21話 体験入学許可と王宮の裏事情
王子達からもたらされた、猫娘の高等学校、体験入学案。おじである国王と宰相は、考え込む。先に宰相が口を開いた。
「シャルル、ボクはクリスティーンの体験入学は反対しないよ。姪の頭の良さは、知っているからね」
「アンリ、僕にとっても姪っ子だ。あの子は、本当に天才だと思う。だが、天才過ぎて、世間とのずれがあるのが心配なんだ」
「シャルル様のお気持ちはわかります。白猫族の子猫ですからね」
国王と宰相は、王妃の声で、親戚の白猫魔法医師に視線を向ける。
「なんで、わしを見るのかのう?」
「……わしの国王時代、君がなにをやったか忘れたとは、言わせない」
「何か、しでかしたかのう? 常識の範囲の行動しかしておらんが」
「……君の娘のセーラが誘拐されたとき、親戚に助力を求めたから、わしに動かんでいいと言ったのを覚えているか?
呼び出した親戚が西の獣人王国の先代国王、北のエルフ国の長、南のドワーフ西国の国王と、王族ぞろい。
国内のことなのに、国王のわしが動かんわけには、いかんだろう」
「それは、人間と獣人の種族間、常識の相違で決着がついたはずじゃが?」
「君たち猫獣人は、型破りのことをするから、周囲の人間は苦労するんだ。昔からずっと!」
「わしだって、斜め上の反応をするチャールズ先王には、苦労しておったわい」
幼き頃から苦楽を共にした、先代国王と白猫魔法医師。
熟考と慎重の立場を入れ替えながら、王国を支えてきた二人。言いたい放題だ。
「シャルル様。もう一度言いますが、クリスティーンは白猫族です」
「そうだよ、シャルル。あの子は、冒険者になった姪だからね」
「……それも、そうだな。気まぐれな白猫族の子猫だ。また大事にならないといいが」
シャルル国王は、王妃と宰相の意見に、深いため息をつく。
二年前。子猫は、国王に頼みに来たことがある。南地方に行きたいと。
祖母である王太后の病気も、落ち着いたころだった。南地方は鉱石病が流行した直後。国王は反対する。
しつこい子猫に、無理だと言い聞かせた。子猫は諦めず、毎日、祖母のお見舞いついでに懇願する。
ついに国王は折れた。祖父の筆頭宮廷魔法医師に同行することを許し、子猫は久しぶりに王都の外に出た。
そのときに、なにか思ったのだろう。突然、冒険者になりたいと言い出した。
冒険者になって、自由に各地で病人の治療をしたいと。
さすがに家族や親戚総出で説得され、子猫は冒険者を諦める。国王の勧める、騎士団の訓練を見学することで納得した。
中級魔法医師だった猫娘。祖父と同じ、宮廷魔法医師の肩書をもらい、訓練中のケガ人の治療を始める。
愛らしい子猫姫は、騎士たちと仲良くなっていった。訓練の合間に、遊んでもらう。
王女らしからぬ遊び。木登りや、追いかけっこが許されたのは、白猫獣人だから。
騎士たちと遊ぶ、子猫の才能を見抜いたのは、新人つぶしの鬼軍曹。獣人は、人間に比べて、身体能力に優れている。
遊びに全力投球する子猫。身のこなしや、動体視力には、目を見張るものがあった。
鬼軍曹は、元軍事学校の講師。有望な生徒を、久しぶりに見つけてしまった。
「……簡単な護身術を覚えさせるだけのはずが、駆け出し武闘家並みの強さになったからな。
ユーインが苦労した冒険者登録試験も、一発合格といい。あの子は、師匠と環境に恵まれたとしか言えん」
「いやー、ありえないよ、シャルル! 騎士経験のあるボクでも、あの特訓はやりたくない!
限界を迎えた身体を治癒魔法で治療して、少しも休まずに訓練だよ? 付き合える騎士が、何人いると思う? 無理だって」
「アンリ。私は必要なら、やりますよ。クリスティーンの場合も、努力のたまものでしょう」
青ざめた顔で力説する宰相に対し、王妃は涼しい顔で答える。知のエステ公爵家と、武のワード侯爵家の違い。
騒がしくなった医務室。医務室の主である、白猫魔法医師は大きくしっぽを揺らした。
「チャールズ先王。詳しいことは、会議を開いて決めんか?
