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成功と、ヤな予感

お久しぶりです! ここ最近は急な激務によって執筆どころかパソコンを弄る余裕もないくらいに精神的に参ってました。待っていていただいた皆様には申し訳ありませんでした。いつもより誤字・脱字あるかもしれません。ご報告いただければ直ちになおします。感想・コメントも一緒にいただければ嬉しい限りです

 イストニア城内、中庭ではコソコソと身を隠しながら行動する怪しげな集団がいた。

 なにも知らない者が彼らを目にしたなら、即行で警備に差し出されていること間違いない。たとえそれが軍の一隊長であろうと、王都から呼ばれたエリート客将でも、味方からも恐れられる解析魔法師であろうとも、有無を言わさず引っ立てられるくらいには怪しかった。

 そんな怪しい彼らの視線の先には、太い木の枝に丸まって尻尾を揺らす紅の存在。

 暖かい陽ざしに負けたのか、眠そうに目を閉じている。まだ完全には眠りについていないのか、木々のさざめきや鳥の鳴き声に時折反応してかダランと垂れさがった尻尾がぷらぷら揺れている。

「よし、まだ気付かれていないな」

 キースの安堵した声が聞こえた。

 幼いとはいえ、警戒心の強い竜を相手取った負けられない鬼ごっこなのだ。春陽達一行は風下から慎重に音を立てないように近づいた。

「しかしアレが教官の言うような大物には見えませんが」

「だよね、キースの思い過ごしだと思う。だってあんなに可愛いのに」

「ハァ、可愛くないよあんなもん。油断しないでね? 子供だからこそなんだから。ハルがアレだけの魔力を注ぎ込んで召喚したんだ、間違いなく竜種のなかでも、いや召喚獣のなかでも最上位に近い存在だよ」

「アレが?」

「アレがねぇ……」

 ルイスの説明にもいまいち納得がいかないのが春陽とキースだ。魔法関係には門外漢だからだろう、いまいち緊張感に欠けている。

 それもそのはずで、実際に幼竜の姿はそこまで危険な生物には見えない。大きさも春陽が両手で抱えるほどしかないのだ。これがクレアほど大きな竜であれば危機感も湧くというものだが。

「ハルが使ったという魔力量を聞く限りだと、成獣であっても上位を呼んだろうな。だが召喚されたのは幼竜だ。その意味が、わかるか?」

「そう、あんななりしてるけどそこ等の上位種とはレベルが違うだろうね。とは言っても今は子供なわけだから成長すればの話だけど、末恐ろしいことに変わりないね」

 ルイスはキースの問いかけに補足するようにして答えた。事態ことの重要性を理解していないのが事の中心人物なのだ、それでは困る。なにせ契約を交わすのは、召喚者にしか出来ないのだから。

「それは大げさなんじゃないの? あんな可愛いチビッ子にイストニア城内の兵士総出でかかるなんて大人気ない。もっと大人の余裕ってやつを見せようよ、そろいもそろって包容力とか皆無だよね」

「暢気だなぁ、ハルは。これこそ無知のなせる業か」

「そうだ。他は知らないがオレは懐が大きい男として通ってるんだ、失礼なこと言うなよ」

「いや、カーティスのことを言ったわけじゃないから。召喚獣に対する心構えというか、そこらへんのことを――」

「うるさい、黙れ。気付かれるだろう」

 キースの睨みに、春陽だけではなくルイスとカーティスまで固まった。ギロリと音がするように睨まれたのだ、その殺傷力は計り知れない。

「それとハル、お前はそろそろフードをかぶって顔を隠せ。下手に騒がれても面倒だ」

 なにしろ城の兵士という兵士達が召喚獣を探すために借り出され、奔走していたのだ。契約をしないまま召喚獣に逃げられた間抜けな召喚者にケチをつけてくる者も出てくるだろう。春陽は存在自体が厄介なのだ、余計な面倒ごとは避けたいとキースが思うのも無理はない。

