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その正体は

お久しぶりです。長々となってしまいましたが、楽しんでいただければ幸いです。

感想・コメント待ってます。気軽に送ってください。

 ラザルードは宰相からの突然の連絡に驚いていた。侯爵家とはいえ、アストレア王国の端に位置するイストニアに火急の事件などあろうはずもなく、社交界の時期でもなければ王都に近づくこともないラザルードにとって宰相からの用件など見当もつかない。それも怒鳴り込み同然の問い合わせなど、される覚えがない。

 どうにも嫌な予感しかしないが、こともあろうに宰相を前にしてトンズラをかますことなどできない。嫌で嫌で伝鏡の間に向かう足取りは重くなったが、致し方ない。

 領地を持つ伯爵家以上の城、もしくは屋敷には、王都から直通で連絡が取れるように必ず設置を義務付けられる“伝鏡の間”。買えば小さな城一つは建てられるその鏡を叩き割りたいと思ったのは初めてだ。王都に足を運ばなくなって久しい。その扉もいつ以来だったか、久々に握ったが、やけに冷たく重く感じた。

 身体中に纏わりつく不安を振り切るように、一気にその扉を押し開けたのだった。



     ***************



「仕方ないだろう? これでも我ながら最善の方法だったと思うぞ」

 しれっと、なにが問題なんだとでも言いたげなキースに、ラザルードは目眩を感じずにはいられなかった。この若き断罪者ジャッジメントが今回の騒動でなにも気付かなかったとは、キースを知る者が聞けば誰もが否定したであろう。気付かぬはずがないと。

「そこには本来であればと、注釈がつくのでしょう?」

 答える気がないのか、ラザルードを振り回して遊んでいるのかは分からないが、ここは根気強く粘るしかないだろう――もちろんキースが本当のことを話すまで。

「本来も何も、こんな騒動が頻繁に起こってたまるか。これは非常事態だし、契約がうまくいったんだから問題ないだろう? これ以上の結果にはならないんだから」

「そうはいかないのが今回であることはネイカー殿なら重々承知でしょう。ハルの状態から送還も契約の解消もできなければ、召喚獣を殺せなかったのもわかりますけど。本来ならば致し方なしと、むしろネイカー殿の言うとおりその状況では最善だったとも言えます。しかし今回だけは当てはまらない」

「はぁ、俺は傷一つつけてないんだぞ? 善処もした。少しは俺の苦労も報われたいものだ。アレを殺すことはおろか傷つけないで意識を奪うことが、どれだけ面倒なことか判って言っているのか?」

 あの竜はまだ幼い。むしろ赤子に近いと言っても過言ではないほどだ。最高位に属する種族を相手取るはめになったキースがついた隙は、その幼さによる経験不足に他ならなかった。経験値を差し引いても生まれながらにもつずば抜けた戦闘センスが、キースより圧倒的に劣るその経験をも上まわる前に決着をつけるしかなかった。

 結局としてキースがとった戦法が、体の中で最も頑丈な骨に守られ、心臓と共に生物の根幹をなす臓器、脳への攻撃だった。顎と鼻先を強打することで幼竜の脳を上下左右に揺さぶったのだ。幼竜はキースの狙い通り脳震盪を起こして気絶、当然その間に春陽は幼竜と契約を結んだ。

「やはり、正体には薄々と気付いていましたね? イストニアに身を置いているのだから、私の立場も考えてもらいたいものです」

「確証がなかった。それに確かめる時間もな」

「ではその確証とやらを差し上げます。王都から連絡がありました、可及的速やかに登城するようにと」

 恨みがましくキースを見やるが、効果の程は大して期待していない。だが一国の宰相から突然もの凄い剣幕で問いただされた身としては、気持ちの収まりがつかなかったのだ。

「……話したのか?」

「いえ、何しろ私にとっても寝耳に水だったもので、こちらから改めて連絡することにしてもらいました。もちろんネイカー殿からも詳細を報告していただきますから」

「それは構わないが、登城はハーネットが戻ってからになるだろうな。ハルのこともあるからな、近々戻るとは思うがハーネットの立場から王都行きは反対されるぞ、まず間違いなく」

