14話 作家志望の本好きエルフ
王子兄弟と公爵子息は、ベイリー男爵家の箱舟から降りる。男爵子息に視線を向けると、周囲に人だかりが。
勉強好きな猫青年は気にせず、楽しそうに雑談に興じていた。
「ええ、ええ、文学専攻科に行けば、過去の書物について学べる機会が多くなります」
「あら、王立図書館に内蔵されている物でしょう?」
「いえいえ、祈りの巫女姫が、画期的な契約をして、後世のために残してくださったのです。
勤勉家であった巫女姫は、幼いころに王宮に残されていた書物は、すべて読んだそうです。
巫女姫が読んだことのある書物は、代弁者の契約書を用いて、世界の理から再現できるようにしてくださいました。
どれだけ望もうと、読む資格がある者にしか、書物は手に取れないようになっていますが」
「ずいぶんと不便ね。いきなりは読めないの?」
「いえいえ、料理の心得のない者が、いきなりケーキを作るのは無理ですからね。
まず、食材の名前を覚るための本、次は調理器具を覚えるための本と、段階を踏むのです」
「そうなのね。確かに段階を踏まずに料理をやっても、ろくなことにならないものね」
話していた猫青年の視線が、少しだけ遠くなる。
段階を踏めば、猫娘の塩ケーキや消し炭クッキーも、マトモになると信じたい。
「アンディ、誰と話している?」
「いえいえ、クリスの友人と会いましたので」
「にゃ? リリー嬢です! おはようございます♪」
「あ、子猫ちゃん、おはよう♪」
第一王子が、猫青年に声をかけた。兄の返答を聞いた妹は、窓から外に顔を出す。
金髪ポニーテールのエルフを見つけると、嬉しそうに猫しっぽを振りまくった。
「……エルフ?」
「わぁ、めちゃくちゃ美人じゃん! そこの……痛いっ、暴力反対!」
「……病人は、大人しくする」
本好きなエルフの娘は、エルフの両親から生まれた、生粋のエルフ。あまりの麗しさに、人間たちは見惚れていた。
浮き名を流した父の血を受け継ぐ、公爵子息。即行動開始。
我に返った第二王子は、公爵子息の耳を引っ張りながら、王家の箱舟に強制連行した。
「にゃ……リリー嬢、なんでここに居るのですか?」
「学校って何なのか、昨日の帰り道に、ユーイン君に聞いたのよ。あたしなら、ここが向いてるって教えてくれたわ。
試しに来てみたら、アンディ君がいてね、話を聞いてたのよ。ノア君も興味があるって、言ってたしね」
「にゃー、ノア殿なら、芸術学校では? 金細工のデザインなら、芸術学校ですよ」
「あら、昨日の口ぶりだと、ノア君は歴史に興味があるみたいよ」
「にゃ……それなら、考古学専攻科が向いてるかもしれませんね。ですが、今は学校に入学できませんよ」
「ええ、アンディ君から説明されたわ。来年の秋に試験を受けて、受かれば再来年から勉強できるらしいわね。
せっかく、本についての勉強ができると思ったのに、とても残念だわ」
本好きなエルフも、勉強好き。落胆をしめす。伏し目がちになり、哀愁を漂わせた。
王家の風格をまとった第一王子が、麗しい種族に話しかける。
「そなた、学校に行きたいのか?」
「ええ、そうだけど。あなた、だあれ?」
「……僕を知らぬか、おもしろい。クリスの親戚だ」
「あら、子猫ちゃんの親戚なの。けど、猫耳としっぽは、どこにあるのかしら?」
「当ててみよ」
「……かつらを、かぶっているのかしら?」
「惜しいのだ」
「エド、あまりからかわないでください。リリー嬢は、世間知らずなんです」
「世間知らずか、クリスの友人だけあるな」
「にゃー! それ以上、からかうなら、本気で怒りますよ!」
エルフに王家の微笑みを向けていた、第一王子。猫娘は、箱舟から降りてきて、従兄を威嚇する。
子猫のにらみなど、どこ吹く風。第一王子の声音は、愉快さを醸し出していた。
「からかってすまぬ。僕は人間だ。獣人の耳もしっぽも、持っておらぬ」
「まあ、人間なのね。騙されたちゃったわ!」
「そう、怒らないで欲しい。お詫びと言ってはなんだが、そなたが学校に行けるように取り計らおう。
我が権力目当てではなく、純粋な勉学動機を持つ者を、王族としては捨て置くことはできぬ」