「ジオ君からも連絡来るころだしね、気を引き締めなよ?」

「わかってるよ、でも気が進まないのには変わりないから。どうしても、ね」

「ま、教官が補佐してくれるんだから大丈夫だろ」

 それが心配なんだよ、という呟きは誰の耳にも届かない。春陽にとってはキースの補佐だからこそ気が進まないのだが、それを伝える気はない。見るからに不機嫌なキースがどんなフォローをするか考えるだけでもゾッとする。

「そうだよ、ハルは僕が言ったことだけ忘れなければいいんだから。後はなんとかしてくれるって、ネイカー教官がさ」

 いたって真面目そうに話すルイスだが、その目には状況を楽しむ愉快気な色が浮かんでおり説得力は皆無だ。ちなみにルイス本人は隠せていると思っているだけ、余計に滑稽だ。まして春陽に言い聞かせた内容はキースに丸投げしろと言っているのだ、相乗効果もあいまって春陽が胡乱気にルイスを睨むには充分だ。

 和気藹々ともないし、緊張感の欠片もない状況に終止符を打ったのは、当然とも言える残りの一人だった。我慢の限界ではないにしろ、状況を鑑みない暢気な人間に遠慮などする人間ではない。三人へ容赦なしに凍てつく眼光で睨みをきかせて言い放った。

「いい加減にしろ」

 キースは無理やり春陽のフードをかぶせると、強制的に三人を黙らせた――もちろん拳で。

 大声を出すこともできず、痛みに悶える。ここで幼竜に気付かれでもすれば、キースから更なる鉄拳が下るのは間違いない。一番手加減されたであろう春陽でさえタンコブができているのだ、カーティスとルイスはかなりの重症だろう。

 三者ともに頭をおさえながら了承の意を示す。これ以上の追撃はぜひとも避けたい。

 微妙な沈黙が緊張感をともなって四人を襲ったが、それも長い間ではなかった。

 春陽達の正面、南側から白煙があがると同時にシュパンという破裂音が中庭に響いた。合図だ。

「ルイス、やれ」

 突然のことに幼竜は顔をあげ、なにが起こったのかと驚いて辺りを見回す。

 それまでの一種穏やかだった空気が一変する。キースの声よりも早く、ルイスは既にそれまでよりも数歩下がって態勢を整えていた。

 片膝立ちで、両手を地面につけ、その足元には魔法陣が浮かび上がる。

六柱多面型封鎖結界シス・ルーグ・シールド 第一式 始動」

 ルイスが言い終わるのと同時だった。

 砂塵を巻き上げながら淡い緑を纏った大きな光柱が陣から出現した。

 それを皮切りに、方々からも同じ光柱がまたたくまに現れる。時間にして一秒にも満たない、まさに一瞬の出来事だ。幼竜を囲むようにして出現した計六柱の光柱は一対ずつが対角線上にあり、それぞれが共鳴するように纏う光が強くなっていく。

 異変に気付いた幼竜はそれまで体を休めていた枝から慌てて飛び立つ。

「遅いよ」

 逃げ出そうとする幼竜を認めながらルイスは冷ややかに告げた。

「第二式 展開」

 緑が煌めく。

 光柱と光柱が光で繋がる。一式で範囲を固定、二式で囲い込むそれは、一瞬にして幼竜を囲む檻へと変貌した。

 ――六柱多面型封鎖結界――一柱につき一人の魔法師が核となる特殊結界魔法。普通の結界が外からに対する防御を目的とするなら、これは内に封じる結界。六人の魔法師を要するこの超強力結界は一度囚われれば最後、内側からは壊すことは不可能に近い。ただ発動するにあたっていくつかの条件があり、弱点ともいえるその一つが、力の相互作用を強めるために正六角形の頂点に魔法師を一人ずつ配置しなければならないことだ。

 結界の核を担う魔法師が別々の場所に六人、これは戦場では明らかな弱点になる。魔法師が一人でも欠ければ結界はその効力をたちまちに失ってしまう。そのために護衛をつけるのが常套だが、結界一つに貴重な戦力と時間を割く危険をおかしてはいられない。そのため絶大な威力を有するも、使いどころが難しいとされていた。

