7話 男爵家の王族たち
白猫兄妹は、鼻が良い。食堂から流れてくる匂いに、しっぽを躍らせる。
「おやおや、いい匂いですね。何の匂いか分かりますか?」
「にゃ! アクアパッツアです♪」
「はいはい、クリスの大好きな料理ですね。きっと兄上のムニエルもありますよ」
「にゃ、ムニエルも食べたいです!」
煮込み料理のアクアパッツア。焼き料理のムニエル。それぞれ、好物の魚料理をあげる猫たち。
しっぽを振り振り、食堂に入ってくる。使用人が椅子を引き、猫兄妹が座った。
「にゃ、やっぱりアクアパッツアです! こっちのムニエルも、美味しそうです」
「はいはい、兄上のも食べますか? ほら、父上たちもくれるようですよ」
「にゃー、皆さま、ありがとうございます♪」
子猫の行動は単純だ。しっぽを揺らし、嬉しそうに魚をほおばり、ミルクを飲む。
野菜より、魚。前菜より、メインディッシュ。好物が一番先。
男爵家の夕食に、猫娘の姿があるのは、久しぶりだ。両親や祖母は、かわいい娘や孫にこぞって魚を渡してくれる。
好意の嵐に、幸せそうな顔になる子猫。それでもフォーク運びは優雅で、気品にあふれていた。
「にゃ、美味しすぎます……さすが、おばあさまや母上が見込んだ方々の料理です!」
子猫の無垢な笑顔に、使用人たちもなごむ。中堅の執事は、子猫に飲み頃のミルクを注いでくれる。
料理長自ら、食堂に赴き、猫娘の目の前で料理を盛り付けてくれるほど。
男爵家の食事は、豪華だった。最高の料理と、最高のサービス。
並ぶ料理は、元宮廷料理人たちが作った物。給仕人は、元宮廷の勤め人たち。
フォーサイス王家から王女たちが降嫁したとき、それぞれ王宮から連れてきた使用人たちである。
育ち盛りの猫娘のために、いつもより多く作れた魚料理は、あっという間に減っていった。
「にゃー、ごちそうさまです。いっぱい食べました♪」
「いやいや、よく食べましたね。そんなに食べたら、コロコロになって歩けませんよ?」
「にゃ。明日から、治癒魔法で肥満解消するので大丈夫です」
「はいはい、了解しました。普段は治癒魔法の練習をしているから、全然食べないんでしたよね」
「にゃ」
好物を食べつくし、満足そうな子猫。お腹は、パンパンに膨れている。
子猫をからかう兄も、優雅に口元をぬぐう。猫青年は、子猫に負けず劣らず食べていた。
妹に配慮して、魚は少なく、野菜を多めにだが。
猫娘の普段の生活は、治癒魔法に彩られている。飲み物は、自分で調合した薬草茶。
食事は、公爵令嬢にも処方した、飢餓のときに使う治癒魔法で代用する。
ごくまれに、お菓子も食べるが、子供向けの内服薬の研究の一環である。
「そういえば、そういえば、治癒魔法は、どれぐらい上達しましたか?」
「にゃ……今日は、虹色魔法の結界内で、最上級の治癒魔法を使ってきました」
「おやおや、それはすごいですね! 最上級の治癒魔法なんて、使えるのはおじいさまと、魔法学校の医学部長くらいですよ。
ですが、虹色魔法を使うなんて、何があったのですか? この前の治療……ノア殿でしたか、彼にかけたような欠損治癒の魔法ですか?」
「にゃ……お答えできません。まずおじいさまに話して、おじいさまから許可が出るまで内緒です」
「いやいや、師匠優先ですか。クリスには敵いませんね」
兄に質問され、少し言いよどむ猫娘。猫耳を伏せ、嬉しくなさそうに答えた。
聞いていた白猫父親のほほが、少しだけ動いた。中級魔法医師の資格を持つ裁判官は、娘を見やる。
虹色魔法は、五色の世界の理を均等に扱う必要がある。
少しでも理のバランスが崩れれば、一番多い理の色の単色魔法になってしまう、難しい魔法だった。
