04
学校で関わる人に対する記憶が曖昧になっただけでそれ以外は特に苦労はしていなかった。
「皐月ちゃーん、一緒にご飯食べよー」
「うん」
祐君は一緒のクラスだけどずっと一緒にいるわけじゃない、そして僕も求めるわけじゃないからこうしてクラスの子と食べることもある。
お母さんが作ってくれたお弁当を食べつつ、目の前の女の子をちらちらと見ていたら気づかれてしまいさっと視線を逸らしたものの「どうしたの?」と聞かれてしまった。
「鏑木は、気になる子とかいる?」
「えー? いきなりだねーあ、もしかしてぇ、私様の可愛さに惚れてしまったのかいっ? 私は女の子でもウエルカムだけど?」
「違う。可愛いのは本当だけど……」
身長も高くてスタイルも良い、自分とは差がありすぎて比べるのすら失礼な相手だ。
「残念だな~……いないよ、好きな人なんて」
もぐもぐとサンドイッチを頬張りつつ「美味し~!」なんて言ってるくせに、その笑みはどこか影のあるものだった。
「ここには僕しかいない、隠す必要はない。あ……信用できないなら別に……」
「はぁ……それなら言っちゃうけどさ~私が好きなの……長崎君なんだ」
「祐君は鷲谷さんが好き、だから難しいと思う」
平池君と付き合って可能性がないと分かっていても捨てられない男の子だし、仮に可愛い鏑木がそういうつもりで近づいたとしても叶わないと思う。
叶わないと分かっていて近づくのは自己責任だけど、正直、僕からすれば無駄な時間だとしか考えられなかった。
言わないのはお世話になったから、優しくしてくれたからでしかない。
「ちゃうちゃうー! 皐月ちゃんもいま嘘ついちゃったねー」
「嘘なんてついてない」
「そうかな~? あ、記憶が失くなっちゃってるからそう思うんだよ~。だってずっと一緒にいたからね皐月ちゃんが、正直邪魔だと思ってた」
「ごめん、だけどもう違うから」
なるほど、自分のせいで近づきにくかったと言うのならなるべく距離を置こうと思う。
今の自分にとって1番大切なのはお母さんとお父さんの所にいること、祐君や平池君、鷲谷さんのことはそれより大切なものにはならないから。
「あちゃあ……普通怒るところでしょ~?」
「なんで? 僕は鏑木の邪魔をしてしまったわけだし、謝る必要がある。安心してくれればいい、関係をリセットすることができたと思う、多分」
「なんだかなあ~……良い子なんだけどそうじゃないって言うか~。……じゃあさ、長崎君と特別な関係になりたいって思ってないんだね?」
「ん? 別に興味ない」
誰にでも優しいということを知った、まだ鷲谷さんに好意があるということも知って、どうやって勘違いすればいいと言うのだろうか。
確かに祐君は良い人だと思うし、近くにいると安心する、でもそれまででしかないし、これからもずっと僕の気持ちも変わらない、変わるはずがないのだ。
何故なら依然としてあの笑顔が嫌いだったから。
「頑張って鏑木」
「……本当に皐月ちゃんなの? 以前までのあなたなら『祐は僕の物』とかって言いそうだけど」
「言わないし、そもそも僕は祐君に嫌いって言ったらしい。嫌いって言うくらいだから、嫌っていたと思うけど」
「あれだけお世話をしてもらっておきながら自分勝手だね」
「うん、だから距離を置く。鏑木も喜ぶ、でしょ? それにそんなことを言われても僕は傷つかない。自動販売機でジュースを買ってくる」
お母さんに「顔も見たくないっ」と言われたのに比べればクソみたいなものだ、言い方が汚いけど。
廊下に設置してあった販売機の投入口に100円玉を入れてコー○を買って飲む。
炭酸が僕の体を虐めたものの、心地良くてはぁと息が溢れた。
