いざ、
お久しぶりです、そしてお待たせしました。感想お待ちしております!
誤字・脱字ありましたら遠慮なくご報告おねがいします。
アシュレイが張っ倒した賊は簀巻きよろしくロープでふん縛り、騎士達は一区画にまとめて放置しておく。よほど巧く昏倒させたのだろう、既に朝日は昇りきっており男達が気絶してからそれなりの時間がたっている。
それにも関わらずエーテルの爆発でも、その後に春陽がぎゃあぎゃあ騒いでも、現在キースがあちらこちらに倒れている男共をずるずる引きずって一箇所に集めていても、彼らが目を覚ます気配は已然とない。
遺跡周辺に倒れている者を縛り上げたり、引きずったりとしながらキースはチラリと瞳だけで春陽を見やる。いま彼女はおっかなびっくりにアシュレイが騎乗してきた真珠色の飛竜と戯れていた。
目の周りが赤く腫れている。
――泣いたのだ――
最初の印象では気が強くて言葉使いも乱暴な上、数々の暴言を平気で吐いたガサツな女だと思った。だから真実を知っても大声で喚き散すだけだろうと思った。
――そんなハズは無いのに――
ただただ声を殺して涙を流した。
頬を零れ落ちる涙はとめどなく流れ落ちるが、唇を咬んで荒れ狂う感情の嵐を必死に耐えて泣く。
それが当たり前のように彼女に馴染んでいたから、それしか知らないような泣き方をするから、少しだけだけ少女に興味がわいた。
シノミヤ ハルヒと名乗った一人の少女に。
清々しい朝日が差し差込み森を照らすなか、人生のドン底に落とされたように肩を落とす少女が一人いる。人生八十年が基本の日本で生い先が短いだけでも充分に不孝の部類に入るのに、加えて春陽は異界に迷い込んで、否、異世界事情に巻き込まれてしまった。
見も知らない青年二人に言われただけだったら春陽は嘘だと言って彼らの言うことを信じないようにすることも簡単だったのに、現実はそう甘くないということだろうか。
この青年二人がなにも全て本当のことを言っているとは限らない、この二人が誘拐犯じゃないときまったわけでもないのだ。そう気付いたときに事件は起こった。
“嘘吐いてるんでしょう”その言葉を放とうとした春陽は大きな翼で砂埃を巻き上げると共に、低い声を出して降りてきた物体に目と言葉を奪われた。
「・・・・・・なにこれ」
ずっしりと重量感のある体が地面に降り立てば巨大な岩でも目の前に置かれたように日差しを遮って影を落とし、それは宝石を埋め込んだように煌めく光を宿す瞳は一心にアシュレイを見つめている。
低い声は甘えるように、心配しているようで、綺麗な瞳からは高い知性を窺わせる。
顔を摺り寄せるようにしてアシュレイに押し付けるそれは、その巨大な外見とは裏腹にとても穏やかそうに見える。
「・・・・・・嘘」
「あの騎竜が珍しいのか?」
唖然としながらアシュレイとその隣に佇む巨体の主を見ていると、その強烈過ぎる存在のせいですっかり忘れていたキースが春陽に近寄ってきた。
「・・・・・・キリュウ?」
「人を乗せて運ぶ竜のことだ。竜は気性が激しいものが多いし自尊心が強いから、滅多に人を乗せることはないがな」
真珠色の鱗を優しくなでるアシュレイに視線を移す。
「・・・・・・ここで竜は珍しくないんですか」
幾分か声を落として聞く春陽の様子に、アシュレイに目を向けたままのキースは気付かないで答える。
「しいて言えばどこにでもいるわけじゃないが、珍しくもないな。どこの国も王城に行けば必ずいるし、地方の城にもいる所にはいるしな」
「・・・・・・一般的に認知されているわけですね」
「認知ってお前、言い方ってもんが――」
そこでようやく春陽をみたキースは言葉を切った。
春陽の白い頬を透明な雫が次々と零れ落ちている。アシュレイの隣に佇む大きな竜を見つめながら。
「正直に言いますとね、あなた達の言ったことなんて九割方信じたわけじゃないんです」
