act.4 泣きながら食べる米の味
次に目が覚めると、部屋の中は薄暗くなっていた。
日が暮れたばかりで空にはまだ夕焼けの色が残っていて、その情景は異世界であってもなんとなく郷愁めいたもんが沸きあがってくる。
俺が寝かされていたベッドのすぐ傍には小さなテーブルがあって、その上にはランタンが置かれていた。
とはいってもろうそくをともしたり、燃料をくべるタイプじゃない。
鉄製、あるいは銅製の枠にガラスが嵌めてあって、中の皿に魔石がとりつけてある。
ランタンに刻まれた魔法陣に魔力を通して、中の魔石が光るってわけだ。
あ、結構いい魔石使ってんな……多分数年間は交換しなくても大丈夫っぽいぞ。
しかも明るさも調節できるタイプじゃん、これ。
いいなー、俺もこういうの欲しいな、幾らくらいするんだろ。
そんなことを考えながら部屋中を照らすカンテラを眺めていると、俺が使わせてもらってる部屋のドアを、誰かがノックした。
「あっ、どうぞ!」
「失礼するよ」
ドアを開けて入ってきたのはかあちゃん系美女ではなく――イケメンだった。
浅黒い肌に色素薄めの金髪って組み合わせからすると、多分大陸の西の方の出身だ。
ぱっと見物腰柔らかかつ穏やかな笑顔で、なんだかこう……オーラがキラキラしてる。
まっさきに思いついたのが「あっこれ学園物だと正統派王子様になるタイプですわ」だった。
そして俺から見ても判るくらい、身のこなしに隙がない。
しかしそれがまた、妙に様になっている。
着てる物はあえて言うなら「二十一世紀の日本で女性受けしそうな有名カフェ店の制服」って感じで、シンプルな白いシャツに黒い……えーとカフェエプロンっていうんだっけ?そんな格好なのに、ものすごく絵になっていた。
うわぁ、爆発しろ。
でもそのイケメンが、湯気がたつ皿が載った木製のトレイを持っているのを見た瞬間、俺の腹の虫が特大の鳴き声をあげた。
「ははっ、そろそろ空腹になる頃じゃないかと思ってね。ほら、熱いから気をつけて」
そう言ってランタンが置かれたテーブルの上にトレイを置くと、イケメンは爽やかに微笑んだ。
「ありがとうございます……いただきます」
何気なく木製の匙を手にとり、皿の方を見て――俺は思わず、息を呑んだ。
素朴な木製の深皿に盛られて湯気を立てていたのはだって、どう見ても「お粥」だったからだ。
この世界、少なくとも俺が育った田舎やその周辺の主食は、麦と雑穀だ。
メインはパンだけど、日本で食べてたふわふわしたやつじゃなく……どちらかというとインド料理店とかで出てくる、ナンに近いタイプだ。
んで、季節によっては水や牛乳で煮込んだオートミールなんかも食べる。
ごく稀に蕎麦っぽい穀物の粉をクレープみたいにして焼いて、それで具を包んだものなんかもあるけど、それはお祭りや結婚式などの行事で食べられる、ちょっと特別なごちそうだ。
少なくともここに転生してから「米」は見たことなくて、前世のことを思い出すと、無性に食べたくなったりしたんだけど……まあ、諦めざるを得なかったわけだ。
その米が、時々夢にまで出てきた白い米のお粥が今、俺の目の前で湯気をたてている。
ああっよく見れば隣の小皿の上には、梅干しにしか見えない物体もあるんですけど!?
前世じゃ梅干し別に好きじゃなかったけど、生まれ変わって初めて目にする梅干しが、なんかものすごく美味そうに見える!
やべっ口の中にすっげ唾液が沸いてきた!
ちょっとテンションあがりすぎて震える手で匙を持ち、食べやすいよう種をのけて刻んである梅干しを掬ってお粥に混ぜ、口の中に放り込む。
熱い、熱いけどすっごい懐かしい白米の味と香りがする!
梅干しの若干強めの塩気と酸味がまた、米の甘みを引き立ててる!
転生した身体で米を食べるのは初めてなのに、魂がこの味と香りを「美味い」って認識してるよ!
ちくしょう――お粥ってこんな美味かったっけ。
気がつけば俺は泣きながら、かなり大きな深皿に盛られてた梅干し粥を完食していた。
生まれ変わってから十七年ぶりの白米はなんていうか、感動的だった。
美味いとか空腹が満たされたとか、それだけじゃなくて。
記憶を取り戻してからこっち、今の世界と前世との間で常に宙ぶらりんになってたような、どっちつかずの「俺」に「今のままでもいいんだよ」と言ってもらえた安堵感みたいなものを覚えたんだ。
……もしかしたらこれからも、米食えるのかな。
うっわ、米があるなら炒飯とかカレーライスとかちらしずしとかいきたいんですけど。
一番食べたいのは卵かけご飯だけど、それはさすがに難しいだろう。
てか醤油とか味噌とかあるのかな……米があるなら期待してもいいんだろうか。
そんなことを考えていると、食事の間すっかり存在を忘れていたイケメンが「まだ食べられそうだったら、お代わり持ってこようか?」と、実に有難いことを仰ってくれた。
首がもげそうな勢いでイケメンのほうを振り向いた俺が食い気味に「お願いします!」と叫んだのは、まあご愛嬌ってやつです。
そしてベッドに腰掛けた俺がそわそわしながら待っていると、すぐにイケメンが戻ってきた。
今度はお粥だけじゃなく、なんと味噌汁までついていた。
「うおおー……味噌汁じゃん……!」
感激のあまり、思わず声が出てしまった。
ネギにしか見えない薬味に豚肉、紅人参、小ぶりのホクチダケ(どう見てもしめじそっくりな茸だ)、さつま芋によく似たベニガライモという取り合わせは、味噌汁というよりも豚汁だ。
そしてこれがまた――すっげー美味かったです、はい。
「それだけ食べられるなら、心配はいらないね」
二杯目のお粥と豚汁を平らげた俺を見て、イケメンが呟いた。
そう言えば俺が食事してる間、この人ずっと傍にいたんだっけ……えっもしかしてお粥に感動して泣いたり、豚汁に感動して変な声が出たりしたの、全部見られてたんだよな?
