16話 北の公爵家の賢姫
公爵夫人との面会を済ませた、上級魔法医師の猫娘。公爵家の使用人の案内で、本を読み漁っていたエルフに声をかける。
「リリー嬢、もう少し本を読みますか?」
「あら、子猫ちゃん。用事は終わったの?」
「にゃ、半分は終わりました。あとは、リズの診察をするだけです」
「リズって、だあれ?」
「にゃー、私の親戚の女性です」
「あら、女の子なの? 会ってみたいわね」
エルフの言葉に、白猫しっぽを揺らす猫娘。頭のいい子猫は、しばし考える。
猫娘やエルフが高等学校に体験入学すれば、公爵令嬢は同級生になる予定だ。
世間知らずのエルフに、前もって知己を作っておくのも、いいかもしれない。
それに兄の猫青年の情報では、従姉の公爵令嬢は、高等学校では独りぼっちの様子。
数日すれば復学できるだろうが、周囲の人間関係は悪化するだろう。傾国の美女が、在学する限り。
魔法医師として、最大限の努力はする。しかし、公爵令嬢の精神的な負担が心配である。
昨日、初めて見た従姉の悲嘆にくれる様子は、猫娘には衝撃的だった。
「にゃ……おば上とリズに話をして、お二人から許可が出れば、リリー嬢もお会いしますか?」
「あら、会えないの?」
「にゃー、ちょっと病気にかかっていて、療養中なので」
「そう、子猫ちゃんが専属のお医者様なのね? 女の子の気持ちは、女の子が一番よくわかるもの、当然よね」
「にゃ……私が主治医ですか? リリー嬢の案も、いいかもしれませんね」
つり目を細めて、つぶやく猫娘。エルフは、猫娘が公爵令嬢の主治医と思っているようだった。
エステ公爵家全体の主治医は、公爵夫人の父である筆頭宮廷魔法医師。猫娘と公爵令嬢の共通の祖父である。
だが、公爵令嬢が学校に復学すれば、祖父の目は学校の内部まで届かない。
猫青年が猫の目を光らせても、学年が違うとか、性別が違うとかで、細部まで監視はできないだろう。
しかし、猫娘が体験入学できれば、終業式までは公爵令嬢の近くでいられる。
ついでに部外者であるエルフも一緒ならば、傾国の美女へのけん制になるかもしれない。
なにせ、魔法に長ける種族であり、世界的にも知られた美しき種族なのだから。
「にゃ、リリー嬢。もう、しばらくお待ちください。リズの診察をしてきますので」
「わかったわ。ここの本、面白いから、時間がかかっても大丈夫よ」
金髪ポニーテールを揺らしながら、猫娘を送り出すエルフ。
しばらくして戻ってきた猫娘に、王様と王子様の違いを尋ね、猫娘が頭を抱えるのは、別の話である。
*****
公爵令嬢の自室では、猫の爪磨きを終えた公爵夫人も同席していた。
「リズ、少しだけ目を閉じて深呼吸をしていてください」
「わかりましたわ」
エステ公爵令嬢のエリザベスは、猫娘に言われるまま、金の瞳を閉じる。ゆっくりと呼吸を始めた。
呼吸に合わせて、結い上げた緋色の縦巻きロールが揺れる。双子の弟、そっくりの緋色の赤毛が。
公爵家の双子は、母そっくりの緋色の赤毛と、父譲りの金の瞳を持っていた。
金と緋色。どちらも、現在のフォーサイス王家を象徴する色である。
建国時のフォーサイス王家は、黄の聖獣の取り決めで、代々金色の髪か瞳を継承することになった。
変化が起きたのは、五百年前。赤の聖獣の加護を得た、緋色の皇子の血がフォーサイス王族に入ってから。
以後のフォーサイス王族には、金色の継承に加えて、頻繁に緋色も現れるようになる。
猫娘の家族は、王家の緋色を「赤の祝福」と呼んでいた。東方からきた、朱色の髪と瞳を持つ少女が、教えてくれたらしい。
ちなみに、朱色の少女は、青い髪と瞳を持つ鍛冶屋の婚約者である。
