二話 アンデルセン家と召喚の儀
アンデルセン伯グリム領はシャンディア王国の一大綿花の産地である。また麻や羊毛も取れる為、呉服屋が多く立ち並ぶ領地である。王都にも数多くの呉服やその材料となる布地や素材がグリム領から流れている為辺境に位置しながらもアンデルセン伯の名は有名だ。
しかし実は王国中央ではアンデルセン伯の名は綿花や呉服関係よりもその武力、兵力によって注目を集めていた。
グリム領はアンデルセン伯がその地を治める前から綿花のよく取れる地として有名だった。故にその土地を巡って絶えず争いがあった。その度重なる争いに勝利したのがアンデルセン家なのである。
アンデルセン家がその土地を世襲し始めてからも多くの外敵がグリム領を脅かした。野盗、魔物果ては貴族まで様々だ。それら外敵から自身の土地と利益を守る為、アンデルセン家とグリム領は戦力兵力武力を充実させざるをえなかったのである。
そしてそのグリム領の戦力は外国との戦争でも遺憾なく発揮された。
アルハイトの曽祖父、前アンデルセン伯は「戦鬼」とよばれ恐れられていたほどだ。
国内では軍閥の雄として知られるアンデルセン伯であったが、同時に武力に傾倒する余り内政能力に難があると考えられていた。
こと内政関係においては昔から綿花栽培が盛んであったため、農家・商人にまかせっきりなのである。それで特に問題はなかったためこの上なく保守的で変化を嫌うのだ。自身ならグリム領をより豊かに出来ると考える王国貴族は少なくない。アンデルセン伯からすればどんなに豊かにしても他者に奪われてしまってはお終いなのだから自身のやり方が間違っているとは思わないのだが…。
さて、そんな土地柄である為、アンデルセン家は体格に優れ、武に秀で、軍を率いることのできる者が代々当主を務めてきた。
しかし、そんな脳筋家系に問題児が生まれ落ちた。
現アンデルセン家当主アインハルト・アンデルセンの孫アルハイト・アンデルセンである。
アインハルトの嫡男アキレウスとその正室の間には子供が出来なかった為、アキレウスは世継ぎを産ませるために側室を迎え入れた。その側室がアルハイトの母親である。
アルハイトの出産は難産であった。何とか生まれることは出来たが、産後すぐに泣かなかったうえ、三日後には高熱を出し生死をさまよった。
アルハイトの母も産後の肥立ちが悪く出産後数週間で亡くなってしまっていた。
何とか生き残ったアルハイトであったが体が小さく、このような子供を世継ぎにしていいのかと家臣団も含めアンデルセン家は揺れた。
アルハイトは奇妙な子であった。転生者なのだから当然だがそれを知るのは当人のみだ。
トイレの時にしか泣かず、近くで誰かがしゃべっているとじっと見つめてくるのだ。
家臣団の多くは気味悪がった。
しかしアルハイトが三歳にもなると人々の認識は変わってくる。
文字と四則計算をマスターしたのだ。神童と騒がれた。
未だ奇行は目立つものの今までとは違うが優秀な跡継ぎに成長していると周囲は喜んだ。
そんなある時、アルハイトは初めて市街に連れて行ってもらった。
街の風景をキョロキョロと見回すアルハイトを周囲は微笑まし気に見守っていたのだが、不意にアルハイトが通りかかった婦人のロングスカートをめくり上げたのである。
周囲が呆然とする中アルハイトは哀しみの表情で「パンティじゃない」とこぼしたそうな…。
そしてその一か月後四歳の誕生日にアルハイトは父と祖父にねだったのだ。
「呉服店の経営がしたい。」と。
常々天才だ神童だともてはやされていたアルハイトがそんなことを望んだのだ。父と祖父なら親バカ、爺バカを発揮してもしかたあるまい。
そして誕生したのだ。『下着店アルハイト』が…。
アルハイト発案のパンティーとブラジャーは富裕層に良く売れた。特にブラジャーは垂れるのを防ぎ、形を良く、そして大きく見せるという触れ込みで爆発的人気を誇った。
同時期にアルハイトは魔法学園の話を耳にした。
「しかしお前は女好きだな。そんなんじゃ騎士学校に入学したら辛いぞ?あそこは9割が男だからな。」