クリスティーンのことなら、両親を抜きにして、勝手に決めるわけにはいかん。
それに、警護のこともあるから、ミシェル騎士団長の意見も必要じゃしのう」
「うむ。エドワードたちの病気の件もある。シャルル、緊急会議の手配をせよ」
詳しいことは、会議を開いて決めよう。当事者たちを呼び寄せよう。
魔法医師の進言に、先代国王は頷く。息子である国王に、視線を向けた。
「父上。その前に、ダニエルおじ上に契約書のお願いを。ここに居る者たちはエドワードたちの病気や、特効薬の秘密を知ってしまいましたから」
国王は、周囲を見渡す。無関係な王族たちの使用人や、医務室勤務の宮廷魔法医師たちを。
「ふーむ、どのような契約内容にしようかのう。秘密を知った者は大勢じゃし……」
「僕が許可しない限り、何人たりとも、どんな方法でも知ったことを、他人に教えることができない命令の形で」
「国王命令か。ならば、簡単じゃのう。署名はシャルル国王だけでよいぞ」
長ったらしい契約文章を考え始めた、白猫魔法医師。察した国王は、簡潔にまとめる。
魔法医師は一つ頷き、両手を前に差し出した。力持つ言葉を唱える。
手のひら大の六つの光の輪が描かれた。白が二つ。赤、青、黄、黒が一つずつ。
走る幾何学模様、成立する魔法陣。魔法陣は、即座に砕け散る。
白い粒子の一つが、白い紙の形をとった。五色の粒子は、紙に吸い込まれ、虹色の文章が書かれ始めた。
*****
時間は、王宮会議に戻る。
代弁者の契約書を掲げた、白猫魔法医師に注目が集まっていた。
「皆の衆。クリスティーンの高等学校の体験入学を許可する。それから、場合によって、クリスティーンの友人たちの体験入学も、許可する。
白猫族の契約書は、保護者と世界の理が認めた時にしか契約も、破棄もできない。
この契約内容で、よいのじゃな?」
「うむ。友人の一人は、ノアのようだ。こっちは問題なかろう。あと一人の、エルフの方は、ちょっと素性がわからんが」
魔法医師の言葉に、先代国王は少し考え込む。現国王は、離れた席に座る親友に、声をかけた。
「イーブ、君の親戚に聞くことは、できないのか? 北のエルフ国の長に」
「……シャルル、エルフたちは地域によって、独立秩序が保たれている。私の親戚の居る地域以外の出身ならば、素性を知ることは難しいだろう」
「他に知る方法は、診察か?」
「そうだ。治癒魔法で診察すれば、身体状況が、世界の理に記録される。そこからならば、血筋をたどることはできると思う」
国王の問いかけに、白猫裁判官は淡々と返す。
「イーブ、世界の理からカルテを出してくれんか」
「父上、診察しなければ、カルテは作れません」
「何を言うておる? クリスティーンの友人のエルフは、三日に一回はあの子の診察を受けておるようじゃぞ」
「そうなのですか?」
「あらあら、イーブらしくない失敗ですね。クリスティーンは、エルフの女性のことを話してくれたことがありますよ?」
「……そうだったか?」
「あらあら。昨日は、家に連れてきたと、嬉しそうに言っていたではないですか」
「別に嬉しがることでも、ないだろう。友人を家に連れてくるのは、当たり前だ」
「イーブ。クリスティーンが親戚以外の友人を連れてきたのは、初めてですよ。もっと、子供の話を聞いてあげてください」
父である魔法医師と、妻のジャンヌ王女の指摘に、裁判官は猫の目を細める。
無愛想で、感情の振れ幅が少ない、裁判官。公平性を重んじる法廷では役に立つが、家庭では役に立たない性格。
「イーブ。仕事にかまけず、たまには家族と触れ合う時間を作りなさい。
おざなりにしておけば、妻や娘に相手にしてもらえなくなりますよ。顔や頭が良くても、性格が伴わない、どこかの誰かのように」
さすがに、母であるアグネス王女も、息子に苦言を呈する。王家の金の瞳は、夫である白猫魔法医師を見ながら。
仕事にかまけて、家庭を顧みない父親たち。居心地の悪くなった白猫親子は、そろって猫耳を伏せた。
「……イーブ。カルテの確認をしてくれるかのう」
「……はい、父上」
裁判官は、力持つ言葉を唱える。白い光の輪が描かれた。
走る幾何学模様、成立する魔法陣。魔法陣は即座に砕け散り、白い粒子に変化した。