 だがそれは敵味方入り乱れる戦場での話である。敵や侵入者を囲い込み、追い詰めるにはこれほど適した結界はない。なにせ広範囲包囲型結界だ、しかも内側に向けて力の作用があるのも加えれば、今回のような自陣においてはうってつけの魔法だった。

 これを使わない手はない。

 ルイスには結界の制御を任せ、カーティスはその護衛として。そして中庭において幼竜を中心にして六ヵ所に魔法師を配置すること、それがジオの役目だった。

 ――条件は揃った。

 結界の中には春陽とキース、そして幼竜しかいない。そして発動された結界は幼竜が契約を結ぶまで解かれることもない。足手まといも、キースの邪魔をする者も、庇わなければならない者も、春陽以外は誰もいない。

 ――これで、遠慮はいらない。

 唯一の庇護者は最も安全な場所、キースの腕のなかだ。

「覚悟しろ」

 低く呻るような声で、その顔には凶悪な笑みを刷いて、キースは幼竜を見据えた。


 再び片腕で抱きかかえられた春陽が顔を青くしたのは言うまでもないだろう。



     **********



 中庭を覆う巨大な結界の中は遠慮を知らない一人と一匹のために見るも無惨な姿に変えられていた。緑と花に覆われた元の中庭はもう見る影もない。

 小柄とはいえ人一人を抱えているとは思えない動きで地面を蹴るキース。身をひるがえして春陽を庇いながら迫り来る灼熱の炎をかわす。熱波が春陽を襲うが、地面が抉れてるのを見る限り、かなり威力が落ちているのがわかる。

 背後の熱には目もくれずにキースは上体を低くし、一気に空へ跳躍した。

 民家の二階くらいの高さで飛んでいた幼竜はギョッとして慌てた。普通の人間ならばどう頑張っても近づけない高さだが、キースは空中を蹴るようにして幼竜へ肉薄した。


「人間じゃないよな~」

 結界の柱を支えながらルイスは目の前の戦闘に感心していた。

 まだ赤子だといえる幼竜の動きもそうだが、キースのそれはあきらかに人間離れしている。

 無詠唱の魔法行使は当たり前、挙句の果てには魔法陣を足場にして空中を駆け上がるという離れ業までを易々とやってのける。とても春陽を抱えたままとは思えない身体能力もその一つだ。

 成竜のそれに勝るとも劣らない火力のブレスを紙一重でかわし、身を焼く熱波は背後に防御魔法をしくことで防いだ手腕などはまさに圧巻としか言いようがない。一瞬での攻防といい、とっさの判断力といい実戦魔法師の鏡だ。

「ま、あとは時間との勝負か」

「間に合うと思うか?」

 独り言のつもりで口にしていたルイスはそっと声の主を見る。真剣な眼差しで結界内を見つめるカーティスはルイスの脇に立ち、声には不安を滲ませていた。

「なに、戦闘前には“アレ”呼ばわりしてたのに今更? ちゃんと言ってたじゃん、あの幼竜は竜種でも最上位に近い存在だって。聞いてなかったの?」

「あの外見からそんな上級種だなんて信じられなかったんだよっ! で、間に合うのかよ? アレ相手に。教官がオレたちじゃ何人でかかっても手も足も出ないくらい強くても、まだ一撃も入れてないんだ。それまで持つのかよ、お前」

「……まあ僕もあの幼竜が想像以上だから多少は驚いてるけどさ、見るべきところはもっと別なんだよ」

 答えになってないルイスの返答にカーティスは眉をしかめる。大体にして幼竜の強さ以上に目を向けろだなんて思ってもみなかった。限られた時間の中で並みの成竜以上の強さをもつ幼竜を無力化しなければいけないのだから。

「なんだよ、維持時間はどうにもならないんだろ?」

「そうだねぇ、この顔ぶれで長期戦は無理だよ」

 遠くにみえる同僚の顔を見渡す。どれも一流とまでいかない面々だ、これでは結界内の激戦に圧されるのは時間の問題だろう。

 一体何なんだと、視線で問いかけるカーティスに苦笑する。

「だからさ、言ったろ? あの幼竜の強さには僕も想像以上だったって。あの幼竜は強いよ、そんじょそこらの竜なんかよりはね。その幼竜相手に危なげもなく、一歩も引かないで戦ってるキース・ネイカーって一体何者? ってこと」