「では説得するしかないでしょう、ネイカー殿が。ああ、私に説得しろとか言わないでくださいよ? 無理ですから。それと登城が遅れるにしろ、行かないにしろ私が断れると思わないでくださいね。地方を治める一侯爵ごときが口を挟める事件じゃないんですから」

 ラザルードは清々しいまでに言い切った。言い切った自分に対して誇らしささえ浮かんでいる。

 今までのどこか緊張して遠慮していたラザルードとの違いに驚いたのはキースだった。これまでとは明らかに雰囲気が違う。

「おい、性格変わってないか?」

「馴れですよ、馴れ。最初にあなたがイストニアに訪れてからというもの、問答無用で厄介事が行列をなして私を襲うものですから。正直やってられないとは思いますが、私に拒否権などありませんから。私の精神の安寧は地の果てまで遠くなったと思って諦めます。いえ、むしろ断罪者ジャッジメント守護者ガーディアン界渡かいわたりした人間が揃っていて、平穏を求めたことが間違いでした。その受け入れがたい現実さえ受け止めてしまえば、少々厄介な騒動など付録だと諦めがついたんです」

 さすがに今回の騒動はラザルードの限界許容量を超えてしまったらしい。目を細めて遠くを懐かしげに見やるラザルードは諦観どころか、やさぐれを通りこして気のない視線を窓の外へ送っている。

「ほう、これから少しは使いものになると考えていいのか?」

「……あなたはまだ私をこき使う気なんですか」

「まだ序の口だろ、こんなもの」

「激務が基本のあなた方断罪者と一緒に考えないでくださいよ。普通に生きてれば厄介事が日常茶飯事なんて珍事には遭いません」

「こんな地方領地に引きこもってりゃそうなるだろう。侯爵にもかかわらず王宮の権謀術数が嫌で逃げ出した罰じゃないのか?」

「……どこまで調べたんです」

「さあな、俺は報告書を読んだだけだからな。どこまで調べたのかは知らない」

 報告書は情報を取捨選択されているだろうことを理解したラザルードは、苦々しげに口元をゆがめるにとどめた。追求は、意味をなさない。

「そうですか……大分話が逸れてしまいましたね。ハーネット殿の説得と登城の日程はネイカー殿にお任せします。必要なものがあれば言ってください、できる限りは用意しますので」

「助かる。ところでイストニアに連絡してきたのは宰相だけか? あれの親について言ってこなかったか?」

「口の利き方を改めてくださいよ、ホントに。宰相に話すときには間違っても“あれ”だなんて言わないでくださいね? 王宮も混乱しているようだし、宰相もだいぶ気が立っているようでしたので余計な火種を撒くのだけはやめてください。キレた宰相がどんな嫌がらせをしてくるかと思うと、たまったもんじゃないんですから」

「ここの宰相は心を病んでるからな、嫌がらせくらいなら山ほど思い浮かぶだろう。カリスマ女王に仕えるのも大変なものだ、振り回されて捻くれもするか」

 苦労性の宰相を慮るならまだしも、ニヤリという音がぴったりの笑みを貼りつけた顔のキースに、ここ最近はすっかり仲良くなったお馴染みの胃痛と頭痛が同時にラザルードを襲った。

「そこまで解っているなら、頼みましたよ? 例えあなたが売りつけた喧嘩であっても、十中八九私が八つ当たりの対象にされるんですから」

「確かに今は余計な干渉はされたくないな。もともと目立たないでいるつもりだったのが、さっそく王都から目を付けられた。これ以上はマズイ、か」

 ラザルードとしては王都に目を付けられた時点でこれ以上も何もないのだが、断罪者であるキースにはまだ春陽の存在を隠したい相手が山ほどいるのだろう。それも相当性質が悪い相手限定で。

 それに関してはラザルードは門外漢もいいとこなので口出しするつもりもない。だがキースの言い方からするにラザルードの立場はほとんど考慮されないだろう。問題さえなければ相手が一国の宰相でも遠慮なく喧嘩を叩きつけると言ったも同然だ。

