11話 兄の決意
猫兄妹の父は、傾国の美女の魅了クッキーの正体に、嫌悪感を示す。
傾国の美女は、なかなかの魔法使い。禁術とされる、精神感応魔法を存分に使い、息子を虜にしていた。
「救世主どころか、破壊者だな。一般人が禁術を使うだけでも、重罪だというのに。
秩序を守る法の番人として、この存在を無視することはできない」
偉丈夫の裁判官は、怒りをあらわにする。
ふわふわ広がる金髪は、獅子のたてがみのごとく。王家の証、金色の瞳は百獣の王の輝き。
生れついての王者の白猫しっぽは、不機嫌交じりに床をたたいた。
「だが、今は灰色の存在だ。まず調べる。そして黒と分かれば、ベイリー家の名のもとに、排除する!」
「いやいや、待ってください! 排除しなくても、私の妻として我がベイリー家に迎えて、皆で監視すれば良いじゃないですか」
「その者を妻にするつもりだと? 何を考えている!」
「アンディ。これだけの状況証拠が揃って、まだなお、お嬢さんを愛おしいと思うておるのか?」
父と祖父、法の番人たちはしっぽをふくらませる。軽い怒り混じりに、猫青年を睨んだ。
重苦しい空気が、白の閉鎖結界の中に流れる。沈黙を打ち破ったのは、最年少の法の番人。
「兄上、獣人王国の姫君をどうするのですか? あの方を妻にするつもりなのでしょう?」
「あらあら、どういう意味合いですか?」
「にゃ? 夏休みの最後の頃、兄上が『あの方が大好きでたまらない、ぜひとも私の婚約者になっていただきたいものです。クリスの将来の姉上ですね』って、言っていました」
「あらあら、獣人王国の王女が姉上ですか。クリスを可愛がってくれましたものね」
「同盟更新の時期としては、そろそろ頃合いですね」
「あらあら、恋愛結婚なら認めますけど、政略結婚なら認めませんわ」
「分かっています。貴方たちの婚約経緯を覚えていれば、政略結婚などさせようと思いません。
ですが、恋愛でも、認められない場合があります。特にこのクッキーを作ったご令嬢など、もってのほかです」
「にゃ、そうです。リズを暗殺しようとしたご令嬢など、王家に仇なす存在です!」
「ちょっと、ちょっと、暗殺とはどういう意味ですか?」
「にゃ……そのままの意味です」
子猫は素直なところがある。母に尋ねられるまま、兄の言葉を伝えてしまった。
祖母も会話に加わる。人気の歌劇「命をかけた王家の純愛」の主役となった息子と姪っ子を見れば、慎重にならざるを得ない。
猫の聴力を持つ猫青年は、妹の言葉に反応した。子猫は率直に答える。
王女たちの会話を聞いた父は、猫耳を伏せる。居心地が悪い。
意識を切り替え、息子に声をかけた。
「アンディ、一つ聞くことがある。お前の証言が必要だ」
「はいはい、なんですか? 父上」
「エドが、リズとの婚約を破棄して、オフィシナリス公爵家の養女と結婚したがっているというのは本当か?
今日、王宮で会ったときは、そんなことを一言も言っていなかったが」
「ええ、ええ、本当です。学校にいる間は、よく言っていますよ。フィルやマットも、同じことを言っていますが」
「リズは、学校でどうしている?」
「はいはい、完全に孤立しています。無視されたり、罵詈雑言の嵐の中で、一人耐えている状態ですよ。
全生徒のみならず、教師を含めて、皆が同じ態度です」
「四面楚歌か。リズは、どうしているか知っているのか?」
「そういえば、ここ二週間ほど会っていませんね。寮に引きこもっているのかもしれません」
思考停止され、人形のようにされた、エステ公爵家の令嬢。
従妹の名前を聞くだけで、憎悪をあらわにしていた猫青年。今は、普通に名前を口にする。
猫青年は、公爵令嬢の置かれている環境をようやく認識した。
生き地獄だ。よく耐えていたものである。
「にゃ……おじいさま、昼間のリズのことを、兄上にも伝えていいですか?」
「うむ、構わん。じゃが、医学用語はあまり使わずに、理解しやすいようにのう」
「にゃ、了解しました」
猫娘、祖父を見上げて確認を取る。
先ほどの妻と孫娘の様子を思い出した、男爵家の当主。利発な子猫に、注文を付けた。
「兄上、兄上、リズのことでお話があります」
「はいはい、リズがどうしましたか?」
「自分から死に向かうように、誘導されていました」
「いやいや、どういうことですか!?」
「さっきの禁術を覚えていますか? 黄色魔法で、思考停止させます。術者の命令を聞かせます。
魔法をかけてから二日後、自殺するような命令でした。
かけた術者は、自分に疑いが向かないように、裏工作でもするつもりで、うちにクッキーを持たせたんでしょうね」
「そんな、そんな、でたらめを言わないでください!」
医者の仕事は、患者を観察することから始まる。妹は冷静に、兄を観察していた。
「にゃ、兄上。クッキーにかけられた魔法を、術者の命令の内容をきちんと読みましたか?