零れる涙に気付いていないかのように、そのまま言葉を紡ぐ。
キースは黙ったまま静かに耳を傾ける。
「だって気付いたらここは生まれた世界とは別の世界ですなんて言われて信じる人はいないでしょう? むしろ頭のおかしい誘拐犯を疑うのが普通よ」
「それで、お前は信じるのか?」
「・・・・・・信じたくなかった、というのが本音よ」
その声は暗く沈んでいた。
そう、信じたくなかった。だが春陽は見てしまったし、彼らの話が全くの嘘だとも思えなかった。だから最終的な判断は春陽自身が決めた。その先にどんなに認めたくない真実が待ち構えていると知っていても。
「私が生まれた国でも、他の国でも竜は伝説上の生き物なのよ。誰も見たことがなくて、空想上だって言われている生き物が目の前にいるのよ? そんなものを見ちゃったらどうしようもないじゃないっ!」
今度こそその声は涙に濡れたものになっている。
真実から逃げても何にもならないことを知っているから。
ポロポロ無数に零れ落ちる涙も気にしないで春陽は続けた。
「信じるわよ! これで文句ないでしょう!?」
半ば自棄になって叫んだ。
病弱だったし、自由もなかったけど、愛していた。世界の全てを、たった二人の肉親を。
その全てを唐突に、一瞬にして奪われた。
「・・・・・・戻れるの」
混乱する意識をいつものように押さえ込みながら聞く。
春陽には馴れたものだ、あの嫌な臭いのする白い部屋で。
「私は地球に、日本に帰れるの?」
「さっきも言ったが界渡は机上の空論だ。前例がないからな、はっきり元の世界に戻してやれるとは断言できない」
キースの厳しい表情からは嘘を吐いているようにはみえなかった。なにも馬鹿正直に答えてくれなくてもいいのにと、春陽の心情など考えないで答えるキースが無神経にも思える。
「もう少し言い方を考えたらどうです」
いつの間にか近くにいたアシュレイは血の気が引いた春陽の顔色をみると、申し訳なさそうに柳眉を下げて顔を顰める。
「いきなり色々聞いたので混乱しているでしょう、落ち着くまで少し休んだらどうです?」
優しい声で問いかけてくるアシュレイは馴れた手つきで春陽の肩を抱くと、腰をおろすのにちょうどいい瓦礫へ促すが、春陽はやんわりとその手を拒む。
「やめて。今は私の身体なんかどうでもいいから」
「でも、今にも倒れそうです」
「いいからっ!」
涙は零れないのが不思議なくらい瞳に溜まっていて、それでも気丈にアシュレイとキースを睨みつける。
「キースが言ったことは本当なんでしょう? じゃあ私は死ぬまで帰れないの!?」
どうあっても引く気がない春陽にアシュレイは一瞬だけ何かを考えるように目を細めると諦めて息を吐いた。
「彼が言ったことは紛れもない真実ですが、それが全てではありません」
「帰れるの?」
「それは分かりません。“界渡”の原理は既に理論化されていますが長いこと行き詰っているので、このまま研究を続けても新たな進展があるとは思えません」
「そんなっ! 勝手に巻き込んでおいて――」
「話は最後まで聞け」
春陽の声を遮ったキースはアシュレイに続きを促す。
「私は“このまま”では、と言いましたね? 今までは前例も無く在るか無いかも知れない異世界への研究には限度がありました。異世界があったと仮定して、異界への入り口を創るまでは可能でしょう、しかしその先へとなると話が違ってきます。“界渡”を行ったとしても、そこから帰ってこれる保証はなく、ましてや異世界が在るとも限らないのですから」
「だが“今”は違う。今はお前が“いる”。異世界を証明する初めての存在、そしてお前の持つ幸運がある。俺たちは“界渡”をこの目で見た唯一の存在だ。それが世界有数の実力と知識を持つ“守護者”と“断罪者”だったんだ、きっと帰してやれる」
「まぁ、すぐにとは行かないでしょうがね」