祈りの巫女姫に治癒魔法を教えたエルフは、八百年の生涯をかけて、虹色の結界魔法を編み出し、後世に伝える。
つまり、虹色魔法は、魔法に長けるエルフですら、苦手とする分類。五百年後においても、使いこなせるものは少ない。
そんな魔法を、わずか十二才の子猫が行使しなければならない事態。父親がいぶかしんで、当然である。
無愛想な父の変化に気づかない兄は、執事長に気軽に尋ねる。
「しかし、しかし、おじいさまは、どうしたんですかね? 帰りが遅いようですが……じいや、何か聞いていませんか?」
「アンディ様。大旦那様は、エステ公爵家へ寄られているそうです。診察してから帰ると、知らせがありました。もうすぐ帰宅されるかと」
「なるほど、なるほど。ありがとうございます。いつものおじ上の診察でしょうね」
エステ公爵家は、猫兄妹の父の妹が嫁いだ家。思考停止され、人形のようにされた公爵令嬢の家でもある。
本来なら、現国王の双子の妹が降嫁するはずだった。だが、双子の妹は、婚約を拒否したのだ。
「想い人と添い遂げられないなら、死んだほうがマシです」と叫んで、王宮の塔から身投げした。
落下する王女を助けたのが、男爵家の後継ぎ。白猫獣人は、途中で王女を受け止め、華麗に着地したという。
その後、紆余曲折あり、王女は想い人の居る、ベイリー男爵家に嫁ぐ。ベイリー男爵令嬢がエステ公爵家に嫁ぎ、今に至っている。
ちなみに王女の身投げ騒ぎは、「命をかけた王家の純愛」として、人気の歌劇に。
「にゃ、違います。きっと、リズの診察です!」
「リズ? クリス、何があった」
「はいはい、クリス。口を閉じてください。リズの名前など、聞きたくありません!
父上も、話をするつもりなら、私の聞こえないところでしてください!」
「アンディ? どうした」
しっぽを膨らませ、不機嫌をあらわにする猫青年。立ち上がり、妹をにらむ緋色の瞳には、嫌悪や憎しみの感情が浮かんでいた。
兄に怒鳴られた子猫は、猫耳を伏せたまま小さくなる。銀の瞳に涙が浮かび始めた。
父親は王家の金の瞳を、息子に向ける。小さな違和感。
「にゃ……母上、母上、兄上がいじめます!」
椅子から飛び降りた猫娘。涙を浮かべたまま、大好きな母のもとに駆け寄る。
この場には、家族や古くからの使用人しかいない。猫娘は母に抱っこされると、遠慮なく、泣き出した。
「にゃー、にゃー、ひどいです。理不尽に怒鳴る兄上なんて、大嫌いです!」
食堂に反響する、子猫の泣き声。感情の高ぶりで、暴走を始める魔力。
子猫の左手首の腕輪が、わずかに反応を示した。一瞬だけ、金細工に青い光が走る。
そして、小さなダイヤモンドの中に、青い魔法陣が浮かんで、すぐに消えた。
その間も、子猫の目から、涙がこぼれ落ちていく。一粒、二粒、三粒。
こぼれ落ちた涙は、変化することなく、絨毯に吸い込まれていった。
困った表情で、愛娘の頭をなでていた母親。諭すように話しかける。
「あらあら、泣き虫ですね。ですが、王女が、人前で泣くものではありませんよ。
常に余裕を持ち、困難を前にしても、微笑みを浮かべて乗り越えるのです」
「そうですよ、クリス。常に言っているように、感情をもっと制御なさい。
王族たるもの、国民が不安になるような振る舞いをしてはなりません」
母に続いて、聞くと背筋を伸ばしてしまうような声を発したのは、緋色の髪の祖母。
先代国王の妹は、物静かな王女だが、国の有事には一番に動く行動派。
エステ公爵家の孫娘が、一番似ていると言われていた。
「それから、アンディ。妹を泣かすとは、なにごとですか。
王族たるもの、国民の手本になるような言動をなさい」
「アンディ、か弱き女性は守り、慈しむのが、男性の務めだ。