『明日、王宮に向かい、南の公爵家の双子の養女を、王家の第一王子と第二王子に嫁がせるように進言する』と言うものです。
カレン嬢の中では、我が家の進言の報を聞いたリズが、思い余って自殺する脚本でしょう。
兄上は、カレン嬢にとって単なる道具だったんですね」
「はいはい、クリス、そんなに兄上が嫌いですか? でたらめを告げるなら、すぐに目の前から消えてください!」
「にゃ、兄上は事実を告げる私が憎いですか?
当然でしょうね。愛と憎しみは表裏一体と、魔法医師のおじいさまに教えて貰いました。
それに、頼まれなくても私は消えますよ。あと三年以内に死ぬ運命です。聖獣の加護を持たない、特異点ですから。
このうえなく嬉しいでしょう、兄上。いえ、アンドリュー殿」
王家の微笑みを浮かべる、猫娘。冷たい金属のような声音で、兄に話しかける。
魔法医師は、患者の心を奮い立たす言葉も、奈落に突き落とす言葉も知っている。
魔法に頼らなくても、人の心を動かす方法を。
口達者な子猫は、兄の心を揺さぶり続けた。
※※※※※
公爵令嬢の話が終わった後、話しかけてくる兄を放置する家族。
法の番人たちは、一つ一つの事実を確認していた。
柔軟な発想力を持つ子猫は、爆弾発言をする。
「……おばあさま。これって、カレン嬢が、南の公爵家を乗っ取ったってことですか?」
「乗っ取るですか?」
「にゃ。公爵家の親類縁者が、火傷病や鉱石病で亡くなったのが、六年前です。
それから、公爵家の跡継ぎが、婚約者と一緒に魔物に襲われて亡くなったのも、六年前でしたよね?」
「たしかに、オフィシナリス公爵本家は当主しか残っていません。
それにしても、クリスは小さかったのに、よく覚えていますね」
「大おば上たちのお葬式の事を、忘れられるはずありません」
オフィシナリス公爵家当主の妻は、ベイリー男爵家当主の妹だった。
猫娘は、まだ七才。大好きな人達にもう会えない。病気のために聖獣のそばに行ったとだけ、説明された。
子猫が魔法医師になるために、猛勉強を始めたきっかけでもある。
「死因を知ったのは、上級魔法医師になってからです。
魔法協会の医師部門で、王国内の患者の全てのカルテが読めますので。おじいさまが頃合いだと、見せてくれました」
「カルテ……たしか診察の記録のことでしたね?」
「にゃ、診療録とも言います。魔法医学界の専門用語です。
とにかく、おじいさまに言われるまま調べてみると、十年以上前から、南地方に火傷病や鉱石病が頻発していました。
親戚たちは、これが死因だと」
「死んでしまう難病ばかりですね」
「にゃ……私が薬を開発する二年前まで、鉱石病は不治の病でした。火傷病も、まだ特効薬が開発できていません。
私が、もっと早く生まれていれば……せめて兄上と同じ年頃であれば、早く研究に取り掛かれて、南地方のたくさんの人々を病気から救えたと思います!」
「クリス、あなたはまだ子供です。子供なのに、よくやっていますよ。
南地方は、オフィシナリス公爵家の領地ですし、公爵家の家人が犠牲になるのは、仕方ありません」
魔法医師の子猫は、猫耳を伏せた。無力な自分が悔しい。
祖母は、孫娘の頭を優しくなでる。背筋が伸びるような声で、現実を告げながら。
「にゃ……理解はしているつもりです。でも、納得はできません!
