空の落とし者
だいぶ長くなってしまいました。読むのが大変かも知れませんが、お付き合いください。
誤字・脱字ありましたら報告ください。
――ああ、どうしてこんな状況になったのか――
青年は目の前の状況をどう解釈すればいいのか考えていた。
自らが持つのは片刃の刀。
その鈍い銀色の刃の切っ先は、一人の子供へ向けられている。
突然降ってきた子供は驚愕からか、大きな漆黒の瞳が零れそうなほど目を見開いて座り込んでいる。
その子供は文字通り空から降ってきた。
――さて、どうするか――
**********
春。それは生命の始まりの季節。
冬を越え、待ちわびていたかのように生命は活発に活動し始める。
植物も生物も全ての生き物が春の暖かい日差しを待ちわびる。
咽るような濃い緑の匂いにロランは顔をしかめた。
いつも表情のない彼にしては珍しく、その顔には不快感がありありと浮き出ている。
彼らはいまイストニアから北のエーダ山脈の袂に広がる、ウィダの森にある遺跡へ向かい進軍していた。
ラザルード侯がイストニアの城で聖殿への対応に追われるなか、クナートは討伐計画のために砦に集められていた騎士団を無断で進軍させたのは一昨日になる。
中央の街から城壁の外におかれた砦までは、馬で一日はかかるのを見越してのことだった。ラザルード侯が進軍を知ったころには騎士団はウィダの森のなかだ。
ロナンは空を仰ぎ見た。太陽は中天に射しかかろうとしている。このまま進軍すれば最初の予定通り日暮れ前には遺跡にたどり着けるだろう。そして夜明け前が作戦決行の時間だ。
ちらりと視線だけで後方を見やれば、他の騎士たちに護られるようにしてクナートが馬を進めている。騎士にしては弛んだ体が馬上で揺れている様は見苦しい。ろくに鍛錬もしていない体では馬での進軍は辛いだろうに、意気揚々として馬を進めているのは、これからの自分の武勲でも想像しているのだろう。
――ラザルード侯からの命令を無視して只で済むはずがないのに――
最近めっぽう強くなる一方の陽射しを受けながら、ロナンはこれからのことを考えた。
既に前を向いたその瞳には、もうクナートは映っていない。
未だ見えない遺跡を見据え、再び溜息をこぼした。
**********
イストニア中央都市カルドーニャの城の中を壮年の男が足早に歩いていた。
クナートが勝手に騎士たちを動かしたことは厳罰ものだが、決して予想できないことではなかった。その為の対策もとっていた。
このウィダの遺跡での賊の討伐では森でエーテルが異常値を示したことや、聖殿の年寄りたちの連盟で中止の嘆願をよこされたりと面倒続きだった。
これで面倒は打ち止めだろうと、やっと息をついたばかりだったのに。
――嫌な予感がする――
「なぜイストニアへ来られたのか」
ひとり愚痴ながらラザルードは考えていた。先ほど兵士から来客を告げられたが、俄かには信じられない人物だ。賊の討伐で浮き足立っているイストニアへ、わざわざ騎竜で来るほど火急の用件があるとは思えない。
この忙しいときに、と舌打ちしたくなるのを抑え客室への扉をあけた。
上品な赤い絨毯が敷き詰めたれたその部屋は、客人の中でも上級客用の客室だ。調度品も家具も上質ではあるが華美すぎず、上品に整えられている。
その部屋の中央に置かれた白いソファーに一人の若い男が座っている。
ラザルードが部屋に入ると、男は優雅な動作でゆっくりとソファーから腰をあげて振り返る。
その姿は貴族然としておりラザルードが想像していた姿とは大分違っていた。
「ラザルード侯爵に於かれましてはお初にお目にかかります」
男は浅く頭を下げるとラザルード侯がソファーに腰をかけるのを待ってから言葉を発した。
「私は聖都イースにて守護者を務めております、アシュレイ・ハーネットと申します。以後お見知りおきください」
最初とは違い、今度は深く頭をさげる。
一つ一つの動作はやはり優雅で、あの男もそうだが荒事に従事しているようには見えない。
ふと最近知った一人の男のことを思い出した。
目の前の若い男も一見すると優男にみえても、その実力はそうではないのだろう。
それはこの男の役職から分かる。
「お初にお目にかかる。私がラザルード家が当主カルロス・ランカスター・ラザルードだ」