 これ以上この会話を続けることは危険――主にラザルードの精神的負担的に――だと、意図的に話を変えた。

「ところで、ハルには? ハルにはもう召喚獣の正体を知らせたんですか?」

「いや、まだだが知らせるしかないだろう。あれを人前に出すなと言っても、理由もなしで大人しく従う奴じゃないだろう。だったら理由を話して本人なりに注意させた方が幾らかましだ、幾らかだが。まあハルが目を覚まさないことにはどうしようもない」

 春陽は召喚契約之儀コントラクトが完成した途端、疲労と魔力切れでまたしても意識をとばしていた。ユマラが問題ないと確約したので問題ないのだろう。今はパメラが付き添っているので、目を覚ませばキースとラザルードに知らされるはずだ。

「そうですね、私もこれ以上の問題は遠慮したいものです。この城でもキャメロンの孫あたりが気づいているようでしたし」

「ルイスか、確かにこんな地方に置いておくには惜しい魔法師だったな。ルイスは見た目より慎重な性格のようだから大丈夫だろうが、城にいる他の連中は訳も分からず噂するのが大概だろう。厳重に緘口令を敷いてくれ、噂に上ること自体を避けたい。理由は召喚獣一匹を城内で見失った挙句、六柱多面型封鎖結界シス・ルーグ・シールドまで使っての大袈裟な捕り物劇は侯爵家の体面に傷をつけるから、とでも言っておけば納得するだろう」

「そんなに簡単に納得するでしょうか、幼くとも最高位の竜種を相手にしたのですよ?」

「相手は幼竜だった、しかも結界内での戦闘では幼竜は俺に一撃も与えることなくハルと契約した、あの燃費が最悪の大型結界まで使用した結果がそれだ。いいか? 最高位の幼竜なんて存在しないし、俺は王都からの一客将にすぎない、誰しもにとってそれが真実だ」

 客将とはいえ、幼竜はキースに手も足も出なかったのだ。いかにその正体が最高位の竜であろうとも、簡単に負けたようにしか見えない幼竜の実力を疑う者はあらわれないだろう、少なくともこのイストニアでは――誰もキースが断罪者の色持ちとは知らないのだから。

「あなたは、私をその一客将に負ける程度の召喚獣相手に脅え、六柱多面型結界をはらせた臆病者にしろと? その恥を隠すための緘口令だと言うのですか!?」

 真実を知る者はイストニア城でも数人しかいない。キースを断罪者と知る者ならば、今回の騒動の異常性には簡単に気づく。もしくは春陽の使った異常な魔力に気づいた者、ルイスなどの実力者も。当然緘口令を敷けば裏があることにも感づくだろう。

 だが城の大半の人間はそんな裏事情、もといラザルードの置かれた厄介な状況など省みないで、緘口令を敷いた表向きの理由を鵜呑みにする。それはラザルードにとって有りもしない恥を晒すことだ。

 実際にラザルードは臆病風に吹かれなかったのだし恥じ入ることはない。だがかといって、有りもしない恥だと堂々と開き直ることもラザルードには出来そうもなかった。

「……別に強制じゃない。侯爵が納得しなければ他の理由をつくってもいいさ」

 少し考えるように沈黙したキースに、問答無用で情けないその理由を押し付けられるのかと覚悟したラザルードだったが、返された答えは意外にもあっさりとしたものだった。その答えにホッと息を吐いたのもつかの間に、ラザルードは一気にドン底へ突き落とされた。

「ただ、俺は最も単純でそれらしい理由の例えを言ったまでだ。だがその尤もらしい理由を蹴って、他の理由をつくりたいって言うのなら一人で考えろよ? 俺はそんなものに割く時間はないからな」

「うっ! それくらい一緒に考えてくれてもいいじゃないか!?」

「断罪者にそんなことを頼むのも大分図々しいと思うぞ? 侯爵が臆病に見られたって困ることなんてないだろう、もともと奥方あっての侯爵だと世間から認識されてるんだ。今更どうなることもないだろう」

「だから! どこまで他人ひとの家庭事情を調べてあるんですか!? 冷静に人の傷抉るのは止めてもらいたい! ……地味に傷つきますから、自覚しているだけにグサッとくるんですよ、グサッと」

