act.1 駆け出し冒険者はオオカミの餌になる
「ああああっ痛ってえええええええええええええええ!」
森の中に俺の絶叫が響く。
ここは人里離れたシュルケの森。
駆け出し冒険者の俺、ツァイは鬱蒼とした森の草深い地面に転がりのたうちまわり、絶叫を上げていた。
森の中で何やってるんだよお前って思ったでしょ?
俺だって他人事ならそう思う。
でも好きでこんなことしてるわけじゃなく、今の俺はいわゆる満身創痍で身を包む防具もズタボロ、森林オオカミ――このあたり一帯ではわりとメジャーな魔獣で、群れをなして行動する、かなり危険なタイプのやつだ――の牙や爪で洒落にならない深手を負って、為す術もなく痛みに耐えるしかない有様だった。
もう一度言おう、そんな危険な魔獣が出てくる森の中で、何一人でズタボロになってんだよお前って思ったでしょ?
うん、俺も最初は一人じゃなかったんだよ。
二週間ほど前に田舎から出てきて冒険者ギルドに登録してさ、ちょうど新人を募集してたっていうパーティーに運よく出会って、仲間にしてもらってさ。
やっべ俺の冒険者ライフ超順調なスタートをきった!って、思ってたわけだ。
んで最初は近場で簡単な依頼をこなして、まあパーティーのメンバーに色々教えてもらってさ。
先輩に付き添われてゴブリン倒してみたり、大角ウサギを倒して角をギルドに納品したりして、これから慣れればまだまだ強くなるぞ、とか言われて。
んで――この、シュルケの森にやってきた。
俺が依頼書を持っていった時、ギルドの窓口のお姉さんはものすごく何か言いたそうな顔をしていたけど、なんだか手間取ってるのに気がついたパーティーのリーダーが顔を見せてからは、黙って手続きをしてくれた。
俺が所属してるパーティーのランクは赤蛇級……パーティー、あるいは冒険者のランクは上から順に白、黒、紫、青、赤、緑、灰となっていて、その後に続く動物もしくは鳥の名前は、どの地方のギルドで登録を行ったかということを表している。
このあたりの冒険者ギルドの紋章は狼だから、そこでパーティーを作って登録をすれば「灰狼級」ってわけだ。
そして俺みたいにベテランのパーティーに加入した新人だと「赤蛇級パーティーに所属している灰クラス」となる。
蛇は……少なくともこの地方からは、かなり離れた地域なのは間違いない。
俺が生まれ育った田舎によく来る冒険者はだいたい狼だったし、次いで鷲や獅子、たまに熊がいた。
そういや「蛇」って、俺を勧誘したパーティーが初めてだ。
メンバーは西大陸語を話してたけど聞きなれない訛りがあったし、冒険者ってやっぱりあちこちを旅してまわるんだな、とか思ってたけどさ。
ちなみに依頼の内容はというと「シュルケの森の奥にある精霊の泉でしか採れない薬草を採取すること」だった。
精霊の泉ってのは大きな森や山、あるいは洞窟の中に時々生まれる、魔力が集まったポイントのことだ。
だいたい水場にもなってるんで「精霊の泉」って呼ばれてるけど、中には水場じゃないところもあるらしい。
それはさておき、シュルケの森の精霊の泉は間違いなく水場で、しかも結構大きな池だった。
んでまた、この薬草ってのが満月の夜にしか採れないらしくてさ。
俺達は日が暮れてから森に入り、なるべく魔獣に遭遇しないよう息をひそめながら森を抜け、なんとか泉がある最奥に辿り着いた。
そこで皆で薬草を摘んで……いや、俺だけは見張りをしてくれって頼まれて、皆から少し離れたところで、カンテラを持って周囲の気配を探っていた。