酒の席でのアキレウスの軽い冗談であったがアルハイトは必死な形相で女子比率の高い学校はないかとアキレウスを問い詰めた。
「魔法学園なら女子比率も高いが、ダメだぞ?うちは代々騎士学校を卒業してきたのだ!ん?どうしても嫌だ?ふむ。ならシャンディア王立王都魔法学園ならお前のじいちゃんも家臣たちも認めてくれるだろう。あそこは国内最難関だからな。」
その言葉を聞いてアルハイトは猛勉強を始めた。家庭教師を雇い一日中入試の対策を行った。
誕生日にもらった呉服店もアルハイトはデザインと機能やコンセプトなどを職人に伝えるだけ。あとは職人に作らせてそれをチェックすることだけが彼の仕事であったから入試対策をする時間は十分あった。
しかし、根を詰めすぎたのだろう、一年もしたころアルハイトのストレスは爆発した。
かれは市街に出て婦女子のスカートめくりを始めたのだ。
平民はアルハイトが貴族だから注意も出来ない。アキレウスはアルハイトに説教するも、アルハイトに強い口調で「パンティの市勢への普及度調査です!」とか「スカートめくりをして許されるのは今この時期だけなんです!大人になったら無理なんです!」と言い返されその迫力に頷いてしまう始末。それ以来彼は勉強と下着店の休憩としてスカートめくりをするようになった。
それは入試が終わる9歳後半まで続き、アルハイトはエロガキの問題児としてグリム領の人々に認知されるようになる。
しかし同時にアルハイト下着店はものすごく繁盛し、アルハイトブランドの下着は王都でも認知され貴族婦人や高級娼婦に愛用者が続出していた。
アルハイト下着の流行により、ブラジャーやパンティを作る呉服屋も増えた。結果グリム領の綿花・羊毛などの売り上げも増える。
中央貴族はついにグリム領のアンデルセン家が内政に力を入れ始めたと警戒するとともに「アルハイト」その下着店の名前にもなっている人物のことを胸に刻んだのだ。
そんなわけでアルハイトは『問題児』とも『神童』とも呼ばれるようになり、人々は、これからグリム領はアルハイトを中心に内政に注力していくのだろうと考えていた。
しかし同時に、本気でアルハイトがこの下着店繁盛の立役者であるとは考えておらず、アンデルセン家が権威付の為、象徴的人物として跡継ぎを祭り上げただけだと考えていた。
新たな下着店の繁盛はアンデルセン家が総力を挙げて取り組んだプロジェクトであるがゆえだと。
当然だろう。誰が十歳にもならない子供にそのような能力があるなどと考えるだろうか。
人々はアルハイトの偉業を張り子のトラ、つまり虚像だと考えていたのだ。
※
「ぐぬぬ…。まさかアンデルセン家のアルハイトがここまで優秀だとは…。」
シャンディア王立王都魔法学園の学園長は頭を抱える。見れば机を囲む教師陣も頭を抱えている。
時は入園試験が終了し、採点も済んだ時のことだ。
王女であるシンシアの成績が素晴らしく優秀で、このままいけば家柄の配慮をするまでもなく成績一位で新入生代表であった。
それにもかかわらずアルハイトがそれを超える点数を出してきたのだ。
しかし、シンシアより少し点数が高いくらいなら家柄の理論でシンシアを新入生代表にしてしまえる。
「よもやあのテストで満点を取る者がいようとは…。」
アルハイトは学園創立以来初めて知力テストで満点を取ってしまったのだ。
知力テストの内容は歴史経済など幅広い範囲の暗記問題と算術の問題がある。この算術が難問なのである。しかしこの世界の数学知識は現代日本で高等教育を受けていた前世の記憶のあるアルハイトにとっては易しい問題と言えるものが多かった。
「成績優秀であり王族でもあるシンシア様を新入生代表にしないわけにはいきませんぞ!」
「しかし、ここは教育機関です。やはり学園の誇りを守る為には学力満点主席のアルハイトを新入生代表にするしか…。」
「異例ではありますが、代表を二人にすればよいのでは?」
「しかし、それではシンシア様が権力で代表になったように思われてしまいます!」
