22話 王子の北の公爵家訪問
緊急会議を終えた王族と親戚たち。王宮の一室で、昼食を済ませた。
王妃は焼いたクッキーを皆の前に出す。食後のお茶を摂りながら、国王は宰相に告げた。
「アンリ。今日の残った仕事は明日にして、帰宅するといい」
「いいの? シャルル、感謝するよ」
「えっ、父上とおじいさまも、一緒に帰るの!? ボク一人で、帰れるって!」
「ダメだ。マシュー、帰ったら説教だ。それから、高等学校の寮生活は中止して、マシューとエリザベスの荷物を引き上げる。いいな?」
「……はーい」
父に怒られ、うなだれる公爵子息。実家とは違い、自由の利いた寮生活とは、お別れ。
今は自由よりも、命を取るしかない。不治の病を延命治療できるのは、実家にいる母なのだから。
王妃はクッキーの一部を、使用人に包ませる。そして、第一王子に声をかけた。
「エドワード、きちんとエリザベスのお見舞いをするのですよ」
「はい、母上。母上のお菓子は美味しいから、きっとリズは喜びます! あ、僕のも、一緒に包んでくれ」
王妃にとって、将来、義理の娘になるはずの公爵令嬢。病気にかかったと聞いて、栄養のあるものをと、心を砕いて作った。
すりおろしたニンジンや、ゴマの入った特別なクッキー。少しでも、元気が出るようにと願って。
第一王子は自分の分のクッキーも、公爵令嬢のお見舞い用に回した。一緒に食べようと。
傾国の美女の魅了魔法が一時的に溶けた今、心に浮かぶのは、最愛の婚約者だった。
「フォーサイシア様が、先に様子を見に行かれているはずです」
「おばあさまが?」
「そうです。鉱石病を経験した王族として、カタリナ姉様と共に、エステ公爵家に向かわれました」
「カタリナおば上も一緒に? 分かりました」
「エドワード。皆さまに粗相のないように。良いですね?」
「はい!」
第一王子の背筋が、緊張で伸びる。婚約者のもとでだらけようと思ったが、許されないらしい。
祖母のフォーサイシア先代国王妃が、公爵令嬢の見舞いに行っているようだ。そして、母方のおばも。
ミシェル騎士団長の妻、カタリナ夫人。南東にある神聖帝国、由緒ある公爵令嬢だった。
年の離れた義理の妹であるイザベル王妃に、王侯貴族の礼儀作法や知識をたたき込んだ人物でもある。
「フィリップは、セーラ王女に面会して、マシューの学校生活を伝えなさい。一緒にいるあなたが、一番よく知っているのですからね」
「……心得ています、母上」
「公爵家に必ず伝えるのだ。父が念押しする意味は、分かるか?」
「……はい、アンディが倒れ、学校をやめることになったら困ります。
もし、法学専攻科を卒業できなければ、次代の白猫族の法律家が誕生しません。
法の番人である法律家が居なければ、将来、我が国の政治は大いに乱れる可能性があります」
「よろしい。そこまで理解していれば十分だ」
「……はい、父上」
両親の念押しの意味を察する、第二王子。静かなる王子は、口数が多くなる。
将来の国王になる兄と、宰相になる従兄弟は、法学が苦手分野。即決即断の二人は、今のまま成長すれば、そのときの気分だけで新たな法を作りかねない。
王族や政治を監視し、悪法を作らせないようにする。それが、もう一つの王族、白猫族の役目だ。
しかし、父方の親戚から、頼りにしている白猫族の従兄が「学校を止めたい」と愚痴っていると聞いた。
第二王子なりに、大問題であると感じている。問題を解決しようと、思考を巡らせていた。
*****
昼下がりのエステ公爵家。薬草茶を楽しむ、女性たちのお茶会が催されていた。
扉がノックされ、公爵家の執事長が部屋に入ってくる。
「大奥様、奥様。大旦那様、旦那様、若様が帰宅されました。そして、エドワード王子、フィリップ王子が、お嬢様のお見舞いに来られています」
「あら、ずいぶん遅い帰宅ですね。出かけたのは午前中でしたのに」
公爵家の大奥の言葉に、公爵夫人は無言で白猫耳を伏せる。心当たりがありすぎた。
優雅に薬草茶を楽しんでいた令嬢も、執事長に視線を向ける。
「……エドとフィルが?」
金髪ポニーテルを揺らしながら、はしゃぐ声をだしたのはエルフ。
一方的に仲良くなった公爵令嬢から、王子様と王様の違いについて、学んだらしい。
「あ、王子って、子猫ちゃんの親戚の人間じゃない! そうだったわよね、リズちゃん?」
「ええ、そうですわ」
