05
翌日から僕の生活は少し変化を見せた。
何故か休み時間毎に平池君が来るようになって昼休みには一緒にご飯も食べるようになった。
放課後も一緒に帰る流れになっていて困惑している内に1日が終わるという連続で。
ただ、1番問題だったのは、
「……鷲谷さんに怒られる……どうして来るの?」
長崎君が依然としてこちらに来てしまうということだろう。
土下座を要求してきて僕もきちんとしたというのに、まだ不満なのだろうか?
というかこの時点で『2度と近づかない』は守れてない。
「……最近渉と仲良いよね、好きになったの?」
「違う……よく分からないけど平池君が近づいて来るようになっただけ」
自分から約束を破ってしまったことに僕は震えた。
場所はもう少しで自宅という所だけど、どこで見られているかも分からないのに。
「わ、分かった……もう1回土下座するから……もう来ないで」
流石に地面に顔をつけるのは嫌だけど仕方ない、きっちりつけて謝罪をする。
「そんなの求めてないよ、もしかして鷲谷のことを恐れてるの?」
殺すや壊すなんて口先だけでしかない、虚勢を張っていないと不安で仕方ないのだ。
「ごめん! 先日の俺はどうかしてたんだよ……」
「そんなのどうでもいい、問題なのは鷲谷さんと約束を交わしたことだから」
額についた小石を払いつつ立ち上がって言った。
これはもう不可抗力の範疇を超えてしまっているから意味はないけど、一応そういうプライドは自分にだってあるつもりだ。
「鏑木とも長崎君と距離を置くって約束をしたし、ばいばい。あ、前のは気にしなくていい」
「嫌なんだ、皐月と一緒にいたい!」
「……僕に言われても……」
自分から言いきってみせたしあの2人は怖いからやっぱりなしに、なんて許可してくれるわけがない。
また長崎君が動いてくれたとしてもそれが逆効果に繋がると分かっているから、求められてもどうしようもないままに終わる。
「皐月」
「わ、鷲谷さん……」
完全に長崎君が悪いとは言えない状況で鷲谷さんが現れてしまった。
固まる僕の前に長崎君は立って「どうしたの?」と代わりに言ってくれたけど、そのせいで今度は体が震えだしたことに彼は気づいていないだろう。
だって、これではまるで僕を守っているみたいだったから、そして、責めることのできる条件が達成されてしまったからだ。
「1週間も保たず終了するとはね、祐」
え、と困惑が勝った、てっきり僕に言いたいことがあると思っていたから。
「俺は皐月の幼馴染だからね、一緒にいないなんてできないんだよ」
「幼馴染なのに土下座を要求するの?」
「どうかしてたんだよあの時の俺は」
「皐月、少しいいかしら」
長崎君が前からどいて鷲谷さんがよく見えるようになったけど、驚くことにあまり怒っているような感じはしなかった。
長崎君から少し距離を作っての2人きりでの会話。
「記憶、戻らないの?」
「う、うん……あのっ、約束破っちゃった……鷲谷さんはなにか要求する?」
「そうね……」
怖い、けれどしてしまったことから目を逸らすこともできない、結局逸らしたところで横にいる彼女は何度も突きつけてくることだろう。
だったら早い内に清算しておいた方が楽な気がする。
「前みたいに朝日って呼んでくれないかしら」
「へ……殴るとかじゃないの?」
「しないわよ。……それと、ごめんなさい」
「や、約束を破ったのは僕だからっ、頭上げてっ」
変化の連続についていけない、僕を押し付けて怒鳴っていた鷲谷――朝日さんもどこかにいってしまったようだった。
「今の皐月の方が好きだわ」
「う……よく分からない」
あくまで普通にしているだけなのに「今の方が」と言われてもいまいちぴんとこないまま、僕らは長崎君の所にまで戻る。
「やっぱりこう、皐月と一緒にいないと調子狂うわよね」
「そうそう! だって『興味がない』とか言っておきながら結局こっちの心配してくれるからね! 怖がりなのに無理するところもあるしさー」
「えと……どうしてそんな明るい?」
夏だから? 夕方だから? 明日が土曜日だから? 疑問は何個も出てくるけど、ああいうやり取りがあったから素直にそれだけとは思えなかった。
引っかかっている理由は他にもあって、朝日さんが見せてくれた表裏の差……人間なら当然かもしれないにしても、笑っている今も裏では憎んでいるじゃないかって不安になるのだ。
「どうしてって……皐月が許してくれたから、かしら」
「べつに僕は怒ってないけど……どうして許したら明るくなるの?」
「だって私も皐月のこと好きだもの」
「……好き、なのに泊めてくれなかったの?」
女心というか人間の心は延々に理解できなさそう……。
「あれは……少し渉に嫉妬していたのかもしれないわね」
「ん? 朝日さんは平池君のことが好きだったってこと?」
「それは……渉には悪いけど違うわね」
「じゃあ長崎君のことが好き?」
「質問攻めね……」
聞いておかないと気持ち悪くなる、少しでも理解を深めておいて表裏の差というものを減らしていきたいと考えていた。
でもそこで濁すということは単純に辟易としたということでもあるけど、真実を遠回しに語っているのではないだろうか?