話し合いは難航したが結局代表を二人にすることに決定した。アルハイトとシンシアの成績を一部開示することで、二人が如何に甲乙付け難く優秀であるかを理解してもらえると考えたのだ。
「ふうやっと終わったか。」
話し合いが一段落し、茶を飲みながら一息つく学園長。
「しかし、知力テストの満点ばかり目立っているが、中堅貴族、それも軍閥の貴族の嫡男がうちに合格し、あまつさえ主席なんていうのも初めてじゃないだろうか。」
軍閥貴族は机に座り勉強する時間があるなら体を鍛えるという思考の者が多いので、文武両道を旨とするシャンディア王立王都魔法学園に入学できる者は少ないのだ。
さらに学園の主席は基本的に王族の血を継ぐ貴族のなかの貴族が占めることが多かった。
学園の配慮もあったが、良い教育にはお金がかかるのだ。上流階級の者程教育環境に恵まれるという現実もあった。
そんななかで有力とはいえ、中堅貴族で軍閥貴族出身者の学園主席という事実もまた学園初の事であった。
「なんだかこの生徒にはこれからも頭を悩まされそうな気がしますね。」
「やめてくれ縁起でもない。」
アルハイトには歴代の問題児を超えたトラブルメーカーのにおいがすると長年の教師の勘が囁くのだ。
教師の軽口を否定しつつも、学園長自身、アルハイトはこれからも問題を起こしそうだと予感していた。
背筋を流れる冷や汗を無視して、学園長は会議を再開させた。
「さて、次の議題であるが…。」
この時、学園長を初め教師陣は入園したその日に新入生同士がケンカし、あまつさえアルハイトの名前が上がるとは誰も思っていなかった。
※
入園式の次の日、新入生達はまた講堂に集められていた。
「これより使い魔召喚の儀を執り行う。」
学園長が厳かに口を開いた。
新入生は入学式と同じように席につき、学園長の話に耳を傾けていた。
新入生たちの周りには教師陣が位置取っている。
入学式と違うのは騎士のような鎧を着た人々も帯剣して整列しているところだ。
「使い魔召喚の儀は創世記に大賢者オーディーン様が始められた儀式だ。この儀式により諸君らは終生のパートナーとなる使い魔を得ることになる。気を引き締めて臨むように。」
学園長の話は入園式と違い、短く終わった。続いて別の教員が儀式の基本知識や進行の方法を説明し始める。
「まず基本事項を説明します。まず何故使い魔召喚の儀を執り行うのかについてです。ご存知の通り我々は、魔力はあれどもそれを外部に放出することが出来ません。他の種族のように魔法を使う回路が身体に備わっていないのです。」
もともと魔法は『魔なる者が使う理外の法』と呼ばれ憎まれていた。人はそれを使うことが出来ず、しかも外敵である魔獣や魔物が魔法を使い自身の生命を脅かしてくるからだ。
魔法は脅威の象徴だった。
「しかし使い魔を召喚し契約を結ぶことでその使い魔の魔法回路を共有し、我々も魔法を使うことが出来るようになるのです。ただし、使える魔法は召喚した使い魔に大きく依存します。例えば火の魔法が得意で水の魔法が苦手な使い魔であれば、召喚した者もまた火の魔法が得意に、水の魔法が苦手になります。使い魔の魔法回路を使用して魔法を放っているのですから当然ですよね。」
教員はフウと息を吐き、話をまとめた。
「要は魔法を使えるようになる為に使い魔召喚の儀を行うのです。」
そして儀式の具体的な進行に話は移る。
「これから闘技場に移動します。そこには保護者や商人、国の要人果ては国王様が皆さんの勇姿を見学にいらしています。闘技場に設置してある魔法陣に順番に進み、そこで儀式を行ってください。そして最後に新入生代表の二人は儀式の後、伝統の演武を行っていただき儀式は終了です。質問はありますか?」
教員は生徒を見回し質問がないことを確認すると闘技場へ向けて歩を進めた。
※
そこは石造りの荘厳な舞台。そこかしこに歴史を感じさせる細かなひびが走っているが、その建造物の耐久性を疑わせるものではない。現代風に言うならばローマのコロッセオといったところだろうか。
現在観客席に人があふれかえっているその場所はシャンディア王立王都魔法学園の闘技場。
人々はこの闘技場に足を踏み入れた瞬間に不思議な高揚感に支配される。
