03
夜ご飯も食べさせてもらってお風呂にも入らせて貰った後、僕はリビングでゆっくりしていた祐君のお母さんである岬さんと、お父さんの昭さんに改めてお礼を言わせてもらうことにした。
「あの……ありがとうございました」
岬さんは目をゴシゴシと拭っておかしな物を見たような感じで僕を見ている。
対する昭さんは側にいた祐君を呼んで何か耳打ちしているようだった。
「め、迷惑なら……出ていきますから」
僕がそう言ったら昭さんは出て行ってしまい、代わりに岬さんが抱きしめてくれる。
「心配しなくていいんだよ? それでもいつかはきちんと朔ちゃんと仲直りしてもらうけどっ」
「でもそれは……」
「1年でも2年かかっても構わないからさっ。今日からあなたはここの家の人間ですっ、朔ちゃんからも結局「よろしく」って電話がかかってきたしね」
祐君に「泊めないでよ」と言っていたのに……いや、僕だってこうして泊まってるから人のこと言えないけど、少し複雑だった。
「だけど皐月ちゃん、1つ残念なことがあります! 部屋が余ってません! なので、祐と一緒に寝てもらうことになるけど良いかな?」
「それだと祐君に迷惑……あ、いえ、そもそも岬さん達に迷惑をかけているわけですけど……」
毎朝起こしに来てくれていたらしいし今更気にすることではないように思う。
別にベッドで一緒に寝るとかではないだろう、それにさっきは抱きしめられたわけだし……。
「気にしない気にしないっ、祐もいいでしょ……って、何顔を赤くしているの?」
「俺らくらいの男女が一緒の部屋で寝たら不味いでしょっ、父さんと寝るから母さんが寝てあげてよ!」
「あのねえ、いきなり一緒に寝ることになったら皐月ちゃんが緊張するでしょ!」
「だからそれは俺とだって……あ、じゃあ夏だし俺はリビングのソファで寝るよ、皐月ちゃんは俺の部屋を使ってくれればそれでいいからね」
「駄目ですよそんなの、僕がここでいいですから。家に住めるだけで幸せなので、そういうわけで――」
今日は何回抱きしめられるんだろう。
「いいから祐の部屋で寝てね皐月ちゃん、あと敬語はいらないからねー」
「……岬さん、あ、あ、ありがとっ」
「くぅ! ……か、可愛いじゃん、若いってだけで卑怯なのに……うぅっ!」
「あ、気にしなくていいからっ、部屋に行こうか……」
2階へ上がって部屋に入れてもらうと祐君の様子がより落ち着かないものになった。
消臭スプレーをこれでもかと使用してから「く、臭かったら嫌だよね?」と苦笑していた。
「僕は祐君の匂い好き」
「えっ!? も、もう……早く記憶戻らないかなー」
「前の僕はどんな感じ?」
同じように意識して動いていれば戻れるのではないだろうか。
「そりゃもう何でもかんでも「興味がない」から始めるような子だったけどさ、それでもこっちの心配をしてくれる優しい子だったよ? 無防備で危なっかしくて、ま、守ってあげたいなって思ってた」
「……そんな……弱くない」
もしかしたらという仮定に僕の勢いがゆっくりになる。
嫌いって言ったのは告白されて断ったのではないのか、と。
「……実は僕はずっと鷲谷のことが好きだったんだ」
すぐに否定されたけれど。
鷲谷朝日さんが好きだったのにどうして僕に優しくしてくれるんだろうと不思議に思う。
「でも鷲谷は渉のことがずっと好きで、今になってやっと付き合うことができたんだよ。応援して、し続けて、彼女達の願いが叶った時は自分のことみたいに喜んだしお祝いもした。だけど……鷲谷といる時は上手く笑えないんだ……それと渉といる時も」
「あのっ、どうして僕に?」
だから本当はまだ諦められなくて鷲谷さんに振り向いてほしいけど叶わない現実にもやもやしているということだろうか?
