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朱い櫛  作者: 中村ゆい
1/3

その壱

 世の中は黒船が来て以来、尊皇攘夷をうたう人々が現れたり、徳川様がまつりごとの権利をみかどにお返ししたり、いろいろな出来事が後を絶たない時代、慶応けいおう四年。

 といっても、私が生まれたときからそんな感じで、太平の世っていうのがどんなものなのか全然知らないし、今、国が大きく変化していると言われても実感はない。

 もちろん、これからこの国はどうなるんだろう、とか不安にもなるけれど、私の周りの日常はそんなに変わらず、いつも通りの毎日が続いている。

 その日の江戸も、よく晴れて気持ちの良い風が吹いていた。


「あんこー、あんこー?」


 私は飼い猫のあんこを探しながら、村を歩いていた。

 あんこは、普段はのろのろと動くくせに、たまにとてもすばしっこく走って姿を消すことがある。放っておいたらそのうち家に帰ってくるのはわかっているけれど、前に一度、近所の家の猫と引っ掻き合いの大喧嘩をして、後から謝りに行くハメになったから、またそういうことになっていないか心配で探しているのだった。

 家からかなり遠くまで来てしまった。けれど、このあたりもあんこの遊び場だ。町はずれで、人通りはかなり少ない。周囲は草が生え田んぼが広がり、のどかな風景に包まれている。


「あの、白い猫、見ませんでしたか?」

「知らねえなあ。ごめんよ、嬢ちゃん」


 偶然すれ違った魚売りのおじさんに尋ねてみたけれど、だめだった。

 ほんとに、どこに行ったんだろう。

 きょろきょろしながら歩いていると、道ばたを箒で掃いていたおばあさんに、何か探しているの? と訊かれた。


「猫を探してるんです。白いヤツなんですけど……」


「ああ、それなら、うちの庭に一匹白猫が迷い込んできてたわよ。中に入って探してみなさいな」


 そう言っておばあさんは、すぐ後ろの門を指さした。ここがおばあさんの家らしい。

 私はお礼を言って、中に入った。

 パッと見た感じ、あんこの姿はない。


「あんこー」


 木の陰をのぞきながら、奥に進む。気がつくとぐるっと半周回って、裏庭まで来ていた。


「あっ、あんこ!」


 あんこはその裏庭で、知らない黒猫とニャーニャー鳴きながらじゃれている。どうやら喧嘩はしてなさそうだ。よかったー。


「あーんーこー。帰るよ」


 私が近づくと、あんこは素直に黒猫から離れて、私の足にすり寄ってきた。抱き上げると、眠そうなあくびをひとつする。猫って、こういうところが可愛いんだよねえ。

 そのとき、背後から視線を感じた。

 後ろを振り向くと、開け放された障子の奥の部屋から、痩せた男の人がこっちを見ていた。

 寝間着姿で布団から半身を起き上がらせている。病気なのかな。


「うるさくしてごめんなさい。うちの猫がおじゃましました」


 あんこを抱いたまま、頭を下げる。


「いや、気にしなくていいよ」


 顔を上げると、その人と目が合った。青白い顔……。ううん、そんなことよりも私、この人に会ったことがある気がする。誰だろう。


「あっ」


 頭の中に、昔よく遊んでもらった近所のお兄ちゃんの顔が思い浮かぶ。


「もしかして、総司そうじ兄ちゃん?」


 えっ、と目を見開いたその人を、もう一度じっと見て、確信する。

 もう何年も会ってないし、昔よりもかなり痩せていて顔色も悪いから最初はわからなかったけれど、人懐こそうな瞳に面影がある。この人、総司兄ちゃんだ。


「覚えてる? 私、りつだよ。総司兄ちゃんがいた剣の道場の近くでよく遊んでいて、すっごく足が遅くて、鬼ごっこでいつもすぐに鬼に捕まってた、りつだよ」

「……ああ、りっちゃんか。驚いたなあ、こんなところで会うなんて」


 総司兄ちゃんは、私の言葉を聞いて思い出したらしく、懐かしそうに笑った。



 私がもっと小さかった頃、総司兄ちゃんは町の子どもたちと、よく一緒に遊んでくれた。特に、鬼ごっこなんかをしたとき、足の遅い私は何度も助けてもらった。


「りつー。おまえ、いつまで鬼やってんだよー」

「早く誰か捕まえろよなー」

「ご、ごめん……」


 遊び友だちの信太しんたやほかの男の子たちは、よくこうやって私に文句を言う。その度に、女の子たちは私の味方をしてくれた。


「ちょっとー。りっちゃんだって頑張って追いかけてるじゃん」

「そうそう。りっちゃん、鬼、交代してあげる」

「そんなのずるいぞ、ちゃんと誰かが捕まるまで、りつが鬼やれよ」

「あんたたち足速いんだから、女の子には手加減するのが普通でしょう」


 こんな感じで、よく男の子対女の子のけんかが始まる。けんかの原因である私は毎回、居心地が悪くて気が気じゃない。そういうときに総司兄ちゃんはふらっとやってきて、その場をおさめてくれることが多かった。


