さて、行ってみようか
お久びりです。書きかけで残っていたものを投稿しました。初めましての方もよろしければ読んでみてください。
「いい度胸をしているようね? それとも図太いのかしら」
冷め切った声に春陽は気まずいまま、何の返事も出来ない。
「どちらにせよ流石は鬼畜と評判高いキース・ネイカー付きとでも言いましょうか。まさか何時間も放置されようとは……逆に人生初の経験をさせていただいたことに、わたくしはお礼を言うべきなのかしら?」
「めっそうもございません、本っっっ当にすみませんでした。ゴメンナサイ、オ許シクダサイ」
可愛らしい小鳥に両手を床について真正面から土下座する春陽は、端から見れば随分と奇怪に映ることだろう。本人がいたって本気であるから尚更だ。
「あら、気にすることはなくてよ? パメルニアが側にいたんですものね、どうしようもなかったんですものね?」
一転して優しげな声を出したマリアンヌに、やっと怒りを納めてくれたのかと安堵したが――甘かった。
「例えそれがハルがうっかり大声を出してしまっただとか、何かを隠すように寝室に駆け込んだのが原因だとしても、気にする必要は全然ないのよ?」
優しい声音でも、小鳥の向こう側で背景に猛吹雪を背負って笑顔で微笑んでいるマリアンヌが目に浮かぶ。それはもう鮮明すぎるほどに。
「だからホラ、そんな溝鼠のように蹲ってないで顔を上げてくださいな。そのような格好は鬼畜将軍と恐れられているキース・ネイカーの付き人には、到底似合いませんわよ?」
言葉に毒針でも仕込んでいるのでしょうか、心に傷跡が残りそうですと、春陽は本気で涙ぐみ始めた。
「……もうホント、勘弁してください。時間もないので」
「それでは仕方がないわね、イビリはこれくらいにして本題にはいりましょうか」
マリアンヌのあまりに堂々としたイビリ発言にゲンナリせずにはいられない。肩を落とす春陽に構わずにマリアンヌ――もとい小鳥は続けた。
「本題はわかっているわね? 一日待ちましたわ、答えを聞きましょうか」
「はい、僕を連れて行ってください」
そう告げた春陽の言葉に迷いはなかった。
**********
春陽が焦るなかあっさりと接触してみせたマリアンヌに、きっぱりと答えを返すまでは良かった。
この取引が成立するのはいい、春陽も望んだことだ。だが問題が他にもあったのだ、春陽は今までそれを忘れていた。
「あの、マリアンヌ様――」
「マリーでいいですわ」
「では、マリー様。先日も言ったとは思いますが、僕、はユマラ医師の許しなしに外に出ることはできません」
「それはハルがこの部屋に閉じこもっているのと関係あるのかしら」
「はい。部屋の中で安静にしている分にはなんの問題もありませんが、この城内を移動するだけでも何時倒れるか分かりません。城下となれば尚更です」
「……元気そうに見えるけれど」
「最近は割りと体調がいいだけです。僕の身体は、少しでも無理をすれば簡単に動けなくなる欠陥品なんですよ」
自嘲気味に吐き捨てた。この身体で自由に動き回ることなど、命がけだとしても到底無理なことだった。死んで終り、それが春陽の身体だ。
「それが本当ならば、わたくしが持ちかけた取引は無理でしょう。どういう事ですの?」
「そのことで、マリー様にはお願いがあります」
「言ってごらんなさい、わたくしに出来ることなら可能な限りは協力しましょう」
微妙だ。頼もしい言葉ではあるが、可愛らしい小鳥に言われると少し頼りない。
「ユマラ医師がもっているはずの腕輪を盗ってきてください。その腕輪があれば問題ありません」
「医師長の腕輪ねぇ……特徴は?」
「えっと、鈍い銀色で、腕輪全体に模様が刻まれています。確か……陣、って言っていました。あとは紅い石が内側にはめ込まれています!」
「医師長の腕輪……模様。赤い、石?」
「日常生活をこなせるようにユマラ医師が造ってくれました。それを手に入れてください、お願いします」