「本当に、学校に行けるの!? ノア君も一緒に?」
「はいはい、エド。ついでにクリスも入学できるように、おじ上に頼んでおいてください。
リリー嬢も、ノア殿も、クリスの友人です。クリスの友人ですからね!」
「む……便宜を図ろう」
エルフと第一王子の会話に割り込む、猫青年。かわいい妹のため、奮闘する。
大事なことなので、二回言った。
「今回は、本入学ではなく、体験入学である。体験入学間の試験の成績が良ければ、来年度から本入学ができる。心して勉学に励むがよい」
「本入学と体験入学? あなたの説明は、難しいわ。もっと簡単に、言ってちょうだい」
「にゃ……エドの力では、短い期間しか学校で勉強できません。ですが、リリー嬢が一生懸命勉強すれば、長い間教えて貰うことができます」
「あら、そうなの。ありがとう、子猫ちゃん。さすがね」
「にゃ♪」
「そっちのあなたも、子猫ちゃんみたいに分かりやすく説明してちょうだい。
子猫ちゃんみたいな年下に負けて、悔しくないの?」
「む……善処しよう」
お気楽エルフは、ときに鋭い。口達者な子猫を、圧倒することもある。
エルフに押され気味になりながら、第一王子はゆっくりと頷いた。
「はいはい、話がまとまったようで何よりです。エド、学校へ行きましょう」
「にゃ、兄上。三人とも、今日はお休みです」
「おやおや、休みですか? どうしてです?」
「マットが、右手に火傷していたのを、隠していました。おじいさまに治療して、怒ってもらいます。
それから、おば上宛の診断書を公爵家まで届けてくれるように、エドに頼みました。
フィルは、マットの付き添いです。エドと一緒に、マットがおば上から逃げないように、見張ってもらうようにお願いしました」
「そうなのだ。マットは、いれたてのお茶を手に浴びたと言っていた。原因など、推測できる」
「なるほど、なるほど、女性がらみですね。一度、おば上に、気合を入れてもらうと良いですよ。
彼が学校で問題を起こすたびに苦情が来て、どれだけ私が後始末に苦労しているか。
彼女を取られただの、別れを告げられたから慰謝料の請求だの。全部、私に言ってくるんですよ!
和解勧告に奔走する、私の身にもなってください!」
「アンディ、落ち着け。僕に任せるのだ」
聡明な第一王子は、猫娘に話をあわせる。王族の病気など、ホイホイと表で話せない。
ましてや、王子兄弟の患部は、心臓なのだから。すぐ治るとはいえ、国民に不安をもたらすのは、得策ではない。
そのうえ、堂々と学校を休み、公爵家へ訪問できる理由を手に入れた。公爵夫人に会う時に、婚約者のお見舞いもできる。
良いこと尽くしの子猫の提案に、第一王子が乗っからないわけがない。
猫青年が、妹や従兄の言い分を信じたのには、きちんと理由がある。
公爵子息の女性を口説く趣味は有名だ。猫青年の周囲にいた、高等学校の生徒たちも、よく知っている。
学校で女子生徒を口説いたときのしわ寄せは、法の番人の一族でもある、従兄の猫青年にやってくる。
声を荒げた男爵子息に、周囲の人垣からは、同情の視線が寄せられた。
取り繕うに咳払いをした、猫青年。聡明な第一王子は、エルフに視線を向ける。
「それはそうと、そなた。学校へ行けるようになった場合、どこへ連絡はすればいい?」
「連絡?」
「そなたは、どこに住んでいる? 住所は、どこだ?」
「宿よ、宿。町はずれの宿ね」
「宿? 定住してないのか? 一人暮らしなのか?」
「冒険者だもの、同然よ」
「む……身元保証人と定住地がないと、学校は行けぬが」
「なんですって!? 子猫ちゃん、どういうことよ!」
「リリー嬢、落ち着いてください。まず、エドと相談します」
「わかったわ」
エルフをなだめる、猫娘。猫耳を伏せながら、最良と思われる案を出す。
「エド、私がリリー嬢の宿屋を知っています。だから、まず私に連絡をください。
体験入学が決定すれば、おじいさまにお願いして、家を用意してもらいます。もしくは、私の家に下宿を……」
「身元のはっきりしない者を、王族の居る男爵家に泊められると、思っているのか? 家を貸せると思っているのか?