建前の口上は終わりだ。
「どうぞ掛けてください。守護者様にそう畏まられると、かえって緊張してしまう」
そういってソファーを指すとアシュレイは礼を言って腰をおろした。
先ほどから衣擦れの音さえ、耳を凝らさなければ聞こえないのは単にアシュレイの技量あってのものだろう。
「本日は唐突な訪問にも関わらず、お忙しい時間を割いていただき真に感謝しております」
それまでの品のいい笑顔が意味ありげに表情を変える。
改まって謝辞を述べているでけのようにも聞こえるが、それだけではないのだろう。このイストニアに賊が潜んでいることも、その討伐作戦において問題が生じていることも知った上で言っていて皮肉を言ったのだ。
なかなかにイイ性格をしているようだ。
「守護者様がいらっしゃったとあらば、ベッドのなかにいても来ないわけにはいかないでしょう?」
返す言葉にも皮肉を込めて完璧な笑顔をつくる。
どこにいても、何をしていても、どんな状態にあろうとも守護者の対応は最優先事項になる。それを上回るのは王族・上級神官くらいの地位にある者くらいだ。
つまりは忙しいことが分かってるなら来るんじゃねぇ!と言に含めたのだ。
「それだと私はタイミングの悪い間男ではありませんか。私はそのような間が抜けたことはいたしませんので、どうぞご安心なさってください」
ダメだ。いけしゃあしゃあとした態度に、ラザルードは肩眉を器用にあげた。
これ以上嫌味を言っても、同じようにかわされて終わりだろう。だったら早いところ用件を済ませてお帰り願った方が建設的だと思考を切り替える。これ以上精神的負荷を増やしてたまるか!と。
「そうしましょう。それで本日のご用件を伺いたいのですが」
そう言った侯爵にアシュレイは満足そうな顔で応える。
「ここから北に行くとエーダ山脈の麓にウィダという森がありますね?」
「森に潜む賊のことでしたら、騎士団が既に討伐に向かっております」
今この時にラザルードの下に来るのだから、ある程度の予想はできる。あの森には賊が潜んでいて、今まさに討伐が行われようとしているのだ。その賊が聖殿に何らかの重大な被害をもたらそうとしていたのなら、大げさではあるが守護者が出てきてもおかしくはない。
そんなところに当たりをつけて存外に、もうじき討伐されるのだから守護者が赴く必要はないと告げる。
まぁ、それでも生存者の引渡しなどは要求されるかもしれないが、そこはあの男がうまくやるだろう。
「騎士団が戻るまでお待ちいただくことにはなりますが――」
「いえ、それには及びません」
頭を振りながら、ラザルードの言葉を遠慮しがちにさえぎる。守護者の目的は正確には賊ではないのだから。
「私が侯爵にお願いしたいのはただ一つだけです」
侯爵の視線での問いに、相も変らぬ笑顔で言い切る。
「ウィダの森に入る許可をいただきたい。今あの森は結界が張られていて、特別立入禁止区域に相当していますので」
ニッコリと笑顔でさらりとトンでも発言をしたアシュレイに、今度こそ驚愕に大きく目を見開いたラザルードは声がなかった。
**********
ウィダの森。
遺跡を囲むようにして配置された騎士団は、夜明け前の薄闇の中で遺跡の様子を伺っていた。
深夜のうちから松明も炊かずに移動し、あとは発光弾を合図に遺跡に潜む賊を討ち取るだけだった。
石造りの神殿だったであろうそこは、あちこちが崩れ落ちており原形を保っていられるのが不思議なくらいだ。現に大昔に倒壊したであろう小塔からは大きな桜の木が生えている。。
ピリピリした空気が騎士たちの間を流れる。
誰かがヒュッと吸い込んだときだった。
遺跡の正面側、つまりは南から低く大きな打ち上げ音が連発すると同時に、騎士たちの雄たけびが森に響いた。
照明弾が遺跡一帯を明るく照らし出す。
イストール第二騎士団総勢五十名。率いるはクナート師団長。
対する賊も同程度の人数は揃っているものの、日々訓練に明け暮れている騎士たちに敵うはずもない。
異変に気付いた賊たちが死にもの狂いで襲い掛かってくるも、簡単にいなされ、逆に致命傷もしくは重症を負わされ倒れふしていく。
