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八話 ジイル・プロイセン

アルハイトは今回のミネルバ暗殺未遂事件の顛末について考えていた。


アルハイト下着店と敵対する何者かに雇われ、裏切った傭兵団ヤマアラシ。


その敵対するアルハイトに時の魔女ミネルバ・レイヴンオウルが親しくしていることを知り危機感を抱いた。つてを伝い有名な腕利きの暗殺者隠者にミネルバの暗殺依頼をする。


ミネルバを襲ったヤマアラシの面々と隠者であったが、ミネルバ自作の魔法陣に行動を制限されてしまう。


隠者は何らかの方法で魔法陣の効力から抜け出し、情報の隠蔽と逃走時の身軽さを考えてヤマアラシの傭兵達を殺害した。その後ミネルバを襲うも、学園の防犯装置すら認識出来なかった部屋の異変にジュジュが気付き、助けに入る。


そしてクロノスが呼んだ援軍が来るまで耐えるも、援軍が来たときに油断したアルハイトを庇い、ミネルバが負傷した。結果ミネルバの右腕に麻痺が残る。


ヤマアラシの傭兵達の身元は皆がグリム領の孤児院出身であることがわかっており、現在他のヤマアラシの構成員を情報の為に追っている。


もはや傭兵団ヤマアラシはアルハイト達だけでなく、学園、そして国からも敵視され調べられている。


そして問題は状況証拠がアルハイトに大変不利である点だ。


不審な点が余りに多い。


何故襲撃に気付くことができたのか?

ミネルバの危機に現れたのは都合が良すぎる。

傭兵団の出身がアンデルセン領。


ミネルバに取り入る為の自作自演と言われても言い返すことが出来ない。そして何より、自作自演というのがあながち間違いでもないことがアルハイトの頭を悩ませている。


知らず眉根にしわが寄る。


「アル!…聞いてるの?アル!」


ミネルバのことも心配だ。

気丈に振る舞っていても猛毒に犯されたのだ。今後、麻痺以外にも後遺症が見つかる可能性だってある。自身に関わったことで親しい人が、それも美しい女性が自身を庇ってケガを負ったのだ。アルハイトの心は深く沈んでいる。

