act.7 やすらぎの空間と国民食
ミケリーノさんやインジュさんと話してみてわかったんだけど、元日本人の転生者がどれだけ記憶を持っているか、あるいは自分が転生者だという自覚を持っているかについては、かなり差があるとのことだった。
「まあ、中には自分の素姓とか絶対話さないタイプもいるけどさ」
「とは言っても、意外と覚えていないのが『自分自身のこと』だったりするけど。アタシも、家族構成や自分が何をしていたかっていうのはうっすら覚えてるけど、前世の名前はどうやっても思い出せないんだよね。不思議じゃない?」
「一番覚えてるのってやっぱり、好きなこととか、興味持ってたことなんだよなぁ。俺も未だに、自分が仕事で手掛けてた実験のデータとか、そこだけは妙に覚えてるしね」
名前――前世の名前か。
確かにこれは、俺も思い出せないことのひとつだった。
前世の自分が高校生で、多分十七歳くらいで死んだんだろうなってのは、うっすら判る。
そして家族……両親は健在で、三つ上の姉貴と一歳違いの弟がいたなってのは覚えてるんだけど、自分や家族、そして通ってた高校の名前といった、個人の特定につながるような具体的な情報は、何故だか全く思い出せないのだ。
「家族構成とか薄ぼんやり覚えてたら、住んでた場所や名前も思い出せそうなもんですけどね」
俺がそう呟くと、ミケリーノさんがテーブルに身を乗り出して、中指で眼鏡をぐっと押し上げた。
あっ、なんかこれ話が長くなりそうな気配がする。
思わずインジュさんの方を見ると、さっと視線を逸らされた。
「だろ?だろ?不思議だよね!いや俺もね、ツァイを含めてこれまで二十七人の元日本人転生者、もしくはそうだと思われる人に会ったんだけどさ。このうち少なくとも『自分は日本人だった』と言いきれるだけの記憶を保持していたのは、なんと二十人に満たなかったんだよ!ツァイで十八人目だな!」
「えっちょっと待ってください、転生者の数、なんか俺が思ってたよりもずいぶん多いですよ!」
「そこも不思議なんだよな!でも思い出せる限りの生前の年齢や、今現在転生した年齢も結構ばらばらなんだぜ。そのあたり、いわゆる『世界戦を越えた』ことによって生じた誤差の範囲内なのかそれとも、何者かが意図的にそうしたのか――」
「待ってください全然ついていけないっす」
たまりかねた俺が声を上げると、インジュさんが「ミケ、うるさい」と、ミケリーノさんの額にデコピンをくらわせた。
「おうっ!」と呻いたミケリーノさんが額を抑えて悶絶している間に、インジュさんがぐっと噛み砕いた説明をしてくれる。
「どうやらアタシ達は、おそらくほぼ同じ時代から大量に、この世界に生まれ変わってるらしいってことだよ。覚えてる限りの記憶を付き合わせると……だいたい『二〇一七年二月』で途切れてるんだよね。これがどういうことかっていうと――」
「……少なくともそれだけの人間が、一度に死亡する何かが発生したってことですか?」
「ミケはそう主張してる。あと、テオもそうじゃないかって」
まあ他の人はそんなに気にしてないし、アタシもわりとどっちでもいいかなとは思ってるけどね――インジュさんはそういうと、ちょうど通りかかったテオバルドさんに何やら注文をしはじめた。
わりとどっちでもいい、か。
考えてみれば俺も、それで済ませてきた気がする。
だって詳しく思い出そうとしても、ある一定のラインから先はどうやっても越えられないんだぜ?