俺……すっごい変な奴って思われたんじゃないだろうか。
今更ながらそのことに気がついた俺がおそるおそるイケメンの方に目を向けると、ベッドの傍にあった椅子に腰かけて俺と向き合ったイケメンが、こう切り出した。
「君、日本人の生まれ変わりだろ」
「はぃぃぃぃぃぃぃぃ?!」
えっ今この人なんて言った?
日本人?日本人って言ったよな!?
しかも断定したよ!
「お粥と豚汁にそこまで感動するのって、今のところ俺が知る限り『元』日本人くらいだよ。こっちでも米が主食の地域はあるけど、このあたりじゃその辺出身の人って、殆ど見かけないからね。それに『味噌汁』なんて、日本人しか言わないし」
「ですよねー!でもめちゃくちゃ美味かったです!五臓六腑に沁みわたりました!」
「まあ気持ちはわかるよ、俺も最初食べた時、ほんとにそう思ったから」
……えっ?
「ああ、俺も日本人の生まれ変わりだよ。今は見た目こんなだけど」
「……俺もだけど、見た目は日本人要素ゼロですよね。なんでそれで判るんですか?」
「ベルナデットさんが和食出してみろって言ったからね。あの人どういうわけか、転生者を見分ける勘がすごいんだよ。ああ、ベルナデットさんは君を助けてくれた、赤毛の美人だよ。最初に目が覚めた時、顔を合わせただろ?」
あー……あの赤毛のかあちゃん系美女、ベルナデットさんっていうのか。
しかもイケメンの言葉から察するに、彼女もまた日本人の生まれ変わりっぽいぞ。
なんか自己紹介とかする余裕全然なかったもんな、さっきは。
っていうか俺、助けてもらったのにきちんと名乗ってもないし、礼も言ってない。
元・日本人として、礼儀知らずな真似はできないぜ……じっちゃんの名にかけて!
「あっ……と、俺はツァイって言います。故郷のサフェトから出てきたばかりの、駆け出しの冒険者です。森林オオカミに喰われかけてたところを保護していただき、本当にありがとうございました!」
「俺はテオバルドだよ。青の上級冒険者で、ベルナデットさんのパーティーに所属してる。君を保護した時、俺も一緒にいたんだよ」
「えーと……なんていうかお恥ずかしいところをお見せしまして」
「恥ずかしいっていうか、グロいところの間違いだろ」
うわぁ、きっちりつっこまれた!
っていうかこの人も冒険者かよ……うんまあわかってたけど。
ただのイケメンなカフェの店員なわけないよなぁ、あの身のこなしで。
「でもそのおかげで、君が異能持ちだとわかったからね。元日本人の転生者を何人か知ってるけど、どういうわけか大半が、何らかの能力持ちなんだ」
「えっ……ってことは、テオバルドさんもですか?」
「さあ、どうだろうね?」
「堂々とはぐらかしますね!」
「手の内をさらけ出さない用心深さもまた、冒険者にとっては必要な心構えだからね。ベルナデットさんくらい強ければ、気にすることもないんだろうけど。あの人は黒級の冒険者だから」
マジか、黒級って実質、トップクラスの実力者ってことじゃん!
ギルドは大陸内で担当する地域が幾つかに分かれていて、その地方を象徴するかのような動物、あるいは鳥をモチーフにした紋章をそれぞれ持っている。
んで地域ごとのギルドは「ロッジ」と呼ばれていて、その地域の本部となるギルドが「大ロッジ」となり、ギルドの総本山は「総ロッジ」となっている。
大ロッジの中には、黒級の冒険者がいないところもある――といえば、あのかあちゃん系美女のベルナデットさんがかなりのチートだってことは、ご理解いただけるんじゃないだろうか。
「そういえば、ちょっと気になることがあるんですけど」
「うん?何かな?」
「さっきテオバルドさん『青の上級冒険者』って言いましたよね。青級って、ひとつのクラスの中でそんな区分があるんですか?」
「――君が所属してたパーティー、青級の冒険者はいたの?」
「はい、パーティーのリーダーが青級だったはずです」
「なるほどね……だから君には、詳しい説明をしなかったんだろうな。不信感を持たれないためにも、余計な知識はつけさせなかったってことか」
そう言って溜息をこぼしたテオバルドさんによる、初心者のための冒険者講座が始まった。