詮無いこととわかっていても自己嫌悪で自身を責めてしまう。あの時、油断しなければ、と。


「アルってば!」


その声にアルハイトは我に返る。

アンナの声だ。


「道こっちだよ。」


心配した様子だが、用件だけを伝えてくれる。その気遣いがアルハイトはうれしかった。


「ああ。ごめん。ちょっとぼーっとしてた。」


そう言い、アンナを安心させようと笑いかけた。その時、聞き覚えのある声が聞こえた。


「レイヴンオウル導師をあんな状態に追い込んでおいて良く笑っていられるものだ。」


怒気に満ちたその声の主はアルハイトに歩み寄る。


「やはり、貴様の自作自演という噂は真実であるようだな。謀略でも用いなければ導師に取り入ることなどできないからなあ!」


赤髪を七三に几帳面に分けた長身痩躯の男子生徒。学年四年次席、ジイル・プロイセンである。

口を開くごとに声量と怒りのボルテージが上がっていく。


「悪いけど、今はあまり機嫌が良くないんだ。また今度にしてくれないか。」


感情を感じさせない声でアルハイトはジイルに応える。

発言後、アルハイトはアンナの手を取る。歩き出そうとしたところでまたジイルの声がした。


「だから近づくなと言ったんだ!導師もバカだ!俺の諫言も聞かずこんな恥知らずを庇うなんて!お前があの隠者を呼び込んだんだろう!?なあ?そうなんだろ!?」


遠ざかろうとするアルハイトの肩に手を掛けながらジイルは声を張り上げた。


「な!良く知りもしないでそんな事!」


ジイルの言葉にアンナは我慢しきれず言い返す。


「平民ごときが俺に口答えするなぁああ!」


感情の高ぶっていたジイルはアンナの対応に激昂した。

怒鳴り声と共に拳を握り、アンナに対して腕を振り下ろす。


「え?」


突然の出来事に固まってしまうアンナ。セニアのトラウマもあるのだろう。顔を青ざめさせて動けずにいる。


硬直して、ぎゅっと目をつぶり、衝撃を待つ。だが痛みは襲ってこない。


恐る恐る目を開ける。そこには、ジイルの腕の関節を固め、その頭を地面に押し付けるアルハイトの姿があった。


腕に力を込め、ジイルの額をグリグリと地面にこすりつけながらアルハイトはジイルに底冷えのする声で話しかける。


「何アンナに手ぇ上げようとしてんだ。機嫌が悪いって言っただろ?これ以上騒げばアンデルセン家の名に懸けてお前を消す。」


その言葉にジイルは誰に噛みついていたのかを思い出す。代々比類なき武によって領地を守ってきた修羅の一族、その嫡男である。知らず冷や汗が額を流れる。


その様子にアルハイトはもはや興味を失いジイルを解放した。


「今回は許してやる。次はない。」

「ま、待て!」


その場を去ろうと背を向けるアルハイトに声がかかる。


アルハイトの想像以上に思春期の自意識は過剰で繊細だ。年下相手にジイルは引っ込みが付かなくなっていた。


わなわなと、その手を震わせるのは屈辱故か。

額には血管が浮かんでいる。


年下に格下を見る目、憐れみにも似たその視線を向けられ、ジイルの尊大な自尊心は自身に愚かな選択を迫った。


「アルハイト・アンデルセン!貴様に決闘を申し込む。」



決闘。


それは同格の者同士が誇りをかけて、武力を持って優劣を決する原始的かつ簡易な裁判の一形態だ。


決闘を申し込まれた側が条件、つまりはルールを定め、審判と観衆の前で行われる。

そして決闘後、敗者は勝者に対して先に定めた報酬を履行しなければならない。


「その…。決闘、どうするの?」


アンナが心配そうにアルハイトに確認を取る。


「それを調べる為に今あの鼻持ちならないジイルのことを調べているんだ。」


アルハイトは現在ジイルについての調査に従事していた。使い魔は何か。その能力は?魔法はどれほど強力なのか。更には実家の権力についてまで様々だ。これらは一重に決闘の勝算があるかどうかを探る為の行動である。


この時間を取る為にアルハイトは空気を読まずに決闘の申し込みを保留にしていた。


「でも、私たちにはまだ決闘をする権利はないはずじゃ…。」


決闘の制度は15歳、つまりは成人を迎えた者にのみ認められた行為だ。本来アルハイトに決闘を行う権利はない。しかし、この制度には抜け穴がある。


「決闘の申請者に未成年が成ってはいけないという条文しかこの国にはない。つまり、未成年であっても決闘を申し込まれれば受けることが出来るんだ。本来成人前の人物に決闘を申し込む恥知らずなどいない、って主旨で申し込みの条文に留められたらしいけど、どうやらあの先輩は相当な恥知らずのようだね。」


過去にも未成年でありながら決闘を行った事例はある。本来決闘は『同格』の者同士にしか適用されないのだが、格の高い者、つまりは成年済みの人間の格が下げられたものとみなされ条文違反とはならないのだ。


「大丈夫だよ。決闘するにしてもルールを決めるのは申し込まれた側である僕だ。一定の縛りがあるとはいえ、その権利を精々利用させてもらうさ。」


アルハイトはそう言い、何やら準備を始めた。


アルハイトは決闘を受けることを決めたのだった。



「アル!説明してよ!何するつもり?」


アンナが困惑しながら学園の放送室を占拠したアルハイトに言い募る。


占拠といっても武力行使で無理矢理その場を占領したわけではない。事情を話し、多少の『誠意』を渡したところ、放送室の主たる放送委員達はおとなしく、寧ろ面白そうにしながら立ち去った。


「ん~。ちょっと宣戦布告をね。」


戦いを受ける側は宣戦布告っていうんだっけ?などと小さく呟きながら、アルハイトは校内放送に使われる魔術紋に魔力を通す。


魔術紋は魔法陣の劣化模造品だ。既存の魔法陣を魔力を込めながら模写することで似た効果を発現させることが出来る。最大の違いは魔力を必要としない魔法陣と違い魔術紋は術者の魔力を必要とする点だ。