最初こそは同程度の人数同士がぶつかり合い、拮抗したかにみえたが、その戦力差は僅かな時間が経過しただけで如実になる。
「そっちに逃げたぞ!!」
「一人も逃すなぁ!」
男達の叫ぶ声が森に響く。
金属同士がぶつかる不快音。
追う者の声があれば逃げる者の悲鳴も聞こえる。
「幹部達は生け捕りにしろ!! できるだけ殺すな!」
後方の出来るだけ安全な場所から命令を出すのは、騎士団を指揮するクナートだ。
その傍らに控えているはずの男がいない。確か照明弾を打ち上げる時まではいたはずだ。照明弾を上げたのはロランだから間違いない。
ロランは騎士にしては珍しく、魔法も使えた。照明弾の打ち上げも彼自らが志願したのだ。そのロランの姿が先程から見当たらなかった。
本来補佐という立場なら、常にクナートから着かず離れず傍にいなければならない。しかしクナートは傍にいないロナンのことなどもはや頭にはなかった。
作戦の成功はもう目前まで迫っている。いけ好かない副官の存在など気にしていられなかった。
連れてきた騎士団だけでは相性が悪い術師の相手はきついかとも思ったが、三流だけだったのか今のところ魔法による被害は起こっていない。何もかもが恐ろしいほど順調だ。
クナートはこの瞬間も信じて疑わなかった。
仮にも精々五十人程度でアストレア国に混乱をもたらそうとしていたのだ。
本気で国家に抵抗しようとするなら、このような少勢であるはずがない。
アストレアの王都でさえ、この組織は不穏な噂が実しやかに囁かれている。その組織がアストレア国の地方騎士団程度相手に、簡単に引けをとっていることに何の疑問も覚えない。それがバロ・カストル・クナートだった。
クナートでなくとも気付けた者がいたかどうか。
それはとても巧妙に隠され、操作された情報。
この場にいる騎士たち全員が真実だと思っている虚実。
突然現れた守護者を除けば、知っているのは侯爵ともう一人だけだった。
次々に捕縛される上位幹部たちにクナートの顔はますます皴を深めるクナートが、幹部達の怨差の声を少しでも聞いていたら話は違ってくるのかもしれない。
――魔法さえ使えれば!!
その声はクナートにはもはや負け惜しみにしか聞こえない。
だから気付かなかった。
男がエーテルを集めだしていても何の疑問にも思わなかった。
それが騎士団で唯一、魔法の才を持った男だったのだから。
**********
――予想通りだな――
ウィダの森における討伐作戦はロランの想定した通りになっている。
術師達を中心とした組織ということは以前からの調査で分かっていた。それならば、得意とする魔法を使えないようにしてしまえば、騎士団にとって取るに足らない相手だ。
場を制圧しようとする騎士たちを脇目に、ロランは戦闘には加わらず遺跡のなかへ足を踏み入れた。
石造りの屋根や壁は所々崩れてはいるが、賊が根城にしていただけあって雨風はしっかりと防げるようだ。古に存在した聖女の縁の教会だったのだろう。正面にある大きな窓はガラスは全て割れて、その形跡もないが、石造りの祭壇と祭っている聖女のレリーフ像が残っている。
ロランでなければ感じないだろう、微弱な魔力が祭壇にある。他にも五ヶ所、ここから遠い場所で僅かな魔力連鎖が感じられる。人が発する魔力とは異なることから、結晶石だろう。この遺跡の結晶石を中心にしている。
エーテルに対して高い耐久度を誇る結晶石なら、魔力を溜め込ませ何らかの術発動の触媒とすることが可能だ。実際に各国の王都は結晶石の力を用いて結界を張っている。
問題なのは高い魔力伝導率を誇る結晶石が、国家を貶めようとしている賊が発動しようとしている魔法の中心核を担っていることだ。この魔法が発動されればアストレア王国は甚大な被害を被ることになる。
ロランの目的は最初からこの結晶石の破壊もしくは回収にあった。
だから魔法を使えないようにウィダの森を結界で囲い、魔法を使えないようにもした。
これで面倒なこの仕事からやっと解放される、そう思いながら結晶石に手を伸ばしたときだった。
後ろから狂ったような男の声が聞こえたのは。
「お前かぁ!! お前が魔法を使えなくしたのか!?」
遺跡の扉を勢いよく開け放ちながら、目の窪んだ壮年の男がズカズカと、その瞳をロランから離さずに入ってくる。
