27話 兄の苦労
この世界は、五色の理にそって動いている。赤、青、黄、白に黒。
よそぐ風も、道端に転がる石も、すべて五色の理が均等に流れる、「虹色」の流れの中。
だが、ごくまれに、世界の理から外れた存在が生まれる。正しき世界の理の代弁者である、五色の聖獣の意思を離れて、世界の理が勝手に生み出す存在。
西大陸では「特異点」と呼ばれ、東大陸では「世界の理の愛し子」と呼ばれる者たち。
五百年前に西大陸のフォーサイス王国を救ったのは、青の世界の理に愛された、青の特異点だった。
青の聖獣の加護を得た特異点は、額に原初の魔法陣と呼ばれる、青い魔法陣を授かる。
青い聖剣を携え、南の帝国を乗っ取っていた人の形をした魔物と戦った。
そして、勝利した青年は「青の英雄」と呼ばれ、五百年後の現在まで、語り継がれる聖騎士となる。
三百年前に、フォーサイス王国の王子として誕生した、黄の世界の理を多く持つ者。黄の特異点。
聖獣と出会わず、欲望にまみれたて生きてきた彼は、国王になりたかった。血を分けた姉を幽閉し、国王として即位する。
欲望はとどまることを知らず、最後は、青の英雄の残した聖剣を欲した。
そして、聖剣を手にした瞬間、人としての生命を終え、本能のままに生きる魔物として生まれ変わった。
偽の王から、魔物の王になった、黄の特異点。青の聖剣と青の英雄の子孫に討ち滅ぼされ、世界の理に還ることとなる。
現在のフォーサイス王国には、二人の特異点が存在していた。
フォーサイス王族に生まれた、白の特異点。クリスティーン・ベイリー・フォーサイス王女。
未だ、聖獣に出会わず、加護を持たなかった。特異点であることを隠して、生きている。
魔物に変貌する可能性におびえながらも、天才魔法医師として、多くの人を助ける白猫獣人の子猫。
もう一人は、南の公爵家の養女になった、赤の特異点。カレンデュラ・オフィシナリス。
四才の時に黄の聖獣から、黄色の原初の魔法陣を、額に授かった特異点。
生まれ持った赤色魔法の才能と、聖獣から授かった黄色魔法を駆使して、将来の王妃になろうとしている深紅の少女。
世界の理は、二人の特異点を出会わそうとしていた。
特異点であることを隠している猫娘と、さらけ出している傾国の美女を。
*****
フォーサイス王国の王都の西はずれ。白の特異点の猫娘は、ここで筆頭宮廷魔法医師である祖父と暮らしている。
魅了魔法を始めとする精神感応を使い、王族たちを意のままにしようとする赤の特異点に対抗するため、高等学校へ体験入学が決まった。
今日は、体験入学の説明を受ける日。猫娘とエルフを迎えに、ベイリー家の箱舟が迎えに来ていた。扉を開けると、猫娘は驚く。
「はいはい、おはようございます。クリス、リリー嬢、迎えに来ましたよ」
「にゃ! 兄上、おはようございます♪」
「アンディ君、おはよう。学校までよろしくね」
にこやかな笑顔を浮かべる、白猫青年の王子。兄のアンドリュー・ベイリー・フォーサイスに向かって、子猫は飛びついた。
猫娘に続いて屋敷から出てきたのはエルフ娘。金髪ポニーテールが特徴的なエルフは、明るく笑っていた。
青の英雄の冒険者仲間を、両親をもつエルフ娘。リリー・ファウラーが、白の特異点の猫娘と友人になったのは、世界の理の導きだろう。
猫娘とエルフが箱舟に近づくと、青い瞳を青い髪を持った、新人鍛冶屋が先に乗っていた。
王宮御用達のゴールドスミス工房の鍛冶師、ノア・ゴールドスミスである。
「よう、リリー、クリス。おはよう」
「にゃ、ノア殿、おはようございます」
「おはよう、ノア君。学校ってところで、文学の勉強ができるのよ! 楽しみね♪」
「ああ、リリーは作家志望だから当然か。僕は歴史学が楽しみだな。西の歴史に興味がある」
「ノア君は、芸術学校のデザイン科よりも、高等学校の考古学を選ぶくらい、歴史が好きなのね?」
