取引
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寝台の住人に逆戻りして数日、春陽はいつもの如くうつらうつらと暖かい陽ざしにまどろむという午後を過ごしていた。
それというのも呪文を唱えるだけで魔法が発動してしまうという――それも大火力ならぬ大魔力で――、この世界の住人には考えられない非常識極まりない存在である春陽が、なにかの切欠で魔法を暴走させないためにと、魔力還元のもとであった腕輪をキースに没収されてしまったためだ。
腕輪によって健康そのものな身体を保っていた春陽は、もちろん地球に居た頃と同じく絶対安静を言いつけられてしまった。
昼間はいい遊び相手になっていた幼竜も、二匹一緒ではまたなにを仕出かすか分かった物じゃないと、王都に強制送還してしまった――愛情深い竜種の親が子供と離されているストレスから、王都が壊滅の危機にさらされていると緊急連絡が入ったことが主な原因だったりするのだが。
去り際に何度も鼻で鳴く姿は、何度思い返してみても胸が締め付けられる――もちろん胸キュンだ。
退屈になった春陽はセフィロスの言語文字習得のため、子供用の絵本や簡単な本を読むようにしていた。もちろん反則くさい発音表と睨めっこしながらだが。
最初こそ目を離さないで一日中付きっ切りだったパメラは、春陽が無理をしないことに満足しているのかここ数日は側を離れることも少なくはない。キースも色々と忙しいのは相変わらずのようで、朝に一度顔を合わせる以外には姿を現すこともない。
おかげで春陽はのんびりと部屋で過ごすことができていた、のだが嵐というものは得てして突然にやって来るものである。この場合は嵐の前の静けさだったとでも言うべきか、春陽は無防備なところへ突然の襲撃を受けることとなっていた。
「なんですか、このちんちくりんは! ここは“ハル”の部屋のはずです、こんな子供が何故居るのですか!?」
寝台に半身を起こした春陽を認めて闖入者が言い放った第一声がこれである。
――“ちんちくりん”――
初対面の人間に向かっての暴言に近い言葉には、自称温厚を自負する春陽もさすがにムッとした。よりにもよって“ちんちくりん”とはまさに春陽の逆鱗のど真ん中を射抜くために存在するかのような言葉である。
どこにいったのと、部屋中を、それこそソファーの陰や寝台の下までも探す侵入者は春陽の様子になどかまう様子はまるでない。突然の女の奇行に唖然としていた春陽だったが、ハッと我に返ればフツフツと怒りが湧いてくる。
「……いきなり他人の部屋に押しかけてきてきて何なんですか、貴女は! あげくにちんちくりんとは失礼すぎやしませんか!?」
今まさにクローゼットの中をのぞいていた女は、そこに春陽がいたことを思い出したようだ。ゆっくりと振り返った女は、どこか見覚えのあるような顔つきをしていた。
「失礼でもなんでもないわ、だって君はハルの関係者でしょう? いいえ、この部屋に居るんですから間違いないはずですわ! いったい何処に隠したんですの、あの泥棒猫を!!」
「はぁ!? 泥棒猫ぉ?」
思わず素っ頓狂な声をあげた春陽を気にも止めずに女は続ける。
「せっかくパメルニアが居ない隙をつきましたのに、いるのがちんちくりんだけなんて認められると思います? お父様やパメルニアの目を盗むのにどれだけ骨を折ったことか……!! あれがいけませんでした、素直に直球でハルに会わせてくださいなんて言わなければ、監視されることも部屋に半軟禁状態にされることもなかったんですわ!! パメルニアなどあろうことか睡眠薬まで盛るなんて、私を一体なんだと思っているのかしら!?」
キーっと地団太を踏みながら女は今までの苦渋を語る。ハンカチをかみ締めたらすっごく似合いそうだなどと、春陽が思っていることなど露も知らずに。
「そんなこと言われたって僕には関係ないよ。この部屋には限られた人間しか入れないってのに、無茶しようとするからでしょ? なにを誤解しているかわらないけど、ちんちくりんだの泥棒猫だのと言いがかりを付けられる覚えは無いので、どうかお引取り願います」
「君にこそ私を追い出す権利なんてないでしょう、ここはハルの部屋ですもの、小間使いが客人を追い出すことが出来ると思って?」
最初から敵意満載で押しかけ一方的に数々の暴言を吐いた女は、勝ち誇った顔で春陽に言い返した。喧嘩腰の態度を改める気配もない女に、春陽は止めを刺すつもりで最後の切り札を出す――城の主である権力者の名前を。