 こうして長い一日は幕を閉じた。春陽が巻き起こした騒動は一件落着とはいかず、新しい問題ばかりをイストニアどころかアストレア王国王都にまで撒き散らして。

 ラザルードのズドンと床にめり込むような重く暗い口調は、彼の憂鬱さをこれ以上ないほど雄弁に語っていた。これからも巻き込まれ、奔走せざるをえないことを考えれば殊更だ。

 取り敢えず目先の問題――緘口令を敷く尤もらしい理由を考えることだが――を解決するためにラザルードは頭を悩ませたのは言うまでもない。


 

     **************



「守護聖獣?」 

「そうだ。ここアストレア王国、北のユール帝国、南のティシュトリア皇国、西のゼフィロス共和国には国の象徴たる獣がいるんだ。それぞれの種族の中でも最高位にあり、王族の友として世代を越えて幾世もの時を共に歩んできた、それが守護聖獣だ」

 寝台に半身を起こした春陽が首を傾げると、革張りの椅子から見せびらかすように投げ出した長い足を組みながらキースが答えた。スラリとした体躯に見合った足といい、ただ不機嫌そうに座っているだけで様になっている。

 もともと日本人は西洋人と比べると幼く見えるが、その日本人の中でも成長不良で小っさい上に、童顔で痩せっぽっちな春陽からすれば実に羨ましい限りだ。出来ることならこんなコンプレックスを逆撫でされるだけの人間となんか関わりたくない。日本にいた時ならば決して近寄らないのだが……哀しいかな、ここは異世界。しかも不本意ながら保護者的存在だ、どうやっても避けられない。

「だから、なんでいきなりそんな話になったの? 私とは関係ないじゃない」

 キースが部屋に入ってくるなり結界のようなものを張っていたので、遠慮なく本来の話し方に戻る。結界とかじゃなかったらキースが誤解されるような行動をしたのが悪いと難癖をつける気まんまんで。

「関係大有りだ、馬鹿。俺が関係ない話をすると思うか? それもお前相手に非合理的もいいところだ」

 黙って聞いていろ、という言葉に春陽は喉まで出かけていた文句をなんとか押し殺す。

 春陽が黙っているのに満足したのか、キースは春陽の脇でスヤスヤと寝息をたてている紅色の幼竜に目を向けた。

「お前の脇で暢気に寝ているその竜の親が王都にいる。その親が今にも暴れだしそうだからと、王都まで子供を連れて来いと連絡があったんだ。もちろん召喚した人間も連れてこいとのことだ」

「王都なんだから強い人なんていっぱいいるんじゃないの? その人たちにでも抑えてもらえばいいじゃない。いくら竜でも子供がキース一人で抑えられたんだから、その親でもなんとかなるんじゃない?」

「なるはずがないな。その親ってやつがアストレアの守護聖獣なんだ、手出しできる図太い神経を持ち合わせた人間はまずいない」

「へ~、この子の親がアストレアの……って、え? えぇ!?」 

「いま言ったとおりだ、間抜けな声をだすな。親の守護聖獣様が暴れだしてでもしてみろ、四大国家の一つに数えられるアストレア王国の名誉が廃ることになる……お前、国家の威信に傷をつけて無事でいられると思うか?」

 あまりにも規模の大きな話に唖然としていれば、尚も顔を顰めたキースは不満を微塵も隠さずに続けた。

「こんな話になったのもお前が王都に行きたくないなんて言うからだろう。俺だってそんな目立つところにお前を連れて行きたくなんかない、今度はどんな騒動を引き起こすか考えただけでも頭が痛くなるんだ。誰かと違って俺は忙しいんだから、余計なことで煩わせるな」

「なによ、全部わたしが悪いってわけ!? そっちの手違いだってあるでしょ! てゆうか、ほぼその手違いのせいじゃない! 十七年間魔法とか摩訶不思議な現象がない世界で育ったの、まさか私が魔法を使えるとは思うわけないじゃない。魔法だって呪文を唱えただけで発動するとは思わなかったの!! そっちの説明不足よ」