白の特異点としての魔力を授かったのに、素晴らしい頭脳を授かったのに、助けられないんです。
火傷病の特効薬を作るまでは、死んでも、死に切れません!」
猫娘がどれだけ悔やんでも、生まれた年月日と、授かった寿命だけは、どうしようもない。
世界の理が決めたことだ。
「アンディ、聞こえたかのう? クリスはベイリー家の者として、魔法医師として生きておる。
幼いながらも、生物の身体に流れる、世界の理を守ろうとしておる。お前さんは、どうするつもりじゃ?」
「禁術で、人の心や命を操る方法など、人型の魔物と変わらんぞ。
妹にすべてを託し、敵に回るか? それとも黄金の橋を渡り、戻ってくるか?」
祖父と父は、跡継ぎの猫青年を観察する。
跡継ぎの中でぐるぐる回る、思考回路。反芻する現実。
傾国の美女への思いと、法の番人の良心を天秤にかける。
「私は、私は……ベイリー家の跡継ぎです。秩序を守る、法の番人です!」
「それで、どうするつもりじゃ?」
「ええと、ええと、白猫族として、決して一族を裏切らないという契約に署名すればいいでしょうか?」
「うーむ。お前さんかそう望むなら、契約書は作るがのう」
堅実な性格ゆえ、即決即断ができない猫青年。祖父の顔をうかがいながら、意見を出す。
頭の固い祖父は、顎をなでながら、考え込む。似た者同士の祖父と孫。
祖父は力持つ言葉を唱え、代弁者の契約書を作った。世俗では、五色の契約書や虹色の契約書とも呼ばれる、白猫族だけの契約書を。
法の番人の当主は、家族全員に契約文章を確認させる。
頷いた猫青年は、名前を告げた。虹色の契約書に、真名が記される。
「アンドリュー・ベイリー・フォーサイス」
猫青年の真名が署名された契約書は、虹色の粒子になり、世界の理に溶けていく。
確認した父は、息子をしばっていた魔法の鎖を解いた。
祖父は、猫青年が一族を裏切った場合の代償、契約違反の罰則は決めなかった。
魔物が絡む可能性がある以上、魔物と対をなす、聖獣にゆだねるべきとして。
法の番人として、猫青年の良心にゆだねるとして。
●作家の独り言
本当はね、署名したときのアンディ君は、心底は納得してなかったの。
寝る前に、自分の身分を恨んだらしいわね。
理解はできても、心がついていってなかった。
でも、法の番人だから。同時に、王族だから、我慢するしかなかった
秩序を守るのが、法の番人だから。清濁併せ呑むのが、王族だから。
あたしが取材したときに、皆には内緒だって、寂しそうに笑いながら教えてくれたわ。
カレンちゃんは、理解してなかったのね。
生物は完璧な存在じゃない、一つ一つ心があるってこと。
言っておくけど、作家も清濁併せ呑むのよ?
書くべき真実と、書かない真実を区別するの。
王族であるアンディ君の本音を、フォーサイス国民が見る小説の中に、書くわけにはいかないものね。
後世に伝わる立派な王家の歴史は、こうやって、作られるのかもしれないわ。
追記。
白猫族の扱う契約書について、王宮からクレームがついちゃったわ。
「虹色の契約書」「五色の契約書」は世俗的な呼び方で、「代弁者の契約書」が正式名称だから、正式名称で統一するか、併記してですって。
高等学校の法学専攻科では、最初の契約書として、正式名称で教えてるって、子猫ちゃんのお父さんから言われたしね。
……本当、王宮の検閲って、手間がかかるのよね。
国民が読むんだから、国民が分かる言葉で書けば良いのに。
皆、頭が固いわよ!