採取するメンバーは灯りをもってなくて、それで大丈夫なのか?って尋ねたら「薬草は暗闇の中で光るから大丈夫だ、むしろカンテラの灯りが邪魔になる」って言われて――俺は皆の邪魔にならないよう、少し離れた場所で待機してた。
すると気が付いたら、俺の周囲を森林オオカミが取り囲んでいた。
慌てて皆の方を振り向いて……うん、まあ、驚いたね。
だって池のほとりにいたのは俺だけで、皆はいつの間にか姿を消してたんだからさ。
最初は池の周辺を回るようにして見回りをしてたんだけど、パーティーのメンバーから「カンテラの灯りで見づらいからもうちょっと離れてくれ」とか「もう少しあっちに行ってくれ」って、今思えば誘導されていた。
それでもう、悟らざるを得なかったね。
俺の役目は、皆が薬草を採り終えて逃げだすまでの囮だってさ。
一人だけカンテラを持たされたのも、間抜けな餌がここにいますよーってオオカミをひきつけるためで、つまりは使い捨ての駒だったってわけだ。
ランクでいえばそこそこ中堅だろう「赤」で、まったく経験のない駆け出しをわざわざ仲間に加えるメリットってなんなんだろうとか、思わないわけじゃなかったよ。
でもな、最初は親切にしてもらったから――信用したわけだ。
絶望しながらカンテラを投げ捨てて剣を抜き、まあ一匹二匹はなんとか倒せた。
けどオオカミの囲みからなかなか抜け出せず、噛まれて体当たりくらって、オオカミなのに爪でひっかかれて。
剣すら捨ててなんとか逃げだした時にはもう、戦う意志も力も残っていない状態だった。
必死になって足を動かす俺の背後をオオカミがつけて、時々腕や足、背中に獣の息を感じながら、半泣きで逃げまどう。
それでまた噛みつかれて引き倒されて、今度は素手でオオカミの鼻っ柱や横腹を蹴ったり殴ったりしてまた逃げて。
うん、完全に迷ってしまった。
精霊の泉からは離れたけど、でも森林オオカミのなわばりからは抜けだしていない。
だってほら――さっきからまた、獣の息遣いと、幾つもの足音が聞こえてくる。
獲物が完全に弱るのを待って、あいつらは俺を引き裂きにくるんだろう。
ちくしょう。
簡単そうな依頼だったのに、誰も手をつけてなかった理由がきっと、森林オオカミだ。
パーティーの奴らもその危険性を知っていて、俺みたいな世間知らずが来るのを待っていたんだろう。
ははっ……俺の命は貴重な薬草の代金、金貨七枚よりも安かったってわけだ。
パーティーの人数は俺を除けば七人だから、ちょうど一人金貨一枚ずつってわけだ。
「死にたく、ねーよぉ……」
とはいえ、身体はもうほとんど動かない。
だって俺、現時点で首筋にすっごい咬み傷があって出血止まんないし、オオカミの牙を防いだ腕は半分くらい肉がえぐれて指とか全然動かせないし、いわゆるアキレス腱もやられてる。
もうマジでね、息できなくなりつつある。
視界もすーっと暗くなってきたし、手足がどんどん冷えていく感じがする。
なんだよ。
なんだよちくしょう。
せっかくさぁ、剣と魔法の世界に生まれ変わったと思ったのにさ。
俺さ、前世でも高校生くらいまでしか生きてねえんだけど。
今生の俺は何歳だったっけ、ああやっぱ十七歳か。
前世でも今生でも、十七歳で死んじゃうのかよ俺。
それ以上生きられないのかよ。
なんだよそれ。
ふざけんなよマジで、あのパーティーの奴ら絶対許さねえ。
もしここで死んだら――全力で……呪ってやる……ちくしょう。
そんなことを考えながら、俺の意識はすーっと水底に沈むように落ちていって。
でも意識が完全に途切れる寸前で、オオカミ達のきゃんきゃん情けない悲鳴と「おい、しっかりしな!」って呼びかける女の人の声――そして誰かが俺を覗き込んだような気がした。