「子猫ちゃんを起こして、連れてきてあげた方が良いわよね」
エステ公爵家で、お昼ごはんをごちそうになった猫娘。子猫らしく、別室でお昼寝の真っ最中。
使用人に案内され、エルフと公爵令嬢は猫娘を起こしに行く。
「クリスちゃん、クリスちゃん、起きてくださいませ」
「子猫ちゃん、子猫ちゃんってば」
「にゃ?」
揺り起こされた子猫。ねぼすけのまま、公爵令嬢とエルフを見上げる。
「もう二時近くですわ、お昼寝は終わりですわよ。皆の所にいきましょう」
「にゃ……まりゃねみゅたいでしゅ」
「いけませんわ。きちんと起きて、歩いてくださいませ。お客様が待っていますのよ」
「にゃ……りょーかいちまちた」
寝起きの子猫は、まだ夢うつつ。いつもの調子で昼寝の延長を求める。
公爵令嬢はきっぱりと拒み、子猫を立たせた。ねぼすけと手をつなぎお茶会の部屋へ誘導する。
「リズちゃん、子猫ちゃんの言葉がわかるの? あたしには、聞き取りにくいわ」
「白猫族は、良く寝るんですの。『まだ眠たいです』は、寝起きのクリスちゃんの口癖ですわね」
「昔から?」
「ええ、昔からですわ」
エルフの言葉に、気軽に返答する公爵令嬢。口元に柔らかな笑みを浮かべる。
久しぶりに出会った好意的な相手が、心から嬉しかった。
地位に問わられず話してくれる相手が、本当に嬉しかった。
貴族階級など、人間の常識を知らないエルフは、無知だ。
無知ゆえに、公爵令嬢を特別扱いしない。王族扱いしない。
一人の女の子として、対等に話してくれる。それが、純粋に嬉しかった。
廊下を歩く間、楽しそうなエルフの雑談に付きあう。
「王子様が来たってことは、あたしの学校行きが正式決定したはずよね♪」
「リリー嬢は、そんなに学校が楽しみですの?」
「もちろんよ。たくさん本が読めるって、アンディ君が言ってたもの。リズちゃんも一緒なら、楽しみが増えるわ。
でも、子猫ちゃんの親戚って、朝、家に帰ったのに。今頃来るなんて遅いわね」
「にゃ……マットのびょーきで、もみぇちゃのかみょちれまちぇん」
エルフのぼやきに、ねぼすけ子猫は、思ったままを口にしてしまう。従兄の病気で、もめたのかもしれないと
聞きとめた公爵令嬢が立ち止まった。
「クリスちゃん、マットが病気なんですの?」
「にゃ……にゃ!? なんでもないです!」
「クリスちゃん!」
従姉の声に、ようやく目覚めた子猫。はっとして、片手で口元を抑えたが遅い。
公爵令嬢は、王家の金の瞳で見下ろしていた。猫娘を追及する。
「にゃ……隠しても無駄ですね。リズ、マットは病気にかかってしまったようです。
王宮でおじいさまに手当てして貰うように、エドとフィルに頼みました。詳しいことは、本人に聞いてください」
猫耳を伏せた、猫娘。言葉を選びながら、白状した。
そうこうするうちに、エステ公爵家の者と、王子たちが待つお茶会の部屋に着いた。公爵令嬢は急いで中に入る。
「ただいま、リズ」
「マット、病気ってどういうことですの!?」
「ちょっと、リズ、待って、落ち着いて!」
公爵令嬢は部屋に入るなり、弟に詰め寄った。
最近、学校では、冷たく邪険にする弟。それでも、大事な弟だ。魂を分けた、双子の兄弟。
タジタジになった弟。姉をなだめながら、弁解する。
「……不治の病、火傷病だって。根本的な治療方法は無いらしいね。おじい様は、そう言ったよ」
「不治の病ですって!?」
「母上の治癒魔法を毎日受ければ、延命できるし、日常生活には支障ないよ。だからさ、落ち着いてよ」
不治の病だと正直に告げた。ぼうぜんとする姉の手を取り、椅子に誘導して座らせる。
傍らの椅子から立ち上がり、公爵令嬢のそばに移動する第一王子。婚約者の顔を覗き込んだ。
「リズこそ、具合はどうなんだ? 病気だって聞いた」
公爵令嬢の動きが止まった。顔を引きつらせながら、金の瞳を向けた。
最近、学校では、冷酷な対応しかしなかった王子たちが、目の前にいる。
会えて、嬉しかった。でも、怖かった。
勘ぐってしまう。笑顔の裏に隠れている本音が、見えない。
毎日、学校で出会う婚約者は、別人になってしまったから。
「にゃ! エド、リズに近づかないでください。リズは病み上がりなんです。精神的な負担を与えないでください、接触禁止です!」
「エドワード、話がしたいなら、机の向かい側にお座りなさいな。わたくしたち、医者の言うことが聞けないなら、この部屋から即刻退場ですわよ」