「二十年だ! この計画の為に二十年を費やした!! 今更お前みたいな若造に邪魔されてたまるものかぁ!!」
目を血走らせ腰に挿した剣を抜いて襲い掛かってくる男を、面倒くさそうに見やる。
男の剣が目前まで迫るが、それがロランに届くことはなかった。
見えない何かに阻まれるようにして、男の剣はそれ以上進むことはなかった。
「無駄だ。ムーラ・シュトラール」
言葉と共に冷たい視線が男を凍らせたように動けなくした。
「・・・な、なぜ、その名を」
「今はギゼルと名乗っていたな。調べただけだ。お前は危険思想の持ち主として、数年前からマークしていたからな」
「・・・っな! 馬鹿な!! 数年前からだとっ!? そんなハズはっ!!」
何かに気付いてハッとする。
「貴様、まさかっっ!?」
驚愕に目を見開いた男にロランは意味深な笑みを浮かべるだけだ。
「もと貴族だった貴様が罪を犯し、一族郎党国外追放となったのは自業自得だ。それを逆恨みしてアストレアの国民を危機に陥らせたことは重罪だ。今度はその首を覚悟してもらう」
呆然とする男の前で、ロランは魔方陣の上に置いてある結晶石を手にした。
「・・・もう遅い」
それを見ていた男がボソリと呟いた。言葉は力なく小さかったが、ロランの耳にはしっかりと届いた。
不吉な予感がロランを襲う。
「もう遅い」
フフフ、と壊れたように笑う男はもはや正気には見えない。復讐の妄念に囚われ、理性を失った男は一体なにをしでかすか分からない。
「・・・どういうことだ」
底冷えのする低い声は殺気を纏い、眉間に刻まれた皴が《しわ》一段と深くなる。
「ふふ、その結晶石はね、遠隔魔法を触媒するために置いてあったんだよ」
「そんなものは見れば分かる。この結晶石を中心に、他にも五ヶ所に連動の魔方陣と結晶石がおかれている。その合計六つの結晶石の力を魔方陣で方向付けして魔法を放つよう仕組まれていた。だが核のこの結晶石がなければ魔法は発動しないはずだ。違うか?」
「さすがだねぇ。だけど正解は半分だ」
ニタリと口の端を不気味に歪ませる。いかにも可笑しいといったような貌をして。
「一つ、良いことを教えてやる」
狂気を帯びた瞳で。
「その中核の結晶石には、ちょっとした仕掛けがしてあるんだよ」
ゆっくりと動く唇は勝ち誇ったように狂喜を滲ませて。
「僕がイストニア騎士団の動きに気付かなかったと思うかい? もちろん気付いていたさ。だが所詮騎士ではいくら強くても術師には勝てない。君が騎士団を隠れ蓑にしたのは僕を油断させるためだったんだろう? 確かにそれは成功したよ、おかげで僕の計画はめちゃくちゃだ。ねぇ、死神の一員さん?」
「・・・なにが言いたい」
「君は優秀だ、その歳で“死神”に仲間入りするだけはある。だけど君は僕を知らない。僕はね、性格が悪いんだよ。この上なくね。命を賭けたこの計画が失敗したら、邪魔した奴らを皆殺しにしたいと思うくらいにはね」
「・・・貴様、いったい何をした!!」
「ふふ。“した”のは君だよ。その魔方陣はちょっと特殊でね、僕のオリジナルで表裏一体型の魔方陣なんだよ。その祭壇の裏にもう一つ魔方陣がある。表の結晶石は裏の魔方陣の鍵となっていて、どちらか一方がもう一方の魔方陣を押さえているんだ」
男の言葉を聴いて、手の中の結晶石が重さをグンと増したような気がする。
――『“した”のは君だよ』――
「表の魔方陣と結晶石は魔法を遠隔地に向けて発動するためのもの。じゃあその逆は何だと思う? 優秀な若き“死神”さん」
この上なく愉快だとでもいうような貌をして、楽しそうに話す男を見ていると胸糞が悪くなってくる。
「貴様は確かこう言ったな。『邪魔をした奴らを皆殺しにしたい』と。そして表の魔方陣は結晶石を媒介に“外”へ向けて魔力を放つものだ、とも。ならば裏の魔方陣は外へ向かうはずだったその魔力を、陣の中心であるこの森で遊爆させるのか。その様子では魔法封じの結界は無意味なんだろう?」
「本当に察しがいいねぇ、若き“死神”は。ご推察の通りさ、さっきも言っただろう? 特殊な魔方陣だと。その魔方陣は正確には魔法ではない。結晶石に溜められた魔力を中心に空気中に漂うエーテルを集めて収縮させ、一気に爆発させるものだ」
