2話 猫耳の魔法医師
公爵令嬢の診察を終え、公爵家から出てきた猫耳魔法使い。手首の金の腕輪が、悲しげに太陽の光を返した。
先ほど診察した公爵令嬢には、強い黄色の魔法がかけられていた。思考を停止させる、精神感応系の魔法が。
白猫しっぽがうなだれる。猫耳を伏せながら、帰途についた。
ほとんど動かない、何もしゃべらない、人形のような公爵令嬢。
学校の寮から引き取った、変わり果てた娘を助けてほしいと、公爵夫人は魔法医師の父を頼った。
外出中の祖父に代わり、急いで猫娘が訪問。魔法を解き、ようやく公爵令嬢は正気に戻る。正気に戻ったは良いが、公爵令嬢は泣きした。
「エドが心変わりしましたの! わたくしのことなど、もう振り返りもしてくれませんもの。
婚約を破棄すると、周りに言いふらしておいでですわ。もう終わりですの!」
年下の猫娘は、普段の凛としている従姉しか知らない。猫耳を伏せ、公爵令嬢の変貌ぶりに右往左往。
公爵令嬢の言葉を反芻し、十二才の子猫は、ようやく事態を理解した。
「婚約破棄って、なぜですか? リズも、エドも、仲が良かったじゃないですか!」
「昔の話ですわ。今は、冷めきっておりますの」
「にゃ?」
「子供のクリスちゃんには、分からない、大人の世界ですの」
悲しみに暮れる、公爵令嬢。厚化粧の下には、やつれた顔が隠されている。
対処療法はできても、原因を根治できなければ、患者は治せない。
医者の目には、世界の理の一つ、白色に引きずられていのが分かった。
白色の世界の理の力は、悲しみや憂いの感情を司る。
この世界は、五色の理に沿って動いている。赤、青、黄、白、黒。五つの理。
そよぐ風も、道に転がる石ころも、公爵令嬢も、猫耳魔法使いも。
すべて、世界の理の流れの中。
五色の理が均等に流れるのは、『虹色』と評される。
どれが突出しても、成り立たぬ。どれが足りなくても、成り立たぬ。
生物に流れる、世界の理のゆがみを直し、虹色にするのが魔法医師の役目であった。
お茶ならば、飲めると力なく笑う令嬢。猫娘は食事のとれない患者に、二つの治癒魔法を込めた薬草茶を処方した。
一つは飢饉のときによく使用される、低級の治癒魔法。
周囲の世界の理の力を取り込み、食事をとらなくても、一週間は生きていける。
もう一つは、感情を穏やかにする、最上級の治癒魔法。
猫耳魔法使いのような、上級魔法医師にしか扱うことが許されない、精神感応の治癒魔法だ。
精神感応系の魔法は、危険な魔法だ。一般人には禁術指定さている。
公爵令嬢のように、命に係わる事態を引き起こすこともあるから。
*****
猫娘は帰り道にある、冒険者ギルドの雑貨屋に立ち寄る。令嬢に処方して、少なくなった薬草を補充するためだ。
公爵家まで護衛してくれた幼馴染と、待ち合わせをしている場所でもある。
「子猫ちゃん、いいところに来たわ!」
「にゃ……何か御用でしょうか?」
冒険者ギルドの雑貨屋で、店当番のアルバイト。珍しいエルフの店番は、知り合いの猫娘を捕まえた。
薬草を持ったまま、猫耳を伏せる魔法使い。小さく警戒を示す。
「あのね、階級って知ってる?」
「いろいろな種類がありますが、どの分野でしょうか?」
「えーとね、王様や王子様って言うの。騎士とどう違うのかしら?