「何者、って……」

「考えてもみなよ、竜討伐に単騎で挑むことができる人間は国にどのくらいいる? 軍事大国のユール帝国ならまだしもアストレアでは二桁、三桁いたら万々歳ってなかで、幼竜とはいえ上級種相手に余裕をもって相手をしてる」

「おぉ! 強い強い、まさに鬼の化身かと思ってたが、その通りだったわけか……うん、これからは怒らせないように気をつけよう」

 ぶるっと震えるカーティスだったが、キースに目を付けられた時点で手遅れだということに気付いていない。

「違うから、まあ気をつけるにこしたことはないんだけど。僕が言いたいのは、あれだけの実力者がイストニアに客将できた? どう考えても可笑しいよね。ここは確かに北との国境付近だけどさ、どこの国もエーダ山脈を越えて進軍なんてできない。あの大山脈を越えたうえ、北にはユール帝国も控えてる。アストレアとユールを敵に回してまで戦争しようとする国はないんじゃない?」 

「なにかある、ってことか」

「……だろうね」

(そして多分、ハルも……)

 ルイスはキースがその腕に抱えた春陽に視線を移した。あれほどの魔力を有するにもかかわらず、魔力制御がまったく出来ないいびつさ。それに気付きながらルイスは口に出すことを避けた。

「確証もないし、ただの可能性の一つにしか過ぎないさ」

 重くなってしまった雰囲気を一掃するため、務めて明るく言った。

「そうだな、いまは召喚獣をなんとか出来るかが先だ。持ちそうか?」

「さあ、どうだろう? 結界の維持時間はどうすることもできないから、ネイカー教官ならそれまでになんとかしてくれるでしょ」

「なんとかって、適当すぎじゃないか?」

「大丈夫だって! これだけ騒ぎが大きくなってるんだ、必ず早いうちに侯爵の耳に入ることになる。ましてや六封結界まで張ったんだよ? 失敗しました、なんて口が裂けても言えるわけない状況で、ネイカー教官がしくじるとは思えないんだよね。実際にまだ余裕ありそうじゃない? それになんだかんだ言っても最後の最後はハル次第だし」

 ルイスが指差す先には幼竜と向き合うキースと、その腕に抱かかえられた春陽がいた。先程から一進一退の攻防を続けているというのに、息を乱すどころか平然と涼しい顔をしている。確かにルイスの言うとおり余裕がありそうだ。

「信じて待つしかない、か」

 大きな溜息とともにこぼれた一言は、どこか自嘲を含んでいる。“信じて待つ”とは相手を信頼する美しい言葉にも聞こえるが、自身はなにも出来ない無力な存在だと言っているようなものだ。なにも力になれず、待つしかできない。カーティスのそんな思いが溜息となって零れたのだろう。

「信じて待つのもいいけど、万が一ってこともあるんだよ? もしネイカー教官が失敗したら君達がなんとかしなきゃいけないんだから、もっと気合入れて応援しないと」

「はい!? “君達”って、誰のこと?」

「やだな~、ここにいるイストニア兵に決まってんじゃん。騎士連中は動いてないみたいだし、君らがなんとかするしかないでしょ」

「うちの連中と騎士達が代々犬猿の仲って知ってて言ってんのか!? 騎士連中に協力しろなんて言ったところで鼻で笑われて終りだ」

「うん、だから頑張れって言ったんだよ。それにいまから呼んだところで間に合わないし?」

 ルイスは基本的にカーティスという男が好きだった。変わり者だらけと名高い賢者の塔の解析を目にしても、先入観なしでその人となりを見てくる。大抵の人間が塔の解析と知っただけで忌避の目を向けてくるのに。

 ルイス本人を見たうえで話すカーティスとだから友人関係を築こうとも思った。だからこそカーティスが自嘲なんてしたことを忘れてほしくて、ちょっとだけおどかすつもりで口にしただけだった。