単純だな。子供の考えだ」
「にゃー、そんなに責めないでください!」
口達者な子猫を論破する、第一王子。人生経験の未熟な猫娘は、敵わない。
「アンディは、どう思う?」
「はいはい、おじいさまと身元保証人の契約書を結んで、学校の寮の使用を勧めますね。空きがあればですが。
おじいさまの代弁者の契約書が出てきたら、国民は納得するでしょう」
「アンディは、クリスに甘い」
「はいはい、かわいい妹ですから当然です」
「保護者はどうする? 大おじ上に任せるのか、アンディ」
「そうですね、そうですね。リリー嬢には、おじいさまの面接を受けて貰います。話は、それからですね。
ノア殿は、ゴールドスミス親方の弟子だそうです。そちらは、問題はないでしょう」
「ならば、処遇はベイリー男爵家の預かりとする。よいな」
「はいはい、了解しました」
第一王子と猫青年は、頷きあう。道端王族子弟会議は、終了だ。
「では、皆の者、王宮に帰るぞ。アンディ、あとのことは任せた」
「はいはい、クリスたちの体験入学の件、お願いします」
王家の箱舟に乗り込む第一王子に、猫青年は念押しする。
大事なことなので、二回言った。
箱舟を見送った猫青年は、妹とエルフに向き直る。
「はいはい、クリス。まずは、公爵家のおば上の所へ行って、マットのことを先ぶれしておいてください。
リリー嬢の本日のご予定は? 都合が良ければ、夜にでもおじいさまの家に行って、面接を受けてください」
「昨日の立派なおうちに行けばいいの?」
「にゃ、町はずれの方です。私がリリー嬢を診察している、いつもの家です」
「わかったわ。けど、あたし、学校に行けるの?」
「にゃ、エドは王子ですし、おじ上は国王……」
「王子って、なあに? 昨日、教えてくれるっていったじゃない。
子猫ちゃんは、約束をやぶって、お昼寝するから聞けなかったわよ」
「にゃ……」
「おやおや、クリス。法の番人なのに、約束を破ったんですか?」
「にゃ……不可抗力です。兄上、どうしたらいいですか?」
「そうですね、そうですね、今からリリー嬢も、おば上の所に連れて行ったらいいですよ。
クリスの友人ですし、歓迎してくれるでしょう。そこで、教えて貰ってください」
「了解しました」
子猫とエルフは、男爵家の箱舟に乗り込む。妹たちを見送った猫青年の背後で、予鈴が鳴った。
猫青年は、王家の微笑みを浮かべ、周囲の生徒たちを見渡す。
「はいはい、皆さん、近々、体験入学者が来ることになりそうです。
見ての通り私の妹は、子供なので、ご迷惑をおかけすると思いますが、仲良くしてくださいね」
優雅に一礼する、猫青年。生徒たちに、ざわめきが広がる。
愛らしい子猫と、麗しいエルフの娘の組み合わせ。
生徒たちの噂の的になるのに、時間はかからなかった。
「はいはい、そろそろ登校しましょう。遅刻しますよ」
立ち話する生徒たちを促す、猫青年。しっぽをふりふり、優雅に歩いていく。
校舎に入ったところで、傾国の美女が待ち構えていた。
「アンディ、おはよう。エドは、まだ?」
「はいはい、おはようございます。カレン嬢。エドたちは、今日は休みです」
「マットが来てたじゃない。エドたちが集まってるって、呼ばれていったわよ」
「いえいえ、マットが火傷を隠していましてね。うちの祖父に怒られるために、王宮に連行されました。
エドとフィルは、マットの付き添いです。マットは、すぐに逃亡するので、見張りですね」
「あら、残念。あ、昨日のクッキーはどうだった?」
「ええ、ええ、美味しかったですよ。ただ、王宮に献上するのは、早いと思いますが」
「なんでよ!」
「はいはい、王妃である、おば上のクッキーの味には、届かないからです。おば上は、料理上手なワード侯爵家の令嬢でしたので。
宮廷料理人に、教えるほどの腕前ですよ。料理の判定の目は厳しいです。
カレン嬢のクッキーは、見栄えがありきたりなので、見た目で落選ですね。もう少し、工夫を凝らした方が良いかと」
「どうしろって、いうのよ」
猫青年は迷いながら、返答をする。傾国の美女の魅了クッキーは、危険物。身に染みて体験した。
でも、猫青年にとって、恋い慕う相手だ。当たり障りのない、事実を伝える。
「……マリーの自信作だったから、毎日作ってもらって、魔法をかけてたのに。
王家に食べて貰えないんじゃ、失敗だわ。アンディも、役立たずだし」
猫獣人は、耳が良い。傾国の美女の小さなつぶやきを、しっかりととらえる。
魅了クッキーは、傾国の美女が作ったものではない。マリーなる人物の完成品に、魔法をかけていた。
衝撃の告白に、猫青年の目が細くなる。百年の恋も、冷めるくらいに。
「カレン嬢、カレン嬢? どうしたのですか?」
「何でもないわ! アンディは、どう改良したらいいと思う?」
「そうですね、そうですね。スモモのジャムや、栗を使ったらどうでしょうか?