「にゃ、診察をします」
力持つ言葉を唱える、猫娘。公爵令嬢の頭上に、小さな虹色の輪が描かれる。走る幾何学模様、成立する魔法陣。
魔法陣は、即座に砕け散った。虹色の粒子が生まれ、公爵令嬢に降り注ぐ。
しばらく光っていた虹色は、やがて世界の理の流れに乗り、可視性を失った。
「にゃー、岩石病も、鉱石病も、再発は認められません。明日からでも、学校に復学しても構いません」
「……そうですの」
猫娘は、病気が治癒したと太鼓判を押す。公爵令嬢は目を開け、儚く笑った。
気が重かった。病気が治ったということは、高等学校に登校しなくてはならなくなる。
あの戦場に、戻らなければならい。孤軍奮闘を強いられる場所へ。
「リズ、いつから復学しますか? リズに合わせて、私も体験入学しますので教えてください」
猫娘の言葉に、金の瞳を瞬かせる、公爵令嬢。子猫は突拍子すぎて、思考回路がついていかなかった。
「クリスちゃん、今なんとおしゃいましたの?」
「にゃ? 聞こえませんでしたか? リズの復学に合わせて、私も体験入学を開始します。だから、リズの登校予定日を教えてください」
「クリスちゃん、体験入学をしますの? 初耳ですわよ?」
「にゃ。さっき、兄上を学校に送っていったときに、決まったばかりですので。
私の冒険者ギルドを介した友人、エルフのリリー嬢と、ゴールドスミス親方の弟子と一緒に体験入学をするのです」
突拍子すぎる子猫の言葉に、公爵夫人は白猫しっぽを揺らす。
「クリス。ゴールドスミス親方の弟子ですの?」
「あ、おば上に言っていませんでした。東方出身で、ノアという男性です。半年前に王都に来て、親方からすぐに独立したそうです」
「どのような容姿ですの? ご結婚はなさってますの?」
「にゃー、青い瞳と青い髪で、成人間近の青年です。故郷に婚約者がいると、聞いたことがあります」
「……ノア、相変わらず自由人ですのね。そろそろ、マリアと祝言を上げたらいいですのに」
「にゃ? おば上は、ノア殿を知っているのですか?」
「ええ。王家の御用達、ゴールドスミス親方の工房の方ですもの。知っていて当然ですわ」
「にゃー、ノア殿はわずかな修行期間で親方から独立できる、すごい才能の持ち主です! おば上が知っていても、当然でしたね♪」
公爵夫人は、はしゃぐ姪っ子を見る。宝石のように瞳を輝かせる子猫のために、今は黙っておくことにした。
鍛冶屋は過去に三十年ほど、親方のもとで修業したことを。
修行が終わった後、独立をせずに、故郷へ帰ってしまったことを。
いずれ、鍛冶屋が自分から話すであろう。白猫族や、フォーサイス王族との友情の物語を。
「リズ、体調が良いなら、リリー嬢と話してみますか? 兄上の勧めで、リリー嬢も一緒にここに来ています」
猫は気まぐれだ。子猫は公爵令嬢に視線を戻す。公爵令嬢は、不安げに母を見た。
「母上……」
「エリザベス、会ってみてはいかがですの? クリスが友人を連れてくるなんて、珍しいことですわよ」
公爵夫人は、母親の微笑みを浮かべる。普通なら、大切な娘に、見ず知らずの人物を会わせたりしない。
大丈夫と思った根拠は、エルフが青の英雄の義兄弟の娘であると、姪っ子が代弁者の契約書で確かめていることのみ。
白猫族の祖先、祈りの巫女姫の作った、代弁者の契約書。
白猫獣人である公爵夫人にとっては、それだけ大きな価値があった。
*****
「初めまして、子猫ちゃんのいとこちゃん。あたしは、リリー・ファウラーよ、よろしくね」
「初めまして。わたくしは、エリザベス・エステと申しますの。以後お見知りおきを」