この場所は伝説の生まれた場所であるからだ。
大賢者オーディーン。
使い魔召喚の儀を生み出した人類の英雄だ。
この闘技場はそのオーディーンが初めて使い魔召喚の儀を成功させた場所として知られている。
そして今日、新たな名前がこの闘技場の歴史に刻まれようとしていた。
その新たな伝説の誕生をどこかで感じているのか、見学に訪れていた人々はそわそわと落ち着かず、一種異様な雰囲気に包まれていた。
「今年の生徒は出来が良いと聞くが果たして…。」
シャンディアの最高権力者、シャンディア王は主賓席で呟く。
彼は毎年この使い魔召喚の儀に足を運んでいる。
この儀式を見ればその人物がどの程度の潜在能力を秘めているのかある程度わかるからだ。
使い魔にも優劣があり、その召喚者の優劣もある程度使い魔の性能に習うことが長い研究でわかっている。例えばドラゴンを使い魔にしたものとスライムを使い魔にした者とでは圧倒的にドラゴンを使い魔にしたもののほうが優秀であるのだ。
国の最高権力者としては優秀な人材には目をつけておきたい。
そしてそう考えるのはなにも王だけではない。貴族や商人も優秀な人材に目をつけ、あわよくば自陣営に引き込みたいと考えている。
そんな訳で下心満載の権力者たちが闘技場の観客席に勢ぞろいしているのである。もちろん下心なく自身の子供の晴れ舞台を見たいという保護者も大勢いる。
「それにしても今年はいつにも増して人が多いな。」
「それは今年が異例だからでしょう。」
王の呟きに横に控える宰相が口を挟む。
「ああ。あのアンデルセン家の異端児か…。」
シャンディア王はブラジャーの開発者の別名を口にする。
実は彼もブラジャーやパンティーのファンで彼の妻や妾に買い与えているのだが、それは国家機密だ。
「はい。彼とシンシア様。二人が代表というのは初めてですからな。皆気になるのでしょう。」
ここ数年で急に名を広め始めたアンデルセンと昔から優秀な王女として有名であったシンシア。
ほとんどの権力者の感心はこの二人に集中していた。
「そうだな。何にしても我が国に優秀な人材が増えることは歓迎すべきことだ。」
「全くです。」
「楽しみだな…。」
そしてその王の呟きと共に儀式が始まった。
※
儀式は順調に進んでおり、もうほとんどの生徒が儀式を終えている。
使い魔を召喚し、簡単なデモンストレーションを行った後、その場を去っていく。
百人を超える生徒がすでに終えているが観客達は飽きもせずに大きな声援を送っている。寧ろその声援は増すばかり。緊張からアルハイトの心臓がドクドクと早鐘を打つ。出番が近づいてきているからだ。
アルハイトはシンシアと共に最後を飾る予定だ。
緊張に身を震わせたところで嫌な声が耳に届く。
「おい見ろよ、アンデルセンの坊ちゃん。怖くて震えてやがるぜ!みっともねえ!」
入園式初日にケンカしたセニア・リントワルの声である。
震えたアルハイトを目ざとく見つけ、アルハイトに聞こえるようにその従者に話しかけている。
初日のケンカは互いの家格が互角であるため、簡単な注意だけで済んだ。
注意されるだけという軽い罰で済んだためか、セニアはこうして度々アルハイトやアンナの耳に届くように嫌味を言っていた。
アンナというのはアルハイトがセニアから助けた平民の少女だ。
今日一日アンナと過ごしたことで今までになくおおらかな気持であったことやアンナの前ではどんなにイラついてもみっともないところは見せられないという思いから今までは無視出来ていた。
しかし、今この場にアンナはいない。
アンナはすでに儀式を終え、別室に移動していた。
「リントワル家の『次・男・坊』様はこの儀式の重要性も理解できないバカと見える。」
顎を上げ、蔑むような視線でセニアを挑発するアルハイト。何だかんだでセニアの嫌味の数々にフラストレーションが溜まっていたのである。
「精々バカな真似をして失望されないことです。勘当されるかもしれませんので。」
「なっ!てめえ!」