 効果抜群だったものの、かわいそうなくらいに顔を青ざめさせているカーティスにちょっとだけ罪悪感が湧いた。

「おい! 笑うなよ!!」

 ただあんまりにも動揺してあたふたするカーティスに、知らず間に笑っていたことはその本人に言われるまで気付かなかったが。からかわれたと勘違いしたカーティスは、今度は顔を真っ赤に染めて怒っている。

 数少ない友人が元気を取り戻したことにわずかに安堵する。

 これだけからかい甲斐のある友人など、つくろうと思ってもなかなか出来るものではない。元気でいてもらわなくてはと、内心でほくそ笑んだことは内緒だ。



     **********



 見覚えのある鈍い光に春陽はギョッと目を剥いた。片手は春陽で塞がれているが、もう片手は自由なのだ。いくら幼竜とはいえ相手は上級種、さすがのキースと言えども無手で挑むほど無謀ではない。

 キースは自由の利く手に片刃にそりのある長刀を持っている。ウィダの森で春陽に突きつけた、あの刀だ。

「ちょっとキース! 殺す気!?」

 思わず問いただしてしまった。

 春陽には軌跡さえみえない速さで振りぬかれた刀は、鈍い振動をキースの腕に伝えたことでその刃が振られたことを示した。あまりにも遠慮のない攻撃はもろに幼竜を襲ったのだろう、先程まで目の前にいたはずの紅色がない。

「わめくな、耳が痛いだろう」

「だ、だって、その刀! 斬っちゃったの!?」

「まさか、峰打ちだ。動けないようにしたいだけで、殺す気はない。いまのは様子見に一撃入れただけだし、アレはこの程度じゃ掠り傷一つ負うことはないだろうな。全くもって面倒なことだ」

「え……」

 勢いよく吹っ飛んでいった幼竜をとっさに目で追った。地面に叩きつけられたであろう場所からは土煙がもうもうと立ち上っている。それだけでもかなりの力で吹き飛ばされたことが明白であるのに、その程度では傷一つつかないという。

「来る」

 呆然と眼下を見つめていると、眉をしかめたキースの低い声が耳をうつ。

「しっかり掴まってその喧しい口を閉じてろ、舌を噛むぞ」

 同時に紅の炎を吹き上げ、勢いよく飛びあがる物体。そのまま勢いを殺さずに春陽とキースめがけて、体に似合った小さな翼を羽ばたかせた。とても小さな翼が生み出すとは思えない速さだ。

 春陽は息を呑んだ。先程までの戦闘からも簡単に予想できる、加速にともなって春陽の胃を襲う重力が。生まれてから十七年、箱入りで育ってきた春陽の内臓がその衝撃に耐えられるはずもなく、ジワリと涙を浮かべた目で訴えた。

「~っ、やだ! 降ろしてよ!!」

「バカ言うな、さすがに焼け死にたくはないだろう?」

 剣先で指された先は幼竜が吹いた炎が勢いよく燃えている。魔力が含まれた炎は誰に阻まれることもなくごうごうと燃えさかっている。中庭に張られた結界のおかげで城にまで火はまわっていないが、それでも美しかった庭のあちこちから煙がのぼっており、危険極まりないことは一目瞭然だ。

 ひっと、息を呑んだ春陽に満足したのかキースの瞳は既に逸れ、視線は迫りくる幼竜に向けられていた。

「そろそろ大人しくしておけ、ほんとに舌噛んでも知らないからな」

 言うが早いか、キースは空中に浮かべた魔法陣を消し去った。足場をなくしたキースはそのまま体にかかる重力に身を任せ、スピードをつけながら刀を持った右手を振って幼竜を迎え打つ。

 重力をも味方にしたキースの一撃はもう一度幼竜を吹っ飛ばすには十分だった。木に打ち付けられて止まったはいいが、思い切り背をぶつけたせいで咳き込む幼竜に追撃を加えようと、キースは強く地面を蹴る。