明るく笑うエルフと、顔色を伺いながら挨拶をする公爵令嬢。対照的な二人。
高等学校で孤立している間に、公爵令嬢は人間不信に陥っていた。
「んー、エリザベスちゃんかしら?」
「にゃ? リズは、リズです」
「あら、いとこちゃんは、エリザベスちゃんじゃないの? さっき、エリザベスって言ってたじゃない」
「にゃ? リズは、エリザベスだけど、リズです!」
「……子猫ちゃんの説明は、訳が分からないわ」
自信満々の子猫に、エルフは困惑を浮かべる。意味不明だ。
見守っていた公爵夫人は、娘に視線で促す。公爵令嬢は、不安げにエルフに話しかけた。
「あの……ファウラー女史」
「あら、リリーで良いわよ? エリザベスちゃんって、アンディ君と同じように話すのね。さすが親戚ってとこかしら」
「……アンディとですの?」
「ええ、そうよ。昨日、子猫ちゃんの実家に、ユーイン君やノア君と一緒に行ったんだけど、子猫ちゃんの説明ってめちゃくちゃなのよね。
アンディ君は『アンドリュー』っていう名前なのに、『アンディ』だって言い張るんですもの」
「その……ユーインも知っていますの?」
「知ってるわ。ユーイン君とノア君は、人間の世界で初めてできた友達よ。冒険者ギルドで初めて受けた依頼で、一緒になったの。
子猫ちゃんは、そのときにケガしたノア君を治療しに来てくれて、知り合ったのよね」
「そうでしたの……」
公爵令嬢の質問に、あっけらかんと説明するエルフ。ユーインという名の剣士と同じく、裏表のない性格だった。
あっけにとられる公爵令嬢は、金の瞳を瞬かせる。好意的な他人と、久しぶりに話をした。
軽く瞳を閉じて、内心で気合を入れる。本来の自分の話し方を、取り戻さなくては。
「では、リリー嬢、クリスちゃんの補足をしますわ」
「子猫ちゃんの補足?」
「はい。クリスちゃんは、子猫言葉の癖が残っていますの。もっと小さなころは、舌足らずで、わたくしたちの名前がうまく発音できませんでしたのよ。
ですから、短い愛称を教えて、呼んでもらっていましたの。リズは、エリザベスの愛称ですのよ」
「あら、そうなの。子猫ちゃんって、まだ舌足らずに話すの?」
「ときどき、『にゃ』って、言うと思いますわ。あれは、子猫言葉の特徴ですの。
お昼寝の後とかは、特に舌足らずですわね。アンディなら、一字一句間違わずに聞き取れますわよ」
「アンディ君って、そんなに耳が良いの? 獣人は身体能力に優れてるって聞くけど、さすが猫獣人ね」
公爵令嬢の説明に、エルフは思いっきり納得する。二人そろって、猫耳を伏せる猫娘を見やった。
「子猫ちゃんは……子猫ちゃんだから、考え方とか、言い方とか、仕方ないのね?」
「ええ、そうですわね」
「にゃー! なんで二人して、そんな目で見るんですか!」
「ほら、また『にゃー』が出ていますわよ、クリスちゃん」
「にゃ……」
「あら、子猫ちゃんって、本当に『にゃ』って、よく言うのね」
「にゃー、いじめないでください!」
しっぽを膨らませて、全身で威嚇する猫娘。
子猫のにらみなど、どこ吹く風。公爵令嬢とエルフは、楽しそうに笑いあった。
●作家の独り言
第2話の冒頭に少しだけ登場した、公爵家の賢姫、エリザベスことリズちゃんが本格的に登場よ。
子猫ちゃんの影響で、あたしも「リズちゃん」って、呼ぶようになったのよね。
ユーイン君たちも年下の子猫ちゃんに合わせる形で、「リズ」って呼んでたらしいわ。
学校を卒業した今でも、あたしは「王家のエリザベス姫」じゃなくて、「リズちゃん」って呼んじゃうもの。
子猫ちゃんじゃないけど、癖って、簡単に直らないものなのよね。