白い粒子は集まり、文字の書かれた紙の束になる。
カルテと呼ばれる、診察記録。普通は宝珠から作り出された、簡易契約書の紙が利用される。
簡易契約書、特殊な魔法陣や魔道具で、世界の理から診察結果を引っ張り出して、紙に転写していく。
転写時間は個人の魔力量に左右されるらしく、早い医師もいれば、遅い医師もいる。
また、診察記録は個人情報の塊だ。世界の理によって管理されており、世界の理が必要と認めなければ、診察記録は呼び出せない。
「イーブ、その記録で合っている?」
「大丈夫だ、シャルル。クリスティーンの診た、エルフ、女性で検索した。
昨日、うちに来たという条件も追加したから、間違いない」
「イーブの検索って、正確だからな。過去の前例や法典を調べるときに便利だよ。宰相としては、重宝するね」
「シャルル、このカルテを読んでいてくれ。これに近い血筋のカルテを、世界の理から検索する。
世界中からとなると、時間がかかる。しばらく待っていてくれ」
心配する国王に、淡々と返す裁判官。宰相は、探し出した紙に間違いないと、太鼓判を押す。
代弁者の契約書を扱う白猫族は、簡易契約書の紙を必要としない。
世界の理から、直接、診察結果の記されたカルテを呼び出せる。
診察結果のみならず、世界の理に残されたもので、紙に書けるものならば、たいてい呼び出せるらしい。
王立図書館の書物呼び出しシステムは、この仕組みを利用して、祈りの巫女姫が作ったそうだ。
「ダニエル魔法医師。君たち白猫族は、便利な能力を持っている。本当に羨ましいな」
「チャールズ先王、万能ではないぞ。相手が診察を受けておらんと、記録が呼び出せないのが難点じゃ。
それに、この契約書のおかげで、フォーサイスは南の帝国に一度滅ぼされたからのう。表裏一体の能力じゃよ」
目を閉じた裁判官を待つ、先代国王の言葉に、肩をすくめた魔法医師。持たざる者と、持つ者の認識の違い。
南の帝国を乗っ取った魔物たちは、白猫族の契約書を欲っしたと言われる。世界の理を操れる力を。
代弁者の契約書に書かれたこと。真名の署名がされ、世界の理に認められた内容は、絶対に破られなくなる。
新たなる世界の理を、世界の秩序を定めるもの。過去は変えられないが、未来に向けて、有効な力を持つ。
正しき世界の理の代弁者である、聖獣に比べれば、微々たる力だ。それでも、欲深きものは、白猫族の力を求める。
「ダニエル王子、質問があります」
「なんじゃ、イザベル王妃」
「さっき『白猫族の契約書は、保護者と世界の理が認めた時にしか契約も、破棄もできない』と、わざわざ記したのはなぜですか?」
「……予防じゃな。アンドリューが、国家転覆を企む者の手先になる可能性があるんじゃ。下手をすれば、クリスティーンも操られるかもしれん。
相手は、エリザベスが邪魔じゃろ? エドワードとエリザベスの婚約は、代弁者の契約書で結ばれておる」
「契約は絶対ですが、白猫族が契約破棄することは可能でしたね。
白猫族の子供たちが操られ、勝手に婚約を破棄。新たなる婚約の契約を結ばれる可能性を、つぶしておくのですね?」
「うむ。相手の出方が分からん以上、最低限の予防策じゃがな」
いくら猫娘が腕利きの魔法医師とはいえ、傾国の美女に絶対勝てる保証はない。
白猫兄妹が操られ、勝手に第一王子と公爵令嬢の婚約を破棄。第一王子と傾国の美女の婚約を、新しく結ばれては困る。
「相手がわかっているのなら、その相手の契約を受け付けないようにするのは、無理なのですか?」
「昨日、試してみたが、できんかった。どうも一部の世界の理が、反発しておるようじゃ」
魔法医師は、傾国の美女との、代弁者の契約を不成立にする方法を考えた。でも、実行できなかった。
傾国の美女は、赤の特異点であり、黄色の聖獣の加護を得るとされる。
もし魔物だとしても、赤と黄色の世界の理に縁が深い存在だ。少女に味方する、赤と黄色の理の一部が、契約に反発したのだろう。
王妃と魔法医師が会話をする間、目を閉じていた裁判官。瞼を持ち上げ、王家の金の瞳で円卓を見渡す。
「……驚くようなカルテが見つかった」
「イーブが驚く? どんな人物だい?」