「・・・・・・三年よ」
「え?」
「すぐに帰れないなら三年以内にして!」
「はぁ!? お前なに言ってるかわかってるか?これまで百年以上も行き詰ってた研究だぞ、それをたった三年でって無理があるだろ」
「努力はしますけど、難しいですよ?」
「ハーネット、無理なことは言うな」
否定的な言葉が二人から返されるも、春陽にも譲れない一線がある。
春陽に残された時間は僅かしかないのだ。
「無理とか言わない! 絶対に三年で帰してもらうんだから!!」
思いがけない勢いで言われた青年二人は、目を見開いて声の主をみた。
アシュレイは隣で真珠色の鱗を気持ちよさそうに触る少女をみて一安心する。
三年以内に帰せ、と頑なにいう少女を宥めるのは苦労した。キースなどは早々に諦めて後は任せたとばかりにアシュレイの肩に手を置くと、遺跡周辺に倒れている男共の片付けに逃げていった。それでも少女の様子は気になるようで次々に男共を一ヶ所に集める手を休めずに、さり気なくこちらを伺っている。
頑なに三年以内を主張して声高に叫ぶ彼女はその少し前までの、感情を押し殺して涙を流した姿よりもずっと“少女”らしい。たかだか十七歳の少女が至極当然に声を、感情を押し殺しながら、愛する家族と離され、たった一人で異世界に放り込まれた孤独と混乱に耐えた。どんな生きかたをすれば、どんな経験をすれば、どれほどのことに耐えれば、あんな泣き方ができるのか。
「クレアが気に入りましたか?」
肩にも届かない漆黒の髪がフワリと揺れると、髪と同じ漆黒の瞳がアシュレイの姿を捉える。
「綺麗な名前。この竜にピッタリね」
目を細めてクレアのひんやりと冷たい鼻先をなでてやれば、嬉しそうに鼻を鳴かせて春陽の頬にその鼻先を押し付けてくる。まるで春陽の言葉を理解しているかの行動に驚く。
「嬉しかったんでしょう」
クリスの行動に春陽が目をぱちくりと瞬かせているのが面白いのか、クスリと笑っている。
「貴女の言葉が嬉しかったんですよ、きっと。竜は生き物の気配とか感情にとても敏感なんです。敵意には容赦ない敵意を返しますし、褒められて嬉しくないものはいないでしょう?」
そうなの?と、クリスを見やれば、やはり嬉しそうに喉を鳴らしながら鼻先を春陽に摺り寄せている。
この少女が生まれた世界には竜は存在しないらしい。クレアの巨体を前にした春陽は今にも食べられるのではと思っているのだろうか、おっかなびっくりに少しずつ近寄り、恐る恐る震える白い手を伸ばしていた。元来は物怖じしない性格なのだろう、クレアがおとなしい性格だとわかると真珠色の鱗を存分に撫で回し始めていた。
クレアがいてくれて良かったと思う。それが春陽を絶望の底に叩き落す程の精神的ダメージを負わせる決定的な存在になっても、いつかは味わう絶望なのだ。だったら少しでも気を紛らわせる存在が居てくれた“今”に感謝したい。
目の前の一人と一匹を見やる。
いくら詫びてもすまないけれど。
アシュレイやキースのせいでもないけれど。
一人の少女を巻き込んでしまった事実は消えないわけで。
言わずにはいられなかった。
「すみませんでした」
何が、とは聞き返されなかった。春陽は黙ってクレアを撫でたままアシュレイに背を向けているから、その表情は見えない。
「異世界の貴女を巻き込んでしまったこと、それを阻止できなかったことは幾ら謝っても許されることではないし、貴女の気も晴れないとわかっています。自己満足かもしれませんが言いたかったんです、すみませんでした」
ただ言いたかった。
自分達があの爆発を防いでいれば、春陽はこれほどまでに哀しまなかった。“もし”の話をすれば限がないが、巻き込まれて尚怨まず、憎まず、ただその理不尽に怒った。少女の強い心に真摯に向き合いたかった。
「・・・・・・・じゃない」
深く腰を折ったアシュレイの上に微かな声が落ちる。