アルハイトの言葉に容易く激昂するセニアであったが従者に窘められかつ、すぐにセニアの出番が来たので結局ケンカにはならなかった。
「てめえ!覚えてろよ!すんげえ使い魔召喚しててめえなんかボッコボコにしてやるかんな!」
憤怒の形相でそう吐き捨てセニアは控室を後にした。
しかしその頃にはすでにアルハイトの興味はセニアにはなく、従者に囲まれる可憐なシンシアにどう声をかけるか悩んでいたのだった。
※
『我は此方と彼方を繋ぐ者。』
闘技場中央でセニアは魔法陣に手をかざして詠唱を始めた。
普段無根拠に自信満々のセニアもさすがに顔を引きつらせていた。
『虚構の門前にて伏して願わん。』
魔法陣が発光を始めた。
『力の行使者たる資格を!』
魔法陣の発光がだんだんと大きくなりそしてその輝きは最高潮に達しようとする。
そして…。
『召喚!』
辺りは神々しくすらある光に包まれた。
しばらくすると光は収まり、魔法陣の上に彼の使い魔が姿を現す。
『グゥルルルルゥウオオオオオオオ!』
召喚されたのは竜の眷属、ワイバーンであった。
最下級とはいえ竜種、その威容は人々を圧倒する。
「うおおおお!」
「ワイバーンだ!すげえ!」
「まさか竜種を召喚するものが…。」
観客は今までになく興奮し、口々に声援を投げかける。
セニアも最初は茫然としていたものの、すぐに鼻の穴を広げ、ドヤ顔を作った。そして拳を振り上げ、ガッツポーズを取った。
「見たか!アンデルセンの!やはり俺が最強!」
降り注ぐ声援にセニアの自尊心は満たされる。
『これはすごい!セニア・リントワルが召喚したのは竜の眷属ワイバーン!天空の王者の威容が伺えます!』
アナウンスもセニアとその使い魔をはやし立てる。
『竜種の使い魔など何年振りでしょうか?え?10年ぶり?なんと10年振りの快挙です!セニア・リントワルは10年に一人の逸材だああ!』
権力者達が身を乗り出して注目するなか、セニアはパフォーマンスを始めた。
かしずくワイバーンにまたがり空を翔る。
観客の注目が集まったところで衝動のままに詠唱を始める。
『我こそ天空の覇者なり!何人たりとて我が道を阻むこと罷りならん!薙ぎ祓え!焦熱の息吹』
傲慢なる竜の息吹は青き空に向け放たれた。
その姿は天に唾吐く不遜を体現するかのようであったが、同時に力強く、人々の記憶に焼き付いた。
盛大な拍手を背にセニアは闘技場を後にした。
アルハイトに嫌味な笑みを向けながら…。
※
そして数十分ほどが経過し、アルハイトとシンシアの出番となった。
観客達の大本命の登場である。権力者たちはシンシアとアルハイトの能力を見極めようと席から身を乗り出す。
そしてアルハイトは焦っていた。以外にもセニアが優秀な使い魔を召喚したからだ。
(やばい!まさかセニアのクソヤロウがワイバーンを召喚するとは…。この召喚ばかりは運とか素質とかの問題だからな。頼むおれにも優秀な使い魔を!)
魔法陣を前にして、アルハイトの頬はかなりひきつっていた。
「ふふふ。アルハイト殿、顔が引きつっておりますよ。」
隣から鈴の音ような声がした。
シンシアのものだ。
彼女はアルハイトとは違い随分と余裕があるようであった。
「今さら心配してもどうにもなりません。堂々としていればどんな使い魔でもそれなりに見えるものですしね。」
そう言いシンシアは自身の使用する魔法陣の方へと歩いて行った。
控室では侍女や従者が邪魔して声をかけることが出来ずにいた。故にシンシアから話しかけられることはないと思っていたアルハイトはおどろいて言葉を返すことが出来なかった。
そして何より、シンシアの言葉と態度に驚いていた。
(言動が完全に大人だ。シンシア様本当に十歳児か?王族ってみんなそうなの?)
転生した身としては十歳児に精神年齢が負けることなどあってはならない。
アルハイトは余計に動揺して使い魔召喚の儀に臨んだ。
魔法陣に手をかざし、シンシアと合わせて詠唱を紡ぐ。
『我は此方と彼方を繋ぐ者。』
召喚したい使い魔を思い描く。特に意味があるわけではないが、一種の悪あがきだ。
(ドラゴン来いドラゴン来いドラゴン来いドラゴン来い!)