国王は、無言で差し出された、二つのカルテを受け取る。一つを父である先代国王に渡した。
ざっと視線を走らしていた国王の視線が、けわしくなった。思わず裁判官を見る。
「イーブ! この記録は……!」
「診察した魔法医師は、祈りの巫女姫。患者は青の英雄の仲間のエルフ、ファウラー夫妻だ」
淡々と説明する裁判官。白猫しっぽは、珍しく膨らんでいる。
「ダニエル魔法医師、君にも確認してほしい。偽造された偽物の可能性は?」
「ふーむ。この魔力は、祈りの巫女姫の契約書じゃな。本物じゃよ。
ファウラー夫妻のカルテが出てきたということは、両者の血を引く子孫の可能性が高いのう」
息子の裁判官とは違い、落ち着き払った態度の魔法医師。驚いたと言えば、驚いた。
だが、どこかで納得する自分も居る。
「チャールズ先王、この状況をどう考えておる?」
「……偶然、とは言い難い。なにかしら、世界の理が働いているのか?」
「ヘンリー前宰相は?」
「また西大陸の理の流れが、大きく歪み始めた。正しい理の流れが対抗するために、このエルフを遣わしたのかもしれない……と考える」
「ダニエル王子、青の理が関係することなのでは? ノアが、東大陸から来たのですから」
「あー、マイケル元騎士団長の案も、一理あるのう。青の代弁者の契約書を扱う一族が、わざわざ出てきたのじゃから」
先代国王、魔法医師、前宰相、元騎士団長。
二十年前、フォーサイス王国を救った、生ける救世主たちは考える。
先代国王は元騎士団長に視線を向けた。一つの可能性を口にする。
「……マイケル先代騎士団長、今後、聖剣が必要になるかもしれん。誰が持っている? ジェームズか?」
「いいえ、ユーインです。今の使い手はユーインです。シャルル陛下も、お確かめになられたはず」
「ユーイン!? シャルル、まことか?」
「はい、父上。騎士見習いの称号を与える忠誠の儀で、ユーインに授けました。
……もし、クリスティーンが人の形をした魔物に変貌するようなら、国のために即座に切り捨てろと命じ、近衛兵に任命しました」
「……初耳じゃな。クリスティーンを切れじゃと? まあ、もしもわしが国王ならば、おぬしと同じ判断をくだしたじゃろうが」
先代騎士団長と現国王の言葉に、先代国王は混乱の表情を浮かべる。
魔法医師は、あごをなでながら、つぶやいた。感情を捨てた、法の番人の表情で。
慌てず、騒がず、猫娘の父の白猫裁判官は騎士団長に質問する。
「ミシェル。聖剣は、ジェームズを次の使い手に選んだと、言ってなかったか?」
「イーブ王子。最初は、長男のジェームズを選んでいました。ですが、十二年前、突然、三男のユーインの前に姿を現したのです。
夕飯の頃だったから、よく覚えています。何か魔物が出たのかと、家族中が武装して大騒ぎになりました」
「正確な日付は?」
「王子たちが西の離宮に居た頃です。クリスティーン王女の葬儀の日です」
「……あの日、なのか?」
「はい」
騎士団長の言葉に、猫耳を伏せたまま、白猫しっぽを揺らす裁判官。横目で見ていた先代騎士団長は、口を横一文字にした。
孫である黒髪剣士のユーインが、騎士見習いになる儀式を済ませたのを契機に、騎士団長を引退したマイケル先代騎士団長。
侯爵家の当主でありながら、聖剣が出現した現場を見ていない。当時、騎士団長として西の離宮にいた。
猫娘が生き返った、あの時に。
会議室を沈黙が包んだ。
どういうわけか、役者が揃っている。揃い過ぎている。
国家転覆を企む、赤い魔女のような傾国の美女。祈りの巫女姫にそっくりな、フォーサイス王家の王女。
青の英雄の仲間、エルフの子孫。青の英雄の聖剣を作った、東の鍛冶師の孫。
そして、聖剣が選んだ現在の使い手、青の英雄の子孫の騎士見習い。
「……ユーインも、体験入学をさせる。異論は無いな?」
現国王の決断。フォーサイス王族と親戚たちは、大きく賛成した。
*****
雑談しながら、大通りを歩いていた剣士と鍛冶屋。職人通りへの分岐点に差し掛かる。
「ノア、今度、宝珠で武具を作ってね。約束だよ」
「ああ、僕の仕事が一段落すればな。じゃあな、ユーイン」
「うん、またね」
軽く左手を上げ、別れを告げる鍛冶屋。職人通りに消えた。
