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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

生きるための技術

作者: 加賀知 珠


 肺が熱い。喉がぜいぜいと鳴る。呼吸が詰まる。錆びた味がする。

 苦しい。

 がくがくと脚が、全身が震えている。縺れて倒れそうになり、反射的に出した足で一歩を刻む。ただし足音は立てないように。

 人間どころか動物の気配もない道を少年が進む。

 右手は岩の壁。左手は岩と砂礫。森を抜けてからはほとんど色のない殺風景な土地が広がっていた。

 ぜい、ぜい。

 目は正面を見据えたまま。

 ただ前だけを見据えたまま。

 まろぶようにして、一歩。

 また一歩。

 倒れさえしなければいい。力尽きればそれで終わりだ。地に伏したが最後、二度と起き上がれる気がしない。

 また一歩。

 一歩。

 ゴールまであと、少し。

 喘鳴に交じってひゅう、と喉が鳴る。呼吸が乱れて咳き込んで、思わず膝を着きそうになったが辛うじて堪えた。震える手で喉を押え、背を丸めて咳を繰り返す。

 ――そんな隙を見逃されるはずもない。

 蠢く気配。閃く殺気。

 つい先ほどまで何も感じなかったはずの周囲にそれらが満ちたと思った瞬間には無数の銀の刃が降り注ぎ、

 ――跳んだ。

 意識する前に身体が動いた。萎えかけていたはずの足で強く大地を踏みしめ前に跳躍、先程まで自分が立っていた場所に突き刺さる銀の雨を抜けて着地するはずの場所には銀の矢が四方から撃ち込まれていた。

 跳躍した姿勢から身体を捻る。風を纏えば簡単な事だ。渦巻く風が体勢を変え、また銀の矢を明後日の方向に逸らしてくれる。

 その先には巨大な銀の斧。今では伝説の存在となった巨人なら持てるのではないかと思えるほど巨大な刃が、見えない手に振り回されて牙を剥く。

 とてもではないが風では防げない。全身に纏っていた風を足に集中させ、跳ぶ。

 横殴りにされた銀色の刃の上に乗り上げて走る。刃の付け根まで一気に駆けて、昏く輝いている紅い宝石の上で軽く跳び、体重を掛けて踏み抜いた。金属の砕ける音がして紅い破片が空を舞い、斧諸共に消えていく。

 そのまま着地、する先には人の姿があった。血走った眼でこちらを睨み、銀色の曲刀を構えている。こちらが間合いに落下してくるや否や、歓喜の表情で鋭い一撃を、

「……がッ」

 紙一重で躱して男の首に腕を絡め、落下の勢いも加えてへし折った。

 男の手から落ちようとする銀刀を奪う。進路に目を向ければさらに3人の少年がそれぞれに武器を構えながら立ち塞がっている――

 ――息を吸う。

 そして吐き終える時には、3人とももう呼吸を止めていた。



「108番」

 抑揚のない声に呼ばれる。目の前には頭髪のない男が、感情のない目でこちらを見ている。

「合格だ」

 小さく頷く。結果がわかれば充分だ。

 開けた場所にただひとり立つこの男がゴール。

 ……辿りついた。

 なんとなく手にしたままだった銀刀を振り上げて教官の息の根を止めようとしたが、次の瞬間には地面からかしゃんと甲高い音がした――銀刀が落ちている。そして手が、痛む。

 一拍遅れてやってきた痛みにゆるゆると手を下ろしてみれば、何らかの衝撃を受けたのか既に手のひらから指先まで全体が赤く腫れてきている所だった。目の前の教官は腕組みでこちらを睥睨したまま全く動いていない。ほんのわずかな魔力だろうとも行使すれば必ず痕跡は残る。それすらないということは、どこかに潜んでいる別の教官がやったということだろう。

 ――気配も掴めない。舌打ちした。

「今回は大目に見てやる。

 行け」

 顎をしゃくって命じられ、答えもせずいつか殺してやりてえな、と胸中でだけ呟いて歩き出した。今はまだ殺せない。及ばない。

 同じ候補生であればあれだけ簡単に殺せたのに。痛む足を引き摺りつつ進む。

 暗殺集団『黒棺くろひつぎ』。

 孤児だったらしい自分はその一員に拾われた、らしい。物心ついた時にはこの集団の中にいたからここで生まれたも同然だ。

 名前はない。ここでは首魁や一部の幹部を除き誰もが番号で呼ばれていた。自分は108。同じ頃に拾われたと思しき者が千番台だったり明らかに後から入った者が一桁台だったり、しかしそれでいて数字の若いモノほど実力が上と言う訳でもない。番号の法則性は不明だが、それで特に扱いに差がある訳でもないので深く気にしたことはなかった。