「どこまでも失礼な人ですね! この部屋の主はこの僕です、貴女を追い出す権利くらいはあります。大体なにを勘違いしているのかは知りませんが、あくまで城の客人である僕にこれ以上変な言いがかりを付けるようなら侯爵に報告することになりますからね!?」
「言えるものなら言ってみなさいな。君は知らないようだから教えてあげましょう、その侯爵は私の父親ですわ」
勢いに任せた二人の応酬に決定的な違和感が生じた瞬間であった。売り言葉に買い言葉、かたや頭に地がのぼって冷静な判断力を欠き、かたや不躾な態度に怒りを覚えての喧嘩腰の態度である。食い違いに食い違った二人の会話は、まともな会話にすらなるはずが無かった――この瞬間までは。
なんでも頂点に達すれば後は下がるだけ――ようやく二人は正常に頭が回り始めた。
「……は?」
「……え?」
「……」
「……」
互いに目を見開いた状態で見詰め合う様は、端から見れば奇妙にも間抜けにも見えるが幸いにしてそれを指摘する者はいなかった。
**********
「改めて自己紹介をしましょうか、私はラザルード侯爵が第一子マリアンヌ・ベルナ・ラザルードと申します。気軽にマリーと呼んでくださいな」
そう言った女は、もはや春陽の部屋に侵入してきたときとは打って変わって笑顔だ。
「……ハル・シノミヤです。ラザルード侯爵にはお世話になってます」
若干口元が引きつったかもしれないが春陽はなんとか同じように笑顔でかえせた、ような気がした。
「それはお父様に仰ってください、喜ぶと思いますわ」
うふふと、顔をほころばせながら話す様は先程までとは別人で、人はここまで変わるものなのかと春陽は一種の感心を覚えた。
「それに私には礼など不要です。勘違だったとはいえ、頭に血がのぼって酷いことを言ってしまいました。周りが見えなくなるのは悪い癖だと、お父様にもよく注意されているのですが……なかなか直せなくて。本当にごめんなさいね」
困ったようにはにかむ姿は淑女そのもの。
「……イイエ」
(……こわいわ、二面性)
「それにしても、どうしてハルは部屋からでないんですの? それとも部屋から出れないほど体の加減が悪いのかしら」
「え?」
「私が言うのもなんですけれど、ここ数日は一歩も外はおろか部屋からも出ていないようでしたから。 あ、何で知ってるかと言いますと、お父様を誑かした女を追い出してやろうと部屋を連日見張っていたからに過ぎないので気になさらないでね」
春陽の戸惑いを感じたのか朗らかに説明したマリアンヌだったが、その内容はマリアンヌの執念を如実に示していた。
「そ、そうなんですか」
(だからコワイって、この人! ストーカーか!!)
「加えるならハルはあのキース・ネイカーの従者なのでしょう? 寝る間も削るほど忙しい彼に従者であるハルが付かずに部屋に閉じこもっているんだもの、疑問に思うのは当然だわ。不自然ですもの。だから動けないほどに具合が悪いのかとも思いましたが、差し当たってあなたは元気そうにも見えますし……まあ体の線が細いのは気になりますが。聞くところによるとあのユマラ医師長に診ていただいたようですし、今は回復したように見えているだけに過ぎないのかもしれませんけれど」
なぜ部屋に閉じこもっているんです? と、最後に付け加えた。
的確な状況判断に春陽は内心舌を巻いた。
怒気が完全に消え去ったいま、ふっくらとした顔の線からは穏やかそうな印象を受けるが、なかなかに頭の回転が速いらしい。僅かな情報から春陽の状態を的確に突いてくる。
「はい、ユマラ先生から絶対安静を言いつけられているので。ここ最近は安静にしていたお陰か大分体調も回復してきましたが、部屋からは出ないようにと念を押されてます」
嘘ではない。
春陽の体力は徐々にだが改善の兆しを見せており、部屋で過ごす分には問題ないだろうとユマラからお墨付きをもらっていた。だが一般的な日常生活が出来るかといえば無理だ、腕輪が無い今の春陽にとっては地球に居た頃となんら変わらない脆弱な身体なのだから。
ただ実際はこれ以上の面倒ごとを避けたいキースやラザルードの思惑が大分絡んでの半軟禁状態だったが、春陽にとっては日常的すぎる日常だっためなんの疑問も持たずにいた。
「まあ、そんなところに押しかけてしまったのね。ますます悪いことをしたわ」
「それは、もういいんです。誤解もあったことだし……それよりも、その、キースはそんなに忙しいんですか?」
寝る間も惜しんでいるという言葉が俄かには信じられない。確かに忙しそうにしてはいるが、朝は一緒に食事を取っているし、キース自身にも疲れた様子など感じられなかった。