「なるほど。確かに魔力に変換されていないエーテルに対して魔封結界では効果は無い、か?」
文字通り、邪魔した者達を道連れに自爆するつもりか。
「僕が十年以上かけて開発した術を僅かな時間で理解してしまうとは、恐ろしい頭脳だね。“死神”と恐れられるはずだ。さあ、君が発動した魔法だ。もう魔力が集まり始めているぞ! 君に止められるかい? それとも君一人だけ無様にここから逃げ出すかい!! それもいい、君の実力なら、君一人くらい簡単に逃げられるだろう!! そうだ、無様に尻尾を巻いてにげっ――」
「みくびるな!!」
男の狂声はロランの怒りに満ちた鋭い声によって遮られた。ビリビリと空気をも震えさせる声からは、刺すような鋭い殺気が溢れている。
「みくびるなよ、ムーラ・シュトラール。断罪者は如何なる犯罪者にも屈せず、如何なる犯罪をも赦さない」
無感情に冷めるような瞳の奥には、怒りに何もかもを燃やしつくす苛烈なる蒼き炎を宿している。
「断罪者を嘗めるな!!」
ムーラ・シュトラールはその言葉を最期に意識を失った。
一瞬でムーラとの距離を縮めたロランに剣の鞘で顎を下から強打されたのだ。
顎を強打され、のけぞった上半身に回し蹴りを喰らったムーラは、そのまま壁に激突し動かない。
これでしばらくは起き上がることは無いだろうと、ロランは踵を返した。
発動された魔法を止めるために。
**********
遺跡の外では未だに戦闘が行われていたが、騎士団が優勢なことは明らかだ。
ロランが戦闘に加われば、すぐにでも決着はつくだろう。だがそれは状況が許さない。
上空を見上げればムーラが言った通り、遺跡の真上でエーテルが凄まじい勢いで収縮していく。ものの三十分もあれば、このウィダの森一つが軽く吹き飛ぶくらいの量が集まる。
「不味いな」
思ったよりも悪い状況に舌打がでる。
ここには騎士団を含め百人あまりがいる。それに加え周りは戦闘の最中で、エーテル爆弾に集中できる状況ではない。
「・・・・・・一旦ここにいる連中全員気絶させた方が早いか?」
本気でそんな物騒なことを考えた時だった。
「ロラン!! 貴様そんなところで何をしている!油を売ってないでさっさと賊どもをひっ捕らえろ!!」
――私の出世の為にとっとと働かんかいっ!――
そんな副声音がハッキリ聞こえる。
今回の仕事が面倒だと感じる八割くらいをクナートが占めている。己の出世しか頭に無い自己中心的な考えも、後先考えずに行動するところも、身分を弁えない愚かさも何から何まで癇に障る男だ。
(今この男に構っている余裕はないな)
クナートの命令をさらりと無視すると、周囲の戦闘を終わらせるために手にエーテルを集めだす。
奇しくもムーラが考案したエーテル爆弾の魔方陣は、ロランが魔封結界のなかで戦闘する際に好んで使用する術と構想が基本的に同じものだ。エーテルを魔力に変換しないままに操る。だからウィダの森に魔封結界が敷かれるなかで、ロランは発光弾を打ち上げることができた。
だから上空に集まりつつあるエーテル爆弾に対応できないとは思っていないし、なんとかする自信もある。あとは時間との勝負になる。
「おい! 聞いているのか!?」
ロランが動こうとしないのをみるとクナートはヅカヅカと怒鳴りながら近づいてくる。
今は手に集まったエーテルのコントロールに集中したい。下手をして手元を狂わせれば一環の終りなのだ。針の穴を通すような繊細なこの作業が狂えば、逆にロランの集めたエーテルが引き金になって上空のエーテル爆弾を遊爆させかねない。
「それ以上近づくな」
腰に佩いていた刀を片手で抜き、クナートにむけて突きつける。
「今は貴様に割いている時間などない」
「っな、なんだと!? 立場を弁えろ! 私は上官だぞ!!」
顔を茹蛸のごとく真っ赤にさせ、つばを撒き散らしながら怒鳴る。
「・・・煩い、死にたいのか? 俺の邪魔をすればここにいる連中全員死ぬことになるぞ」
「頭がイカれたのか!? お前如きが何故そんなことを言える!! でたらめを言うな!」
言葉が通じないとは思っていたが空気も読めないとは。これ以上うっとおしく騒がれるとうっかり殺してしまいたくなる。気持ちを落ち着けようと息を吐く。