だったら「自分にはちょっとばかり余計な記憶や知識がある」と割り切って、今生きてるこの世界に馴染んでいくしか、方法はないんだから。
いかに二十一世紀の日本社会の情報があったところで、少なくとも俺の知識の範囲内では、たとえばパソコンやスマホ、あるいは自動車をこの世界で完全に再現するなんてのは不可能だ。
「今」の自分のものではない記憶を懐かしみながら、どこかちぐはぐなモノを抱えて生きて行く……多分それが、俺達記憶持ちの転生者なんだろう。
「だからベルナデットさんは、この店を作ったんですかね」
「そうだね。この世界じゃ浮いてる場所だけど、でもこの店はアタシ達みたいな記憶持ちの転生者にとって、魂の深いところがほっとできる場所なんだよね。日本食そのまんまってわけにはいかないけど、それに近いものが食べられるお店ってここだけだし」
それにこのお店で食事して、記憶が戻った転生者もいるんだよ、なんて驚きの情報を付け加えたインジュさんのところに、テオバルドさんがやってきた。
「はい、お待たせ。インジシュカはいつもの豚汁バター入り、んでこっちはツァイ君に」
そういって俺の目の前に置かれた皿を見て――ああ、神様!
俺は再び、大げさでも何でもなく感涙に咽びながら、添えられたスプーンを手に取った。
「カレーだああああああああああああああああああああああ!」
叫ぶよね。
叫んだよね、力いっぱい。
だってカレーだよ?
今俺の目の前にあるのは、日本風のカレーライス!!
そりゃ俺がツァイとして生まれ育った故郷はあれだ、交易ルートの近場だったから、スパイスとかわりと手に入りやすい環境で、食生活は結構恵まれてたほうだと思う。
カレーに似たような料理も一応あったけど、でもそれは俺が心底食べたいカレーじゃなくて、たとえば学校行く前に母親が「今日はカレーよ」って言って喜んで帰ったら、子供の頃から食べなれたカレーじゃなくて、目先を変えた無○良品の手作りカレーキットのグリーンカレーでした美味いけど俺の胃袋が欲してたのはそれじゃない!みたいなさ。
こっちで生まれてからはその味で育ったし、こっちの母親が作る料理も美味かった。
美味かったけど――魂の奥底で日本の懐かしい味を欲する、あの誰にも説明できない飢餓感を抱えてることに対して、俺は常になんとも言い難い罪悪感を覚えていた。
その罪悪感を一口でぶっ飛ばす、このカレーの美味さときたらもうね。
泣きながらカレーを貪る俺を見た他の客が――多分記憶持ちの転生者だ――「あーこっちでカレー初めて食べたらああなるよね」とか「若い子はやっぱ反応いいなー」とか言いながら笑ってるけど、全然気にならない。
「もう……このカレー再現した人、神ですね。俺崇めちゃいますよ」
「ああ、厨房担当してるのはホークウッドさんだよ。さっき話しただろ?ベルナデットさんの旦那さんだって」
「マジすか、黒級冒険者で天才シェフとかどんだけ才能豊かなんですか」
「ホークウッドは日本に居た時、シェフだったらしいから。もしかしたらアタシ達、ホークウッドの料理を食べたことあったかもしれないね」
日本に居た時、かぁ。
空になったカレー皿を見ているうちに、俺の中でふとひとつの記憶がよみがえってきた。
「……ファミレス」
「ん?ファミレスがどうかした?」
俺の呟きを拾ったミケリーノさんが、こちらもカレーを食べながら首をかしげた。
「や――俺、ファミレスでバイトしたことあったなって、今思い出して」
夏休みの間だけ、欲しいものがあって……その欲しいものが何だったのかは思い出せないんだけど、ファミレスのホールのバイトに入ってた。
「あの、テオバルドさん」
「何だい」
「とりあえず身の振り方考えるまで……俺、ここで働かせて貰ってもいいっすか?」
すぐに冒険者稼業に戻るのは、正直言ってちょっと怖い。
そして冒険者を続けるのでなければ、新たに手に職をつける必要がある。
だったら――ここで、日本で食ってた料理を作れるようになりたい。
そんな思いを込めて尋ねると、テオバルドさんは相変わらず爽やかに笑って頷いた。
「わかった、じゃあお願いするよ。簡単な調理の下ごしらえや仕入れなんかも手伝ってもらうことになると思うけど、それでもいいかな?」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
なんと三食賄い付きで、住むところが決まるまではゲストルームも使っていいとのことだった。
よかった、言ってみるもんだ!
これでなんとか、宿なし文無し状態は回避できたぜ!