幸いアルハイトは魔法をまだ使用できないが、使い魔召喚と同時に魔力を外に排出することだけは出来るようになっていた。


『ん゛ん。あーテステス。マイクテスツ!』


アルハイトのやたら暢気な声が校内放送で学園中に流れる。


今までの校内放送と趣の違うこの放送は少なくない生徒や教師の気を引いた。

というかすでに教師の一部は即座にアルハイトの声であると理解し、変なことを言われる前に放送を止めようと冷や汗を垂れ流しながら放送室へと駆けている。


『え~皆さんこんにちはアルハイト・アンデルセンと申します。』


それは礼儀正しい自己紹介から始まった。


『実は先日、ジイル・プロイセン四年次席から決闘を申し込まれました。』


一息分の間を空け続ける。


『しかし、私はまだ未成年。軽々しく決闘を受けることは出来ません。とはいえ、このまま決闘を受けないとすればそれは貴族の名折れ!アンデルセン伯爵家嫡男としては下級貴族の挑戦程度、受けないわけにもいきますまい。』


大きく深呼吸を一つし、声を張り上げる。


『ジイル・プロイセン!私は君の決闘を受けよう!』


学園の生徒達、教師陣はアルハイトの演説に聞き入った。前者は面白そうだと目を輝かせ、後者はまた厄介ごとかと頭を抱える。


『さて、決闘をうけるに当たって、その規則の制定権は私にある。決闘相手が未成年の格上貴族に決闘を申し込む常識知らずのようですので、衆人環視のもとでその条件を発表させていただく。』


アルハイトはアンナしか見ている人は居ないのに、腕を広げ、ジェスチャーを付けながら言葉を紡ぐ。ノリノリだ。


『一つ、決闘は当人同士で行うこと。ただし、当人には使い魔も含まれるものとする。

一つ、武器、道具の持ち込みは自由。ただし、魔法的要素を持つ物は武器道具問わず禁止。』


などなど、決闘の条件が事細かにアルハイトの口から告げられる。


『最後に、得てして卑怯者の弱者程、負けたその時、卑怯だなんだと言い訳をする。誤解を恐れずあえて言おう。卑怯卑劣は敗者の戯言、勝利への手段に是非などない。』


アルハイトはじんわりと汗をかいている。演説に力がこもり過ぎたのだ。しかし、もう最終局面だ。


『以上の条項は後日改めて書面でお渡ししよう。決闘は本日より三日後。場所は学園の決闘場だ!』


ふー、と一息。そして締めの言葉。


『さて最後に私が勝った場合の報酬だが…。それは決闘場で話し合おうか。それでは首を洗って待っていたまえ!…ブツン!』


そうしてアルハイトの宣戦布告は完了した。


「えーと。お疲れ?すごいやり切った感じだけど、こんな目立つことする必要あったの?」


アンナのもっともな疑問にアルハイトは笑って答える。


「そりゃあるよ。まず、あんなにジイルのこと調べたのに決闘やっぱりやめますとか言わせない為。ほら、僕は未成年だからそういわれたらなにも出来ない。学園中に知れ渡れば、あいつもやっぱなし、とは言えないでしょう。やめたらやめたであいつの名誉は失墜する。そうなれば僕は労せずしてあいつに復讐できたことになるから良いけどね。」


アルハイトはアンナが理解できているか確認しながら話す。アンナは若干呆れた様子で話しを聞いている。


「それと、決闘当日に人をたくさん呼ぶこと。これに勝てば、僕たちは早々舐められなくなる。さすがに我慢の限界が近づいてきてるよね。」


それはイジメのことだ。今まではたいして気にならなかったが、ミネルバが襲撃されてからアルハイトは機嫌がことさら悪い。今までは流せた嫌がらせにも露骨に顔をしかめてしまう程に。


ミネルバの襲撃に責任を感じているアルハイトであったが、かと言って出来ることもない。精々がばあやに頼んで捜索の人員を増やすこと位だろう。


毎日ばあやから捜索と店再建の報告が上がってくるが、大きな進捗があるわけでもない。


苛々は募るばかりだ。


何かしたくても出来ないフラストレーション。それがこの決闘を受け、なおかつ派手なパフォーマンスをした一番の要因なのかも知れなかった。


「まあ、そんな訳でこの放送は必要な事だったのさ。」


アルハイトはそう締めくくった。


「でもこれで負けたら意味ないわよね?何か策でもあるの?」


アンナの言葉にアルハイトはいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。


「内緒。」


その言葉の直後、学園の教員が真っ赤な顔で放送室に飛び込んできた。


大変怒っている様子であった。しかし、「放送委員の先輩方は許してくださいましたよ。」

と言うと教員は怒りの矛先をアルハイトから放送委員へと移行した。だが当然小言は頂戴した。



次の日、今度はジイルが校内放送を行った。教員に怒られたはずだが放送委員の面々は懲りていないようだった。


放送委員は学内の情報・娯楽を司っている。面白そうな事には教員の怒りを買ってでも加担していくスタイルのようだ。


ジイルの放送は貴族的な言い回しが多く、要領を得なかったが、要は言い訳である。


『アルハイトはミネルバと友誼を結ぶために暗殺者を雇い、自作自演で助け出した。アルハイトは自身の欲の為にミネルバに手傷を負わせたのだ。断じて許されるものではなく、ジイル・プロイセンが卑怯・非常識の汚名を被ろうとも正義の鉄槌を下す。』