まずはこの男を黙らせなければならないらしい。
「手を貸そうか?」
そんなときだった。クスクスと笑う呑気な緩い声が聞こえたのは。
クナートも驚いたらしく声のした方を見ている。
白い詰襟の軍服のような服に、同じく白いマントが風にたなびいている。
その服には青紫の糸と金の糸の刺繍がされている。
――糸が刻むは茨に囲まれた盾――
守護者の紋章だ。
「私は守護者のアシュレイ・ハーネットといいます。ちょっと野暮用でね。近くにいたんですが、手は必要ないですか?」
桜の枝に座った若い男がこちらを楽しそうに眺めている。
守護者なら上空の異常なエーテルの集まりに気付かないハズがない。余裕の態度は何とかなると確信しているということか。
「・・・ガ、ガーディアンっ!? なぜこの森に・・・」
自体が完全に飲み込めていないクナートは、口をパクパクと開けたり閉めたりしている。
確かに聖殿や聖地の守護を生業とする守護者が、何を目的にこの森にいるのかは分からないが・・・。
「・・・自分から手を貸すと言ったんだ。遠慮なく使うぞ?」
「ロラン!! 貴様! 守護者に対し何たる物言いだ!! 無礼だぞ!」
相も変わらず空気を読めていない。
守護者が手を貸すという事態をどう解釈して、優先順位が“無礼”になるのか全く持って理解できない。まずは事態の把握が先だろう!? と言いたくなる。
「貴方はこの騎士団の責任者のクナート卿ですね?」
ウンザリした目をクナートに向けていると、守護者が確認するように彼に話しかけた。なにか楽しいことを思いついたとでも言いそうな貌で。
「そうであります! 私がこのっ――」
「うん、それはどうでもいいから」
「は?」
「さっきから聞いているけど、無礼なのはクナート卿、貴方ですよ?」
「はい? 私が何か――」
“何かしましたでしょうか?”という言葉はまたもや守護者によって遮られる。
「貴方が偉そうに命令しているそこの彼ですが・・・・」
「ロラン?」
「彼は断罪者の一員ですよ?」
「・・・ま、ま、まさ、か、そんなことは」
「しかも“色持ち”の一人だ」
守護者は口角をにやりと持ち上げる。悪魔が甘い誘惑で獲物を誘うときのように。
「無礼なのは貴方でしょう?」
優しい笑みを浮かべた。
凍てつくような冷たい色をした瞳で。
**********
「おい」
ロランは何とも言えない情けない顔をしたクナートは綺麗さっぱりと無視することに決めて、手伝うとかぬかしたくせに未だに悠々と桜の木の枝に腰をおろしたままの男に目を向けた。
「手を貸すつもりなら、さっさとしろ。時間がないんだ」
「せっかちですね、わかりましたよ」
肩を竦めて桜の枝から跳び降りる。流石とでもいおうか、その身のこなしから高い実力が伺える。
「で? いったい私は何をしたらいいんですか」
「この周りをなんとかしてくれ。煩くて集中できない」
そんなことを言っている間にも、賊の残党を蹴散らすロランは嫌気がさした顔をしている。
確かに周囲がこれだけ騒がしければ、エーテルのコントロールに集中できない。
エーテルのコントロールは出来る、現にロランは大量のエーテルをその左手に集めている。だがそのスピードが思うように上げられない、その苛立ちが僅かに表情にもでている。
「静かにすればいいんですね?」
「・・・・・・殺すなよ」
「わかっています、失礼ですね」
殺さないとは言っているが、騎士団と賊の入り乱れた混戦を見て面倒そうに顔をしかめたのをロランは見逃さなかった。ただ無力化すればいいところを殺されたんじゃたまらない。
「しかしこの数は確かに面倒なんですよね。騎士団も一緒に昏倒させても構わないですかね」
「なっ!!」
「好きにしろ。殺しさえしなければ問題ない」
この問答に物言いたそうにするクナートも、先ほどまでのように邪魔しようとはしない。ロランに対してではなく、守護者がいるからだろうが。顔が不満だと言っているが、脇でぎゃあぎゃあ騒がれないだけで充分だ。クナートの存在は無視。完全無視の方向でいくことを瞬時に決めたロランは、エーテル爆弾を阻止することだけに集中する。
エーテルは世界に存在する第五元素で、エネルギーの塊だ。そのエネルギーは伝説上に存在する世界樹から発生し、世界に流れ出ている。
