8.異世界の口説き文句
「チサ・・・それは了承できない。」
夕食時に、サイモンさんと星を見に行きたいとノルムさんに話すと、あからさまに嫌な顔をされた。
「・・・え。何でダメなのでしょうか?」
夜空に太陽や地球が見えるかも知れないから、見に行きたいとは言っていない。・・・この世界になじめと言って憚らないノルムさんに、こんな事は言えないから。
だから、反対などされないと思っていたのに・・・?
ノルムさんは肺の底から吐き出すような、深いため息をついた。
「・・・あのな、チサ。それはデートの誘い文句だ。」
「え?」
「星を見に行こう・・・は、夜にデートをしようという約束のボカした言い方だ。・・・意味は、分かるな?」
・・・え。
「で、ですが、星の話からの流れで、そういう事になったので、サイモンさんもそんなつもりでは無いと思います。」
「・・・だとしても、許可できない。」
・・・。
不機嫌そうに言われ、気持ちが落ち込んでいく。
「・・・そ、そうですか・・・。」
伏し目がちにそう言うと、ノルムさんはまたしても溜息を吐いた。
「・・・サイモンを信用してしない訳では無いし、本気で星の観察に誘ったのだと思う。・・・だが、婚約者の居る身で異性と夜に出かけるなど許可できない。」
・・・そうか。
サイモンさんにも婚約者がいるのか・・・。
そう言えば、貴族のご令嬢やご令息は、子供の頃に婚約をする事も少なくないと聞く。
・・・そうだよね。
お仕事とは言え、異界の・・・ご令嬢でもない・・・私なんかと出かけたら、ご迷惑をかけるんだよね・・・。
私が項垂れると、ノルムさんは少し焦ったかの様に聞いて来た。
「そ、その・・・。その代わりに、なにか欲しいものは無いか?何か買ってやろう。・・その、・・・私はお前と・・・あまり時間を過ごしていないから・・・。『落ち人』を得た事で、私の寿命が伸びる事が確定した為に、忙しくて。・・・すべてチサのおかげなのだが・・・。」
気まずそうに言うノルムさんに、苦笑を浮かべる。
・・・気を遣わせてしまったな。
「大丈夫です。その、星は見たかったのですが、サイモンさんにご迷惑をおかけする訳にもいきませんから。・・・それに、私は良い暮らしをさせて貰っていますし、満足してます。」
「し、しかし・・・。」
そう言われても、欲しいものなんて何もない。
この世界のドレスも、宝石も・・・出かけないし、見せたい人もいなければ、綺麗だなと思うだけだ。・・・贅沢な食事も、なんだか酷く味気なく感じるし、清潔だけど、まるで落ち着かない部屋にも興味は無い・・・。
そもそも、ノルムさんが居なければ、この異世界で、お金どころか、生活するのに必要な魔力すら無い私だ・・・どれほど苦労するかは、想像に難くない。・・・だから、ありがたい事だって知ってる。
「だが最近、お前の元気も無いと、クレアからの報告で聞いている。その上、星の観測もダメだと言ってしまって・・・その・・・。」
・・・あ。
そう。・・・そうなんだ。・・・クレアは私の様子を、報告してるのか・・・。
溜息が深くなる。
・・・最近特に元気が無いと言う訳ではない。元気なんて、こちらに来てから一度も出てない・・・。
ただ、シャルロッテさんお勧めの冒険小説が読み終わって、少しだけ喪失感を味わっているだけだ。サイモンさんが来てくれている間は、話せる事で少しは楽だが・・・やはり、夜になると・・・逃げ込める小説が無いのが堪えている・・・。
「あ・・・!なら、シャルロッテさんに、もっと冒険小説を勧めて欲しいです。」
私がそう言うと、ノルムさんは少し困った顔をした。
「シャルロッテも・・・その、婚約しているだろ?・・・だから・・・あまり・・・。」
・・・。そうか。そうだよね・・・。
シャルロッテさんだって、身分のあるご令嬢な訳で、いくらノルムさんが身分が高くて、相思相愛で、シャルロッテさんが私の事を理解してくれているとは言え、やましい事なんて一つも無いけれど・・・いわばノルムさんは、私を囲っている様な状態になっている訳で・・・。
ゴミ箱代わりの異界の小娘とは言え、ご家族的には、複雑なものがあるのかも知れない。
「・・・すいませんでした。シャルロッテさんにご迷惑をおかけするつもりも無くて。・・・とても面白い本を選んでいただいて、ここ暫く楽しく過ごせたので・・・。」
そこまで言うと、なんだかドッと疲れが溢れ出てしまった。
・・・なんか、疲れちゃったな。
この世界で、わりと気に入ってた、冒険小説も無くなっちゃった・・・。
かと言って、自分で色々な本を探す気にもなれない。・・・推理小説やサスペンス小説を読んだ時の、あの何とも言い難い気持ちを味わいたく無いんだよ、な。本好きのシャルロッテさんなら、あの本みたいな雰囲気の・・・って言えば、紹介してもらえるかなって、思ったのだけど。
サイモンさんも小説には疎い様子だったし・・・。
それに・・・星も・・・もし地球や太陽が見られたら、夜にそれを眺めるのを楽しみにできるなって思ったけど、それもダメで・・・。
ダメ、ダメ・・・ノルムさんはダメばかりだ・・・。
不意に不満が込み上げて来て、慌てて気持ちを整える。
いくら、ノルムさんがお金持ちで、すごい魔道士でも・・・出来ない事や買えないものがあるのは当たり前で・・・。できる事の中から、良くしてくれようって気持ちは、ありがたいし、わかる・・・。
だから、ガッカリや八つ当たりなんかしちゃダメだよね・・・。
保護者ではあるけど、善意の他人に、わがままなんて言えないんだから・・・。
そうだ・・・魔導士・・・!
私は不意に以前、ノルムさんの図書室で見つけた本に書かれていた事を思い出した。
ノルムさんを見つめる。・・・相変わらずの読めない表情だ。
私は心を決めると、しっかりとノルムさんと目を合わせた。
「ノルムさん・・・。魔法で私をずーっと眠らせたりできませんか?・・・私、あまりこの世界になじめなくて、とても辛いんです・・・。私が生きていれば良いだけなら、幸せな夢を見せて、死ぬまでずっと眠らせてくれませんか?」
私がそう言うと、ノルムさんは驚きの表情で私を見つめる。
「・・・チ・・・サ・・・?」
「なんか、疲れちゃって。ずっと眠って、誰のお邪魔にもならないようにしたいんです。・・・もちろん、ノルムさんにも。それに、夢の世界なら、本当じゃなくても元の世界に戻れますから・・・。・・・そんな魔法があるって、本で読んだんです。・・・お願いできませんか?」
私がヘラリと笑ってそう言うと、ノルムさんはジッと私を見つめたまま・・・暫くそうしていた。