「……弟弟子は、金細工鍛冶師ならデザインだろと言った。だが、親方は自分の好きな道を先に進んで、職業の勉強はあとにした方が、人生を後悔せずにいられるから、職業勉強が捗ると教えてくれた」
「五十才のエルフと三百才のドワーフだったら、三百才の助言の方が重いわよね」
「そういう事だ。それに学ぶなら、友人がいる方がいい。リリーだって、僕の考えは分かるだろ?」
「ええ、そうよね。思い出にするなら、楽しい方が良いわ。子猫ちゃんやノア君が一緒だもの。きっと良い思い出になるわよ♪」
白猫青年は、不思議そうに白猫しっぽを揺らす。困惑した表情を浮かべて、尋ねた。
「はいはい、朝からご老人のような会話をなさらないでください。まったく、お二人はいくつなんですか?」
「おい、アンディ、僕は百九十三だぞ! まだ成人を迎えてないんだ、年寄り扱いしないでくれ!」
「そうよ! あたしは、まだ百五十七才よ。人間や獣人だと、十五才くらいね。ノア君も十九才くらいなんだから、失礼よ!」
「……それは、それは。申し訳ありません。私たちとは感覚が違って当然ですね」
「にゃ……兄上の負けです。年上に対する言葉遣いは、慎重にです」
エルフと鍛冶屋の剣幕に、猫兄妹は猫耳を伏せた。兄の言葉の後半は妹に向けた、ひそひそ声になる。猫耳を伏せながら、妹は答えた。
千年近く生きる者たちにとって、高等学校の基礎課程三年と専門課程二年など、人生のほんの一瞬にすぎない。
ほんの一瞬だからこそ、百年しか生きられない獣人のような友人との思い出を、大事にしようとする。
気を取りなおした、猫青年。耳を元に戻し、しっぽを揺らして説明した。
「はいはい、お二人に先に言っておきますが、今日は学校の説明だけですよ。実力テストの真っ最中ですからね。
今日は午前中しかありません。明日、明後日は学校が休みです。普通の授業の始まる、来週の月曜から通うことにになります」
「あら、来週なの? 残念ね」
「それから、それから、専門課程は、基礎課程三年を終えたあとですので、まずは基礎課程をしっかりと勉強してくださいね」
「心得ている。鍛冶をするにしても、基礎は大事だ」
エルフは金の瞳を伏せがちにする。鍛冶屋は腕組みをしながら、頷いた。
箱舟は世界の理に乗って移動する、乗り物。今日は王都の外周に沿って南下する。
王都の町はずれの南側は、様々な学校があつまる、小さな都市のようだった。読み書き計算などの一般教養を習う、幼等から中等学校。専門知識を習う高等学校や芸術学校などがある。
王都の北側にはフィーサイスの城があり、すぐそばには、魔法学校と軍事学校が隣接する。
もしも戦が起これば、魔法学校と軍事学校の生徒は、王宮を守る兵士見習いとして起用される仕組みだった。
五百年前に一度、南の帝国によって滅ぼされた歴史が、フォーサイス王国の軍事に影響を与えたのである。
「にゃ、学校なのです! 兄上、兄上、学校が見えてきたのです!」
「はいはい、学校ですね」
「にゃー! 兄上と一緒に学校に行けるのです! 嬉しいです、嬉しいです♪」
白猫しっぽを舞い踊らせる猫娘。とてもはしゃいでおり、子猫らしい愛らしさを振りまく。
兄たちのように、同い年の親戚の王族が居ない子猫は、学校に通ったことがない。
フォーサイス王国の王女として、幼いころから祖父に連れられて、王宮に通う日々。王族の子供たちの中で、唯一、王宮の家庭教師に教えられて育った。
猫娘は、白の世界の理の影響を強く受けた特異点のため、ずば抜けた頭脳と魔力を生まれ持っていた。
祖父は自分の後継ぎとして、魔法医師の英才教育を施す。予想通り、めきめきと頭角を現した。
二年前には、不治の病の治療薬を開発するほどの天才ぶりを発揮する。
そして、半年前、十二才にして、魔法医師の最高の資格「上級魔法医師」を取得してしまった。
そんな天才魔法医師の猫娘だが、中身は純粋な子猫だった。
二年前、治療薬を開発したのも、不治の病にかかった祖母を助けたいから。