『青の英雄物語』で読んだけど、よく分からないのよね」
金髪ポニーテールを不思議そうに揺らしながら、エルフは首をかしげていた。
作家を志して、森から人間の世界へ出てきたエルフ。王都に来て二週間経つが、人間の常識がわからず、苦労していた。
猫耳を元に戻しながら、猫娘は息を吐く。自分でも、答えられそうだ。
しっぽを揺らしてしばらく考え、エルフに商品を差し出す。
「にゃ……先に清算をお願いします。それにしても、青の英雄物語ですか。
エルフにも、五百年前の物語が伝わっているのですか?」
「そうよ。あたしの両親は、青の英雄と共闘した、英雄の仲間なんだから」
「にゃ!?」
「いつか、青の英雄の子孫に会おうと思って、森から出てきたのよ。
両親から『強くならないと森から出たらダメ』っていわれて、なかなか許してもらえなかったわ。
百五十年もかかっちゃったのよ」
お金を預かりながら、エルフは答える。誇らしげに胸を張りながら。
何気なく尋ねた魔法使い。買った薬草の束を手に、思案顔になる。
エルフはあっけらかんと答えるが、百五十年など、気の遠くなる時間ではないか。
「階級の説明は、しばらくお待ちいただけないでしょうか。実家に資料があるので、きちんと調べます。
それから、騎士については、専門家に聞いてきます」
「専門家が居るの?」
「はい。あなたが会いたがっている、青の英雄の子孫ですよ。隣の武具屋に居る……」
「うそ! じゃあ、一緒に行くわ。あと五分で、今日の店番が終わるのよ!」
「では待っています」
魔法使いの答えに、エルフの顔が勢いづく。交代の引継ぎを手早く行い、雑貨屋を飛び出した。
*****
薬草や薬、食料などの雑貨を売る雑貨屋。その隣には、鍛冶師組合の運営する武具屋があった。
冒険者には、魔法使いだけではなく、剣や槍、弓などの武器を扱う者も居る。
魔法よりも、武器を手に戦う者の方が、はるかに多い。武具屋は大繁盛していた。
猫しっぽを揺らしながら、魔法使いは人込みをかき分ける。小柄な体は、屈強な男たちの足元をすり抜けた。エルフも身をかがめながら、猫娘の後を追った。
武具屋の壁際に、猫娘のお目当ての場所がある。壊れた武具を直してくれる、簡易手入れ所。
幼馴染の剣士との待ち合わせ場所だ。
簡易手入れ所は、五つの鍛冶場が並んでいた。今日は、三つ開いている。
手入れ所の鍛冶師は、鍛冶組合所属者の日替わり当番制。
向かって右端は、すべての仕事が丁寧と、修理依頼の殺到する鍛冶師。
真ん中は、打った武具は強度が違うと、三十年間評判の鍛冶師。
左端は、鍛冶歴半年の若造。そのくせに、お客を選ぶ、職人肌の新人鍛冶師。
お客を選ぶ若造の鍛冶場には、「本日は閉店しました」のお知らせ看板。今日も、閑古鳥が鳴いていた。
「へー、これが新作の魔道具?」
「ああ、まだ試作品だがな。五色の全属性を刻めるんだぞ」
「全属性!? すごいよ、すごい! 俺も、いつかは欲しいな」
「金属か宝珠を持ってくれば、すぐに作ってやる」
店じまいをした鍛冶屋は、黒髪の剣士相手に、のんきに世間話を繰り広げる。
青い髪と青い瞳が特徴的な青年は、金色の首飾りを手に笑っていた。
猫しっぽを揺らす魔法使いと、金髪ポニーテールを揺らすエルフが近づく。
「ユーイン、剣の手入れをしてもらったんですか?」
「あ、クリス、終わったよ。 ……あれ、リリーと、友達だっけ?」
「いいえ。最近、よく我が家に押しかけて、ケガの治療を受けに来る患者です」
「リリーと初めて会ったとき『あんな失礼な患者は、もう二度と治療しない!』って、言ってなかったっけ?」
「にゃ……血まみれで家に来られたら、診察しないわけにはいきませんよ」
「子猫ちゃんち、王都の外れにあるから、町中の診療所に行くより近いんですもの」
「にゃー、いくら私が魔法医師の資格を持つとはいえ、子供に診てもらうのは、どうかと思いますけど」
「だって、子猫ちゃんくらいしか、女の子のお医者様を知らないんですもの。
ひげ面の厳つい男の人より、猫耳のかわいいお医者様に診てほしいわ。患者として、当然よ!」
「うん。俺も同意するよ」
「僕もだな。精神的ダメージが違う」
力説するエルフの意見に、剣士も鍛冶屋も大きく賛成する。ついでにエルフの大きな声は、武具屋の一部に響いた。
他の手入れ所で順番待ちしていた冒険者たちは、声のした方を見やる。エルフの隣で動く猫耳としっぽを見た瞬間、理解した。
「ユーイン君も、ノア君のお客様?」
「ああ。僕が独立直後からの付き合いだ。今んとこ、あんたたちと並んで、唯一のお得意様だな」
エルフの声に、鍛冶屋は答える。匿名で出した配達依頼の結果、弓使いエルフと知り合った。
親方から半年前に独立を許されたとは言え、まだ鍛冶工房を持たない新人。知り合いは、貴重な固定客に昇格した。
「そうだ、クリス、なんか宝珠か金属持ってない?