要約するとこのような趣旨の放送だった。


「あの先輩も目立ちたがりね…。」


アンナは呟く。


アルハイトはと言えば、ジイルの放送に満足し、決闘に向けての最終調整に勤しんでいた。



決闘当日。アルハイトとアンナは決闘場の控室にいた。


決闘は後数分もすれば始まってしまう。


会場には多くの学園生徒が集まってきている。

使い魔召喚の儀程の賑わいはないものの、十分な盛り上がりと言えよう。


「アンナ~」

「どうしたのよ?」


そんな中アルハイトはアンナに泣き言を言っていた。


「決闘どうしよ~?」

「え?何か策があるんでしょ?自信ありげに準備してたじゃない。」

「アンナ。世の中に絶対はないんだ…。」


遠い目をして、さも悟ったかのようにアンナに語り掛けるアルハイト。


「じゃあ、なんで決闘なんか受けたのよ。」


策とやらを何一つ教えてもらっていないアンナは拗ねて、ぶっきらぼうな返事をする。


「それはアンナが殴られそうになってて腹が立ったから…。」

「え?」


常ならぬアルハイトの恩着せがましい言い様に、アンナは違和感を覚える。しかし決闘の緊張ゆえだろうと納得した。


「そ、そう。そのありがとう。」

「うん。だから勝ったら何か一ついう事を聞いてほしい。」

「え?いや、だめだめだめ。なんでもなんて…。」


なんでもという言葉に何を想像したのか、顔を赤らめ否定するアンナ。しかしアルハイトの真剣な表情についに頷いてしまう。


「そのどうしてもっていうなら…。」

「ほんと!?」

「勝ったらよ!勝ったら!」

「ひゃっほー!」


アンナの了承に雄たけびを上げるアルハイト。


「俺、この決闘に勝ったらアンナとアンナのブラ買いに行くんだ…。」

「え?ブラ?」


妙な死亡フラグを立てるアルハイトについていけないアンナ。もちろんアンナは死亡フラグなど知らない。彼女が戸惑っているのはそんなことではないのだ。


「ブラって何よ!もっとこう…あるでしょ!」

「ない!じゃあ行ってくる!絶対勝つよ!」


呆然とするアンナを残してアルハイトは意気揚々と決闘のリングに上がった。



「張った!張った!アンデルセン家の異端児と狂犬ジイルの決闘だぁ!」


闘技場の観客席では放送委員達が賭けの胴元として観客である学生たちに賭け札の営業をあちこちで行っていた。


「未成年者の決闘は史上二回目だあ。記念に一枚買わないかい?」

「ジイルに4枚。」

「あいよ。まいどありー!」

「あ。俺もジイルに3枚。」

「三枚ねー!ありがとうございまーす!。」


放送部員は声を張る。

ジイルの賭け札が良く売れているようだ。逆にアルハイトのは売れ行きが悪い。大穴というほどではないが、歴然とした差がある。


「ジイルってあれだろ?四年次席の。一年坊じゃ勝てるわけないだろう。」

「でもアンデルセン家の異端児って一年の主席だろ?意外と良い線いったりするんじゃ。」

「バカ。召喚の儀の事知らねえのかよ。臆病者のアルハイトだぞ。」

「ああ、そういえば…。」


そんな会話がそこかしこでなされている。


「それよりやたら堂々と賭博の営業やってるよな、あいつら。大丈夫なのか?」


当然ながら学園内での賭博は禁止されている。風紀を乱す恐れがあるからだ。しかし、今回放送部員がこんなにも堂々と賭博の営業を行っているのには訳がある。


そもそも今回の決闘騒ぎにおける賭博興業の話を持ち出したのはアルハイトだ。放送部に校内放送用魔術紋を借りる代わりに胴元を任せることになったのである。だが、胴元はもう一人いる。その人物こそが放送部員が堂々と営業できている理由なのだが…。