 危険を察知した幼竜は低く呻ると、大きく口を開けた。灼熱の炎を春陽たちに見舞うために。 

「キ、キースっ!? 火! 火だよ!? 避けてー!!」

「問題ない」

 銀色の長刀を真っ直ぐに正面の幼竜へと構える。まるで狙いを定めるかのように。そこには恐怖も気負いもまるでなく、幼竜の炎を脅威として感じていないことがはっきりとわかる。

 当然のように吐かれた炎を避けようとしないキースに春陽は焦るが、口を挟む時間などあるはずもない。一秒にも満たない一瞬で眼前には炎が迫った。生き物のようにうねりくる炎にキースは少しも怯まずに突っ込んだ。


 ――ああ、ダメだ。これは終わったな。

 などと春陽が思ったのも無理はない。炎に真正面から防護服もなしに突っ込んだのだ、まず無事でいることなどできないだろう。

 焼かれることを覚悟して目をキツク閉じたが、いつまでたっても痛みが春陽を襲うことはない。こわごわと目を開けた春陽はありえない光景を目の当たりにした。

 炎が突きつけられた刃の切っ先から逃げるようにしてキースを避けていくのだ。左右に割られた炎は勢いを失い、キースの通ったあとからその威力をなくして消えていく。放たれた後も中庭の木々を燃やし続けるほどの強力な炎が、飛火することもない。

 なんの脅威ともならなくなった炎のなか、キースは一瞬たりとも足を緩めず幼竜へと肉薄した。すでに目前となった幼竜は絶対の自信があっただろう己の炎が無力化され、呆然自失と化している。結果として大きな隙をつくってしまった幼竜の未来は決した。

 もともと女子供が相手であろうと情け容赦をするほど甘い男ではない、もしろ過激もとい激辛中の激辛と言える。そんなキースが幼竜の隙を見逃すハズもなかった。

「やはり子供だな」 

 小さく、つまらなそうな口調で呟いた声は、春陽意外に聞いた者はいない。なにせ直後には手心など加えず、キースの全力をもって幼竜の顎先を剣の峰で殴り上げ、さらには回し蹴りで鼻を潰すように踵を叩き込んだ。

 遠心力が加わったキースの蹴り飛ばされた幼竜は、地面を二転三転した勢いのまま木にぶつかってようやく止まる。完全に意識がとんでいるらしく、キースが近寄ってもピクリとも動かない。

「チッ、頑丈だな。これで傷一つできないなんて」

 目を回して伸びている幼竜を足蹴にしながら低い声で不機嫌に呟く。幼い身体をグリグリと踏みつける様はまさに紛うことなき鬼畜の姿だ。むしろ鬼畜の鏡ともいえる所業に焦ったのは春陽のほうだった。

「ちょ!? やめなよ、子供相手に! 動物虐待反対!!」

「お前は相変わらずの間抜けぶりだな。これが虐待になる訳ないだろ」

 呆れたような、馬鹿にしたような溜息をわざとらしく見せつけながらキースは続けた。

「峰とはいえ刀を叩きつけても、俺の蹴りを喰らわせても掠り傷一つないんだ。これくらい踏みつけたところでなんともないのは明らかだ。むしろこれくらいしなきゃ手を煩わされた俺の気が晴れないんだよ」

「なんで。苦戦した風には見えなかったよ?」

「限りなく面倒だったんだよ」

「ただの憂さ晴らしじゃん! 大人気ない!! っていい加減に踏むのやめなよ!?」

 春陽の苦言などどこ吹く風で、相も変わらず幼竜を踏みつけながらキースは視線を足元から腕の中で喚く少女に移した。それもムッとしたのを隠しもしないで。

「そもそもの原因に言われると腹立つな、元はといえば全部お前のせいだろう。大体にして召喚獣に逃げられたのが悪いんだろうが。殺さずに、しかも全力も出さないで気絶させるなんて面倒以外のなんでもないだろう。しかもちょっとやそっとじゃ傷一つ負わないのを相手にしてだぞ?」