剣士も右手を振ってから、大通りを東に進みはじめる。しばらく歩くと、右側から聞き覚えのある声が聞こえた。
「ユーイン、ユーイン! 聞こえないの?」
「えっと……?」
剣士が立ち止まって視線をやれば、南の公爵家の箱舟が並走していた。傾国の美女が、窓から顔を出している。
「カレン? どうしたの?」
「家に帰る途中にユーインを見つけたから。学校が終わったの?」
「うん。俺も帰るところだよ」
「アタシが家まで送ってあげるわ」
「せっかくだけど、遠慮しておくよ。カレンは家に帰る途中でしょう?」
「そうだけど、ちょっとくらい大丈夫よ」
「ダメだよ。大おじ様とマリーが待ってるんじゃない? 心配するよ。それに歩くのも、鍛錬だからね」
傾国の美女を見ながら、さわやかに笑う剣士。南の公爵家の当主は、剣士の父方の親戚。亡くなった祖母の弟だ。
昔ほどではないが、東の侯爵家と南の公爵家は、今も親戚付き合いが続いている。侯爵家の三男坊は、公爵家の双子の養女も知っていた。
引きこもりの姉、ローズマリー。そして、活動的な妹、カレンデュラ。
全く同じ顔でも、性格の違う双子を。
「あらそう、残念。またね、ユーイン。頑張ってね、愛してるわよ」
「……何度も言うけどさ、俺、そういう冗談は嫌いだから。愛の言葉は、生涯ただ一人にささやくべきだよ。
じゃあね。君も、気をつけて帰るんだよ」
剣士は右手で頭をかいた。傾国の美女に言い残し、東地区にある侯爵家に帰っていく。
黒髪の剣士を見送った、深紅の少女。美しい顔を、かすかにゆがめる。
「……どうして、いつも魔法が効かないの? 英雄の血筋だから?」
剣士に話しかける前、力持つ言葉を唱えた。魅了魔法をかけたつもりだった。
どういうわけか、昔から、まったく効果が見られない。
三か月前にお近づきになった王子たちは、簡単に術中に落ちたのに。
「まあ、いいわ。ユーインは、アタシのものよ。最初から、そう決まってるもの」
深紅の少女は、あでやかに笑う。箱舟の窓を閉め、使用人に箱舟を動かすように告げた。
少女のつぶやきは、風に乗る。青の世界の理に乗って、運ばれていく。
風は職人通りへ。鍛冶屋の青い髪を揺らし、通り過ぎた。
「……やれやれ、青の理が騒がしいと思えば」
風のささやきを聞いた鍛冶屋は、振り返る。剣士と別れた分岐点を睨んだ。
「爺さんの作った剣は、ユーインを守っているのか」
青い瞳を軽く閉じ、ため息をつく。脳裏に青の英雄の子孫に伝わる、青い聖剣を思い浮かべながら。
*****
――――五百年前。
黒光りする、黒金の鎧。兜を脱いだ一人の騎士が、家臣の礼をとっている。
右膝を床につき、左膝を立て、頭を垂れていた。
「我が姫に、我が真名を捧げます」
騎士は黒髪を揺らしながら、目の前の少女の右手をとり、手の甲に口づけた。
ティアラをつけた少女は、微笑みを浮かべる。赤い瞳が、騎士を見つめていた。
●作家の独り言
登場人物紹介
・引きこもり令嬢、薬草栽培師(ローズマリー、通称マリー)
ついに、カレンちゃんの双子のお姉さん、マリーちゃんも登場よ。
今回は名前だけだけど。本格的な出番は、もう少し先になるわね。
めんどくさがりで、料理好きなマリーちゃんは、短編「公爵令嬢(仮)の人生は、斜め上を行く」の主人公でもあるのよ。
それはそうとして、国王様は驚きすぎよ!
あたしは、青の英雄の仲間、エルフの夫妻の娘っていうだけで、特別な存在じゃないわ。
あたしから言わせると、国王様も同じ立場なのにね。
だって、祈りの巫女姫や、緋色の皇子の子孫でしょう?
そっちの方が、すごいと思うわよ。
●異世界の舞台裏を追記
ローズマリーとカレンデュラの双子、どちらも名前の由来は花の学名です。
姉
ローズマリー・オフィシナリス
Rosmarinus officinalis
和名は、マンネンロウ (迷迭香)
妹
カレンデュラ・オフィシナリス
Calendula officinalis
和名は、キンセンカ ( 金盞花 )
ちなみに オフィシナリス officinalis は、ラテン語。
「薬用の」の意味を持ち、薬用に用いられる植物の学名に使用されるらしいです。