小鳥に向かって勢いよく春陽は頭を下げた。世間一般での土下座だ。頭を下げてもマリアンヌに見えているかは分からないが、それでも何も出来ないなりに誠意を見せたかった。
「……わかりましたわ。なんとか致しましょう」
目の前の小鳥がとんでもなく頼りに見えた瞬間だ。もはや春陽の目にはキラキラと後光が差してさえいる。当の小鳥は溜息まじりだったにも関わらずに。
「あっ! でも、もうすぐアシュレイが帰ってくる予定なんで、その前になんとかしてもらえますか?」
アシュレイの優しい眼差しを思い出しながら言った。
イストニアでの生活に慣れることに精一杯だった春陽は、もはやアシュレイが守護者だとは頭のなかからスッポリと、奇麗サッパリ抜け落ちている。
キースが国家犯罪級の犯罪者を取り締まっていることは、出会った時の印象が強すぎて忘れられない。しかし会話の流れで出てきた守護者というアシュレイの立場は、はっきりと言えば聞き流していたのだ。しかしほんのわずかな時間しか接点はなかったが、キースと対等に言葉を交わしていたのだから、かなり優秀だと春陽は感じていた。
そのアシュレイが帰ってくる。
春陽のそばに戻れば、マリアンヌとの取引は無駄なものになるだろう。そんな思いを込めて言った一言だった。
「……誰です、それは?」
マリアンヌは仮にも領主の一人娘に、ずうずうしくも“早く盗≪と≫ってこい”などとぬかした春陽に一言物申したいところではあったが、今一番重要な事を聞いた。
「あれ、知りませんでしたか?」
当然のようにアシュレイを知っているものと思っていた春陽は、アシュレイが去る前に用意しておいた
設定を思い出した。
「えっと、キースと一緒にイストニアに来る客将の一人です。急用とかで中央に一度戻っているんですが、そろそろ戻ってくる頃なんですよ。僕はアシュレイの付き人も兼任するように言われてるので、彼が戻ってくると僕の時間はまず間違いなく無くなるでしょう」
「初耳ですわ……というかなぜそれを早く言わないの!? 時間がないと言いましたけれど、あとどれくらいでイストニアに戻ってきますの!?」
「さあ、数日中だとは思いますけど?」
「……実に頭の痛いお話ですこと」
ガックリとうな垂れる小鳥に不謹慎にも可愛さに萌える内心を隠して、とりあえず謝っておく。何事にも簡単に頭を下げてしまうのは面倒ごとを避ける日本人の習性だ。
「すみません」
「では早いに越したことはありませんわね……いいでしょう、その腕輪はわたくしが二日以内にはなんとかいたしますので、ミュゼに降りるのはその翌日にしましょう。腕輪は手に入れ次第でハルに届けますわ、その時に抜け出す計画も話します」
そこでいったん言葉をきると、一層声を低めた。
「くれぐれも、このことがキース・ネイカーに気取られぬよう注意なさい」
そうして黄色い小鳥は来たときと同じように、窓から颯爽と飛び立っていった。
そしてきっちり二日後、春陽の部屋の窓辺には見覚えのある腕輪がポツンと置かれていたのだった。
*****
昔々、それは美しいと評判のお姫様がいました。
金色に輝く髪と新緑の瞳を持ち、誰からも愛されて幸せに育ちました。素直で愛くるしいお姫様は、いつしか様々な人に結婚を申し込まれるようになりましいた。
貴族の御曹司や、王子様、英雄と名高い騎士など、地位と名誉を自身を併せもった男性達。
傾国ともいえる美しさをもったお姫様は皆に愛され、護られ、苦労することもなく幸せに暮らしていた。
結婚も決まり、幸せに暮らしていたお姫様の日常はある日一変してしまいした。
幸せなお姫様を悲劇が襲ったのです。
お姫様の結婚相手に片思いしていた貴族の令嬢が、失恋のあまりとある禁忌を犯してしまう。
それは魔女との取引。禁忌の呪術を魔女から与えられるかわり、娘の魂は未来永劫と神の祝福を受けることはない。
魔女は笑った。愚かな娘だと。
輪廻を超えて未来永劫と神から見放されるということを理解できない、愚かな娘。現世だけにとどまらず呪われた魂は、転生してもなお人間として生まれ変わることは愚か、生き物として底辺を生きることを強いられるだろう。