『虚構の門前にて伏して願わん。』
魔法陣が発光を始める。
そしてそのタイミングで美人な女騎士が目に入った。
(オークに「くっ!殺せ!」とか言いそう…。)
『力の行使者たる資格を!』
どんどん光が強くなっていく。そしてその輝きが最高潮に達するタイミングでアルハイトは。
(でも触手に絡めとられるのもいいなぁ)
などと考えていた。
『召喚!』
シンシアとアルハイトの魔法陣が今までになく強い輝きを放つ。
そしてその輝きは数分間続いた。
そしてその輝きが収まり、人々は闘技場の中央に目を向け、息を呑んだ。
まず人々を圧倒したのはその大きさだ。ワイバーンを軽く超え、龍にも及ぶその体躯にただただ圧倒される。
そして次に目が行くのはその美しさ。シンシアと同じ銀の毛並みが風にそよぐ。そしてその九つある尾が揺れる度にキラキラと光を反射するのだ。
銀毛白面九尾の妖狐。
大妖がシンシアに頭を垂れるその荘厳美麗さよ。
観客は言葉を忘れ、その絵画の一部のような風景に心を奪われていた。
「な、なにあれ?」
「き、気持ち悪い…。」
「うげえ!」
しかし、その場にそぐわぬ声を出す者もいる。その視線の先にはアルハイトがいた。
(ん?召喚が終わったはずなのに使い魔がいないぞ?それになんだか背中が重い…?)
背中の重量に耐えきれず前屈みになるアルハイト。
(なんだか観客の雰囲気もおかしいし一体…)
疑問に思いつつも背中の重量が気になり、顔を背後に向けた。
その視線の先には赤と紫と緑が生々しく融合した色のぶよぶよの触手が複数蠢いていた。
「うわああああああ!」
生来アルハイトはナメクジや芋虫が苦手なのだ。
それを超えて気色悪い触手がくっついている。パニックに陥るには十分だ。
情けない声を上げ、取り乱したアルハイトは背中の触手を振り払おうとしばらく暴れた。
そしてなお悪いことに、足をすべらせ頭を打ち気絶してしまった。
暫く保険医はおろか騎士までもが触手を恐れてアルハイトに近づいて来ず、しばらくして見かねたアンナが出てくるまでアルハイトは放置された。白目を剥き、泡を吹くアルハイトをセニアがニヤニヤと嘲笑っていたことは言うまでもない。
当然その後のパフォーマンスも伝統演武もアルハイトは行うことは出来なかった。
この年、学園史上初めて儀式でしかも新入生代表の途中退場者を出した。
アルハイトが担架で運ばれるアクシデントがあったにも関わらず、シンシアは一人で見事に伝統演武を踊り切った。彼女と使い魔の魔法も実に幻想的で人々を魅了した。演武後、彼女を讃える拍手と声援は教員が止めるまで止まず、中には感動に涙を浮かべる者まで出る始末であった。
シンシアの働きゆえにこの年の使い魔召喚の儀は今までにない盛況のうちに幕を閉じた。
シンシアの銀毛白面九尾の妖狐は言うに及ばず、セニアのように10年に一度と言われる使い魔の主も複数現れた。
至上最も恵まれた年代と呼ばれるようになったが、それが余計にアルハイトの醜態を際立たせる。
儀式終了後、帰路に就く人々は口々にシンシアを称賛し、期待を裏切ったアルハイトを罵倒した。
勿論大きな声でいうことはない。アルハイトは軍閥の雄、アンデルセン家の跡継ぎなのだ。だがそうであるが故、逆に影で広く罵られ様々な蔑称が付く。
「地に落ちた天才」「貴族の恥さらし」などなど。
下着店の隆盛で名が知れていたことも災いした。
他貴族の嫉妬である。
他の家が大きくなることは自身の家格が相対的に下がるということでもある。ここぞとばかりにアルハイトを、そしてアンデルセン家を貶めた。
アンデルセン家はその程度の風評被害で傾く家ではない。しかしアルハイト個人の名声は地に落ちた。
この日以降、アルハイトは学園で、使い魔にビビッて気絶する『臆病者のアルハイト』と影で呼ばれるようになるのだった。