「ええ、休む暇もないようですわ。彼がクナート卿の抜けた穴を埋めて下さっていることには感謝していますが、今は仕事に忙殺されてしまっていると聞いています……更迭した側としては心苦しいですが、彼以上に適任がいないのが現状ですの」
多少粘着質かもしれないが、申し訳なさそうに謝る姿は悪い種類の人間にはみえない。
そもそも春陽に対しての不躾な態度も、父親が愛人を囲っていると誤解した故の行動だ。過激とも取れる行動や言葉は父と母を想ってのことだと、春陽もマリアンヌに対する認識をやや上向きに改善しようとした。
「使える人材は親でも使わないと、ね」
改善、しようとしたのだが、同意を求めるように語りかけられれば思い直さざるを得ない。
ラザルードをもってして、女にしておくには勿体無いほどに理性的で合理的に物事を考えると言わしめた理由がこれであった。親兄弟であろうとも必要とあれば遠慮なく顎で使うのである、感情的で控えめに育てられる――表向きだが――貴族の女性としてマリアンヌはまさに貴族令嬢として規格外であった。
ラザルードの寛容な性格もあったが、だからこそマリアンヌはイストニアでその手腕を振るうことを許されたのだ。直情的な所が多少の欠点ではあったが、それを有り余る能力をマリアンヌは持っていた。
でなければ幾ら親馬鹿で、それこそ目に入れても痛くないほど可愛がっている娘であろうと、ラザルードはマリアンヌを行政に関わらせることはしなかった。
そんな事情を知るはずも無く、春陽はマリアンヌにキースやアシュレイと同様の黒さを感じていた――できれば必要以上にお近づきにはなりたくない類の人種であると。
「あら、ごめんなさい、随分とつまらない話になってしまったわ。つまらなかったでしょう」
「……いえ、参考になる話ばかりでした」
「そう? まあいいわ。それで話は変わるけれど……ハル、私と取引する気はなくて?」
多少の不安を抱きながらも、これ以上ラザルードの娘をないがしろにするわけにもいかない。
なにしろ春陽にはラザルードに一宿一飯どころか、今現在において衣食住はもちろん、その他もろもろの介護付きで世話になっている身である。
「僕と取引してもマリアンヌ様の得には――」
「ハル」
ニッコリとした笑顔に相応しい声色だったが春陽の言葉を遮るには十分であり、有無を有無を言わせぬ強さがあった。
「なにが得になるかは、私が判断するわ。それに断るにしても、私の話を聞いてからでも遅くはないでしょう。これは君にとって決して悪い話ではないはずだもの」
「……う、でも」
マリアンヌが持ちかけてきた取引の内容はまだ知らない。だが聞いてしまったが最後、断ることなどできない気がする。だからこそ先手を打って断ろうとしたにもかかわらず、逆に先手をとられてしまった。
「ハルはイストニアに来てからまだ一度も城を出たこともないのでしょう? 城下におりてみたいとは思わない?」
「それは……行ってみたいとは思います。でもキースやユマラ先生が許すとは思えません」
「だから、取引しましょうといっているの」
そしてニッコリと微笑んだあとマリアンヌは諭すように言った。
「それに部屋に閉じこもってばかりでは、逆に病気になってしまうわ。気分転換も必要でしょう?」
人間を甘く誘惑する悪魔のように、春陽の抗えない欲望を煽るように、優しく、綺麗に笑った。
「私が出して差し上げますわ」
春陽には「さあ取引しましょうか」と迫るマリアンヌを拒むことなどできなかった。
**********
春陽は一人悩んでいた。
というのも突然に嵐のように来て去っていったマリアンヌに持ちかけられた“取引”についてであった。
『簡単な取引よ、私が君を城下に連れ出して差し上げます』
『それで、僕はなにをすればいいんですか?』
『城下で私の用事に少しだけ、付き合ってもらいますわ。それが条件です』
ニッコリと『ほら、簡単でしょう?』とマリアンヌは言った。
そう、なにも悩むことなどないはずだ。
春陽は退屈な生活からちょっとだけ、ほんのちょっとだけ息抜きに行くだけだ。それがマリアンヌの用事とやらに付き合うだけで叶えられる。
『少し考えさせてください』
なぜそんな事を言ってしまったのか春陽にもよくわからなかった。マリアンヌの話に嘘がないとすれば春陽にとって損になることなどない。
ラザルードの娘というからには信用できる人間に違いないだろう。冷静さを取り戻したマリアンヌと話してみた印象でも、春陽をどうこうしようとしているようには思えなかった。
