが勝手に作った法律なんか知らないよ。人間と妖精で恋愛したっていいでしょ別に」

「ホントよね、理由もくだらないし。これまで世界に実例がないだけで、子どもができないって決まったわけじゃないでしょ」

「……欲しいの?」

「そりゃあ将来的には……ってなに言わせるのよ!」

「あいたたたた」

 リルが両手でポカポカと玲太を殴るが、案の定さほど痛くはない。いつもの2人のじゃれ合いというか、イチャイチャである。

「でも、レータを犯罪者にするのはさすがに気が引けるわね」

「なら、海外にでも行く? 妖精との恋愛が禁止されてるのなんて日本くらいだし」

「そこまでするの!?」

「そりゃ、リルと一緒ならどこだって楽しいに決まってるし」

「も、もう! そういう恥ずかしいことサラッと言うのは禁止よ禁止! 予告してからにしなさい!」

「結構無茶苦茶なこと言ってるよ!?」

 妖精の見える人間、鈴嶺玲太と、妖精の少女、リル・レフィス。前例のない道を行く2人の物語は、まだ始まったばかりだ。

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