六話 襲撃
「ミネルバ・レイヴンオウル導師の暗殺を依頼したい。」
「は?」
場所は裏路地の古寂れた洋館の一室。傭兵団『ヤマアラシ』の面々はアルハイト下着店を裏切ることになった原因である雇い主にそんな命令を受けた。
「今、時の魔女の暗殺と…。」
「その通りです。」
その命令のあまりの難解さにヤマアラシの面々は愕然とする。
時の魔女と呼ばれるミネルバは過去を読む魔法で知られている。多くの人々から称賛されるその魔法はしかし、後ろ暗い過去を持つ多くの貴族から疎まれる。
それ故彼女の名が轟いた当初は彼女を害しようとする者が後を絶たなかった。
しかし、それが成功することは一度としてなかったのである。
今では彼女が学園から出ず、社会にほとんど影響を及ぼさないことがわかり、彼女を害そうとする者はいなくなった。
しかし、そこに来てこの依頼である。ヤマアラシの傭兵団団長、スティングは冷や汗を流し、顔を青くしている。
問題はその困難さだけではない。
ミネルバは国から宝具を複数賜る程国から重要視されている人物だ。
そんな人物を害しようものならこの国で生きていくことなどできないだろう。
「しかし、時の魔女は学園にいる。あそこの警備は…。」
「ご安心ください。腕利きの暗殺者を雇っています。彼があなた達を確実に時の魔女の元へ送り届けてくれることでしょう。」
団長スティングの抵抗の言葉は雇い主によって遮られ、逃げ道をふさがれてしまう。
「断っていただいても構いませんが、あなた方はすでにアンデルセン家の嫡男に手を出してしまった。我が主の庇護なしに生きていくことが出来ますか?」
「せめて、その雇ったという殺し屋の事を教えてくれ。成功の見込みが立たなければ意味がない。」
この仕事は受けざるを得ない。そう諦めたスティングはとりあえず仕事仲間となる暗殺者のことについて尋ねる。
ミネルバのいる学園は警備が厳しく、並みの者では侵入できない。そしてヤマアラシの面々はそのような場所に侵入する術に通じていないのだ。
共に仕事をする者が本当に学園に侵入することが出来るかどうかくらいは見極めなければならない。もし、ここで失敗したならその末路は死だ。仕事を断り逃げ出した方がいい。
「そうですね。『隠者』と呼ばれている方なのですが、その様子を見るとご存じのようですね。ならばご安心ください。この仕事は成功しますよ。」
殺し屋は基本的に音や姿を消す魔法など何かしら存在感を消すことのできる魔法を身に着けている者が多い。その中でも『隠者』という殺し屋はその存在を消すことに長けているといわれている。
殺し屋の多くが仕事をする時、魔法に頼る。しかし、なかにはその魔力の揺らぎに気付いてしまう人間がいるのだ。さらに学園にはその魔力感知器があり、夜中の魔力の揺らぎを監視している。
『隠者』はその魔力の揺らぎすら誤魔化すという。その筋では有名な凄腕の殺し屋なのだ。
「わかりました。朗報をお待ちください。」
スティングは『隠者』に希望を見出したのか、先ほどよりかは穏やかな顔色で仕事を受けた。
「何故殺し屋を雇いながらも自分たちまで同行するのか」と疑問に思ったものの口に出せぬまま、計画を練るうちに日々は過ぎた。
そうして時の魔女暗殺計画当日を迎えた。
傭兵達は計画通りに配置についている。すでに警備の穴を作る為の工作は完了した。
そんな中、団長であるスティングは苛立っていた。
「おい。隠者の奴はまだなのか?」
「はい姿が見えません。」
「ちっ。本当に来るんだろうな。」
スティングが腹を立てているのはこれから共に仕事を行うはずの隠者らしき人物が一向に姿を現さないからだ。
彼らが未だに隠者と顔を合わせたことがないことも不安を助長し、余計にスティングをいら立たせている。
そんな時であった。気配もなくその人物はスティングの後ろに現れた。
「時間通りの到着のはずだ。隠者だ。よろしく頼む」
