9.異世界の婚約者
私の言葉に驚いたノルムさんは、目を見開く。
「・・・チサ、すまない。私は少し浮かれ過ぎてしまっていた様だ。・・・チサを迷惑だとは思わないし、蔑ろにする気も無かったんだ・・・。その、やるべき事や、処理すべき事が多く、あまりチサの事を省みなかったとは思う・・・。その・・・い、今まで、お前の苦しい気持ちに気付かなかった・・・。」
私をしばし見つめた後、ノルムさんは気まずそうにそう言った。
・・・でも、それは仕方ない事なんじゃないかな。
だって、ノルムさんはもう28歳だったと言う。
・・・つまりいつ死んでもおかしくは無かった訳で・・・。
それが、私が落ちてきた事で、パッと解決したのだ。
死ぬと覚悟を決めて諦めたであろう、好きな人と結婚したり、ずっとやりたかった仕事を先に進めたりも出来る様になった訳で・・・。それは、浮かれてしまっても仕方ないんじゃないだろうか。
「あの。別に・・・この世界に落ちてきたのは、ノルムさんのせいじゃないですし・・・。お世話になってて、すごく感謝はしているんですよ?・・・でも、馴染めないって言うか、いろいろと・・・辛くて。それは私の勝手なんですけど・・・。・・・たまに、夢を見るんです。元の世界に戻れた夢とか、普通にあっちで暮らしてる夢なんですけど、すごく幸せで・・・。だけど、目覚めると・・・絶望感がすごくって。」
「お前は・・・こちらの世界に・・・絶望・・・しているのか。」
ノルムさんは、私を見つめたまま目を逸らせない様だ。
私はその目が少し怖くて、目を伏せる。
「この世界も、貴族の生活も、分からない事だらけですから・・・。」
「だから、サイモンを付けたのだろう?・・・ゆっくりでも、この世界を知れば良い。その、お前を放っておいた期間は、少し長かったとは思う。だが別に、それは放置していた訳では無いのだ。・・・気持ちの整理がつくまで、少しお前をゆっくりさせてやるつもりでいただけで・・・。これから、少しずつでもこの世界を知って行けば・・・良いかと・・・。先は長いのだから・・・と。」
そっか。
ノルムさんなりに気を遣ってくれてたのか。
「・・・でも、良いんです。その・・・そんなに、この世界に興味も無いですし。」
「・・・え?」
「私。・・・頑張って、これからどうしたいんだろうって考ても、何もしたい事も浮かばなくって・・・。私は魔力も無いから、きっとこうしてノルムさんに一生養っていただくしか、生き方も無いですし・・・。」
「チサ・・・。お前は私に養われるのが嫌なのか?」
ノルムさんは、酷く傷付いた顔をした。
「いえ。・・・嫌と言う訳では無くて。・・・私は・・・。その・・・。」
そこまで言うと、不意に涙が溢れてくる。言葉は嗚咽に変わり、それ以上は続けられなかった。
養われるのが嫌とかではない・・・心の拠り所になる何かが欲しくて・・・。でもこの世界で、全くの魔力無しに出来る事なんで、何もなくて・・・。
ノルムさんは渋い顔で私を見つめ続けて、溜息を吐いた。
ほら・・・その溜息・・・。本当に・・・辛くなるんだよ・・・。
・・・そんなに面倒なら、眠らせてしまえば良いじゃない。本には、私が死なない限りは、ノルムさんも生きていられると書かれていた。たとえ眠っていても、その効果は変わらないらしい・・・。
これは、無理だと思ったら、最後にお願いしようと思ったけど・・・簡単に限界が来てしまったみたい。
丁寧に扱われているし、本当に前の世界では考えられないような良い暮らしをしている。・・・でも、心から信頼できる人も、大切に思える人もいないこの世界で・・・一人で頑張るのに、疲れちゃった。
私は・・・そんなに強くない人間だから・・・ね。
「・・・。では何故、婚約したんだ。」
ノルムさんが、低く震える声で聞いてくる。
・・・婚約?
私は婚約なんてして無いよね?
思わず顔を上げる。
もしかして、誰かと結婚させる算段でもあったのだろうか?
・・・ノルムさんは、言ったつもりで忘れているのかも知れない。私が聞いているのは、ノルムさんとシャルロッテさんの婚約の件だけだ・・・。
確かに、シャルロッテさんとの結婚を機に、私と誰かを結婚させるつもりだったのかも知れない・・・。
新婚さんには、何も無くても正体不明の異界人はお邪魔だろうし・・・。結婚している『娘』?『養子』?が同じ屋敷に住んでいる方が、外聞も良さそう・・・だものね。
「・・・婚約の話は聞いていません。その、ノルムさんが言い忘れているのではありませんか?」
「・・・チサが良いと言ったのでは無いか。だから私は話を進めたのだ。」
・・・?
そ、そうだったの???
もしかして、上の空でそんな話に頷いてしまっていたのかも・・・?ここのところ、割とボンヤリ過ごしていたし・・・。
「す、すいません。だとしたら、ボンヤリして聞き逃していたのかも知れません。・・・ノルムさんや、お相手の方にはご迷惑をおかけしてしまいますよね・・・。あ、あの。もし良かったら、私に直に謝らせていただけませんか?・・・その方に。」
良く分からなかったとは言え、婚約までしていたのなら、直に謝るべきだろう。・・・お相手の方は、ご自分の人生をかけて、こんなお荷物を快く引き受けて下さったのだ。
・・・それに。
少しだけ、こんな私を娶っても良いと言ってくれた方が気になったのも事実だ。
せっかくなら、眠らせてもらう前に、お会いしてみるのも良いかも知れない・・・。
まあ、サイモンさんと同じで・・・『ノルム先輩の為』って、貧乏くじを引いてくれただけかも知れないけど・・・。
私がそう言って、ノルムさんを見つめると、ノルムさんは再び大きな溜息を吐いて・・・私に言った。
「・・・それは私なのだが。」
・・・と。