 春陽は知らないが、魔法は呪文を唱えただけでは発動しない。まさに“まさか”の状態だったのだ。偶然の一致とユマラの手違いで起きた万が一に等しい災難だったわけだが、キースはあえて春陽の誤解を解くことはしなかった。

「こちらにも非があるのは認めよう。だがな、このままお前が迂闊な行動を避けようとしなければ、何度だって似たようなことは起きるぞ?」

 目を細めて春陽を睨むキースはいつもとは違った雰囲気だ。

「自覚しろ、お前はセフィロスでただ一人しかいない異邦の存在なんだ。元の世界とこの世界の齟齬などいくらでも出てくるだろう。それを知らないから、誰にも言われなかったからと軽んじていたら――元の世界に戻る前に、死ぬぞ?」

 何の感情も浮かばない能面のような表情は氷よりも冷たく、放たれた言葉は容赦なく春陽に突き立てられた。

 

 ――死――


 春陽が何よりも恐れているもの。

 何よりも身近にあったもの。


 死ぬつもりはない。誰だって死にたくはない。しかし死にたくないからといって死なないわけではない。死にたくないのに死んだ人間など万といるだろう。

 いつ死ぬかわからない毎日。いつもいつも恐かったのだ、死ぬことが。

 何度も逃げ出したいと思った毎日、逃げ出せない現実。

 自分を憐れんだことはないが、いつくるかもしれない限界タイムリミットに脅えていた。誰にも言えずに、ただ受け止めるしかなくて、一人で泣いた――受け止め切れなくて。 

 

 血の気が引く感覚に目眩がする。

 この世界セフィロスに来て間もないというのに、忘れかけていた。

 ここに来てからというもの、春陽の身体は回復していった。それこそ春陽が今までに経験したことがないほどに調子がよく、戸惑ったり大変だったりしたが、毎日が充実していた。

 朝に目が覚めることが楽しみだった。

 陽の光を浴びることが気持ちよかった。

 そんなささやかな、世の中の大多数の人間にとって当たり前のことが、堪らなく幸せだった。愛しかった。

 だから忘れていた。

 本当の春陽の身体は、数年もてばいいと断言された脆弱なままだということを、日常生活さえまともに送ることのできない体なのだと。

 息切れも、目眩もしない、自由に動かせるこの身体も、魔法という夢がみせてくれた幻ということを。日本に戻ってしまえば消えてしまう、なんとも脆い仮初の身体。

 無機質な白い部屋が頭を過ぎる。忘れられない、死の宣告を受けた両親の顔を。

「……死ぬわけにはいかないの。私の居場所はここじゃないもの」 

 どんなに死しかまっていない現実だろうと、春陽の帰る場所なのだ。春陽にとって何よりもかけがえのない二人が待っている場所、そこにしか春陽の居場所はない。

「ま、確かに死なれては困るな。だがそうならないように俺と、今はいないがハーネットが付いているんだ。簡単に死なすようなことはないが、お前自身が気をつけないことにはどうしようもない。せいぜい目立たず、動かず、厄介事には首を突っ込まないようにするんだな、死なないために」


 平然と春陽の鬼門をえぐっておきながら、いまだ平常心を戻せないままの春日に事も無げに守ると言ってのける。言い方は悪いがそういうことなのだろう。

 ノロノロと遅い思考を必死に働かせて考える。冗談でも優しいとか、慈悲深いとか、ましてやお人好しとは決して言えないキースが、ここまで面倒だと態度で言い切りながらも、春陽から離れない理由について。以前にも同じようなことを考えたことがあったが、あの時は考えてもしょうがないと、帰してくれると言っていたことに満足してしまった。

 だがそれではいけなかったのだと、遅まきながら気づいた。自分の身を護るためにも、無関心ではいけなかった。知らなければ、知ろうとしなければいけなかったのだ。

「なんで、なんでそこまでするの? 私はこの世界とは縁も所縁もない余所者なのに。侯爵も、ましてやキースやアシュレイが私に構う理由ってなんなの!? ほぼ無償で帰すなんて、お人好しみたいな似合わないことするはずないもの!」