どこに隠れていたのか、隠者と思われる人物はスティングの真後ろに現れた。どうやら話を聞いていたらしい。
スティングは隠者の急な登場に冷汗をながして応対する。
「そ、そうだな。時間通りだ。問題ない。」
隠者は麻のみすぼらしいマントに身を包み、これまた麻でできた布を頭と口周りに巻いていて、目しか肉体が見えないような有様だ。
これから人を一人殺しに行くのだ。当然だろう。
現に傭兵達も皆一様に顔の隠れる服装をしている。
使い魔も人目に付きにくい者を優先して襲撃班に配置していた。
隠者の使い魔も姿が見えない。
声も魔法を使っているのかどこか妙だ。アルハイトなら機械音声とでも表現するような高い声をしていた。
「では行くぞ。」
「あ、ああ。」
隠者の言葉に傭兵達はただただ頷いた。隠者にはどこか抗いがたい迫力があったのだ。
『我は虚ろ。輪郭が世界に溶けてゆく。我の声は虚空へ消える。故に誰にも届かない。消音隠蔽』
隠者は詠唱を唱え、魔法を行使した。瞬間、隠者とミネルバに直接強襲を掛ける五人の存在感がどこか薄くなり、音は完全に外界から遮断された。隠者を含めたこの六人が実行部隊だ。
彼らは隠者のこの魔法で誰にも気づかれぬままミネルバを暗殺しようと画策しているのだ。
隠者が魔法を行使してからはスティングの仕事である。ハンドサインで強襲班を指揮し、ミネルバの研究室へと向かう。
スティングを先頭、隠者を最後尾にして列を組む。
多くの困難が予想されたが、奇妙なほど順調に学園への侵入は成功した。
運が良いのか、はたまた隠者がスティングの知らぬところで工作を行っていたのか…。
疑問が脳裏をよぎるが、いずれにせよスティングにとっては僥倖だ。運は良いに越したことはないし、隠者はスティングの味方だ。
しかし、学園の校舎内に入ってすぐに問題が起きた。
「くそ!結界か…。」
スティングは呟く。校舎内の至るところに赤い光の線が走っているのだ。触れれば侵入者の存在を学園中に知らしめる防犯装置だ。
スティングがどう突破するかと焦る間に隠者が後ろから出てきた。
疑問に思う間もなく、隠者は口元を何やら動かすとそのまま赤い光線を無視して歩き出した。
「お、おい!」
驚き、隠者に詰め寄るも、魔法で声が届かない。
隠者は「このまま進め」というハンドサインを出すだけだ。
どうやら隠者は魔法で防犯装置を欺いたようだ。不測の事態にあっても迷いなく振るわれるその鮮やかな手腕に、知れず冷たい汗がスティングの背中を流れた。
隠者が暗殺者であることを思い出したからだ。
彼に命を狙われれば助かる術はないのだろう。
隠者の行動の一つ一つがスティングに恐怖と敗北感を刻んでいった。
目的地に着くと、研究室から音が漏れぬよう隠者の魔法を再度使用し、扉の解錠など、突撃の準備を整える。
装備を確認し、計画内容を脳内で反芻する。
全員の準備が整ったことを確認し、スティングは扉を開き、短剣を構えて研究室に飛び込んだ。
瞬間、研究室の床が発光と共に揺れた。
床の振動から間をおいて、けたたましいアラーム音も鳴り響き始めた。
「うわ!」
「ぬぐぅっ!」
呻き声が漏れる。魔法で音が周りに聞こえないのが幸いだ。頭に響くような騒音すら隠者の魔法は外界へ漏らすことはない。
一瞬で正気に戻って辺りを見回す。
床が発光しながら揺れている。よく見れば光は規則性をもっているようにも思える。床には様々な文様が描かれているがその一部が発光しているのだ。
そしてどうやら揺れているのは研究室内だけのようだ。しかし、立っていられない。それほどの高速振動。
「こんな夜更けに訪問者とは。いつ以来かな…。」
地面の振動への対処に思考を割いていた所へ凛とした声が響いた。
言わずもがな、研究室の主であり、彼らの暗殺対象でもあるミネルバ・レイヴンオウル導師その人の声である。
罠の発動と共に目を覚ましたのだ。この騒音と振動だ。当然だろう。しかしミネルバに罠の効果は適用されないのか、ミネルバは高速で振動する室内でごく自然に立っている。そして、罠により地に伏してしまっているヤマアラシの面々と隠者を冷たい眼差しで見下ろしていた。