ノアが、魔道具作ってくれるんだって」
「にゃ、宝珠ですか? 何色がいるんです?」
「えっと……ノア、何色だっけ?」
「何色でもいい。こいつは、安価な五色の金属を使ってる。
宝珠の方が、魔法との相性は高まるから、魔道具向けだがな。
さすがに、魔道具を作れるほどの宝珠は持ってないだろ」
「ありますよ。というか、作りますのでお待ちください」
鍛冶屋の目の前で、魔法使いは力持つ言葉を唱えた。
赤、青、黄、白に黒。手のひら大の五つの光の輪が、空中に描かれる。
輪の中に走る幾何学、成立する魔法陣。五つの魔法陣は、同時に砕け散った。
砕けたかけらは、それぞれの色の粒子に変わる。粒子は丸い形をとった。
粒子の輝きが収まると、魔法使いの手のひらに五つの宝珠が現れる。
赤、青、黄、白に黒。世界の理の力を秘めた、五色の宝珠。
隣の手入れ所では、どよめきが聞こえてくる。
宝珠は魔物を倒す。もしくはその辺に漂う世界の理に魔力で干渉し、抽出するしかない。
冒険者は魔物退治で、宝珠を手に入れるのが常識。
しかし、猫娘は魔法使い。後者で宝珠を作り出した。
普通なら魔法協会でしか見られない珍しい魔法に、まばらな拍手も送られる。
「これで、よろしいでしょうか?」
「あ……ああ。あんたが腕利きの魔法使いだって、改めて実感した」
「あら、あれぐらい誰だってできるわよね。あたしだって、できるわよ」
「そうですよ。魔法使いなら、当然です」
「……クリス、リリー、無理だから。魔力の高いエルフや、魔法使いにしかできないって」
世間知らずの子猫とエルフは、剣士の言葉に小首を傾げる。宝珠を受け取りながら、鍛冶屋は苦笑いを浮かべた。
宝珠に向けて魔力を循環させる鍛冶屋。宝珠の性質を調べていた。
調べ終わり剣士に視線を向けると、改めて注文を取る。
「……ものすごく純度の高い宝珠だな。魔法使いが作ると、魔物の核並みの宝珠になるのか。
おい、ユーイン、どんな魔道具がいいんだ? それとも武器か、鎧か?」
「えっ、鎧? 武具って、金属から作るんじゃないの?」
「バカ言え。宝珠からも作れなければ、魔法使いの武具をどうするつもりだ?
こんな非力な子猫に、金属の杖も、鎧も、身に着けられるわけないだろ」
剣士の矢継ぎ早の質問に、盛大にあきれてみせる鍛冶屋。
金属だけでなく、宝珠から武具を作れるかどうかは、鍛冶師として独立できるかどうかの分かれ目だ。
鍛冶屋と剣士のやり取りを見ていた、猫娘。唐突に閃いた。鍛冶屋を見上げる。
「ノア殿、ちょっとお尋ねしたいことがあります」
「なんだ?」
「宝珠があれば、あるだけ、魔道具がつくれますか? 上級の治癒魔法や、虹色魔法も刻めますか?」
「そりゃ、材料が続く限り、いくらでも作れるぞ。
五色の宝珠をすべて使えば、虹色魔法を刻むくらいわけない」
「にゃ! 返答、ありがとうございます♪」
鍛冶屋は、猫娘の願う返答をくれる。
猫耳が天を向いた。猫しっぽが嬉しさで舞い踊る。
公爵令嬢の話から、猫娘は一つの結論を導き出していた。
閉鎖された学校内部で起こった異変。一人の少女が、王子を含めた大勢の人間をはべらしている。
その上、周囲の人々も、当たり前だと受け入れている。誰も、疑問を抱かない。
おそらく、少女は魅了魔法を含めた、強力な精神感応の魔法を、広域に使っているのだろう。
けれど、使っている魔法がわかれば、魔法医師である猫娘には、解くことができる。
思考停止させられ、人形のようにされた公爵令嬢を救ったように。
相手の魔法を受け付けないように、魔道具に治癒魔法を込めれば、妨害だって可能なはず。
「にゃ……婚約破棄なんて、絶対にさせません!」
つり目を細め、呟く魔法使い。子猫は、しっぽを膨らませて、全身で怒りを示す。
聡明な第一王子のエドワード。公爵家の賢姫、エリザベス。
将来の国王夫妻になる予定の二人。
二人が国の将来を背負うために、どれほど努力しているか、猫娘は知っている。
どれほど仲が良くて、笑いあっていたか、猫娘は知っている。
どこぞの泥棒猫が、魔法で人々の心を縛るなんて、許しがたい行為だ。
王家の隠された姫君は、まだまだ子猫だ。感情の制御がうまくできない。
しっぽのように膨れ上がる、怒りの感情。金色の腕輪が警告するように、輝いていた。
●作家の独り言
登場人物
・青い瞳の鍛冶屋、魔道具技師 (ノア)
・金髪のエルフ、作家志望 (リリー)
・公爵令嬢 (エリザベス、通称リズ)
・第一王子 (エドワード、通称エド)
このときのあたしは、王国に来たばかりだったから、作家志望なのよね。
子猫ちゃんの親戚の、エド君とリズちゃんも名前が登場よ。今回は、エド君の出番無いけどね。
王国の言葉でリズちゃんはエリザベス、Elizabeth。通称のリズは、Lizって書くのよ。
エド君はエドワードだから、Edward。通称のエドは、Edらしいわ。
以前、王宮に検閲で提出したのは、この部分の短編なのよね。
悲しみを司るのは、黒じゃなくて、白!って、宮廷魔法医師の人に怒られちゃったわ。
あたしは、お医者様じゃないから、詳しくなくて当然よ!って、言い返したけどね。
今回は、ちゃんと訂正したわよ。
……誤字脱字も発見したから、訂正したわ。