 得もしれぬ寒気が春陽を襲う。なにも知らないことが恐い。知らないままでいられないことに戸惑う。

 思わず叫ぶように大声を出してしまった春陽の焦りを知ってか知らずか、キースは平然とした態度を崩す様子もない。

「死なれては困るからだ。これは完全にこちらの都合だ、お前が気にする必要はないし知る必要もない。その代わりとして大人しく目立たずに、騒ぎを起こさないことだけ約束しろ。お前は身体のことは気にせずに帰る心配だけしていればいいんだから、それくらい楽なものだろう」

「……なにそれ。本気で言ってるの!? 関係あるにきまってるじゃない! 前にも言っていたわ、目立たずにいろって。それに王都に行く事だって、私も嫌がったけど、キースだって全然乗り気じゃないじゃない。私を王都に連れて行くと問題があるんでしょう? その理由を教えてよ、何も知らないままじゃいけないんでしょう!?」

「別に隠しているわけじゃない。ただお前は知らないままでもいいと、俺とハーネットがいれば三年くらいお前の存在くらい隠しておけると判断しただけだ。どういった事情であれ、情報は制限していた。情報なんて何処から漏れるかわかったものじゃないからな……ただ、確かに状況は一変したといってもいい。だからといってお前に知らせるかどうかは俺だけじゃ判断しきれないものがあるんだ」

「それだけ、重要ってこと?」

「正直に話せば重要どころの話ではないな、危険すぎる存在だ。仕事柄、いままで危険分子はさっさと始末してきたが、お前の場合は始末する方が厄介になる。つくづく厄介な存在だよ、お前はさ」

 だから無傷で元の世界に送り帰したいんだと、キースは締めくくった。 

 キースが春陽に隠している何らかの事情さえなければ始末したのかとか、危険分子だの春陽が聞きたいことはあったが、キースはこれ以上なにも話す気はないらしく、大分逸れてしまったが本来の用件に話を戻した。

「王都に行くことは決定事項だ。ハーネットの戻り次第になるが、これだけ事態が大きくなっているからには仕方がない」

「そんな! 帰るための研究はどうなるの、まだ手付かずの状態なのに!!」

「喚くな、自分で撒いた種だろう……それに、何も悪いことばかりじゃないかもしれないぞ?」

「なによ、それ。私にとっては何よりも変える方法を調べることが最優先事項なのよ!?」

「だからだろう? 考えても見ろ、イストニアは地方にしては発展しているし、研究機関も充実している。だがな、国で一番の情報が集まるのはどこだ? 人が多いのは? 国の中枢を除いて他にはないだろう?」

「……行くっ! 絶対に手がかりでもなんでも調べてもらうからね!? そうと決まったら早速にでも準備しよう!!」

 端的に言えば、これまでの話は春陽には馴染みがないばかりか関係のない、どうでもいい話ばかりであった。だがここに来て春陽の最も望んでいることに近づけるかもしれないという話は、春陽の態度を打って変わらせるのには十分だ――それが春陽の性格を考慮した上で、キースが春陽の目の前にぶら下げた餌だったとしても。

「俺の話を聞いてなかったな? ハーネットが戻り次第だと言ったろう。ハーネットがいなければ話にもならん」 

「もうすぐでしょう! アシュレイが戻り次第、いつでも出発できるようにしておいてよね。どうせ行くしかないんでしょう?」

 にっこりと春陽が微笑むと、キースは溜息を一つだけついて踵をかえす。突然に部屋を出て行こうとするキースに慌てて声をかけるが、「いいか、くれぐれも大人しくしているんだぞ」とだけ言い置くと、そのまま出て行ってしまう。

 突然の奇行に呆然とした春陽だったが、特に気にすることもなくゆっくりと瞳を閉じた。まだ見ぬ王都へと思いをよせながら。

 暖かに差し込む日差しの中、暢気に眠る春陽には知るよしもなかった。

「勘弁しろよ、全く。まだ一月もたっていないってのに」

 部屋からでたキースが、片手で顔を覆って天を仰いでいたことを。どこまでも能天気な春陽に、先行きに不安しか抱いていないことも。

 知るよしはなかった。


 

 

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