「……聞きたくない」
何故かそう思っていた。
祐君が力なく笑っているのも、優しくしてくれるのも本当の願いが叶わないからしてくれているんじゃないかって感じたから。
要は僕のことなんて本当はどうでもよかったということ……抱きしめてくれたのも……。
「……下で寝る」
「……俺が寝るから、ベッド使ってくれていいからね」
夏だからよかったけど何も説明せずに出ていかれたら困ってしまう、何を使っていいのかも分からないし本人には下で寝てもらっておきながらベッドを使用させてもらうなんてできるわけがないのに。
「ちょ……いいから」
「……でも皐月ちゃん嫌そうな顔してたし」
「……呼び捨てでいい。それに出ていかれたら、なにを使っていいかも分からないっ」
「分かったよ皐月……」
「ありがと……」
彼の家に住めることになったのは救いけど楽観してばかりもいられない、何故なら荷物のほとんどはまだ自分の家にあるからだ。
……1人で真夜中に外へと出るのは怖い……祐君だったら協力してくれる……かな? いや、甘えるべきではないような気がする、今でさえ既に迷惑をかけてしまっているのだから。
「もう寝るっ」
そうと決まれば早く寝て恐怖に負けないよう少しでもスタミナを回復させないといけない、幸い、祐君もすぐに電気を消してくれた。
現在の時間は恐らく20時10分くらいだと思う、実はそういう理由を抜きにしてもこれくらいの時間になると僕は眠くなる生き物だ。
だけどすぐに後悔する。
だって祐君はそうじゃないのに僕のせいで部屋の電気を消さなくちゃいけなくなるし、部屋という1番のプライベート空間を失ってしまったというわけだから。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、俺も……僕もこれくらいにいつも寝てるから」
「あ、明日からは頑張る……から」
鷲谷さんが好きなのに……代償行為なんだから勘違いしてはいけない、多分そこに僕が願った原因があったのかもしれないから。
10分くらい経ったあと祐君の寝息が聞こえてきた、ありがとうとおやすみを伝えて部屋を出る。
「あれ、皐月ちゃんどうしたの?」
「家に必要な荷物とかを取りに行く……祐君は寝たから今から1人で」
「分かったわ、少し外で待っててくれる?」
「え……1人で」
「1人で行かせられるわけないでしょ。大体、朔ちゃんと顔を合わせて普通でいられるの?」
それは無理そうだから本来は夜中にと考えた、なのに好条件が揃ってしまったためつい部屋を出てきてしまったのだ。
家までの道を歩きつつ申し訳ない気持ちでいっぱいだった、そうでなくても迷惑をかけているのにこんなことまでさせるなんて……我慢して母に謝罪して家に住んだ方がいいのではないだろうか。
「朔ちゃん、皐月ちゃんが荷物を取りたいんだって」
「……分かったわ」
「ほら皐月ちゃん行ってきて? 待ってるから大丈夫だよ?」
「あの……お母さん」
「……何よ?」
こんな形でまた再会して気まずい、それでも岬さんや昭さん、そして何より祐君に迷惑をかけたくない。
「ご、ごめんなさい……岬さん達にやっぱり迷惑かけたくないから……家に戻りたいっ」
「ふぅ……それなら何で最初から謝ってくれなかったのよ」
「意固地になってた……んだと思う」
いや、今でも本当は何で祐君の味方ばかりしてたの、実の娘を信用してくれないの? と思ってるけど、やっぱり僕の家はここなわけで……迷惑をかけるにしても実の母では話が違うだろう。
「岬はどう? 娘はこう言ってるけど……」
「朔ちゃんの馬鹿! 素直にならないから皐月ちゃんだって悲しんでたのに……すこーし見ただけで戻りたくなるくらいの魅力があるんだからずるいよねー!」
「そうは言っても親子なわけだし……ま、どこかの誰かさんには『どっか行っちゃえ!』とか言われちゃったけどね。生憎とここから消えるわけにもいかないし、言われた程度で消えようとも思わないわ。けれど、馬鹿娘でも見る義務があるし……戻ってきたいなら……戻ってくればいいわ」
「30代のツンデレとか気持ち悪いよ?」
「う、うるさいわよ岬! ……とにかくありがとね、馬鹿娘は野宿しようとしていたみたいだから」
確かに馬鹿な行為だったかもしれないけど流石に言い過ぎのように感じる……。
「岬さん、ありがとう……ございました! 昭さんや祐君にも……」
「くぅ……せっかく可愛い娘ができたと思ったのに! 皐月ちゃん、逃げたくなったらいつでも来てね? この変な女の人の所に無理していなくていいから!」
「あ、ありがとうございます……。あ、そういえばこの服祐君の……あと制服も向こう……」
こういう展開は予想していなかったので、今度は長崎家に忘れ物をしてしまったようだと気づいた。
「うん、朝寄ってくれればそれでいいよ、祐の服はそのまま貰っちゃって?」
「そ、そんなこと……」
「あの子全然服を買わないからこういう機会にね? それじゃあね2人とも!」
「ええ、本当にありがとう岬!」
岬さんは「仲良くしてねー!」と言って去って行く。
「あの……」
「何よ?」
「えと……」
「はっきり喋りなさい!」
「お母さんの顔を見るとやっぱり落ち着く!」
「うるさいわよ!」
えぇ……せっかく頑張ったのに!