だが、法の番人として、節度は見極めなくてはならない。
将来、ベイリー家を継ぐ者として、場合によっては王国を継ぐ者として、己の言動を振り返るのだ」
祖母に続き、父親は猫青年に語りかえる。無愛想な父が言葉を尽くすのは、裁判のときくらい。
猫青年は、法廷に立たされた加害者の気分になっていた。
「さあさあ、クリス。涙を拭きなさい。泣き止んだ良い子には、ミルクを使ったマフィンをあげますよ」
「にゃ? ミルクマフィンです?」
母の声に、涙をつけたまま見上げる猫娘。使用人に渡されたハンカチで、涙をぬぐう。
料理人が焼きたてのマフィンを持ってきてくれた。耳を立てると、嬉しそうにしっぽを揺らす。
マフィンを食べようとして、止まった。銀の瞳で、兄を見やる。
少し考えると、母の膝から飛び降りた。マフィンの皿を持ち、立ち尽くす兄の傍に移動する。
「兄上、これあげます。罪を憎んで人を憎まずです。
それから、さっきは大嫌いって言って、ごめんなさい」
子猫は素直なところがある。兄の前の机にマフィンを置き、頭をさげた。
「いやいや、私こそ、怒鳴って申し訳ありません」
「にゃ……では、お互いの精神的苦痛を考慮すべきところを、今回は、痛み分けの形で相殺にしていいでしょうか?」
「いえいえ、むしろ、マフィンという慰謝料をもらってしまったので、私からの誠意も示すべきでしょうね」
「にゃ……でしたら、今度、一緒に遊んでださい♪」
「はいはい、かわいい妹からの請求ですからね。よろこんで。和解成立ですね」
無垢な笑みを浮かべる妹と、優しげな笑みを浮かべる兄。二人は、握手を交わして、お互いの意思を確認しあった。
はっきり言って、兄弟げんかの仲直りの会話としては、おかしい。
だが、ベイリー男爵家では、昔からよく見る光景である。
父親と猫兄妹の猫耳が、ぴくりと動いた。三人とも、同じ方向に顔を向ける。
「にゃ、おじいさまが帰ってきました!」
「ほらほら、クリス、走ってはいけませんよ。母上やおばあさまが言ったように、王族らしく、微笑みを浮かべてお出迎えしましょうね」
「にゃ! 兄上、おじいさまが食堂にきたら、学校の話をしてください」
「はいはい、約束ですからね」
兄に手をつながれ、廊下に繰り出す猫娘。白猫たちは、優雅に廊下を歩く。
王位継承権を持つ王族の務めと、法の番人としての務めが同居する家。
それが、現在のベイリー男爵家である。
●作家の独り言
子猫ちゃんの両親をモデルにした歌劇「命をかけた王家の純愛」って、本当に人気なのよ。
クライマックスは、男爵子息が王女を降ろして、無言で平手打ちするの。
泣き崩れる王女にしゃがみこんで、視線を合わせて、「なんでこんなことをする!」って怒鳴るのよね。
王女は、男爵子息に抱きついて、「あなたのせいよ!」って告げて、二人は愛を確かめあって幕が下りる内容なのよ。
で、子猫ちゃん家にお邪魔したとき、本人たちに、そのときの話を聞いたんだけど。平手打ちまでは、劇通りだったわ。
……問題は、そこからよ。泣き崩れた王女は、スカート越しに、男爵子息のすねを靴の裏で、全力で蹴ったんですって。
ノア君によると、東の方では、すねを「弁慶の泣き所」といって、人間の急所の一つになるらしいわね。
あまりの痛みに、男爵子息はしゃがみ込み、あのセリフを怒鳴ったらしいわ。
怒鳴られた王女は、男爵子息に抱き着き、両腕で首をしめながら言い返したんですって。
「喧嘩するほど仲が良かった」「遠目に見ると、あの歌劇のように見えたのかしらね」って、二人は笑ったけど。
……さすがにあたしでも、本当のことを小説に書く勇気はなかったわ。幻想は、幻想のままにしておくのが一番ね。
……それから、誤字を見つけたから、修正したわ。