13話 公爵子息の病気
高等学校にある、箱舟の道端停留所。使用するのは、上位貴族くらい。
代表人物と言ってもいい、王位継承権をもつ王族と貴族が集まっている。
何事かと、遠巻きに眺める、一般生徒たち。その中に、金色のポニーテールが混ざっていた。
周囲の喧騒をよそに、じっと、従兄たちを眺めていた猫娘。公爵子息の異変に気付いた。
両手にはめた、白い手袋。それから、あまり動かさない利き手の右腕。いつもなら、右手で第二王子に寄りかかるはずだ。
「にゃ……マット、右手どうしたんですか?」
「えっ、いや、なんでもないって」
「……診察します」
「平気だって」
「にゃー! 診察すると言ってるんです! マット、箱舟に乗ってください」
魔法医師の目は、ごまかせない。猫娘は、有無を言わさず従兄に命令する。
「そうか、マットは病気の可能性があるのだな。それは重大な用事だ。よし、僕も心配なので、付き合う」
「……兄上?」
勉強嫌いの第一王子。これ幸いと、猫娘の話に乗っかる。静かなる第二王子は、兄に疑惑の視線を送った。
猫娘は、小さな声で猫青年に話しかける。対応する兄も、ぼそぼそと返した。
「にゃ……兄上、この際なので、エドとフィルも、同時に診察します」
「はいはい、了解しました。ですが、事情を話すことは反対します。
王宮の父上たちの判断を待ってからの方がいいですからね」
「にゃ、了解しました」
人間には、聞こえない猫たちの会話。猫獣人の母を持つ公爵子息だが、父の血を受け継ぎ、双子の姉共々人間として生まれた。
「にゃ。エドとフィルも、一緒に乗ってください。マットが逃げないように、捕まえてください」
「……マット、あっちに移動」
「ボクは平気だって」
第二王子は、猫娘の乗る箱舟を指さしながら、公爵子息に声をかけた。顔を引きつらせ、逃げかける公爵子息。
静かなる青年は、無造作に公爵子息の左耳をつかむと、力まかせに引っ張った。
「……マット、言う事聞く」
「痛いっ、ちょい止めて! 暴力反対!」
「……マットの学校生活、公爵夫人に伝えようか?」
「王子様、それだけは勘弁を! 母上、怖いんだから!」
「……大人しく移動」
「わかったから、耳引っ張らないで!」
年上に敬意を払い、年下を可愛がっても、同い年の親戚ならば容赦しない。
静かなる第二王子は、そういう青年であった。
観念した公爵子息は、王子たちに左右を挟まれながら、箱舟に乗る。
「兄上はマットが逃げないように、外で見張っていてください。診察の邪魔になるので、誰も中に入れないでください」
「はいはい、了解しました。予鈴が鳴ったら教えますので、それまでに済ませてくださいね」
「にゃ」
ものは言いようだ。猫娘が一番警戒しているのは、先ほどの傾国の美女の襲来。
兄が外に居れば、傾国の美女が来ても、足止めしてくれるはず。
その間に、従兄たちにかけられた精神感応魔法を、把握しておきたかった。
「にゃ、診察します。適当に腰かけてください」
従兄たちが箱舟に乗り込むと同時に、猫娘は力持つ言葉を唱えた。時間が惜しい。
虹色の小さな光の輪が、猫娘の前方に描かれる。走る幾何学模様、成立する魔法陣。
砕け散った魔法陣は、虹色の粒子に代わる。箱舟の内部に広がり、従兄と猫娘を包んだ。
数十秒滞空し、世界の理に溶けて、視界から消えた。猫娘は、驚愕の表情を浮かべる。思ったより、状況は悪かった。
「……マット、右手」
「単なる火傷だって。数日前に、いれたてのお茶をこぼしてさ。ちゃんと冷やしたって。痛みもないし、大丈夫」
「にゃ……違います。完治させるのが難しい、難病の火傷病です。
いくら冷やしても、治りません。このままでは、死にますよ。現実を認識してください」
猫娘が虹色魔法を使う間に、第二王子は、公爵子息の手袋を脱がしていた。手の甲が白くなり、壊死した皮膚が見て取れる。
自分の失敗を笑い飛ばそうとした、公爵子息。が、猫娘の言葉に、動きを止めた。
聡明な第一王子は、猫娘に向き直る。専門家の言葉を求めた。
「クリス、火傷病とは何なのだ? 普通の火傷とは違うのか?」
「にゃ……普通の軽い火傷なら、冷やしておけば、自然治癒力で治ることも多いです。
火傷病は、治癒魔法をかけて治しても、すぐに火傷が再発する病気なのです」
「マットは、そんなに悪いのか? 火傷を負ってから数日と言っていたが」
「普通、火傷の深さは、火傷をしてから二日から二週間くらいで、はっきりします。
マットの場合、一番重症で皮膚全体の損傷ですね。皮膚の組織がほぼ死んでしまって、白くなっています。
また、感覚機能も失われているので、痛みを感じない状態なのです」