誤解がとけてからというもの、それまで春陽に向けられていた敵意は奇麗サッパリと消えて、優しくなったと言えば聞こえはいいが気持ちが悪いほど馴れ馴れしくなったのだ。
多少胡散臭いと思っても仕方がない。
よって即答できなかった自分が悪いのではないと、春陽は頭の中で何度も繰り返した。
『いいわ、一日だけ待ちましょう』
マリアンヌも即答しなかった春陽を責めはしなかった。
『でも一日だけですわ、それ以上は待ちません。この話は当然なかったことにするので悪しからず』
待てない、ではなく待たないと言い切ったマリアンヌは、やはりと言うか抜け目がなかった。
この一言で春陽の立場が一方的に弱くなってしまった。あくまで春陽はチャンスを与えられる立場であって、与える立場ではないということ。
春陽にとってこの取引は魅力的なものであることを十分理解し、その上でマリアンヌの取引相手は春陽でなくともいいと示してきた。頭がいい上に、なにをどうすれば自分の得になるかを知っている女性だ。 マリアンヌが待ちかけてきた取引で彼女が損をすることなど有り得ないのだろう。
そうなれば春陽の出す答えは決まっている、はずなのだが。
「旨すぎるんだよな~、話が……」
こんな旨い話がごろごろと転がっているはずがない。
「でもな~、外、出てみたいし……」
カーティスと見たミュゼの街並みは、中世のヨーロッパを彷彿とさせる美しい街だった。塔からの眺めは抜群で、その光景は今でも春陽の胸に鮮烈に焼きついて離れない。
自分の体調は全く考慮に入れていないが、大丈夫だろうと確信めいたものを春陽は感じていた。
長年苦しんできたがそのぶん付き合いも長い身体だ、自身の体調は手に取るようにわかる。ここ数日じっくりと身体を休めたおかげか、腕輪を嵌めたときの状態には遠く及ばないものの調子はいい。
「キースは出してくれる気もなさそうだし……アシュレイがいれば別なんだろうけど、いつ戻ってくるかわからないしな~」
アシュレイが聖都に戻ってからそろそろ二週間になる。アシュレイからなんの連絡もないまま過ぎようとしていた二週間は、思いのほか早く感じる。
それもこれも春陽が騒動を起こしたり気絶したりなど、キース曰く厄介事を起こしていたからなのだが。
慌ただしい日々でよかったと、不本意ながら春陽は心底そう思う。
切り離された故郷に帰るには短くても三年の月日が要るという現実は、春陽を押しつぶしてしまいそうに圧し掛かった。だがそれを感じたのも最初の数日だけだった。
なにせまともに出歩けなかった身体は腕輪をしているとき限定の仮初とはいえ、健全な身体を持つことができた。
余命まで宣告された春陽にとって、これ以上ない奇跡的な体験である。学校へ行っても周りの子供達と同じように行動できるはずもなく、友達など一人もできなかった。
なんど思ったことか――普通になりたい、と。
毎日学校に通い、勉強して、同年代の少女達と何気ない会話を楽しむ。ときには喧嘩して、それでも仲直りして、恋の内緒話をする、そんなありきたりな日常が春陽は欲しかった。
望んではいけないと思っていた。
望めば悲しむ人たちがいるから。
悲しませたくない人達だから。
それは春陽を縛る鎖であり、春陽が縛る鎖だ。優しい、優しいその鎖を断ち切ることなど出来ないし、切ろうとも思わなかった。
それが初めて春陽のなかで揺らぐ。
初めて自身で選ぶことの出来る選択肢に、春陽のなかで押し殺されていた何気ない望みが湧き上がった。置かれた状況に戸惑うと同時に笑いたくなった。
今までは望んでも叶うことなどない、望むだけ儚い夢でしかなった。だがいま春陽のただ儚いだけの夢は、春陽が望めば手に入る現実のものとなっている。
健康な身体を手に入れても、春陽の唯一の人たちはこの世界にはいない。ここは春陽の生きる世界でもない。
――三年――
三年だ。長いとも短いともいえないこの時間だけが、虚しい現実の夢が現実でいられる。
春陽の幸せはこの世界にないのだから。
「はっ、はは」
乾いた笑いが静かな部屋に漏れる。
夢から覚めれば、ただ虚しいだけだ。
それなのに。
それでも、虚しいだけだとしても、仮初でもいいと、望む自分が可笑しかった。
「なんだ、答えはもうでてるじゃない……」
なんの気兼ねもなく、誰の監視もない、春陽の思うままに行動できる“日常”を味わいたい。
大多数の人間にとってささやかどころか当たり前ともいえる願いに、春陽は抗うことが出来なかった。
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