2
それから母は仕事をやめた。
仕事をやめ、無気力に一日中虚ろな目をしている母に代わって、私が家事をした。しかし、まだ小学生だった私が働いてお金を稼ぐことはできず、日増しに暮しは貧しくなっていった。
そんなある日。
電気が付かなくなった。
ガス台の火が点かなくなった。
水道から水が出なくなった。
そして、家を追い出された。
泣きながら、「どうしよう、おうち無くなっちゃった。拓、帰って来れないよ」と言った私を、母ははっとした様な目で見つめた。
それから数日後、母は再び働きはじめた。
昔のように一心不乱にではないけれど、生活には不自由しない程度に。
そして、ようやく日常が帰ってきた。
そう思った矢先の、この天国発見のニュースだ。
ふざけるな。
私は思わず叫んでいた。
せっかく母さんが帰ってきたのに。まだお前は私の邪魔をするのか。
母はその報道を聞いた翌日、再び仕事を辞め、テレビやら新聞やらネットやらを駆使して天国のニュースの続報を追い続けた。
だから、今回のアメリカ行きも薄々予想はついていた。
でも。
私は悔しくて仕方なかった。
何故生きている私よりも死んだ弟が大切にされるのか。それが弟への罪滅ぼしのつもりなのだろうか。
だとしたら、私は弟に勝てない。私は『生きて』いるから。
死人は強い。特に幼くして死んだ子供や、出会って間もないうちに死んでしまった恋人などは。もし生きていたら、という想像の姿は、大抵現実とかけ離れているものだ。
だからこそ、この世の中にそれに対抗しうるものなどない。
故に、最強。
ならばいっそ、私も死人になれば……。
何度そう考えただろう。でも、私はそれを実行しなかった。
友達が悲しむとか両親に申し訳ないとか、そんな欺瞞ではなく。ただ、生きて弟に勝ちたい。そんな幼い対抗心があっただけ。
そして、私は今でも弟の仏壇に手を合わせることもない。心の片隅で、手を合わせたら負けだと思っているから。
私の複雑な内心を嘲笑うかのように、テレビでは相変わらず、くだらない芸人がボケて、相方がそれにつっこみをいれている。
時計は、午後二時を回っていた。
あと一時間、どうやって過ごそうかと思いながらテレビを消し、玄関を出る。
家の外は、心地よい風が吹き、気分を変えるのには役立った。
だが、スーパーを始め、近所のおばさんがやっている商店やコンビニまで、全ての店が閉まっていた。公園に行っても誰の姿もない。図書館も閉まっている。
皆が家に引きこもっている今日、私を受け入れてくれる場所はどこにもなかった。
あてもなく歩き、ふらりと家の近くの堤防へ向かう。もちろん、そこにも誰もいない。
私は何もせず、普段と変わらず水の流れる川を見つめ続けた。
気付けば、さっきまで痛いほどに照り付けていた太陽は傾き、腕時計の針は三時半を指していた。
私は家に向かって走り出した。
そして、数分走った頃。
何故そんなに急いでいるのだろう、という念が湧き、歩みを緩めた。
どうせ家に帰っても誰もいないし、何もない。ただ、相も変わらずあの番組はやっているだろう。
そこまであの番組が観たいのか? そんなにも天国が気になるのか?
荒い息を鎮めながら、自分に問いかけてみた。
――答えは、「YES」だった。
でも、それを認めるのは何だか癪に障ったので敢えてゆっくりと歩く。
それでも興味というのは完全には抑え切れないもので、部屋に入るなり、私はすぐにテレビを付けた。
テレビに映し出された映像を、画面すれすれの位置で食い入るように見つめる。
画面に映し出された光景は、丁度、ロケットが惑星に、墜落していくところだった。
結局、人類は天国に到達し得なかった。
でも、それでよかったと私は思う。
事故の原因は判明していないが、一部では天罰だなどと囁かれているらしい。
人類はまだ、愚かさを失っていない。
無くしてしまえば、こんなに楽しい日も無くなってしまうと思うと、何だか惜しい気がするから不思議だ。
母は、仕事に戻り、人々は天国と呼ばれた惑星のことを忘れた。
あまりにも、呆気なく。
なんだか、期待していた私が馬鹿みたいだ。
母はまだ弟のことが忘れられないようだけど、少しずつ、私にも目を向けてくれるようになった。きっと母なりに気持ちに区切りが付いたのだろう。
そんな母の姿を見て、私はそっと仏壇の前に座り、手を合わせて目を閉じる。
――拓、見ていて。お姉ちゃん、きっとあなたに勝って見せるから。