「皐月……」
「あ、鷲谷さん、こんにちは」
「え、ええ、こんにちは。炭酸好きよね皐月は」
「まあ……それじゃあばいばい」
「待って! ……少し話さない?」
了承して廊下の壁に背を預ける、缶を揺らすと黒い液体が左右に揺れた。
「家……大丈夫なの?」
「仲直りしたから。平池君と仲良い?」
「まあ付き合っているから……あなたこそ祐とはどうなの?」
どうしてみんな聞いてくるんだろうとは思いつつ、仲良くないと答えておく。
友達ですらない、足を引っ張っているだけ、利用されているだけ、細かく言うのは簡単だけど、言うと絶対に鷲谷さんが気にするから言わないでおいた。
「人を好きになるって素晴らしいと思う、だから鷲谷さんも素晴らしい」
「……祐のこと本当に好きじゃないの?」
「好きじゃない、お母さんとお父さん以外の人を好きになる必要もない」
以前の鷲谷さんがちらつく。
結局、表裏に差があるということをきっちり理解しておかなければならないのだ、そして向こうから裏切られるくらいなら、そもそも関係など築かなければ傷つかない。
人はそもそも無いものを悲しむことなんてできないのだから。
「前も言っていたわあなたは、変わっても変わらない部分があるのね」
「そんなの当たり前、自分を守るためにしているだけだから」
「自分を守るために……私ね、本当は祐のことが好きだったのよ」
「鷲谷さんは祐君の告白を振ったって聞いた、好きならなんでそんなことを?」
「だってあの人は……皐月ばかり見ていたんだものっ、いつも優先していたわあなたを!」
「だからって別の人を好きになるの? 好きだった気持ちって簡単に捨てられるもの――痛いけど」
勝手に諦めて今更僕に当たるなんてどうかしてる。
でもまあ受ける義務があるのかもしれない、鏑木のと一緒だろうこれは。
意識的にではないけど邪魔をしてしまったというわけだから。
「……よくあなたが嫌いなんて口にできたものね」
「嫌いな人を嫌いと言っておかしい? 好きな人に好きって言い合ったから付き合ってるんでしょ?」
祐君は鷲谷さんに告白した……それはつまり「あなたが特別」だと伝える好意に他ならない。
だというのに、どうしてそこで僕の名前が出るんだろうか。
「告白されたのにどうして断った?」
「……私がもうあなたの世話をしないでって頼んだのに、『危なっかしいから』と断ってきたからよ」
「下らない……やっぱり人を好きになるなんて時間の無駄だね」
それくらいの理由で他の男の子を探してしまうくらいなんだから。
……頬を叩かれても意思を変えるつもりはない。
相手が泣いていても、怒鳴っていても、何も届かないし意識する必要もない。
「皐月っ……ど、どうしたの鷲谷?」
鈍関係主人公なのかも祐君は。
「祐君、本当は鷲谷さんも好きだったらしい。でも、僕の相手をするのが嫌だから断ったらしい」
「え……ということは皐月のことを放っておいたら付き合えてたってこと?」
「そう、もったいないことをした」
そして、無駄なことをした。
今更聞いても何も意味はない言葉達だ。
「ばいばい」
去ろうとする僕の腕を掴んで止める祐君。
「どういう意味での『ばいばい』なの?」
「邪魔をしていたみたいだから」
「ちょっと待ってよ……き、君のせいでこうなってるのに?」
こちらを責めるような表情を浮かべて言った長崎君にだからだよと言って歩き出そうとしたのに、彼は離してくれない。
「黙られているのが1番面倒くさい……なにかしろって言うなら口で言って」
「……嫌いだ」
「ん、じゃあばいばい。……手離して」
嫌いなら顔も見たくないと思わないのだろうか?