「もう少し、分かりやすく教えて欲しい」
「にゃ……では、ステーキに例えます。一番軽い火傷が、片面を数十秒程度焼いた状態のブルーレアとします。
マットの手は、よく焼いたウェルダンに近いです。肉の色が、ほとんど変わっているでしょう」
猫娘と第一王子の会話を聞いていた、公爵子息。無言になり、顔から血の気が引いていく。
自分の右手を直視することができず、うつむいてしまった。
患者の様子を知りながらも、第一王子に尋ねられるまま、猫娘は言葉を紡ぐ。
「火傷なら、治癒魔法で治せるだろう?」
「にゃ、軽い火傷なら、低級の治癒魔法や塗り薬で、すぐに治せます。ですが、これぐらい重症だと、中級の治癒魔法が必要ですね。
公爵家のおば上なら、中級魔法医師の資格を持っているので、治すことが可能のはずです」
「マットは、公爵家に返らず、自分で治そうとしていたのだな。夫人が治療すれば、治るのだろう?」
「にゃ……何度も、言いますが、火傷病は再発します。同じ火傷を、同じ場所に自然と負うのです。
どんな原理で再発するのか、全くわかっていない、原因不明の難病です」
「完治はできないと?」
「そうですね……毎日、治療を受ければ、日常生活を続けることは可能と思われます。
ですが、一日でも治療を怠れば、火傷が広がります。火傷が広がれば、さらに治療が難しくなり、命取りになります」
「マットの場合は?」
「にゃ……魔法医師のおじいさまの経験談からの推測ですが、マットの場合、手の甲の火傷が右腕全体に広がれば、命の危険が。
さらに肩や背中など、他の部位まで広がれば、助かる見込みは少ないかと」
子供は、ときに残酷だ。思ったことを、口に出してしまう。
素直なところがある子猫の性格が、公爵子息を奈落に突き落とした。
静かなる第二王子が口を開き、猫娘に尋ねる。
「……大おじ上に診て貰えば、マットはある程度治る?」
「そうですね。おじいさまに診てもらった方が、経験がある分、私よりも的確な診断と治療ができると思います」
「……分かった。マット、今から王宮に行こう」
猫娘と公爵子息の祖父は、筆頭宮廷魔法医師。祖母は先代国王の妹。
王子からすれば、筆頭宮廷魔法医師は、幼いころから身近にいる父方の親戚。心から信頼する医者であった。
第二王子は、公爵子息の左腕を取り、立たせようとした。猫娘は、ついでとばかりに、王子たちに声をかける。
「エドとフィルも、おじいさまに治療してもらってくださいね。心臓部に岩石病を発症していますから」
「なんだと?」
「……心臓が?」
「にゃ。心配いりませんよ、治療すれば、きれいに治ります。
リズと違って、鉱石病を併発していませんし、王宮に帰るまでに死ぬことはありませんよ」
子供は、ときに残酷だ。思ったことを、口に出してしまう。
素直なところがある子猫の性格が、王子兄弟の動きを止めた。第一王子は、乾いた声を絞り出す。
「クリス、リズが病気なのか? 初耳だ」
「にゃ……エド、婚約者なのに知らないのですか? 王宮に、知らせは送りましたよ」
「何があったのだ? 頼む、教えて欲しい!」
「にゃ……昨日、午前中の学校の実力試験を無断欠席して、公爵家に知らせが行ったんです。
寮で一人苦しんでいるのを、おば上が発見して、今は公爵家で療養しています。
私とおじいさまで、診察しました。詳しい病状は、おじいさまに聞いてください」
「わかったのだ、ありがとう」
聡明な第一王子は、年下の猫娘に頭を下げた。きちんと、礼節をわきまえている。
静かなる第二王子は、公爵子息の顔を覗き込んだ。
「……マット、聞こえた?」
「ああ、聞こえた。リズ、病気なら、病気だって言えばいいのに。昔から、無理するんだからさ」
「……マットと同じ。似た者同士」
「うるさいって。似た者同士で当然じゃん、ボクらは双子なんだから」
傾国の美女が王子たちや公爵子息にかけた、公爵令嬢を嫌うように仕向ける黄色魔法は、一時的に破られた。
心の奥底で、強制的に眠らされていた、公爵令嬢への愛情によって。
人の心は、魔法だけで、全てを動かすことはできない。傾国の美女は、知らなかったのだろう。
●作家の独り言
フォーサイス王国や獣人王国でたくさん出版されている、王子と婚約者の恋物語。
普通は、エド君とリズちゃんのどちらかが、主役で書かれているわ。
それでね、エド君がリズちゃんへの思いを自覚するこの場面は、序盤の見せ場の一つなのよね。
子猫ちゃんは、姉同様に慕うリズちゃんの現状を、エド君たちに訴える役回りなの。
魅了魔法を、愛で打ち破る。これぞ、恋物語だわ♪