魔法を使う者たちはこのエーテルを取り込み、魔力として変換することで魔法事象を起こす。
エーテル自体を魔法として扱うには非常に燃費が悪く、一つの事象を起このに通常魔法の五倍以上のエーテルを要すことになる。ただ五倍のエーテルを集めて魔法事象を起こしても、通常魔法よりも威力が落ちる上に魔法維持が極端に短い。これらのことからエーテルを直接魔法に変換することは不可能とされていた。
大気の流れが変わるのを感じる。大気の流れといっても、その中に含まれるエーテルの流れを感じたのだが。氾濫する寸前で溢れんばかりの水が、堰を切ったかのごとき勢いで流れ集まるエーテルの先には瞼を閉じて集中する青年がいた。
アシュレイは先ほどまでとは比較にならないほどの速さでエーテルを集めるロランを感心して見ていた。
エーテルを大量に、それも高い密度で集めているせいか、ロランは蜃気楼のなかにいるように姿が滲んで見える。これほどまでにエーテルを集められるのであれば、魔法変換した場合の威力は相当凄まじいものになる。
――伊達に“色持ち”ではないということか――
若くして実力者ぞろいの断罪者に入るだけはある。
断罪者は国家犯罪級の事件ばかりを相手取る、荒事のなかでも対戦闘に関して高い実力を要する存在だ。
その特殊性は守護者と双璧を誇る。守護者が護りに特化した存在ならば、断罪者は攻撃に特化した存在。守護者が聖の“盾”ならば断罪者は国の“剣”だ。
――“死神”――
犯罪者がその姿をみたが最後、二度と日の目を見ることは無いことから彼ら断罪者を指して呼ばれるようになった。
その“名”を背負う資格は充分なようだ。
「ロラン、でしたか?恐ろしいまでの圧縮力ですね。そのエーテルをどうするつもりですか」
慄き逃げる人間を全て一撃で倒し、男達のムサイ悲鳴をバックサウンドにしながらロランに話しかける。恐るべき速さで騎士団も賊も無力化して行く様は、とても護りを専門とするようには到底みえない。
護りが得意とはいえ、守護者の実力は、そこら辺の者が太刀打ちできるようなものではないのだ。
「この集めたエーテルを凝縮して四方に飛ばす」
それはムーラ・シュトラールが考えたエーテル爆弾の構想を逆に利用したものだ。
「そのときに上空のエーテルを四散させて遊爆させる。いくら上空のエーテルが多くて凝縮していようとも、元々のエーテルの性質を考えれば大した爆発にはならない」
「もっともですね。本来エーテルの魔法事象の力は全くといっていいほどに無いですからね」
「ああ、この凝縮さえ散せることだけ考えればいい」
「簡単そうにいいますね。そんな事簡単に行えるのはそうそういないでしょうに。この爆弾の開発者の誤算はエーテルで事象変換を行える人間がいたことでしょうね。私も初めて見ました」
そう言ったアシュレイは既に百人近い人数を昏倒させたようだ。
手で誇りを払いながら、クナートとロランのいる方へ近づいてくる。
この場で意識があるのはロランとアシュレイ、それに何故か倒されなかったクナートの三人だけで周りはシンと静まり返っている。
「一体どうやっているんです?」
「機密事項だ」
「まぁ、そうでしょうね」
そんなことを言い合う二人を化け物でも見るかのようにクナートは脅えていた。
なんなんだ!
なんなんだこの二人は!
イストニアの騎士を含めた百人近い人数をものの数分で倒した守護者もそうだが、その守護者と対等に話している自分の補佐だったはずの男が信じられなかった。
真っ青になりながらも訳が分からず戸惑うことしか出来ない。
二人につられて空を見上げれば雲が渦巻き、上空からはチリチリと圧力がかかる。
なにが起きているんだ!!
クナートがロランを見ればそこにいるのかも怪しいくらい存在はぼやけているのに、そこから放たれる圧力は上空のものに匹敵する。
自分はその圧力に動けずにいるのに守護者は平然と自分の脇を通り過ぎる。あたかもクナートなどいないかのように。
「そろそろ不味いのでは?」
そういって指で空を指す。
「わかってる。上のエーテルまでとはいかないがそれなりの量を扱うんだ、集中させろ。直に終わる」
(それなり、ねえ?これが?)