実は、おば上は、秋の味覚である栗を使ったお菓子を研究中なのです」
「栗は分かるけど、スモモって、なに?」
「東方から伝わった果実ですね。うちの王宮では、よくお菓子に使われています。
ですが、他の貴族の家のお茶会では、あまり見かけないんですよ」
「珍しいってこと?」
「はいはい、東方の物だから、使い方をしらないんでしょうね。ジャムにすると、大変美味なんですけど」
「珍しいなら、目を引きそうね。ありがとう。じゃあね、愛してるわよ」
「いえいえ、どういたしまして」
猫青年を放置して、軽やかに教室に帰っていく、深紅の少女。
「……アンディも、たまにはいいこと言うじゃない。王家との繋がり保持のために必要だし、まだ役立ちそうね」
ぼうぜんと、後姿を見送る、恋敗れた猫青年。
人間には聞こえない、深紅の少女のつぶやきが、耳に聞こえて、胸に突き刺さる。
法の番人は、王家の微笑みを浮かべた。
「……はいはい、愛してもないのに、愛の言葉を贈れるのですか。利用価値がなければ、すぐに切り捨てる。
利用してくれた仕返しは、しましたけどね。法の番人を甘く見ないでください」
スモモは青の世界の理の属性を、栗は黒の世界の理の属性を併せ持つ、植物。
魔法医師が使用する、薬用植物の一つだ。
青は黄色の世界の理、黒は赤の世界の理の反属性。
すなわち、傾国の美女の赤色魔法と黄色魔法を弱める効果がある。
魔法医師の勉強をする猫青年だから、できる仕返し。
「いやいや、獣人王国の姫君の純情可憐な笑顔とは、違いますね。カレン嬢の笑顔は、魔性ですよ」
そこまで言って、ふっと、思いついた。胸元に視線をやる。
猫青年の服の中で、淡く虹色を放つ魔道具。精神感応魔法を遮断する守護魔法陣が、作動していた。
「いやいや、魔道具が反応するのですか?
……まさかね、あり得ませんよ。伝説の赤い魔女は、青の英雄が討伐しましたからね」
猫青年は、自分の想像に、馬鹿げていると苦笑いを浮かべた。
●作家の独り言
このときのエド君との出会いが、あたしの人生の分岐点ね。
学校で勉強したから、今の作家のあたしがいるもの。
ただ、作家になるための勉強ができたのはいいけど、知らず知らずのうちに、事件に巻き込まれることになるのよね。
学校で暗躍する子猫ちゃん、異次元級のわがままを発揮するし、行動力ありすぎるし、ユーイン君の苦労が身にしみてわかったわ。
それから、連載小説の第二弾を、執筆し始めたの。
王宮から、人気歌劇「命をかけた王家の純愛」の書き下ろし小説の依頼が来たのよね♪
歌劇は「7話 男爵家の王族たち」にも書いた、アンディ君と子猫ちゃんの両親の恋物語。
ワード侯爵家のユーイン君のおばさん、イザベル王妃様からのご指名よ。仕掛け人は、鍛冶屋のノア君。
まさか、ノア君が王妃様の子供のころから親しいなんて、思わないわよ!
あっちは、一人称の群集劇にしたけどね。一人称にすると、筆が速くなって知ったわ。
長編小説の脇役は、短編小説の主役にすると、個性がよく分かるのよ。
マット君の怖がるお母さんが、子猫のころは王宮で迷子になって、マット君のお父さんに保護されてたとかね。
歌劇通りにクライマックスを書いて、ノア君に草原稿を見せたら、やり直しですって。
「終盤から書き始めるって、あんたはアホか?」って、言われちゃったわ。
小説って終盤から最終話を先に仕上げてから、第一話から終盤に向かって、書いていくものじゃないのかしら?
他の作家さんはどうやって、書いているのか謎だわ。