「おーい、またケンカかー?」

「あ、総司兄ちゃん。りつがさ、いつまでたっても鬼なんだよ」


 信太が、やれやれというように首を振る。


「へえ。じゃあ、今度は俺が鬼やろうかな」

「それはさっきも言ったけど、ずるいからだめ。だってりつは、まだ誰も捕まえてない」


 総司兄ちゃんが、くすりと笑う。


「信太、そんなにりっちゃんに追いかけてもらいたいの?」

「はあ? ち、違う! もういい、総司兄ちゃんが鬼やってよ」

「はいはい。数かぞえるから、逃げろよ」


 みんな、急いで遠くへ走っていく。私は、しゃがんで数をかぞえようとしている総司兄ちゃんに近寄った。


「どうした? りっちゃんも早く逃げないとまた捕まって鬼になっちゃうよ」

「うん。総司兄ちゃん、ありがとう」


 総司兄ちゃんは、私の頭をぽんぽん、と軽くたたいた。大きくて、優しい手だった。



「久しぶりだね。信太たちは元気?」


 庭であんこを抱いて立ったままだった私は、うん、とうなずいて縁側に駆け寄った。


「総司兄ちゃんが京に行ってから、みんな寂しがってたよ。信太は今、親戚の家に奉公に出てるからしばらく会ってないけど、どうでもいい内容の手紙をよく送って来るの。まったく、紙の無駄遣いよ」

「あはは。信太はなんだかんだでりっちゃん大好きだったもんな。今も変わってないんだね」

「えー、そうかなあ。私に意地悪してばっかりよ、あいつ。総司兄ちゃんは、今はここに住んでるの?」

「うん。柴田さんって人の家なんだけど、おれは居候」


 総司兄ちゃんが明るく笑う。


「あら、二人とも知り合いだったの?」


 おばあさんが庭の端から顔をのぞかせた。


「うん。婆さんがりっちゃんを中に入れたの?」

「ええ、猫を探してるって言うから」


 まるで返事をするかのように、あんこが、ニャーオ、と鳴いて、するりと私の腕から抜け出す。さっきの黒猫と再び遊び出した。


「じゃあ、お嬢さん、せっかくだからゆっくりしていって」


 おばあさんはそう言うと、家の前の掃除に戻っていった。


「あの黒い猫は、この家の猫?」

「おれが飼ってる。ミイっていうんだ」

「ミイちゃんかー。あ、うちの猫の名前は、あんこ」

「・・・・・・あんこ?」

「うん。あんこが好きだから」

「猫ってあんこ食べるのか」

「ううん。私が好きなの」

「なんだそりゃ」


 総司兄ちゃんが、ぷっと吹き出した。私何か変なこと言ったかな……。


「変っていうか、おもしろいね、りっちゃんは」

「そーかなあ」


 あんこの名前を笑われたのは、ちょっと気にくわないけれど、まあいいや。そんなことより、総司兄ちゃんに会えたことの方が嬉しいから、細かいことは気にしない。

 猫二匹が満足するまで遊ばせて、私は帰ることにした。


「また来てもいい?」

「ああいいよ。気をつけて帰りなよ」

「うん。ばいばい」


 あんこを抱き上げ小さく手を振ると、総司兄ちゃんも振り返してくれた。

 今まであまり意識せずに総司兄ちゃんと話していたけれど、あらためて見ると、総司兄ちゃんの腕は、とても細かった。やつれた顔といい、何か病を患っているのは明らかだ。そして、彼の布団に潜り込もうとしている黒猫、ミイ。

 一瞬、背中がぞくりとした。慌てて出入り門へ向かう。


「お嬢さん、帰るの?」


 門の前に掃除の続きをしているおばあさんがいた。優しい声に少し安心する。


「はい。お邪魔しました。また来ます」

「どうぞ、またいらっしゃい。彼、病気で寝たきりだから、きっとあなたが来てくれたら喜ぶわ」


 おばあさんに見送られて、私は門を出た。

 総司兄ちゃんは、昔からは想像もできないほど、痩せていた。

 それに、あの黒猫、ミイ。黒猫を飼えば、不治の病とも言われる肺の病気、労咳が治るという話をどこかで聞いたことがある。


 総司兄ちゃんは、労咳なのかもしれない。

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