猫娘は、小さくても魔法医師。母である公爵夫人も、医者だ。
二人は、公爵令嬢の小さな異変を見抜く。揃って猫しっぽを膨らませ、第一王子に命令した。
*****
王子の到着から、三十分後。ようやく、部屋に静けさが戻る。
お互いの状況を説明しあい、落ち着いてお茶が飲める環境になった。
フォーサイス王国、最高級の薬草茶を飲みながら、雑談を交わす。
「エリザベス、明日から復学するのですか? もうしばらく、療養しては?」
「大丈夫ですわ、大おば上。病気だったとはいえ、試験を無断欠席してしまいましたもの」
厚化粧の下で、けなげに笑う公爵令嬢。強がりだった。本当は、ずっと休みたかった。
けれども、先代国王妃を前にして、弱音は吐けない。若いころの王太后が歩んできた道は、もっと茨の道だったと知っているから。
常に暗殺の危機にさらされながら、陰日向となり先代国王を支え、王国を作り直してきた偉人。
自分は将来、王妃になる王女。先人たちの苦労に比べれば、罵詈雑言にさらされるくらいで弱音は吐けない。
「にゃ。リズ、学校に行きたくないのですか? 兄上は、リズが皆から悪口を言われていると言っていました」
大人の空気を察せない、子供の猫娘。素直な子猫は、公爵令嬢に直接聞いてきた。
公爵令嬢が、あまり触れてほしくないことを。公爵夫人の白猫しっぽが動きを止める。
「エリザベス、マシュー、どういうことですの?」
「その……母上、最近、学校の雰囲気が悪いようですの」
「マシュー、助けなかったのか?」
「いやー、あっはっは。父上、実は一回しか聞いたことがないんだよね。
リズの悪口ってことは、双子のボクの悪口を言うのも同じだよ? 一回注意したら、それ以降は無くなったはずなんだけど」
父の問いかけに、軽い口調で答える息子。まだ傾国の美女の魅了魔法にかかってなかったころの話だ。
猫耳を伏せる、公爵夫人。軽く白猫しっぽを膨らませる。
「陰で口さがないことを言う者が、居るんですのね。卑怯ですわ」
「にゃー。リズは王族ですし、頭がいいから、嫉妬を受けたんでしょうね。
人間の心理として、自己肯定が低いと、他人をうらやむ感情が生まれるようです。自分が努力しても、手に入れられないと判断すると、特に」
嫉妬の感情は良く分かる。猫娘も、今朝、体験したばかりだ。
傾国の美女の額にある、特別な魔法陣。それを見た瞬間の感情だから。
「にゃ……ですが、リズを精神的に追い詰めるくらい酷いのなら、私も許しません。学校に行ったら、合法的に止めさせるので、安心してください!」
「クリスティーン、合法的って、何をするつもりですの? 法廷に送って、罪を問うつもりですの?」
「にゃ、おば上。今のところ、そこまでする予定はないです。皆さまの行為が罪になることをきちんと説明すれば、悪口を言う者はいなくなるはずです。
ですが、悪質な相手は、父上に裁いてもらうつもりです。そのときは、おば上がリズの保護者として、代理告訴をしてください」
「原告で訴えるくらい簡単ですわ。必ず相手に罪を認めさせ、謝罪させますわよ。
エリザベス、安心して学校にお行きなさい。わたくしたち、白猫族がついていますわよ」
「……ありがとうございます。これ以上、心強いことはありませんわ」
白猫しっぽを立てた猫娘と、センスを広げる公爵夫人。白猫たちは、優雅に王家の微笑みを浮かべる。
母や従妹の気性を知っている公爵令嬢は、王家の微笑みで返すしかなかった。
「……フォーサイシア様。王女たちを、お止めした方がよろしいでしょうか?」
「カタリナ、放っておきなさい。それほど、大事にはなりませんよ」
「わがエステ公爵家と白猫族を法廷に引っ張り出したい相手は、国内に居ないと思います」
「……出過ぎた真似をしました」
騎士団長夫人の密かな進言を、先代国王妃はセンスの裏で制する。公爵家の大奥も同意を。
白猫族は法の番人。法律の専門家の王族だ。猫娘の父は現役裁判官だし、公爵令嬢の母も、裁判官の資格を持つ。
法廷に立たされた相手は、口の立つ白猫公爵夫人を相手にしながら、白猫裁判官の判決を待たねばならない。
白猫族は、公平公正な裁判を行う。が、王族と法の番人。二つの重圧に耐えきれる罪人は、あまりいないだろう。
先代国王妃は、センスで口元を隠したまま、王宮の孫たちに視線を向けた。