「“アナタ”じゃないよ」
はっきりと聞こえた言葉にアシュレイがその顔を上げると、照れたようにそっぽを向いたまま耳を赤く染めている春陽がいた。
「“春陽”、私の名前は言ったでしょう?いい加減に名前で呼んで」
「いいんですか」
「何年もかかるんでしょう、その間ずっと“貴女”って呼ぶつもり?」
「・・・・・・それは遠慮願いたいですね」
「その代わり、絶対に元の世界に帰してよね!」
なんとも可愛らしい交換条件にアシュレイの頬は自然と緩む。
「はい、手を尽くします。」
ですから、と続いた言葉はなんとも甘い声音で、微笑で囁かれた。
「ご安心ください、衣食住、その他諸々もハルヒに不便な思いはさせません」
もろにその微笑を見てしまった春陽は何故か口元を引きつらせて、複雑な表情を浮かべていた。
「終わりましたか」
男を引きずるキースを見ながらアシュレイが問いかける。その隣には落ち着きを取り戻した春陽が並んでいる。
「こいつで最後だ」
いいながら周りを見渡せば気絶している男達は一ヶ所に集められており、キースが襟首を掴み引きずる男が最後の一人だった。乱暴に最後の男を放り投げると、体についた埃を両手で払い落とす。
敵味方あわせて総勢百人近い男達を一ヶ所に運ぶ作業はかなりの重労働だろうに、涼しげな顔で全部一人で片付けていた。アシュレイはそんなキースに何の疑問も持たず、むしろ出来て当然という認識をしているようだ。
「手伝わなくてよかったの?」
あまりの人数、しかもガタイのいい男ばかりだ。一ヶ所に集められた男たちの山を見て、思わず聞いてしまった。
「これはネイカーの管轄ですので。私はあくまでも彼とは別件でここに来ていますから」
「別件?」
「ハーネット!」
キースの切れ長な瞳が細められ鋭い印象はさらに強くなる。
「そんなに怖い顔をしたらハルヒが脅えるでしょう? 控えてもらいたいですね」
「それはこっちの科白だ、余計なことを吹き込むのはよせ」
キースが言ったそれが以外だったのかアシュレイは軽く目を見開くと、何故か嬉しそうに感心していた。二人の棘が生えまくった毒舌合戦を目の当たりにしているだけに、信じられない光景に春陽は何が起こっているのかわからない。
「そんなことを言うとは思いませんでした、しかし言い方ってモノを考えないと嫌われてしまいますよ?」
「俺には関係ない」
「そうですか、いつかきっと後悔するといいですよ。と、いうわけで――」
会話の方向性が怪しくなってきたと春陽が一人オロオロしていると、アシュレイはキースから視線をはずして向きなおる。
「私の“別件”について今は話せません」
突然話の矛先を変えられても反応に困る。だってこの二人の立場って国家規模の仕事をしてるってことだったし。
「そっそれは別に構わないけど、それはキースに言われたから?」
チラリと仏頂面の青年を見ながらアシュレイに問いかける。
「違いますよ、私の意志です。彼と同じ意見だとは思いませんでしたが」
意味深なアシュレイの微笑みの意味は分からないけど、キースは嫌そうにその顔を睨みつけていることから、キースにとってはものすごく不本意なことが伝わってくる。
「ま、今は私のことよりハルヒのこれからのことを話しましょうか」
「帰る方法を探すんでしょう?」
何を当たり前のことを、と言い返せば冷たい声で言い返される。
「馬鹿、俺たちの話をちゃんと聞いてたのか?」
「失礼ね! ちゃんと聞いてたわよ」
「それで分からないなら、やっぱりただの馬鹿だろ」
「ネイカー、ハルヒはこちらに来たばかりなんです。いきなりこちらの状況を理解しろと言っても無理に決まっているでしょう」
あああ、優しく弁護してくれるのは嬉しいですが、裏をかえせば一度説明されたにも関わらず、自分の状況も理解できていないお馬鹿な小娘ということにはなりませんかね・・・・・・?