それはミネルバである。


莫大な研究費を国と学園から支給されている彼女であるが、研究のために金を湯水のごとく使う浪費家でもある。研究と興味の幅が広すぎて、出費が収入を上回ってしまう。


年がら年中お金が無くて喘いでいる彼女に、襲撃事件の責任を感じていたアルハイトはこの賭博興業の話を持ちかけたのだ。せめてもの償いとして。


多少風紀を乱した位でミネルバが処罰されることはない。その申し出に喜んで乗っかった。


賭博は基本的に胴元が得するようにできている。というより、胴元が儲かるようシステムを作るのだ。


処罰されないとはいっても学園長を筆頭に幹部陣に説教されることは確実なのだが、知ったことではない。説教を受けてお金が手に入るなら安い物だ。


そんな学園有数の教師が胴元なのだ。放送部員の頼もしさたるや、想像に難くない。

ひそひそと草場の影に隠れて営業する必要を感じない。


とは言えミネルバは決闘場に来ていない。病み上がりの彼女は病室にて金の管理と事務仕事に従事しながら、研究の構想を練っている。


「最新型魔導靭帯と強化外殻を買って人工の魔物を作ってみるのもいいな。高くて手が出せなかったんだ。」


取らぬ狸の皮算用をしながらもキチンと会計を行うミネルバの姿が病室にはあった。

薄くぼんやりと笑いながら焦点の合わぬ瞳を机の紙に向け、一心不乱に何事かを書き綴る。その有り様は精神に重大な疾患でもあるのではないかと心配させる。


現に看護医は思わずドクターコールをしてしまったほどだ。


『赤髪を七三に分けた眼光鋭い生真面目君。戦いにあってその戦い方は実に荒々しく雄々しい戦闘狂!しかしそれは緻密に計算された戦術のうえに成り立っている。まさに文武両道とはこの人の為にある!四年次席ジイル・プロイセン!やはり大方の予想は彼の勝利にあるようですね!』


ミネルバの病室まで届くその声は、拡声の魔術紋を使用した放送委員の選手紹介だ。これも生徒達が賭けを行う上で大事な情報である。


とは言えジイルは四年生、すでに四年も学園に在籍している上、次席だ。一年ですらその名を知らぬ人間は少ない。放送部員のアナウンスもほとんどの学生が知っている情報である。


それよりも、新入生であり、様々な噂飛び交うアルハイトの情報をこそ学生たち、特にアルハイトと学年の違う生徒達は求めていた。


『続いて一年主席アルハイト・アンデルセンの紹介だ!コイツぁちょっと紹介が難しいぜ!だが間違いないのはこいつが特大の問題児ってことだあ。学園史上初の入試知力テスト満点取得も召喚の儀式初の途中退場に加えて国内史上二人目の未成年決闘当事者だ!』


アルハイトの紹介に入った途端一学年の者達の罵声がそこかしこから聞こえ始めた。

筆頭はやはりセニアだ。


「ただの臆病無能の迷惑野郎だ!学園から出てけ!」


セニアがそう茶々をいれるとセニアの取り巻き達はゲラゲラ笑いながら「出てけー」と復唱する。


それをしているのがセニア達だけではないのだからアルハイトの嫌われ具合はすごい。


そんな一学年達の様子に多少の戸惑いを覚えながらもアナウンスは滞りなく行われる。


『使い魔を召喚したものの魔法を使うことが出来ないというアクシデントに見舞われながらも、しぶとく授業にはついていっているようです。しかし、魔法は使えずとも侮れません。彼はあの武の名門、修羅の一族アンデルセン家の嫡子です。その血統は紛れもなく一級品。話題に事欠かない彼の事、今回の決闘でも我々を驚かせてくれるに違いありません。』


このように決闘前からアナウンスと多くのヤジ、罵声が飛ばされ会場は熱を帯びていく。


喧噪の中、時間は刻一刻と過ぎ、ジイルが先に決闘場に姿を現した。



闘技場中央にてジイル・プロイセンは腕を組んでアルハイトの登場を待っていた。


纏う鉄製の鎧は貴族的華美さと共に、実用性をも兼ね備えた上品な物である。腰には片手剣を備え、左腕には金属でメッキされ、取り回しのしやすい丸盾を着けている。優秀な貴族子息を絵に描いたような出で立ちだ。