「魔法に関しては何も言われてないし! キースにも責任があると思う! それに手加減するのが面倒だったら、全力でぱぱっと伸しちゃえばよかったんじゃないの!?」

「消し炭にしてもいいなら、やったさ。だがそれじゃ、いくら俺でも問題になるからな」

「……ナニが消し炭みなるって?」

「城も召喚獣も? 結界を張ってるとは言っても、イストニアの実戦程度じゃ話にもならん。全力の魔法を打ったら結界ごと塵あくたの仲間いりだな」

 さらっと恐ろしいことを言うキースに、春陽は顔色がなくなった。それはマズイだろう? と言い聞かせるように春陽に問いかけるキースは冗談を言っているようには見えない。

「そんなことよりも、コイツが目を回しているうちに契約してしまえ。ルイスに言われたことを忘れてないだろうな?」

 春陽を腕から解放し、踏みつけていた幼竜を汚物でも掴むように幼竜の尻尾の先を指先でつまむ。そのあんまりな態度に思うものはあっても言葉にすることはできず、結果として口元を引きつらせてしまった春陽に、キースは遠慮なく幼竜を放り投げた。 

「ちょっと! 投げないでよ、落としたらどうするの」

「知るか、落としたお前の責任だろ。それよりもさっさとヤレ、あいつ等だってもう限界みたいだぞ?」

 言われて見れば結界を維持している魔法師たちの顔は皆どこか苦しそうだ。キースの権限をもって契約するまでは結界を解くことが出来ない彼らは、春陽に懇願とも取れる視線を送ってきている。そのことに遅ればせながら気付いた春陽は慌てた。暢気にキースと会話している場合ではなかったのだと、そもそもキースが鬼畜なのは分かりきっていた事実ではないか、今更驚いたり慌てたりするだけ無駄だった。

 だから思い出したように慌てて幼竜に向き直ったのは、今現在進行形で結界を張り続けてくれている魔法師達のためであって、無言の圧力をかけてくるキースのせいではない――誰が何と言おうとも、だ。

 もろもろの圧力に屈した春陽は、改めて幼竜を抱き直した。ルイスに言われたことを一言一句間違わないように頭の中で繰り返しながら。

  

 我は汝を望むもの

 汝は我に応えしもの

 我は結ぶもの

 汝は誓うもの

 我らの間に裂けぬ絆を 


 ゆっくりと正確に紡がれた音は、春陽の周りに魔法陣として現れる。淡い光を伴って。


 血をもって別てぬ誓いを


 魔法陣が完全に浮かび上がると、春陽はおもむろに親指を口元へと運ぶ。指先のチリッとした痛みと、口の中に広がった鉄くささが不快だったが、かまわず玉になって浮かび出た血を幼竜の額へと押し付けた。


 召喚契約之儀コントラクト


 言い終えると同時に幼竜の額に深紅の魔法陣が浮かび、一瞬だけ強い光を放つと幼竜のなかへと消えていった。

 残ったのは静寂だけで、戸惑った春陽はこれでいいのかとキースを伺い見ると、珍しくも笑みを浮かべて肯いてくる。

「よくやった」

 珍しくな、と嫌味を忘れない普段通りのキースに安堵した。

「お、終わった~……」

 無事に終わったことにホッとして、気が抜けた春陽は幼竜を抱えたままヘニャへニャと腰を抜かした。未だ自身が魔法を使えるかどうかも半信半疑でいたのだ。内心では失敗するかもと不安やら気負いが大きかったぶん、無理もない。

 気を抜いていたのだろう、これで一件落着だと。召喚契約之儀コントラクトも無事に成功したのだ、後はキースが魔法師に結界解除の合図を出すだけだったが、当のキースが指示をださない。どころかある方向を険しい表情でジッと見ている。

 なんなんだと同じ方を春陽も見てみれば、ガクリと両手両膝を突いてうな垂れる城の主がそこにいた。よく見ればプルプルと身体も小刻みに震えている。明らかに尋常ではない事態に春陽は首を傾げた。

「どうしたんだろ?」

「……」

 キースに問いかければ無言と言う名の無視をくらう。無視も無言も、眉間のしわもキースにとっては珍しいものではないし、むしろ慣れ親しんだ態度だった。だがそのなかに幾分かの諦観や呆れが混じっているのは、いつも力技で自分の思い通りにしてしまうキースには珍しかった。


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