「好きだったのよ」と言っていたし、今でも残っている可能性がゼロではないはず。
「素直になったほうがいい。朝日さんは平池君と別れたわけだし、長崎君と付き合っても問題はない。すぐに付き合い始めたら尻軽とか言われてしまうけど、周りの意見よりも自分の気持ちを優先するのが大切だと思う」
こう言った時の気持ちは僕の方が年上のような気がしていて、悩める後輩にアドバイスをするいい先輩という気分だった。
「どやっ」
実際に口に出してみたりなんかもしてアピールをしていく。
そうしないと自分の格好良さに気づかれないまま、終わりそうだったからだ。
「ふふふっ、まさか皐月からそんなこと言われるとは思わなかった――あ、笑ってごめんなさい!」
「えぇ……」
これは絶対内側で馬鹿にしている証拠だろう……。
「でもそうね……素直になるべきなのは本当のことよね」
「うん、天の邪鬼はよくない」
「というわけで皐月、あなたが言ったのよ?」
「え? うん」
「ちょっと来て?」
「うん、ん――」
一瞬だった、まさかしてくるとは思わなかったからやられた後の僕はぼうっと突っ立つことしかできなくて……僕を見る朝日さんの笑みがどういう理由からくるものなのかも分からなくて、分かったのは長崎君が「無理やりは駄目だよ!」と叫んだこと。
……無理やり? 今、朝日さんに僕はちゅー……さ、れた?
ばっと腕で唇を覆う、どうしようもなくて朝日さんの顔が見られなくて、俯くことしかできなくて。
「な、ななな……なん……で?」
「さっき言ったじゃない皐月のことが好きだって、あなたも素直になった方がいいって」
「好きって……友達としてじゃ……」
「だって全然気づいてくれないんだもの、意識させるしかないじゃない?」
「長崎君のこと好きだったって……それに最近までは平池君とも……朝日さんが分からないっ」
実は長崎君や平池君と組んでで罰ゲームだったとか? いっそのことそれの方が気楽のように感じる。
「どういうことっ?」
「……渉には悪いとは思っているわよ? 欲望を抑えるために付き合わせてもらっていたんだもの、責められて当然だと思っているわ。でもね、私は昔からずっと皐月のことが好きだった……それなのに『人を好きになれない』なんてずっと答え続けられていたからもやもやしてて……何回も祐のことどう思っているか聞いていたのは取られたくなかったからよ」
「嘘つきっ、好きだったって言ってた!」
「あー……惚れ症なところもあるのよね……どっちもいけるのよ」
どっちもいけるって何!? えと……男の子と女の子どっちも好きになれるってことだろうか。
ちゅーもできる……あ、そういえば、
「平池君と……ちゅ、ちゅーしたの?」
「してないわね」
そりゃほとんど何も手を出したり出されなかったら付き合う必要もないよう気がする、平池君が案外平気そうだったのは(泣いてたけど)、そういうところからもきているのではないだろうか。
「あ、朝日さん――」
「朝日」
「朝日は淫乱なの?」
「ぐっ!? じゅ、純粋無垢な顔で言われると傷つくわね。……皐月に比べたら淫乱なのかもしれないけれど、好きになってしまったら仕方ないでしょう?」
「惚れ症ということは仮に僕が受け入れても他の子に浮気する可能性が高いということ、違う?」
いい加減、長崎君に止めてほしかった、僕が困ってるでしょっていつものように動いてほしかったのに、ただ眺めて呆然と立っているだけで動いてくれる気配がまるで感じられない。
「長崎君っ」
「あ……うん、どうしたの?」
「いや……朝日止めてっ」
「鷲谷、皐月も困っているようだし、やめてあげてくれないかな?」
「……ごめんなさい」
やっぱり頼まないと動いてくれないし、長崎君が動くとみんな止まる、と。
「皐月、返事は今年中にくれればそれでいいわ、それじゃあね」
「ばいばい……」
手を振って朝日を見送って、またぼうっとしている長崎君に意識を向ける。
「帰ろ」
「……今日さ、泊まってかない?」
「え、無理……お母さんに会いたい」
「じゃ、じゃあ、泊まってもいいかなっ?」
「それなら……」
彼を連れて帰ると母は驚いていた。
僕をキッチンに連れていって「大丈夫なの?」と優しく聞いてくれた。
少し不安だったけど心配してくれてありがとと言って母を抱きしめる。
「もうね……分からない連続で疲れた」
「ふふ、人生で1番濃密な時間なのかもね」
本当だよ……。
いつまでも母に甘えているわけにもいかないので彼の隣にぎこちなく座った。
「……罰ゲームじゃない?」
「え? そんなことないよ……あ、でも前のが影響しているんだよね? んーどうすれば信用してもらえるのかなあ」
「怖い……表裏の差にいつもびくびくしてる」
「駄目だー! それも結局大丈夫だよなんて言ったところで説得力ないもんね」
生きてる限り延々に付き纏ってくる問題で、どうにかしようと動いたところで何も意味がない。