魔法医師を真面目に目指しだしたのも、七才の時に、大好きな親戚たちが病気で亡くなったから。
皆を病気から助けたい、子猫はそう思っただけ。思ったから、一生懸命に頑張っただけ。
努力の後に、結果がついてきてくれて、子猫は天才魔法医師として成功した。
「にゃ! ずっと聖獣様に、お願いしていた甲斐があったのです♪」
「……確か、学校へ行きたいだったな」
「にゃ! ……にゃ? ノア殿に話したことありましたっけ? 私のお願いごと」
「……話さなくてもわかる。あんたは、世界の理の愛し子だからな。愛し子は、簡単に世界の理に干渉できるときく。
あんたは、世界の理の代弁者に願った。だから、正しい世界の理は、あんたの願いに応えてくれたんだ」
「にゃ、そうだとしたら、とっても嬉しいです♪」
はしゃぐ子猫を見つめる、鍛冶屋。青い瞳に慈愛の感情を浮かべる。
正しい世界の理の代弁者である聖獣は、正しい生き方をする者の味方だ。他人のために頑張る、純粋な子猫の味方だ。
おそらく世界の理が、力を貸してくれたのだろう。東大陸で、世界の理の愛しと呼ばれる子猫に。
不治の病を治したいという願いも、学校へ行きたいという願いも、かなえてくれたのだから。
青い瞳を細めながら、鍛冶屋は言葉をつむぐ。
人間には聞こえない小さな声で。猫の聴力を持つ、白猫兄妹にしか聞こえない声で。
「……クリス、僕は青い代弁者の契約書を扱うものとして、一つだけ言っておく。忘れずに、覚えておいてくれ。
白い代弁者の契約書を扱うあんたには、世界の理から使命が課せられている。白と青の世界の理は、その使命を果たされることを強く願っている」
「にゃ? 白の理は分かりますが、青もですか?」
「……僕は、青の世界の理と縁が深い一族だ。そして、東大陸を守る使命がある。
東大陸と陸続きの西大陸に異変が起これば、世界の理が歪んで、その歪みが東大陸に波及する」
「にゃ!」
青の世界の理が司る物質は、風と植物。青い瞳の鍛冶屋は、ひそかに青色魔法を使って、風を操っていたらしい。
子猫のつぶやくような言葉を、猫青年と鍛冶屋にだけ届ける。エルフは密かな会話に気付かない。
「いいか、クリス。あんたは、世界の理の愛し子だ。あんたは、代弁者のように、世界の理に干渉できる……」
「にゃ! 世界の理に影響が出ないような、正しい行動を心がけるのが、使命ですね。了解しました! じゃあ、学校に出発しましょう!」
「さあ行きましょう、子猫ちゃん♪」
「にゃ♪」
鍛冶屋の話の途中で、箱舟は停止。高等学校の近くの停留場に到着したのだ。
子猫は話もそこそこに、箱舟の外へ飛び出す。嬉しそうなエルフ娘に手を繋がれて、さっさと歩き出した。
「おい、僕の話は途中だぞ! はあ……あいつらは、まったく」
「すみません、すみません! 妹には、きちんと話をきくように言い聞かせます」
「アンディ、気にするな。クリスはまだ子猫だ。今は、嬉しさで大はしゃぎしるから、仕方ないと思う」
「いやいや、ノア殿が大人の対応をしてくれて助かりますよ」
「やれやれ、兄貴は妹に手を焼くな。僕も故郷に年の離れた妹が居るから、アンディの気持ちはよく分かるぞ。
クリスの年齢じゃあ、兄貴に怒られたら、まだ泣くだろ。可愛い妹を泣かしたくないから、強くも言えん。
子供の内は、自分がしりぬぐいをするしかないと割り切り、見守る。そうだろ?」
「なるほど、なるほど。これほど、私に共感してくれるとは嬉しいですよ。お互い、兄は大変ですよね」
「まったくだ。兄貴だから、仕方ないがな」
箱舟の中で、鍛冶屋は怒鳴るが猫娘たちは遠ざかっていく。腕組みをして、ため息をつく鍛冶屋。
猫青年は優雅に頭を下げて、不出来な妹のことを鍛冶屋にあやまった。
鍛冶屋は軽く笑って、猫青年を見る。猫青年にねぎらう言葉をかけた。妹を持つ兄同士、苦労を分かち合う。
頷きあうと箱舟から降りて、高等学校の校門に向かって、歩き出した。