「顔は見えないが時期を見るにどうせヤマアラシの構成員だろう。傭兵にこの学園の私の研究室まで侵入できるとは思えないが。凄腕の殺し屋でも雇ったか…。まあよい。捕らえてからゆっくりと聞き出そう。」
ミネルバはそう呟くと、床に伏す六人の襲撃者に向けて右手を伸ばした。
その手には短い縄のような物が握られている。
国より賜りし宝具である。
『罪人に戒め有れ!棘縛!』
ミネルバの短い詠唱と共にその縄のような何かから黒い棘のついた縄が伸びてきた。それに一度絡めとられてしまえば抜け出す事は至難を極めることだろう。
それは六又に別れ、襲撃者達の下へと伸びていく。
決して速くはないが床の揺れでまともに動けない襲撃者達にとって、それを避けることは難しい。
「くそ!隠者!何とかしろ!」
スティングは隠者に向かって叫ぶ。
隠者の消音隠蔽の魔法が掛かっていることを忘れていたスティングであったが、いつの間にかその魔法は解けていたようできちんと隠者の耳に届いた。
当然ミネルバの耳にも届いてしまったのだが…。
「隠者だと?随分な大物が私なんぞの為に来たものだ。相手が隠者となるとこの警告音も周りに届いていない可能性があるな。」
ミネルバの推測通り、スティング達傭兵団に掛けた消音隠蔽の魔法が解けていても、研究室全体に掛けた消音隠蔽の魔法は展開されたままだ。
「ちっ!」
警告音と罠によって余裕を持ち、わずかながら油断していたであろうミネルバに危機感を与えてしまった。
しかも隠者は口を布の下でもごもごと動かしているだけで反応を示さない。
襲撃者達は迫りくる捕縛の棘の黒縄に冷や汗を流しながら打開策を考える。
振動する床によって身動きが取れない今、もはや魔法に頼るしかない。ヤマアラシの傭兵達は布に覆われた口でもごもごと詠唱を唱え魔法を発動させた。
『পহপদৰগৰসগগৰদৰ!灰障壁!』
『পহপদৰগৰসগগৰদৰ!防風林!』
『পহপদৰগৰসগগৰদৰ!土玉撃!』
『পহপদৰগৰসগগৰদৰ!針撃!』
『পহপদৰগৰসগগৰদৰ!玉球弾!』
灰と風による障壁が二重に展開され、棘縛の宝具の進行を防ぐ。そして土と針と魔力玉による攻撃がミネルバを害さんと襲い掛かる。
しかし、ミネルバは慌てた様子もなく、一歩後ろに後退した。
それと同時に床が地揺れとは別の規則性を持った光を発した。その光は襲撃者による魔法の攻撃を消滅させる。
「な、何っ!ばかな!」
「おいおいおいおい!」
「い、今のは一体…!?」
動揺する襲撃者達。
それを一顧だにせず、ミネルバは口を開く。
「君達は私の事を良く知らないようだ…。」
静かに語るミネルバに恐怖を感じる。
「ちっ!魔女め!」
混乱と動揺で怒鳴り返すスティング。行使した魔法の消滅など経験したことがないのだ。
しかも床の文様の光に照らされたミネルバの顔はその造形の美しさもあり、余計に恐ろしく見える。彼らはミネルバの雰囲気にのまれていた。
「違うよ。私はミネルバ・レイヴンオウル。万魔の求道者だ。こと魔法に関して、私より精通している者などそういまい。」
ミネルバの言葉と共に周囲の床の文様も発光を始める。
「そして魔法に精通しているということはその対抗手段をも熟知しているという事だ。」
その言葉と共に襲撃者達の防御魔法も消滅した。
「クソ!防御魔法までっ!」
「おい!黒い棘が迫ってくる!誰か何とかしろ!」
パニックに陥る傭兵達にミネルバは無慈悲に告げる。
「三年懸けて編み上げた渾身の魔法陣だ。君達は初めての被験者になる。光栄に思い給え。」
「編み上げただと!?時の魔女にそんなことが出来るなどという情報は…。」
ミネルバは襲撃者の驚愕に取り合わず、かかとで床を叩き魔法陣を発動させる。
『超衝撃』