「・・・・・・お前、この女に少し甘くないか?」
「女性に優しくしないで誰に優しくするんです、まさか男なんて言いませんよね」
不毛な言い争いは止めてください。
「もぅいいです、私が馬鹿でいいですから話を進めてくださいよ」
何故に初対面に等しいと言っていたのにここまで仲が悪いんだろう、まさに犬猿の仲とでも言えばいいのか。被害者の春陽をおいて喧嘩をする太い神経の持ち主はそうそう居ないだろうに、目の前にはその希少種が二人もいる。
「少し話が逸れてしまいましたね、すみません。これからなんですがハルヒの存在は公にはしないようにします」
「え、なんで?」
「言っただろう? “界渡”は今までに前例がない、つまりはお前が世界初なんだ」
「・・・・・・それが関係あるの?」
「・・・・・・知らなかったな、お前が実験動物を自ら希望する奇特な精神の持ち主だったなんて」
「・・・・・・」
「なんでそうなるのよっ!?」
「研究者達にはいい実験材料になるってだけだ。もちろん人体実験なんて違法だから、影からあちこち狙われるだろうな」
「そうならないためにも、ハルヒの身元は絶対にばれちゃいけないし、その上で身分の保証と衣食住、研究施設、資料は確保しなくちゃいけないんだ」
衣食住の確保だけなら簡単に解決できるような気もするが春陽の場合、それに加えて“界渡”の研究が欠かせない。しかも春陽はキースとアシュレイという王族や行政に影響を及ぼすことも可能な守護者と断罪者のオマケつきなのだ、そうそう簡単にいくはずがないのは然るべきだった。
「・・・・・・」
いつのまにか話が難しくなっている――主に春陽が原因で。
「だからね、最初に打ち合わせをしておこうかと思うんだ」
いいね、と春陽のためを思って問いかけてくるアシュレイに否やと言えるはずもなく、いったいこれからどうなるんだという不安を抱えるしかなかった。
朝の肌寒い空気を切って南へと真珠色の巨体が空を翔ける。巨大な体躯を浮かべるに相応しい翼は力強く羽ばたき、その背に乗る春陽とアシュレイには驚くほど振動がない。
アシュレイに手を借りてクレアの背に乗ったはいいが、思ったよりも高くて不安定なために、どうしても支えてくれるアシュレイに寄りかかって自然と密着してしまう。春陽が恥ずかしがって体を少しでも離そうとしても、当のアシュレイは全くそんな素振もみせず、むしろ危ないからと逆にしっかりと体を抱きこまれてしまった。
そのままクレアを飛ばすとこの森から真っ直ぐ南へ、目的地であるイストニア城へと向かう。
「イストニア城へ行こうと思う」
瓦礫に腰をおろしたキースがポツリとこぼす。
――難しい立場になる春陽が安全に暮らせる場所――
「・・・・・・そうですね、あそこは王都からも離れていますし、簡単に情報が漏れない」
「ああ、お前も特区に入っているということは、侯爵に会ったんだろう?」
「さすがに特区に指定された場所に、ズケズケと入り込むわけにはいきませんでしたから」
「だとすると、侯爵は知っているわけだ。断罪者と守護者が森にいることを」
「逆に侯爵しか知りませんね」
「・・・・・・」
二人同時に顔に浮かべた笑みはどちらも秀麗なのに、どこか見るものに悪寒を抱かせる。意地の悪そうな笑みと、ニコニコと対照的な笑みを浮かべながら楽しそうに会話を続けている。これから巻き込まれるだろう、見ず知らずの“侯爵”とやらに春陽は心底同情をおぼえる。