 あるのはただ実力による階級差だけだ。

 最下層の訓練兵から試験を受けて候補兵となり、さらに試験を通過すれば一人前の刺客として認められる。その上には教官などが属する上刺客、そして幹部と続いていく。

 自分は今、晴れて刺客となった。

 試験に合格するのはごくごく簡単だ。ただ生き延びればいい。配された無数の罠、敵を掻い潜り殺してただゴールまで辿りつければそれで良い。

 罠は壊した、あるいは回避した。魔物は殺した。人も、殺した。

 訓練生であった頃から魔物も人も数えきれない程屠ってきたから今更何の感慨もない。たとえ敵に、数日前まで食堂の同じテーブルで食事をしていた同期がいたとしても、だ。

 そして自分は辿り着いた。

 しかし身体には大分負担をかけてしまった。出血こそ少ないものの打撲や擦過傷などの様々な傷、何より試験期間である三日の間、いつどこで何者に襲われるかわからず常に神経を尖らせていたので肉体も精神も疲労が限界だった。教官どもに言わせればこの程度で参るなどまだまだ甘いと言われるのだろうが。

 もっと技術を磨いていつか殺す。無感動に胸中でそう呟きつつ進んだ。この岩壁で作られた道を抜ければ、アジトに戻る為の転移装置があるはずだった。

「108!」

 と、前方から見知った顔が近づいて来る。350番、自分と同年齢で何が楽しいのかいつも自分と行動を共にしたがる少年だった。

「お前も合格したんだな、やっぱり! 信じてたぜ」

 明るい、まるで外の世界の子供のように笑う。日々殺しの技術を磨く事しかない人生で、何故こうも陽気に人懐っこい人格になれるのか――この上なく鬱陶しい。

「でもけっこうやられたな、それ魔物にやられただろ。

 お前、人間相手はすげー強いけど魔物相手だとけっこうドジ踏むからなあ」

 返事をするのも面倒くさい、が奴はひとことなりとも返事をしないと昏倒させない限り諦めずに喚き続ける。心の底から鬱陶しい。

「どけよ。帰って寝る」

「オレ最近回復魔法覚えたんだぜ。

 治してやるから見せてみろよ」

「どけって」

 けんもほろろに吐き捨てるけれども350は諦めない。こいつはいつもこうだ。いつもこうして自分に構って――そう、外の世界で言う友達だとか言う関係のように。

「ひゃーくはち!」

 伸ばされた手を取る。350が驚いたように引こうとした手を逃さず捕らえ捻り上げ、

「、は」

 関節を決めようとしたところを外された。この程度のじゃれ合いならいつものこと、だが。

 ――違う。

 脳の奥が灼けるような感覚があり、咄嗟に身を捩る。靡いた前髪を何かが掠め、ぎらぎらと輝く目を垣間見たと思った瞬間。

 ――やっぱり。

 隠し持っていた短刀を抜き、350の胸に突き刺した。

「か、……はっ」

 350が呻き、口からいくらか血を吐いた。かしゃんと音を立てて落ちたのは薄刃の短剣、350が得意としていた武器だった。それを追うようにして膝が崩れ、俯せに倒れ込む。

「……、ひゃ、……く……」

 微かな声。まだ息がある。仕留めそこなった、と顔を顰めたが、舌打ちする気にはならなかった。ただ黙って見下ろす。

 ぎこちなく、ゆっくりと顔が動いた。苦痛に低く呻きながら350は顔を上げ、

「ご……かく。

 ……おめ、で、と」

 へらり、と。

 この期に及んでも笑う、その根性に免じて頷いた。

「ああ」

 こちらが返事をしたことで、350もまた満足そうに身体を震わせた。その目がすぐ近くに落ちている愛用の短剣に向けられる。

 無言で頷き、短剣を拾い屈み込む。

 そしてほっとしたように目を閉じた350の首を、迷うことなく斬り裂いた。

 真っ赤な飛沫が手を汚す。返り血を浴びるのはあまり好きではなかったが、なんとなくまじまじとそれを眺める。

 と、

「合格だ。

 108番」

 背後から、気配もないままに投げられた声に振り返る。背後には頭髪のない教官が腕組みをして立っていた。

「やはりお前が残ったな。

 対人戦闘の技術ではやはりお前が図抜けている」

 そう言いながら教官はこちらへと歩み寄り、既に事切れた350の死体を担いだ。こちらに背を向けたまま続ける。

「これで試験は終了だ。

 戻って休め」

「……はい」

 短く答える。教官は特に何も返さず、350を連れて去って行った。

 ひとり残され、静寂の中で己が手を見る。350の血がこびりついていた。

 彼もきっと合格者だったのだろう。ここで互いを最後の障害として殺し合い、生き残った方だけが刺客となる。

 最後の最後で試されたということだ。もっとも近しいと思われる者を殺せるかどうか。

 ――何が戦闘技術だ、と吐き捨てる。

 ひとをころすためのわざ。

 それを磨くことに、これまで何の疑問もなかった。自分にはこれしかなかったから。

 そしてこれからも、きっと。

 ――疑問になんか思わない。

 小さく呟き、最後に見た血まみれの350の穏やかな顔を脳裏に描き――それを首を振って散らして108は立ち上がり、帰るために歩き出した。

 ただ拭わないままの返り血がこびりついた手を、固く握って。



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