「朝日がちゅーしてくるのも、平池君が近づいて来るのも、長崎君がこうして僕に拘るのもなんでか分からなくて、疲れたもう……」
「疲れてるところで悪いんだけど、名前で呼んでほしい」
「……土下座を求めてこない?」
「求めないっ、と言っても信用できないかな?」
「……本当はあれもあんまりしたくない、床や地面はばっちい気がする」
あと小石が痛いし木目は……冷たくてひんやりしているけど皆が上履きで歩いているわけで。
「求めない」
「ん……ゆ、祐君」
「あと1歩踏み込んでくれないかな?」
「え? あ……祐」
「……やっぱり祐君でいいや!」
やっぱり僕は祐君が嫌いだ。
それから少しして母が作ってくれたカレーを食べた。
祐君がいることで違和感が生じるかと思ったけど彼の家で1度一緒に食べていたため、そんなに言うほど微妙な時間にはならなかったと思う。
お風呂にも入って自室に戻ると、先に入ってもらってた祐君がベットに背を預けてスマホを弄っていた。
「女の子?」
「違うよ、あ、ある意味女の子だけど」
「応援する」
「母さんだからっ、また皐月に来てほしいんだって」
流されない! 流されないけど岬さんに会いたいのも本当だし、岬さんに会いに行けるならと答える。
「何か小さい毛布とかない?」
「ん」
「ありがと。じゃあそろそろ寝よっか、皐月はもう眠たいでしょ?」
時間は20時を過ぎたくらいな上に色々なことがありすぎて眠いのは……むかつくけど本当だった。
少し癪だけどこのまま無駄に起きていたって仕方ないし、大人しく電気を消して寝ることに。
「皐月、本当にごめんねあの時は」
「それについて怒ってない」
怒ったところで時間の無駄にしかならないし。
「でも嫌いなんだよね?」
「へらへらしてるから」
「僕はそんなつもりないんだけどなあ」
「ね」
「ん?」
「家だとどうして『僕』になるの?」
祐君は「ああ」と言って笑った。
顔は見えないからどういう種類のものかは分からないけど。
「偽っていたいんだよ、僕は皐月が思っている以上に弱いからね」
「弱いから『僕』にするの?」
それって結局弱い自分を直視する羽目になるだけじゃないだろうか?
それに仮に“俺”と言ったところで何が変わるんだろう?
「皐月が言ってたけどさ、家が本当に大切な場所なんだ。唯一気を使わなくて良い場所でしょ? 母さんも父さんも優しいし、ありのまま自分でいられるのは嬉しいからね。でも、内に籠もってばかりもいられなくて、日中は学校に行かなければならないからさ、不安感が凄いんだよ。だけどね? そういう時に皐月といると落ち着けるっていうかさ、自宅にいるように感じられるの。それって凄くない? だから、君と離れたくなかった……うん、そうだよ」
「土下座を要求してくるのに?」
「……当たり前だけどやっぱり怒ってるよね皐月は」
怒ってない、こう言っておかないと恥ずかしくて仕方なかったからだ。
どうして僕の周りの人達はこう、真っ直ぐにぶつけられるのだろうか。
身長もでかいし格好良いし可愛いし優しいし誰かのために動けるしで、とにかく自分とは差がある彼ら達に求められているということが不思議だった。
それこそ「興味がない」と言って拒んでいたと聞いてたから嫌われ者になりそうなんだけど……もしかしたら関わっている3人が拒絶されて喜ぶ変態なのかもしれない。
うん、少なくとも朝日は絶対にそう! なんて失礼な妄想をしていた時、祐君が「これは独り言なんだけどね」と前置きをして話し始めた。
「僕は確かに鷲谷……朝日のことが好きになったよ。美人だししっかりしてるし、こういう人になりたいなって尊敬からいつの間にか好きに変わってたんだ。だけどね、近づこうとすればするほど、釣り合わないって思ったし、沢山告白されていて男子から人気だって分かった。気弱な性格が出たんだろうね、段々と自分から距離を置き始めて一時期は完全に関わりがなかった。情けない話だけど中学の終わりまで続いてさ、終わる前にどうせなら告白をして散ってやろうって決めたんだよ。で、生憎そのままとなりました、とそんな感じかな。朝日も酷いよね、好きだったら受け入れてくれればいいのにね。それでも皐月を放置することなんてできなかったんだよね……幼馴染だからなのかな? で、せっかく頑張ってたのに皐月からは『嫌い』とか言われちゃったけどさ……振られたことよりもそっちの方が堪えたな……」
これに反応するべきなのだろうか?
いやでも独り言って言ったし、でもでもなんて悩む自分がいて。
かわりに色々なことに対しての「ごめん」をぶつけておくことにした。
僕の側にいなければならないと洗脳してしまったこと、僕のせいで朝日から振られたこと、僕のせいで傷つけてこちらに土下座を要求したくなるくらいは追い詰めてしまったことに。
祐君は何も言わなかった。
そして私はもう眠たかった。
返事はいらない。
「あなたが側にいても安心して寝られるんだよ」と伝わればそれでいい。