とりあえず家の中に入らせてもらうことにした。
長年生活してきたここはやはり落ち着けるし、母だっているのは嬉し……いと思う。
まあ、母はどうか分からないけれど。
「……ご飯は食べたの?」
「うん、お風呂も入った」
「そう……皐月、今日は一緒に寝ましょうか」
「ん……」
眠たいし明日からも自由に寝れると思えば全然問題ない。
寝室に移動するとぐがーぐがーとうるさい寝息を立てていた父を母がベッドから落とす。
「ぐぇ!? ……な、何だっ?」
「今日は皐月と寝るのよ、どいて?」
「……言葉で伝えてくれればいいのに……って、皐月帰ってきたのか! おかえりっ」
「ん……ただいま。お父さん、ごめん」
「え? あれ、皐月って『お父さん』なんて呼んできてたっけか? ……まあいいか、リビングで寝るよ今日は。ゆっくり話でもすればいいよ」
今更ながら別に自分の部屋でも良かったような気がする、けれど母は「気にしなくていいのよ」と穏やかな笑みを浮かべていた。
そういうことならとベッドに寝転がって布団の中に入ると、先程まで父が寝ていたのもあり少し暑い気がした。
「もう夏ね」
「うん、最近暑い」
「祐君、どうだったの?」
「あの後抱きしめてくれたし、家でも優しくしてくれた」
だから自分が特別なんじゃないかって勘違いしそうになったことは言わなくてもいいだろう。
「祐君は鷲谷さんが好き、だから本当は僕のことなんてどうでもよかったと思う」
「幼馴染なのよ? それにどうでもいいならあんなに真剣になれないわよ。親しい間柄だとしても相手の親に会うって緊張するものじゃない? しかも祐君は言いたいこともきちんと言ってきたんだし……ねえ皐月、あなた夕方の時みたいに記憶消えてくれって願ったの?」
「多分……理由はよく分からないけど」
夕方のそれは記憶だけについてではなかった。
側にいると安心感を抱ける母相手に……考えたくないっ。
「お母さん消えないでっ」
「はぁ? さっきも言ったけど消えないわよ。というか、娘に言われた程度で消えてあげないわよ?」
「ん……手繋いで」
「はいはい……」
寝ている間に何かあっても嫌だし絶対に離さないと決めた、もし何かの力が働いて母1人消えてしまうよりも、自分含めて消える方が気が楽だから。
「……皐月、今日はごめ……ん……」
「お、お母さん!? ……ただ寝てるだけ……」
いくら周りのことを忘れようとどうでもいい、だけどお母さんとお父さんのことだけは絶対に忘れたくないし、消えさせたくない!
「寝よう」
守れるように強くならないと、すぐに泣かないように頑張らないといけないようだ。
ある意味自分をリセットできたのは良いことだったのではないだろうか?
少なくとも今の僕はそう思った。
翌朝、起きるともう横にお母さんはいなかった。
心配になってリビングに行くとそこにいてくれて安心する。
「おはよう皐月、早くご飯を食べて岬の所に取りに行きなさい」
「おはよ、でもお母さんから離れたくない」
「昨日とは真逆すぎて困惑するわね……気持ちは嬉しいけど今日も学校があるでしょう?」
「どうでもいい、お母さんの方が優先順位が上」
「……今日も一緒に寝てあげるから行きなさい、私は家にちゃんといるから! 消えたりしないから!」
確かに安くない学費を払ってもらっているわけだし行かないという選択はできなかった。
ご飯を食べつつ寄り道せずに帰ろう、そしてきちんと祐君に改めて感謝を伝えることも忘れずにしようと僕は決めた。
準備を済まして家を出る……今たったこの瞬間から戦いが始まったわけだ。
長崎家に寄ると岬さんが出てくれて僕はお礼を言った。
それから中に入らせてもらって制服へと着替えさせてもらおうとしたんだけど、
「皐月っ、どうして帰るにしても言ってくれなかったの!?」
祐君が怒っているようで、すぐには着替えられなさそうだと気づく。
「迷惑をかけたくなかった……プライベートな空間を失くしてしまうのが辛かったから……それに祐君に言ったら『帰らなくていい』って言うから……制服に着替えたい」
「……分かった。でも放課後に話したい! 駄目かな?」
「……お母さんに会いたいから、放課後は無理」
「なら昼休みでいいよね!?」
「昼休みなら……まあ」
どうせ同じクラスだし……。
祐君が出ていってから制服に着替えた。
私服よりも制服を着ていた方が落ち着くのは何でだろうかなんて考えつつも、一階へ下りてお礼を言ってから家を後にする。
これでもう無駄に長崎家へと寄る必要はなくなったわけで、僕の気分は実に軽いものだった。