「エドワード、フィリップ。あなたたちが耳にしたことは?」
「その……別に……聞いたことはありません」
「……特に何も」
「にゃ、エドもフィルも、嘘つきです! 二人とも、リズの悪口を言っていたって、兄上の証言があります!」
口ごもる王子達。猫耳としっぽを天に向けた猫娘が、上目づかいでにらむ。
先代国王妃は、猫耳の孫娘に軽く視線を向けた。公爵令嬢も、信じられない顔になって、婚約者を見る。
「クリスティーン、アンドリューはなんと言っていたのですか?」
「にゃ。生徒会室でときどき、王子たちの愚痴を聞かされて疲れるって、言っていました。
エドは、リズは学業と生徒会活動を優先させて、早く帰らせてくれないイジワル、らしいです。
それからフィルは、リズは勉強ができるくせに、宿題の答えを写させてくれないイジワル、らしいです」
「あー、先代妃様。それくらいなら、いつも言ってるよ。ボクが二人から聞いたのは、リズは石頭で、融通が利かない王女だって。
その分、双子のボクが柔らかいんだって、説明してやったけどさ」
「先代妃様、エドとフィルのその言葉は、いつものことですわ。幼等学校のころからですわよ」
「……エドワード、フィリップ、そんなことを言っていたのですか? 自分たちのことを棚に上げて?」
公爵家の双子は、王子達に呆れた視線を向けた。
優雅に王家の微笑みを浮かべる、王太后。とてつもなく、冷ややかな声だった。
王子達も、負けずに王家の微笑みを浮かべる。心が凍り付いたような雰囲気で。
「マシュー、このフォーサイシアとお茶会をしませんか? エドワードとフィリップの学校生活をぜひとも、聞かせてください」
「お美しく、聡明な先代妃様のためでしたら、心から喜んで」
女性を口説く趣味のある、公爵子息。意気揚々と膝づき、王太后の左手をとった。
王家の微笑みを解いた、静かなる第二王子。調子のいい、同い年の従兄弟を一瞥した。
「……忘れてた。父上と母上から、エステ公爵家に伝言」
「シャルルとイザベルから伝言ですの?」
「……マシューの学校生活、必ず伝えるように。アンディが、学校をやめたら困るから」
「アンドリューが学校をやめるだと?」
「にゃ。三日前に、学校をやめたいって情緒不安定になりました。精神安定用の治癒魔法をかけた薬草茶で、落ち着きを取り戻しましたが。
マットが学校で女の子に声をかけまくるから、後始末が大変みたいです。
今朝も、エドとフィルに、マットの学校生活をおば上たちに伝えるように、くれぐれも頼むとお願いしていました」
猫娘、公爵家の従兄が嫌いではない。可愛がってくれる兄貴分だと思っている。
でも、妹としては、実兄の方が百倍以上、大切だった。
「マシューの学校生活、ぜひとも、聞きたいものだな。フィリップ、話してくれるかな?」
「……もちろん」
「父上! リズの生活も、聞くべきだと思うよ!」
「エリザベスは心配いらん。問題なのは、マシューだけだ!」
エステ公爵家当主の言葉に、祖父母も、母も、大きく頷く。
品行方正な公爵令嬢と、問題児の公爵子息。人間、日ごろの行いが大切である。
「くっ……フィル、あとで覚えてろ! 数学、教えてやらないからな!」
「……マット、こっちの台詞。理科で泣きついても、教えない」
第二王子と公爵子息は、視線で火花を散らす。
同い年で、気の合う従兄弟同士。そして、最も身近なライバルでもあった。
「ヘンリー前宰相、僕はリズと話していてもいいですか? マットの学校生活は、同学年のフィルの方が良く知っています」
そっと提案する、第一王子。凍った雰囲気のまま、婚約者を気にする。
怒った公爵令嬢は、完全に王子を無視して、優雅に薬草茶を飲んでいた。
●作家の独り言
この場面って、本当に書いてよかったのかしら?
エド君、フィル君、マット君の行動って、王家の恥をさらすようなものよね。
フォーサイシア先代国王妃様や、エステ公爵家の人たちが書いてって言ったから、執筆したけど。
原稿を見せたヘンリー前宰相は、「チャールズ先代国王や、ダニエル魔法医師の子供のころも同じ調子で、王家の恥というよりは、王族の特徴だと国民は思っているから大丈夫」って、笑うのよ。
……フォーサイス王族の男の子って、お調子者の血筋が多いみたいね。
ちょっと書き間違えしていたから、直したわ。