「せ、責任取れよ!」
「はぁ、注文が多い……早く言って」
「ど、土下座しろっ」
土下座くらいなんてことはない。何度も要求されては嫌なのできっちり額を汚い廊下の床につけて謝っておいた。
「祐……私も要求していいかしら?」
「……彼女次第だけど」
「別にいい、早く言って」
「……もう2度と祐に近づかないで」
「ん」
負け惜しみというわけではなく、鏑木の約束もあって近づかないようにと考えていたわけで、改めて言われても違和感しかそこにはなかった。
解放されて教室に戻る。
記憶が失くなったことは良いことばかりでもなさそうだった。
「ただいま」
「おかえり、ちょっと来てくれる?」
「ん? ん」
言われなくても母といたいので近づくけど。
リビングに行くと母は長崎君の服が入った袋を手渡してきた、続いて「返してきなさい」と言ってにこにこする母親。
僕は今日の昼にあったことを説明し行くのは無理だと断った、流石に母も驚いたようでぶつぶつと言っていたけど少しして「分かったわ」と残してリビング及び家から出ていく。
了承したのは自分だ、破ることなんてできるわけがないのだ。
家も近いためか母はすぐに帰ってきて僕の横に座る。
「……どういうことなの?」
「え? あ、長崎君に土下座しろって言われて土下座しただけ」
「何で祐君があなたに土下座を求めるの?」
「本当に好きだった人から振られた理由が僕だったから」
「……どうしてあなたはそこまで普通なの?」
「正しいと思ったから、僕が邪魔したのは本当のこと」
意図的にではなくても他者からはそう見えたのだから謝る義務があったと思う。
「確かに振られるのは辛いし皐月が原因で振られたなら責めたくなる気持ちも分かるわ。けれど、土下座を要求ってありえないでしょう……親馬鹿ってわけでもないわよね? 実の娘を親が心配をするのは普通でしょう?」
「2度近づかないって約束したし、僕はお母さんとお父さんがいればなにも問題ない。無事に家に帰ってこられればなにをされても傷つかない」
「もし……祐君が謝りに来たらどうするの?」
「入れなくていい、約束を破ることになるから」
逆恨みみたいなものだけど、彼女達にはやりきれない気持ちがあるのかもしれない、その原因になった僕に何かをすることで気が休まるなら何でもしてくれていいと思っていた。
でも、両親が買ってくれた物などに手を出した場合にはその限りではない、同じような目に合わせてやると決めている。
破かれれば皮膚でも何でも破いてやろうと思うし、捨てられればどこかを壊して捨ててやろうと思う。
やられる覚悟がなければやらなければいい、果たしてそれを分かってくれているだろうか?
「物騒なこと考えないっ、まあ祐君と会えなくても他にも人はいるものね」
やはり母は憧れの存在だしそうなりたいと願っていた。
察しのいい人間になりたい、他人の邪魔になっているようだったら先に気づいて対策ができるようなそんな人に。
過去は変わらないから未来を変えるのだ。
ゆっくりと会話し「ご飯を作るわね」と言って母がソファから立ったのが17時50分だった。
そして、出されていた課題のことを思い出して僕が2階へ上がろうとした時だった、チャイムが鳴ったのは。
特に警戒もせず扉を開けるとそこには、
「朝日が別れようと言ってきた! 綾野は何か知らないかっ!?」
慌てている平池君がいた。
「……悪いな綾野」
「問題ない、お茶」
「ありがとうっ」
部屋に入ってもらいお茶を渡すと一気に中身を飲み干す平池君。
事情を知っていた僕は昼のことを全て彼にも話した。
「そう……だったのか、どうりで……」
「平池君も僕を責めるなら、はい」
「は? 責めねえよ別に……俺が祐より魅力的じゃなかったってだけだろ」
「中途半端な気持ちで付き合われるよりマシ、多分」
好きになったことも、付き合ったこともないから分からないけど、好きでもないのに付き合われるよりはマシだろう。
「つかさ、朝日も酷えよな……祐のことが好きで告白もされたくせにお前を理由にして断るなんてさ。そのくせ俺の要求は飲んで……はぁ」
「少なくとも僕は近づかないって約束した、だから今度は長崎君達も悩むことはなくなるはず」
やっぱり鏑木のそれは無駄に終わる、と。
今はあんまり頑張っていなかっただろうし、失ったものも彼くらいだから問題はないのかもしれないけど。
「土下座……したんだよな?」