背後には巨大な黒い犬が控えている。黒の体躯に赤い斑模様がある。ダルメシアンの色を変え、大きくしたらこのような姿になるだろう。その使い魔はヘルハウンドと呼ばれる大魔である。ダルメシアンとの違いは牙と爪が異様に発達しており尻尾に黒炎を纏っているところだろうか。


脳内ではアルハイトとの戦闘をシミュレートしている。

情報を仕入れ、対策をしているのは何もアルハイトだけではないのだ。


「あの恥さらしめ。どうやら俺のことを嗅ぎまわっていたようだが、あいつは俺に近づけもしないだろう。」


ジイルはアルハイトが魔法を使えない事を知っていた。だが、同時にアルハイトが戦闘実技の授業で、魔法抜きで高い評価を得ているという情報も得ている。油断はしていない。

しかし、魔法を使えぬアルハイトは遠距離の攻撃に対応する術を持たない。ジイルはそこを突くつもりでいる。


我知らず、ジイルの口の端が釣り上がる。


「早く出てこい。アルハイト・アンデルセン。レイブンオウル導師に相応しいのは私であると証明しよう。」


ジイルは一人、小声で呟いた。


そしてタイミングを見計らうかのようにアルハイトが決闘場の中央へと進み出てきた。


「お待たせいたしました。」


その姿にジイルは目を剥く。


アルハイトの服装は実に動きやすそうな皮装備であった。貴族というよりかは傭兵と言った方がピンとくる恰好だ。


実はこの皮鎧、アルハイトの経済力にものを言わせて甲鋼象という魔物の皮を使用している。鋼鉄並みの強度でありながら軽い。高級な特注品なのだが、ジイルを挑発する為あえて傭兵っぽく設えた。


しかし、ジイルが驚いているのはそんなことではない。


「貴様それは何だ?」

「何って、私の武器一式ですが?」


そうとぼけるアルハイトの背後には様々な武器が山積みされた巨大な荷車があった。


「武器・道具は魔法的なものでなければ持ち込み自由であるはずです。何か問題でも?」


おちょくるような調子でそう嘯くアルハイトに咄嗟に返す言葉が見つからないジイル。


「しかし、伝統的にそのようなことは…。」


そう。従来決闘というのは互いに得意な武器(それは往々にして剣であったが)を持ち、一対一で、時には使い魔も交えて正面切って執り行われていた。そこに大量の武器が介入することはなかった。


なのに、今目の前で陰湿な笑いを浮かべるこの貧弱痩躯なアルハイトはどうだ。武器を荷車に詰め込み、帯剣しているのは小さな短剣一つ。身に纏っている装備も良く見れば上質な素材を使用しているとわかるが、まるで傭兵の装束だ。


伝統を顧みず、気にもしないアルハイトの精神性を、価値観を、存在を、ジイルは理解できない。


伝統は貴族にとって誇りにも等しく守らねばならないものの一つだ。


そもそも現在の貴族はその先祖の大いなる功績を根拠にその権勢を振るっている。過去、歴史、伝統を軽んずることは自身の権力の否定にすらつながりかねない禁忌であるはず。


何故アルハイトはその禁忌を破って笑っていられるのか…。


ジイルにはわからない。


元を辿れば、過去に一件だけあった未成年に対する決闘の申し込みが行われた時点で異例であり、伝統の否定につながりかねない醜聞である。だからこそアルハイトも今回のような伝統破りに踏み切れたのだが、ジイルの頭からはその事実は綺麗に忘れ去られていた。


ジイルは混乱の中にいた。しかし、武器が大量にあれど、扱う術などなかろうという考えに至り、気を落ち着かせた。数だけそろえた武器など警戒に値しない。


「良いだろう。つまらん悪あがきだ。それでは勝利報酬を言い給え。私の勝利の暁には貴様からのレイブンオウル導師との接触の一切を禁じると共に、この学園を出て行け。ここは貴様のような人間にはふさわしくない。」