そう突っ込みたいのは何もアシュレイだけではないだろう。
そう思うくらいのエーテルがはち切れんばかりに収縮されていく。
時間は無い。
後数分でこの森の上にできたエーテル爆弾は完成する。
切迫した状況なのにアシュレイは確信していた。
この若き“色持ち”の断罪者が必ず成功することを。
後は時間との勝負だ。
**********
ドォォォン
大気も地面も揺らす大きな爆音が辺り一帯に鳴り響く。
ロランが手を天にむけて翳した後だった。ロランから大量に放出されたエーテルは予定通り上空に凝縮されていたエーテルを引きつけながら四方に散ると、それぞれ中規模の爆発を起こした。
そこまでは確かに予定通りだった。
再び急速にエーテルが集まりだすまでは。
異常なまでに多く濃いエーテルは、まるでそこに蜃気楼でもおきているかの如く世界を歪ませてみせる。
「なっ!? どうなっている! エーテルは完全に霧散したハズだ」
予想外の事態に驚くロランとは違い、何かを考えるように俯いて顎に手を当てていた。
「・・・・・・これは、もしかしたら君の担当とは違うかもしれない」
「どういうことだ?」
何か知っているのかと訝しげに問えば、アシュレイは憶測でしかないがと続けた。
「私は月読様の星読みを聞いてここに来ました。東の地で何かが起こる、と」
アシュレイを見て守護者のなかでも決してその地位は低くないことは分かってはいたが、まさか聖殿の星読みの姫の命だったとは。
世界にたった一人しかいない星読みの姫は天空都市イースでも滅多に表に出ることは無く、聖都で大切に秘される存在だ。その月読の側近ということは、守護者でもトップクラスの実力者ということだ。
「掻い摘んで説明しろ。時間が惜しい」
少しでも情報が欲しかった。この状況に対応できるだけの。
「分かりました。ここ数週間でこの森のエーテル値が異常だったのは知っていますね?」
「ああ、聖殿からも散々圧力をかけられたからな。この森にいま手を出すな、と」
「そうですか。私は東の地でこの森の異変を知りました。賊が潜んだ影響も考えていましたが、月読様の事もありましたし、様子を見にきたんです。今こうなっているということは違ったんでしょう。この森自体に異変が起こっているんではないですか?」
「・・・・・・詳しくは分からない、か」
アシュレイ自信も他に有益な情報は持っていないようだ。つまりは月読でさえ読めないことがこの森で起きようとしている。
空を見れば、さっきよりも規模は小さいものの、エーテルの収縮率は遥かに先程のものを上回っている。
「これじゃ間に合わないな」
同じように霧散することは出来ない。
(……ならどうする?)
何が起きても直ぐに対応できるように臨戦態勢をとる。みればアシュレイも同じように臨戦態勢をとっている。
何が起こるかは誰にもわからない。
緊張しながらその瞬間をまった。
収縮が一気に弾ける瞬間を。
――ドォォォン――
雷が落ちる音に似た轟音が空気を震わせながら森中に響く。
森の木々は渦を巻くようにして叩きつけられた凶暴な風になぎ倒され、エーテルは白い光となってまっすぐに地上に降りそそいだ。
視界は一面白く染まり何も見えない。
体を襲うエーテルの重い圧力はやっとのことで膝を折らずに耐える。息もまともに吐けない状態を必死で凌いでいると、次第に光は収束していく。
収束していく白光は、最後にクナートの頭上近く完全に消滅する。
――何も起こらない?――
そんな思考が二人の青年の頭をよぎった瞬間だった。
「...きゃぁぁぁ」
「っぐえっっ!!」
グシャっという鈍い音と一緒に、高いそんな叫び声が同時に聞こえた。
クナートの存在など頭の片隅程度にしか残っていなかったロランも、抜刀しながらクナートがいたハズの場所を勢いよく振り向いた。
「……は?」
己の剣の先にはクナートを潰して座り込む子供がいた。
白目を剥いたクナートを余所に、珍しい黒髪と黒目をした子供は痛そうにお尻を押さえて悶絶している。
(子供?)
ひとしきり痛みを堪え終えたのだろう。子供がその顔を上げる。
自分に刃が向けられていることに気付くと、大きな瞳をそれ以上無いくらいに見開いた。
瞳がこぼれ落ちそうだと思っていると、子供が躊躇いがちに口を開いた。
「……誰?」
「……」
ぜひともこっちが聞きたい。
――お前は何者だ――
月読でも読めぬ厄災でも起こるのかと思えばただの子供。いや。あの状況で降ってくるのだから、ただの子供ではないのかもしれないが。不安に揺れる瞳をみれば、普通の子供だ。
剣を向けて問い詰めるようなことは出来ないし、何者だと、そんなことは言えなくなってしまった。
――どうする――
状況も理解できないまま頭を痛めるしかなかった。
細かい所を修正させていただきました。内容は全く変わっていませんので悪しからずご了承ください。