森での二人の様子を思い出してしまった春陽はフルリと身震いを起こしてしまった。
「寒いですか?」
体を密着させていたぶん敏感に春陽の様子に気付いたアシュレイは、纏っていたマントに春陽を包み込む。腕はお腹の前でがっちりと組まれて、最初よりも密着度が増してしまった。
上空で二人っきり、それも美形の青年と体を密着させた上空でだ。虚弱体質で入退院を繰り返していた春陽にとって男女経験は無く、年頃の少女としては意識しないではいられない状態だ。
「聞いてもいい?」
ふと、思いついたことをアシュレイに聞いてみる。この密着した状態から少しでも意識をそらしたいという思いが多分を占めていたが。
「なんでしょう?」
風を切る音が耳に響くなかでもはっきりと柔らかい声がとどく。
「キースはなんで一緒に来なかったの?クレアにはもう一人くらい乗っても平気そうだけど・・・・・・」
「後始末です」
なんの、とは聞かなかった。あの森の状況で後始末といえば気絶した男達以外には思い当たらない。
「森での一件はネイカーの仕事でしたからね、犯罪者の確保や騎士団への説明など対応が山積みです。まあ彼なら遅くとも二日以内には追いつくでしょう」
「二日? ここからイストニア城まではどれくらいで着くの?」
「クレアなら今日の昼過ぎには着く距離です。ネイカーは馬で来たでしょうから、それなりに時間はかかります。彼一人であれば二日かからずにイストニア城まで着くでしょうし」
クレアの背からはすでに森は小さく映る。
「・・・・・・大丈夫かな」
それはキースに向けたようにも、春陽自身に向けたようにも取れる言葉だったが、アシュレイは迷わず後者だと判断した。
「私がついています、心配はいりません」
視線の先はまだ見えぬ目的地を見据えていたから。
侯爵の協力を得なければいけないだけに春陽の緊張は高まっている。もしも“界渡”をしたとバレれば春陽は研究・実験の格好の対象になるのだ、恐怖感を抱くなというほうが無理なのだ。アシュレイはそんな春陽の不安を感じていたが、アシュレイ自身はなんの心配もしていなかった。
侯爵は良くも悪くも事なかれ主義であり、守護者や断罪者が関わる案件には手を出さないだろうし、ましてや敵対しようなどとは思わないだろう。それもあってイストニア城を選んだのだが、城という単語にかえって春陽が畏縮してしまっている。
キースとアシュレイがどこかに匿ってもいいのだが、それだと“界渡”を調べながら春陽の警護と監視を常にするのは難しくなってしまう。誰かの目が常に届くところでなくてはならないのだ、そうなると場所は狭まっていくものだ。そのなかで好条件をもった場所がイストニア城だった、侯爵も決して愚かではない。
いまはイストニアへ行くしかない、それが分かっているから春陽も反対しないのだろう。だからせめて春陽のもつ不安を少しでも和らげたくて、春陽の前に組んだ腕に力を込めた。
――大丈夫――
思いが伝わるように。
「さあ、ここからは急ぎますからね。しっかり摑まっていてください」
その言葉とともにクレアの速度がぐんと増した。
ここからイストニアまで数時間、叩きつけられる風で目を開けるのも辛いなか必死にアシュレイにしがみついた結果、酷い筋肉痛に襲われるのはまた別の話だった。
次回から第一章に入ります。応援よろしくおねがいします!