ジイルの言葉にアルハイトはにっこりと無邪気な笑みを浮かべると言い放った。


「私が勝利した暁にはジイル先輩には実家との縁を切り、労働奴隷となっていただきたい。」


その宣言にジイルはもちろん会場中の人間が息を呑み、耳を疑った。


「おい。もう一度言ってみろ。」


ジイルは小刻みに震えながら聞き返した。


「労働奴隷になれと言ったのです。まさか未成年の伯爵嫡子に決闘を申し込んでおいてこの程度のリスクも予想していなかったとは言いませんよね?」


顔を引きつらせるジイルにアルハイトは嘲笑する。


「学園に配慮して相手を殺してはいけないというルールを設けたので命だけは許してあげます。これは僕の温情だ。」


酷薄な笑みでアルハイトは告げる。


「まさか否とは言いますまい?」


その言葉に顔色を赤と青を忙しく行き来させたジイルは暫くの逡巡の後に口を開いた。


「よかろう!正義の鉄槌を振るう私に敗北などありえぬ!覚悟せよアルハイト・アンデルセン!」


その言葉に会場は沸いた。

引くに引けぬ状況であったとは言え、この場面でここまでの啖呵が切れるジイルの肝は大したものだろう。


惜しむらくは、その肝っ玉の使いどころを考えられなかったことだ。ジイルはこの決闘から手を引く最後の機会を逃したのだ。


アルハイトは邪悪に笑い、告げた。


「よろしい。それでは決闘を始めましょう。」


そして決闘の審判を務める学園長に顔を向けた。

かわいそうな程青ざめている。


もともと学園は学園内でこのような異例の決闘騒ぎなど起こしたくなかった。しかし決闘は当事者同士の意思でのみ決行、中止の判断をすることが出来る。そこに学園側が介入する余地はなく、学園長の説得虚しく決闘は行われることとなった。


せめてもの抵抗として学園長が審判を務めることとなった。学園長が審判を務めれば心理的に無茶な要求はし辛かろうという判断があったのだが、アルハイトが見事にそれを覆してしまった。


さらに性質が悪いのは、アルハイトが言っていることは世間的に何も間違っていないという事であった。


ただでさえ成年が未成年に決闘を申し込むことは忌避されている。というのにさらに相手が自身よりも家格の高い貴族の後継なのだ。アルハイトの要求はジイルが学生であるという点を除けば当然であるといえたし、学生だから容赦してほしいというのはあくまで学園側の都合である。アルハイトが配慮する必要はなかった。


これでもしアルハイトが勝利し、ジイルが奴隷身分に落ちてしまえばその実家から学園に文句がくるのは確実だ。なぜしっかりと教育・監督していなかったのかと…。


プロイセン家が直接アンデルセン家に文句を言うことが出来ない家格であるという事もあり学園への抗議は、それはもう大きなものとなるだろう。


今から頭が痛い学園長だ。


「審判!」


黙り込む学園長をせかすアルハイト。


「それでは準備は良いか?」


観念した学園長が口を開いた。


「「はい」」


二人の返事が重なる。


「それではアルハイト・アンデルセンとジイル・プロイセンの決闘を始める。敗北条件は降参か戦闘続行不能に陥った場合とする。殺しは禁止だ。二人共前へ。」


審判たる学園長の言葉に二人とも所定の位置に着く。

だいたい三メートルほどの距離で向かい合っている。


「構え!」


その言葉と共にジイルは片手剣と金属メッキの木の丸盾を取り出し構える。開始と同時に距離を取る為に重心を後ろにわずかに傾ける。マルスと名付けられた使い魔ヘルハウンドは火を吐く準備に入る。アルハイトにそれを防ぐ術はないはずだ。


しかし…。


ジイルは目を見開いた。驚きと共に納得する。なるほどこのための武器の山かと。


アルハイトの触手は荷車から弓矢を何十何百と持ち出し構えているのだ。そして当の本人たるアルハイトは二つの大きな金属盾を二つ手に持っている。その盾は非常に大きく、一つで小躯なアルハイトの全身を覆うだろう。それを二つも装備しているのである。


重厚で大きなその盾は痩躯なアルハイトには不相応に思える。行動を大きく阻害するだろう。


とはいえ、それはアルハイトの問題であってジイルの問題ではない。

ジイルの問題は触手の構えたその弓と矢にこそあった。


触手は器用に弓に矢を番え、すでに引き絞っている。


飛ぶ矢よりも早く動くことが出来ない以上先制攻撃はアルハイトに譲らざるを得ない。


しかも触手の構える弓の量はとても数え切れず、矢も鉄製であるように見える。


当初予定していたマルスの火炎放射であれを防ぐことは出来ないだろう。


予想外の連続にジイルの思考は混乱する。しかしすぐに対応策を考える為、ジイルの脳細胞は焦りも相まって目まぐるしく回転を始めた。そして決闘開始の合図が学園長の口から告げられた。


「始め!」


そして決闘が始まった。


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