「注文だった、受ける義務があった、多分」
「受ける義務って何だよ? お前はただ祐といただけなのに勝手に文句言ってきただけだろ朝日達が」
「興味ない、面倒くさい絡みをされるくらいなら土下座して終わらせた方がマシ。プライドなんてどうでもいい、平穏な生活を望んでいるだけで」
あと結構握る力が強いので腕を掴まれるのも好きじゃなかった、今でも折られるんじゃないかという不安は少しある。
「じゃあこれからもするのかよ? 求められたら」
「え? まだしてくるの?」
「はぁ? ……人間ってのは1度甘いところを見せるとつけあがるものだろ?」
「お母さん達が買ってくれた物とかに手を出したら殺すけど」
「は……じょ、冗談だろ?」
「殺すって言うか壊す、同じ目に合わせる、それだけ」
別に平池君に言ってるわけじゃないけど牽制にもなるだろう。
やばい女だと思わせておけば不本意なトラブルに巻き込まれる可能性も下がるというもの、平池君にも沢山友達がいるのは知っているので広めてくれれば好都合だった。
「怖い女だな……でも朝日より分かりやすくて好きだ」
「返事はどうするの?」
「本音はもう分かっちまったし別れを切り出してきたのは朝日だ、受け入れるしかないだろ」
「ずっと好きだったんじゃないの? やっぱり人を好きになるって意味のない行為だね」
自分のしていたことがどんどん正しかったと分かっていく、無駄なことで一喜一憂するなど自分がする必要はない。
けど、あの時泣いていた僕や、抱きしめられて安心した僕はどこにいってしまったのだろうか? 母に顔を見たくないと言われて露呈した弱さだとしたら、もう2度とあんな醜態は晒さない。
「好きだったけど俺にはもう続ける勇気がないんだ。だってお前、自分のことを好きじゃない女と付き合えるか? お前で言えば好きでもない男と付き合えるかって話だよ」
「意味のない話、平池君が別れたいなら別れればいいだけ」
「そうだな……だけどここで電話させてもらってもいいか?」
頷くとすぐに彼は行動を始めた。
……何でわざわざスピーカーモードで通話をするのかは分からないけど。
「朝日、今日までありがとな」
「……ごめんなさい渉」
「いや、はっきり言ってくれて助かったわ。祐とはどうなんだ?」
「どうなるんでしょうね、分からないけれど」
「なるほどな、じゃあ――」
「そこに誰かいるの?」
女の子特有の鋭さだろうか、こういう点で鷲谷さんは母に似ているような気がする。
「綾野と途中で会ったんだ。けど誤解してくれるなよ? こんなあっさりしてるのは浮気してたからじゃないからな? どちらかと言えばお前の方が……まあいいや終わったことだし」
「皐月、聞こえているんでしょう?」
そしてこういうところも。
嘘をついても仕方ないのでうんとだけと答えておいた。
「祐に近づかないでよ?」
「何回も言われなくたって分かってる。でもそっちがなにかしてきたら壊すから」
「か、関係をってこと?」
「いや、鷲谷朝日という人間と長崎祐という人間を。もっとも、なにもしてこなかったら僕だってなにもするつもりはないけど。これは僕の物に手を出した場合の話だから」
「しないわよそんなこと」
「ならいい。ちゃんと長崎君が来ないようにして、来られると迷惑だから」
平池君のスマホだけど勝手に通話を終わらせて本人に返す。
「すっきりした?」
「いや……正直凄く悔しいし悲しいよ、ちょっと泣いてもいいか?」
「べつに泣けばいい」
宣言してから出せるものだろうかと不思議に思っていたら、目の前で本当に嗚咽し始める平池君。
何故か少し綺麗に感じて頬を伝う涙を指で拭った。
「……そういうのやめてくれよ」
「綺麗に感じた、本音が見えているから?」
「知らないけど……不快じゃなかったなら別にいいか」
「これくらいで泣き止むということは、全然悲しがってない」
「違うよ……悲しいけど何かお前が近くにいたら馬鹿らしい気持ちになったんだ」
「やっぱり僕に恨みがある?」
「違うって……お前……皐月みたいな生き方をしたいって思ったんだよ」
何でこのタイミングで名前呼び……悲しいからって名前呼びをしたところで何も変わらないのに。
「皐月ーご飯よー」
「んー平池君も食べていけばいい」
「え、いいんですかね?」
「大丈夫よ? それじゃあ下で食べましょうか」
何で僕も誘ったのか分からないけど、早くお母さんが作ってくれた美味しいご飯を食べたいから1階へと急いだ。