その言葉とともに傭兵達はビクンと痙攣し倒れ込んだ。白目を剥き、口からは泡を吹いている。
「私の研究室内で私に勝てる者などいまいよ。」
そういうミネルバはどこか誇らしげだ。
生徒の面倒も見ずに三年間没頭した魔法陣の運用がうまくいったことが嬉しいのだろう。
魔法陣は使い魔召喚の儀が発明され人類に魔法が普及される前、外敵への唯一の対抗手段であった術であり、人類原初の魔法だ。
使う者を選ばぬ汎用性を持ちながら、移動させることは出来ず、作成者を害することはない。そして使用者の魔力を消費しない。
人間の生活圏を守る為、拠点防衛に使われていた技術だ。
しかし、魔法陣の作成には卓越した芸術性と強烈な思念、そして何より圧倒的幸運によって生み出される代物である。
魔法が浸透した現代においては魔力を込めて魔法陣を真似ることで魔法陣の類似品を作ることが出来るようになった。
しかし、一から魔法陣を作りだすことは選ばれたもののみに許された神技である。
そういった意味でもやはりミネルバは天才であった。
「ふう。こんなものか…。」
ミネルバが安堵の声を漏らしている間にも棘縛の宝具は襲撃者達を絡め捕縛していく。
「さて。人が来るまでもうしばらくかかろう。拘束が済んだら必要な情報を引き出すとしよう。」
ミネルバは襲撃者達から目を離さずに呟いた。
しかし…。
「ぐ!」
「うがぁあ!」
「ぎぃぁあ!」
ミネルバが瞬きする間に傭兵ヤマアラシの面々にナイフが飛び、突き刺さっていく。
「なに!?」
ミネルバは予想もせぬ出来事に驚愕するもその間にも傭兵達はナイフの餌食になっていく。
毒でも塗ってあったのか、傭兵達は尋常ではない苦しみ方をしたのち、静かになった。
「いかなる方法で私の魔法陣の影響下から抜け出した?隠者。」
ナイフを飛ばし傭兵達を殺害したのは、どうやってか床の振動から解放され、棘縛の宝具から距離を取った隠者であった。
「答える義務はない。」
「えらく慎重だな?私を殺すのだろう?冥土の土産に教えてくれてもいいだろうに?」
反応を示さぬ隠者に警戒をしたまま話を続ける。
「ヤマアラシの傭兵達にしたってそうだ。私を殺すなら真っ先にそいつらを殺したのもおかしい。」
話をしながらゆっくりと棘縛の拘束を傭兵達の死体からほどいていく。
「なるほど。最初からそいつらも処分するつもりで来たな。私の手の内を探る捨て駒の意味もあったのだろうが…。」
会話をしながら宝具を握る腕に力を込める。
「生憎まだまだ手はある。」
ミネルバはその言葉と共に全力で棘縛を振った。
宝具棘縛は黒い棘の生えた縄のような形をしている。しかしその強度は鉄の比ではない。鞭のように振るえば凶悪な武器にもなる。そして一部でも触れるところあれば瞬時に巻き付き捕らえる。『宝具』という大層な名に違わない性能があるのだ。
「ちっ。」
武術に秀でている訳ではないミネルバの攻撃だ。宝具を使っているとはいえ隠者に容易く回避される。
しかし、それでもいい。現在ミネルバの使い魔であるクロノスが学園の警備兵を呼びに行っている。そう遠くないうちに援軍が来る。それまで持ちこたえることが出来ればいいのだ。
それにミネルバが国から賜った宝具は棘縛だけではない。
その宝具を取り出そうと意識を一瞬そらした時である、隠者がミネルバに急接近してきたのは。
「なっ!このっ!」
咄嗟に棘縛を振るうも、隠者の速度を一瞬落としただけ。すぐに懐に潜り込まれてしまう。
迫りくる死の気配に背筋が冷える。初めて感じるその生々しさに身が硬直する。
隠者は闇夜に鈍く光る短剣を手に持ちミネルバの心臓に狙いを定めた。
「死ね。」
感情のこもらぬその無機質な言葉と共に隠者の短剣は突き出された。
ザシュ!
肉を切り裂く音がした。
ミネルバは自身を襲う浮遊感の中その音を聞いた。しかし痛みは襲ってこない。いつの間にか閉じていた目を恐る恐る開ければそこには…。
「うちの先生に何してんだ?」
触手で短剣を防ぐアルハイトの背中があった。