魂は傷つき、擦り切れ、やがてはこの世に存在することさえ叶わなくなる。
転生するたび磨耗する魂は、その消滅のときまでただひたすら弱り傷つくことしかできない。消滅するためだけに生かされる魂の、なんと惨めで憐れなこと。
長いようで短い現世での一生の、ほんの一瞬でしかない“今”のために、愚かな選択を選んだ娘。人間とはかくも愚かなものだ。
「……それで? どうなったんですか」
春陽はゴクリと息をのむ。
色恋の為にそこまで己を犠牲にできるのかは今の春陽にはわからなかったが、話の前後から察するにかなり悲惨な結末が予想できる。
「その娘が己の魂をかけて手に入れた禁忌の呪術によって、お姫様の顔は見るも無残な醜い顔に変わってしまったの。それまでの美しい姫の顔を親しんでいた者たちは、みんな姫の側を離れていってしまったわ。当然よね、美しいお姫様が好きだったんですもの」
「……顔」
「そう、人間顔がいいことに越したことはなくてよ。まぁ、それ以降お姫様は毎日を嘆き悲しんで、一人泣いて過ごしました」
「悲惨すぎますね」
「泣き続けたお姫様は、やがて自分を醜い顔に変えてしまった娘を恨み、離れていった婚約者や親を恨み、この世の全てを恨みながら自ら命を絶ってしまいました……その死に顔を見た者は漏れなく不幸になったという曰くを残して」
思わずフルリと肩を震わせた春陽に気分を良くしたのか、語り部――マリアンヌ――はニヤリと優雅に凶悪な笑みを浮かべた。
「それ以降、恨みを晴らせずに死んだお姫様は美しい娘を見つけては、自分と同じような醜い顔に変えては呪い殺してしまうそうよ。彼女を視た者もその身にあらゆる災いが降りかかると言われていますわ。敢えていうなれば変死、怪死、奇病、気がふれる等など、何でもござれですわね」
ガタゴトと揺れる馬車のなかで、鳥肌を立てながら春陽は青い顔をしていた。
流石は貴族が使う馬車とも言うべきか、揺れはさほど苦にならない。しかしそれ以上に春陽の精神力がごっそりと大幅に削られている。
折角にも城の外に出ているのに、流れる馬車からの景色など目に入ろうはずもない。
ユマラお手製の術陣付き腕輪がなければ、精神的興奮又は状態異常で寝込んでいても可笑しくないと春陽は自己分析している。
「あらあら、そうやって脅えている姿もなかなか様になっていましてよ? そのお洋服も準備した甲斐があったというものです」
マリアンヌはクスクスと笑う。春陽が顔を顰めていることにも気が付いていない。
「似合うと言われても喜べません」
濃紺のスカートからでる足がスウスウする。
「あら、可愛いと褒めて差しあげていますのに。褒められたら素直に喜んでおきなさいな」
見慣れない栗色の髪が顔にかかる。邪魔で何度も耳にかけているのに、俯く度に顔に垂れてくる。加えて言うならば、技術が低いせいか頭が非常に蒸れるのだ。
「嬉しくもない褒め言葉を頂いても喜べません」
キッとマリアンヌを睨む春陽の今の格好は、この世界ではありふれた栗色になっており、濃紺のロングスカートに白いエプロンという侍女服を身に着けていた。
ただでさえ普段から男装ているのに、さらに女装するという珍妙な状況だ。
もとから女である春陽にとって女物の服が似合うのは当然と言えば当然である。むしろマリアンヌ視点にしてみれば男にしては女装が似合うと言っているのであり、決して女としての春陽を褒めているわけではない。
これで素直に喜べと言われても、喜べるはずがない。
「あら、そんなに落ち込むことはありませんわ。将来有望な可愛い顔をしていると思いますわよ?」
本気とも冗談とも分からないことを言って笑っている。
「本当に、可愛らしいこと……」
――あの、キース・ネイカ―の従者とは思えないほどに――
「え?」
「何でもありませんわ」
一瞬の細められた眼光と、心の内に留められた言葉は春陽には届くことはなかった。
誤字脱字ありましたら申し訳ありません。